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2010-03-23

G・ファン・デル・レーウ『宗教現象学入門』を読む #3

浄めは、非常にしばしばある時期から次の時期への移行に当たり、境目をなす危機的な時点で、通過儀礼として行われる。その際、前の時期の「汚れ」(ここでも、われわれの公共的清掃事業の意味ではない)は、すべて祓われなければならない。ローマで、国家の力の中心であるヴェスタ神殿が年に一度浄められた時には、危険が空気中に漂っていると言われた。浄めをする日は、「俗的行為禁止の日」(dies nefasti)、つまり不幸の日とみなされた。汚れは慎重に隠されたのであるが、それは神殿の汚れのみならず、一年間の国家の汚れにも及んだ。(中略) 季節や年の交替は、大掛かりな浄めを伴う。見たところ──少なくとも多くの人々の目には──何か災いに満ちた聖、不幸という性格の一部が、浄めの概念の中に残存しているように思われる。
「神と人間──聖なる行為──」(の章)より、「A 外的な行為」の「26. 浄化、供犠、聖餐」より(page 199)

レーウの文章から、自分の「周回する浄化儀礼」や「オメガ祖型」の理論に支持を与えるような記述を見いだすことになるとは予期していなかったが、ついにそうした記述に遭遇することになった。

ひとつの時期から次の時期への移行期に「浄め」が行われるというのは、ここに書かれているように、世界中の広いエリアで観察されるのは確かな事実のようだ。オメガ祖型のいくつかの例を挙げるにあたって、筆者はかつて、日本の伝統的正月飾りの一つであるところの門松(かどまつ)や、とりわけ茶道の歳暮の時期に使われるらしい特別な茶器、「暦茶碗」などを取り上げて論じたことがあったが、まさに周回する時間の中でも、われわれに身近な「1年」という周期における一巡の時期、すなわち「年末年始」という次の周回へと移行していく「時の狭間」に《Ω》の形状を連想させるモノが出現し、そもそも大きな周回であるところの《Ω状》の未完の円相が閉じる(つまり、円の始まりと終わりがくっ付いて連結する)というコトの成就のために重要な役割を果たす、ということを論じたのであるが、レーウはこの過渡的な時間的狭間を「境目をなす危機的な時点」と喝破した。そしてそれは前時代に溜まった汚れという時間的な残滓をすべて祓い清めるための儀礼として捉える。

omega1

彼は、ここで「われわれの公共的清掃事業の意味ではない」とわざわざ括弧の中で断っているが、page 198でもレーウが記しているように「最初になされなければならない聖なる行為」としての浄化を、衛生上の観点から現代的な再評価が与えられているような「モーセやイスラム教の戒律」の解釈は、「すべて誤りである」と正しくも断定している。

浄めの祭祀が、「危機的」と記述されるようなエポックであるというその論拠は、今年に入ってから筆者がシリーズで取り上げた「反対物の一致」における論点といささかも矛盾しないどころか、それを裏付けるものとなる。つまり、危機的な過渡期を伴う周回は、単なる自然現象であるというよりは、きわめて人類的で人工的な何らかの動作を繰り返す行為であり、しかも危険を伴う儀礼なのであり、それがなければ古い世界は生まれ変わることができない、そうした分娩のような、ある種、「自発」的行為なのである。つまり、1年という地球の公転周期以上でも以下でもない自然現象的な周回は、その人類的・歴史的「行為」を思い出させる象徴的な範型なのであって、人間はその周回する時間を口実に、かつての人類が行ったところの「浄化儀礼」を模倣する契機としているというのが正しい。つまり、地球の公転周期や、それに付随する植物の一年周期的な生命現象から、人間が儀礼を学んだのではなく、人類の祖型的反復行為に、地球の公転周期が酷似していたと言うべきなのである。

omega2ウロボロス

今にも我が尾に食い付いて輪のように繋がろうとするΩ状の「未完の輪」を、閉じた「ウロボロス」のような完成した円環とするための契機が浄めの祭祀、すなわち「集団的浄化儀礼」なのであり、それの模倣しようとしているコト(事態)は、まさに人類の全滅を惹起しかねない危機的な「ゲーム」なのである。

この引用の後半部、「見たところ──少なくとも多くの人々の目には──何か災いに満ちた聖、不幸という性格の一部が、浄めの概念の中に残存しているように思われる」という部分は、とりわけ高い重要性を持っている。これこそが、円環の終わりに訪れる一種のお祭り騒ぎと、それが終わった後の嘘のような静寂という正月や過ぎ越の祭りに共通に見出される「意味性」なのであり、儀礼の背景において、今にも捉えられようと待機しているエッセンスなのである。聖なるものが不幸を暗示するというのは、まさに「反対物の一致」のひとつの側面であるし、「死を伴わない聖は存在しない」という筆者が、ここ最近提唱している「聖の本義」に関わる部分である。つまりレーウがここで暗示していることこそ、「大量死」という悲劇(災い)が、聖を成り立たしめるのであり、そしてその不幸(きわめて巨大な悲劇)の記憶が、「浄め」の意味合い(あるいは正当化)を必要とするということなのだ。


ところで、この(悲劇的とも呼ぶべき)歴史的エポックを「浄め」や「祓い」として諒解しようとする、言わば「宗教化された象徴理解」は、それが儀礼と化した時点ですでに堕落への一歩を進んでいる。レーウはその点についても抜かりなく指摘する。
目覚めつつある道徳的・合理的意識は、遅かれ早かれ、歴史を持ついかなる宗教の中でも儀礼による浄めに異議を唱えるに至るものである。(page 200)
つまりひとつにはキリスト教において行われる洗礼の儀式に「なぜ水が使われるのか」という抜本的な疑問は、依然として信者によってはなかなか呈示されにくいことではあるが、実はそうした疑問が大多数の信仰者たちによって抱かれる以前に、批判精神を持つ一部の宗教改革者たちによって、「もはや未開人のように思惟しなくなった人間は、両者[物質的な汚れも精神的な汚れも]を区別しはじめ、儀礼という手段を精神を損なうもの[形式主義/教条主義]であり、品位に欠けると感じるようになる」(page 200)のである。

[ ]内は筆者(当方)による。

しかし、一方でこうした形式主義としての儀礼や教条主義としての聖典(テキスト)を、宗教の慣習が保持していたことは、読み解き得る暗号を後世に伝えるという点では、少なくとも重要な役割を果たすのであり、宗教現象を道徳的価値だけで捉えようとする信心(信仰心)も、また別の教条主義へと宗教を矮小化する要因の一端を担っているのである。

そこで思い出すべきが、聖なるものは俗なるものによって実現する、あるいは、密教的な宗教の本義は、顕教という「反論しがたい大多数の支持を得る“善”」という容れ物によって世代を超えて運ばれる、というパラドキシカル(逆説的)な奥義について、なのである。

(続く)

参考文:
「忘れられた宗教の機能」についての長い補足
23:58:14 - entee - TrackBacks

2010-02-22

反対物の一致 #4:死を伴わない発展はないことについて

(あるいは)
何故われわれが(非)宗教的終末論の必要を主張するのかについて

Pieta

発展は一種の変化であり、方向的にはとりわけ未完から完成への変化であり、また未成熟から成熟への変化である。また「発展」という言葉には濃厚な肯定的価値判断が含まれている。こうした発展系の変化の別名は、しばしばわれわれの慣習として肯定的に《成長》とも呼ばれる。そして、こうした種類の《変化》は、その目的であるように見えるところの、完成や成熟でその状況遷移が終了するのではなく、完成は崩壊(もしくは解体)へ、成熟は枯死へと向かう種類の変化であることを見逃すことはできない。つまり、発展や成長には永久の発展も永遠の成長もあるわけでなく、その発展系の事物の誕生には、死による終焉が待っているのである。

成長はまた、ある一定以上に進化した生命個体の特質でもある。それは一定の条件が揃えば避けられない方向性である。また、あらゆる生存環境上の変化が生起する以上、それへの適応を行なわなければ生命は死滅するので、適応という変化を行なわなければならない。それが個体レベルではなく、種というグループ単位において行なわれ、変化の内容をその種の特性として遺伝子に固定化させ子孫に相続させる時、それは「進化」と呼ばれるようである。

いずれにせよ、個体のレベルにおいても集団のレベルにおいても生きているものは変化する。そしてその変化は、個体レベルでは成長であり、集団のレベルにおいては進化として理解されている。(そしてそのいずれもが通俗的世界観においては完全に肯定的観念として受け入れられている。)こうした変化が個体や種のよりよい生(あるいは「完成」)のために採られるものであると解釈し、それを「発展」という名で呼んできたのはあながち理解できないことではない。未熟よりは成熟、未完よりは完成が、人生の局面では肯定されてきたからである。

しかし、変化するということはわれわれその生を生きる者にとって、完成や成熟の後に待っている老衰や腐敗、そして最終的には死が一セットである以上、苦痛なのであるということは、すでに言を俟たない。それは生を苦と捉える仏教思想にも通じるものですでにそれは十分に検討されてきたことだ。

だが、これが自分自身に引きつけて考えることのできるひとつの個体の死という次元では諒解容易な観念も、人類史をひとつの大樹のような系、すなわち《文明》として捉えた場合、歴史の誕生に、歴史の死という終末がセットとなっていることは、なかなか受け入れ難いものがあるかもしれない。われわれを生かしているこの体系(システム)自体の死は、その体系によって生かされているわれわれはなかなか客観的に捉えることができない。始まりがあって終わりがあるのは、人間の組織であればすべて例外なく真なのであるが、自分という個体の死を理解できても、この文明がすっかり終わってしまうということは想像が難しいのである。

しかし少し考えてみれば分かることだが、有史以来の歴史を鳥瞰しても明らかなことであるが、どんな文明も国家もすべて興って栄華を窮めたものは滅びているのである。ローマ帝国が全盛であったとき、あるいはペルシア帝国が隆盛を楽しんでいた頃、誰がそれらの来るべき崩壊を実感できたのか? それは一部の歴史家や哲学者のみであった。人の一生と同じく、文明や歴史には始まりがあり、そして終わりがある。生まれでたものは死に往かねばならないのである。それは経済成長という名の「発展」についても同様である。成長する以上、成熟期があり、それを越えれば爛熟しそれは腐敗への道を落ちて行くのである。したがって、経済や文明に人格があり意志があったとすれば、「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(ヨハネ黙示録 22章13節)という言葉は、あたかも彼らが発する言葉のように聞こえてくる。

中国で伝えられてきた不老長寿の妙薬などというものは、個体の寿命の延長策として通俗化されて知られているが、そもそもは生命の木としての人類の世界を如何にして永続化させるかという哲学が発祥であったと考えることもできる。[これについてはまた別の機会に]

そうしたとき、発展や成長を今日のように善なるものとして(肯定的にのみ)捉えるのでなく、敢えて悪として、(否定的に)捉える《哲学》が登場できるのである。変化のないものは永遠である(永遠と変化は相互に背反し合う)。そして変化のない永遠が平和である(変化は平和の最大の敵である)。そして永遠のために哲学が登場する(永遠のために変化を否定するものとして哲学が存在する)。すなわち、その哲学は永遠を、いや《永遠の生》を如何にして現世に実現するかを考える学問である。だが、こうした哲学に先立って(変化を否定し)永遠の実現を課題とした人類の運動が存在する。

それがtradition(伝統)であり、またconvention(因習)であり、それらは宗教以前においては単に《掟:commandment》の形で人類の活動に制御(ブレーキ)を与えるものとして機能した筈である。このようにすっかり通俗化(脱聖化)した今日的人類の視点から見れば否定されて久しいこれらのことが、実は「永遠の哲学」の名残であったことを、われわれは遅からず思い出すことになるだろう。それは、繰り返される変化の果てに進化/発展が極を迎え、そのために多くの犠牲を巻き込みながらわれわれの世界がついに崩壊して終わるや否や、世界の辺境で運良く生き延びた《生き残り》によって開始される筈の運動なのである。

ひとつの世界の終わりと同時に開始されるこれらのことの目的は、その終わりをもたらした原因の排除である。それは無遠慮で無慈悲なほどに徹底した排除であろう。だが、それは広く歓迎されその価値が疑われることはなかったし、それほどの徹底さが必要なほどに、起きた破壊と悲劇の規模は大きかったのである。つまり、そのような終わりを招来させないために、「崩壊することの分かっている塔を建設しない」こと、すなわち「文明を始めない」ことが、悲劇回避に関して最大の効果を期待できる予防策だったのだ(そして予防策となるだろう)。そしてその運動の形骸化されたものが、われわれの知っている「宗教」という名前で知られる、人間による人間のための組織的な集団行為なのである。

その文脈で読み始めて、初めて宗教や神話の扱っている「事の起こり」の意味が明らかになる筈である。

画像:El Greco, Pietà, 1571-1576
死んだ「人の子」を抱えて嘆き悲しむ聖母:これは文明と歴史とを失って慟哭するわれわれの未来の、(そしてかつての、遠い父祖たちの)姿である。
画像引用先

22:22:00 - entee - TrackBacks

2009-08-01

加速する回転遊戯器を止めよ!

〜カリユガを生きる自分たちに捧ぐ〜

文明の利器が「人の仕事を奪う」のは当然のことである。仕事を奪うと言うのが不正確だというのであれば、その目的は「人の仕事を減らして労働需要の絶対的総量を少なくする」のがそれである、と言い換えてもいいだろう。しかし、現実に起きていることとして、あるいはこれまでの実績ベースで歴史的経緯を見るにつけ、《技術革新はほとんど人類の労働時間を減らしていない》。何故ならば、この技術文明においては、減ったはずの労働時間(稼いだはずの時間)を、別の仕事に当てるのが当然とこの世界では思われているからである。

こうした事象の背景として、「労働賃金が労働時間を基準に支払われる」という制度が、相も変わらず産業革命以前の頃と同様に、多かれ少なかれ当然のように信じられ採用されているというのがあるように思われる。そうである以上、文明の利器によって生産手段が高度に洗練され、如何に生産プロセスが加速されたとしても、《余った時間に労働者は別の仕事をしなければならない》わけで、結局労働時間短縮にはならない。これが第一の問題なのである。

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11:00:52 - entee - TrackBacks

2009-05-05

端午の節句に見る《ショウブ》の象徴に遊ぶ

「勝負」という言葉は最近では「勝負下着」とか、「ここぞ」という大事なときのキメの一着(一枚?)のことらしく、ここから読み取れるのは男女の房事のことが、今では「(真剣)勝負」と言われるようになってきているということでもある。昔から「“勝負”があった」とき、そのことを「雌雄を決する」と換言できることからも分かるように、確かに、男が男であり、女が女である──男女を決する──「その場面」は「勝負」という言い方こそ相応しいのかもしれない。だが、閨事(ねやごと)が「勝負」であると捉えるその現代人の感覚は、下のような伝統的な西洋の象徴世界でも共有されていることでもあり、あながち間違ってもいない*のである。

Rosarium
ボッティチェッリ

* これについてはかつて『金剛への第一歩──集団的な「浄化」儀礼と《聖婚》の伝えるもの(陽物としてのフィニアルとその周辺)』という拙論で言及したことがある。


冗談はさておき、ショウブはショウブでもこの度のショウブは、「端午の節句」にちなんだ菖蒲についてである。三月三日が「桃の節句」なら、五月五日は「菖蒲の節句」である。

調べると、端午(たんご)というのは、午(うま)の月の初め(はじめ/端目)の日のことらしい。しかも旧暦での祝いの日だったから、グレゴリオ暦の5月5日が「端午の節句」になっているのは二重三重に転倒していて、儀礼のオリジンを訪ねようという向きには面倒な状況ではある。端午の「ご」の音が数字の「五」に通じるということで五月になったということもあるようだが、「午」とは十二支では7番目。旧暦で「午の月」とは五月(皐月)(グレゴリオ暦のおおよそ6月)のことだ(今年の端午は5月28日なのである)。

一方、節句とは節供(せっく)と書かれることからも分かるように、植物をお供えする供犠のことだ。端午の節句が「男子の節句」となっているのは、紀元3世紀頃の中国の故事に由来するようであるが、この「端午」が、日本の田植え前の時期に男子が皆出払ったあと、家に篭る女性たちの穢れを祓う日本の旧い「五月忌み」と呼ばれる儀式(女性のための儀式)と習合して、性別が反転して鎌倉時代頃に男子の節句となったという説がある。それ以前でも、おそらく中国の影響を受けたと思われるが、宮中ではこの端午に薬玉(くすだま)を贈り合う習慣があったという奈良時代の記述があると言い、そこでも薬草や菖蒲との関連が見出される。

なるほど端午の節句には邪気を払うと言われる菖蒲の束を浴槽に浮かべて入浴する菖蒲湯の習慣が今日でもあるが、この菖蒲にこそ、(後に)天空で割られることになる「薬玉」に負けずとも劣らない秘儀(エゾテリスム)が潜むというのが筆者の考えである。

菖蒲
▲菖蒲の花(イー薬草ドットコムのサイトより)いわゆるアヤメ科の花とはまったく異なる。


「菖蒲の節句」が男子の節句となった経緯としては、武士の時代であった鎌倉時代に「菖蒲」(ショウブ)の音が、「尚武*」と同じ読みであることなどで転じたというのが有力な説のようであるが、間違いなくそこには「勝負」への連想もあったはずである。

* 武道・軍事などを大切なものと考えること(大辞林)

このショウブという植物のもっているという「邪気の祓え」の魔力は、ある種の秘儀の名残と言い得る理由がある。菖蒲(しょうぶ)の古名はアヤメであり、アヤメは「殺め」に通ずる。アヤメグサは「殺め草」でもある。このことは、端午の節句について説明する「菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ」(Wikipedia)というような、最もありふれた記述の中にも見ることができる。

確かにショウブがサトイモ科で、いわゆるキショウブ(黄菖蒲)やカキツバタ(燕子花)などの三弁の「アヤメ(菖蒲)」と一括りにされるアヤメ科の植物とは似ても似つかない花を付ける*のであって、ショウブがアヤメ科の植物と混同されている不思議には様々な説明が必要でありまた可能でもあろうが、そのどちらにも連関がありそうなのが、まさに前述した《武具》への連想なのである。

* 参考サイト「いずれがアヤメ?カキツバタ?」

いわゆるショウブとは違うが、西洋のアヤメの紋章は、その三弁の花弁の形状からフルール・ド・リ(fleur-de-lys)として繰り返し現れる「三位一体」の象徴であるが、それはそのまま西洋の伝統においてはスピアヘッド: spearhead(槍の先端)、つまり武器の形状としても認識されるものでもある。つまり「アヤメ」(菖蒲)は、洋の東西を問わず武器(殺める道具)への連想が存するのである。

spearheads
Qingdao Andireal International Inc.より

Fleurs de lys
Déguisement de chevalier Fleur de Lys avec armes en mousseより


この写真で見られるように西洋のスピアヘッドは三位一体の象徴である「フルール・ド・リ」(アヤメ/キショウブの紋章)の形状を採ることがあり、武具と三位一体の間にある関連性が示唆されるのである。これは日本における正月の門松(かどまつ)が、竹槍状に斜めにカットされた三本の青竹を束ねて、αとΩ(阿吽)の位置、すなわち門や玄関の左右に置くことで、武具(あるいは穢れの祓え)と三位一体、そしてわれわれの住む世界の始まりと終わりの位置に発生する何かを象徴する習わしと根を同じくする。

まさに端午の節句とは、5の並びの日(5/5)を目印とした勝負/尚武の節目であり、鯉のぼりとともに空高く翻る五色の吹き流しによって強調される「五行」の徴によっても「5の数性」は高らかに顕現させられる。ということはまさに今日の世界──数性“5”と数性“5”の権化が仁王像のように東西から立ち上がり、大洋を隔てて対峙する現代社会──において、男子に秀でた武具使いとなることを真剣に祈念する日なのである。

そして菖蒲の湯に浸かることは、菖蒲の持っている邪気を祓う魔力の滲み出した液を以て全身を「洗礼」されることで、武具と同様の魔力を身に付けようという迷信として伝わったもの言うべきであろう。

象徴の作法とは、時間の経過と共に発展し、不明瞭は明瞭へと転じて、解釈可能な形象へと徐々に改訂されて行くのである。

17:18:57 - entee - TrackBacks

2008-12-15

EconomicalはEcologicalだ(この際、断言)

畏友いしかわはじめ氏のblog「エコロジカル・エコノミカル。」に刺激を受けて、書く。Linklogのtrackback機能が死んでいるのでこのようにリンクを貼る。言うまでもないことだが、彼の文章は心から楽しませてもらったし、その主張を一旦受け入れての話であるし、ましてやタメグチを叩ける間柄だからできる「問題提起」ってものに過ぎねー。したがって「反論でさえねえんだ」ということで、その辺りは外野の方々にはじゅうじゅう承知して頂きたいんである。前置きは以上。

「EconomicalをEcologicalと混同するな」という議論は、サービスを受ける側の論理としてならその問題圏設定はじゅーぶんに理解できる。したがってエコロジカルを装ってサービスそのものを劣化させるのはゴマカシだというその主張も大筋は共感できる。

だが、その問題圏を一旦取り除いて、自分がより良いサービスを受ける権利があるとかの考えを一旦忘れて考えると、「economicalは大体の場合においてecologicalだ」というのは認めても良さそうな気もするのダ。

そもそも大量生産・大量消費は大体においてecologicalではない。人間の生産活動そのものが「ecologyに非ざるもの」である以上、生産行為にコミットしない生き方というのが一番ecologicalである。人間全員が一斉に集団自殺すればいちばん「地球にやさしい」。それが極端なら、人間ぐうたら必要のない時はゴロゴロ寝て過ごし、必要な時だけシブシブ生産活動に従事する、というようなナマケモノの生き方を全体でするのが、おそらく2番目くらいに環境負荷が低い。サービスだって無駄に笑顔を作ったり「いらっしゃいませありがとうございます」などと連呼しない方が個人の消費するエネルギーは少なくて済むかもしれない。少なくて済めば食べるメシの量も減らせる。これはエコロジカルだ。

その延長で考えると、これから来る可能性の高い「長期的で深い景気停滞期」というのは、長い眼で見ると、「ここ百年で一番二酸化炭素排出量が少なかった時期であった」などという観測結果を招来させる場合もあり得る(ホントか?)。もちろん、そんな「長期的で深い景気停滞期」が、戦争のような極端な大量消費(資源消費)に結びつく可能性もあり、その場合は全く逆の結果になる可能性もあるケド。

いずれにしても現在進行しつつある金融危機というのは、小手先の処置だけでは同じことを繰り返すばかりのハナシで、生き方そのものを切り替えて、「スローに生きる」みたいなことも、十分に視野に入れなければならない問題を自分たちに突きつけているのだとも思える。つまり「お金はない。ならばお金を使わない生き方を」みたいな話だ。あるいは、せめて他人のグウタラな生き方やサービスに対する寛容を涵養するとか(シャレです)。

むろん、大量生産・大量消費という世の中を成り立たせる経済基盤そのものを変えずに、単に手を抜けるところだけ手を抜いて行く、という様なやり方をして行くと、公害が大発生した60-70年代の日本や、人口が優に13億を越えると言われる隣国で今進行しつつあるような「危ない世の中」になる可能性もある。今の経済的な基盤の上で、ecologicalを追求することが、「手を抜く」どころか「手をかける」ことであるのは、確かにもっと共有されてしかるべき常識だとは思うが、バイトスタッフに分かってもらうには、さらに一手間掛けなきゃならないのは確かだろうねえ。
14:26:52 - entee - TrackBacks

2008-04-21

怒鳴り合う「思想」:映画『実録・連合赤軍』に殴られる

実録プロモーション画像

「映画」と言えばテレビでプレビューを流しているようなハリウッド系映画や、次から次へと作られるテレビのホームドラマみたいな邦画作品くらいしか知らないという方はお読み下さらなくていい。

テアトル新宿
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
5/10(土)よりモーニング上映決定
タイムテーブル
〜5/9(金) 11:30/15:20/19:10〜22:40
5/10(土)〜5/23(金) 11:00〜14:30 ◎1日1回上映

【第58回ベルリン国際映画祭】(2008年)
《フォーラム部門》招待作品
★祝【第58回ベルリン国際映画祭】2冠受賞!!★
●最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)受賞!
●国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)受賞!
★【第20回東京国際映画祭】★
●《日本映画・ある視点》作品賞受賞!




映画から受けるダメージはゆっくりとだが確実に作用している。

彼らを「狂信的」とは呼びたくない。こうした「正しさ」への信頼の感覚とは、われわれが若い時に一度は通り抜けてきたものだからだ。私の近代主義や高度技術文明に対する批判というのも、その根っこは高校生くらいの頃に初めて出会った哲学に求められるのだし、「間違いつつある文明」に対する警鐘として殉じたいという気持ちとともにあったものだ。

だが、機関銃のように指導者の口から発せられるきわめて抽象的で観念的な言葉、言葉、言葉。時間を掛けて考えれば、「純粋な思想」として理解できなくはない理論でも、現実との折り合いを付けられない、こころの表面を上滑りするばかりの怒鳴り声が、ひとの耳を仮借なく襲う。崇高なはずの「思想」は、すべて怒鳴り合いの中で応酬される。あるのは、対話ではない。今でも平壌(ピョンヤン)からのテレビ放送で見ることのできるようなアナウンサーによる演説調のアジであり、背筋に力が篭って堅くなった人間の発する黒い声音によって撃ち出される単語の矢である。

この「熱さ」はあたかも幕末の志士たちが登場するドラマや映画などでも描かれてきた、相互に斬ったり斬られたりする若者の群像ではあるのかもしれないが、青春を描いた映像だとは言いたくない。その上滑りする抽象的な言語に限っては、ただ暴力的に繰り返されるばかりで、ほかの若者を真に考えさせ、理解させることができない。

現に、「まったくわかっていない」と指導者に怒鳴られる若者たちを、本当に分からせることのできる、実感と現実感を伴った言葉と経験を、指導者を含め、誰もが持たない。(その指導者だって指導される側とほんの数年の歳の差しかない。)

したがって、こうした純粋な思想的な展開について行くことのできる極一部の(理屈っぽい)人間だけが、かろうじて「わかっている」のであり、「指導的立場」に居座ることができる。そして、「わかってしまった者」は、自分のこれまでの「間違い」を認めないわけにはいかず、認めて自己を批判し自己否定する者は、負けを認めて「思想的」にも指導者に従わざるを得ない。「間違った者」は、それを諒解すれば「正しい者」に従うのが思想的に「正」となる。かくして支配と被支配、指導と被指導が、思想という純粋観念の力を得て実現されるのである。

一方、「わからない者」は、どこまで行ってもわからない自分についての「総括」だけを求められる。思想をわからない者が「自己を総括する」などということは撞着以外の何ものでもない。そのようなことは理屈上不可能なのだから、わからない者に総括を求めることは、教育に失敗した教師がわからない生徒に反省を促しているようなもので、まったくもって理屈に合わないのであるが、指導者の絶対的立場は、そうした自分に向かう批判だけは狡猾に封じる「へ理屈」を持っているのだ。このようにして「総括」の意味は次第に失われて行く。総括を求める指導者たちは、「自分で答えを出すのが総括だろ」という理屈によって、真の指導や教化の責から免じられてしまう。

どこまでも「わからない」メンバーには、言葉による執拗な批判と人格の否定、そして、間もなく、生命を滅ぼす身体的な暴力が待っているのである。これは、北朝鮮の強制収容所やカンボディアの「キリングフィールド」、文化大革命時代の中国、そして戦前・戦中に憲兵が大威張りで闊歩し、隣組が相互監視をしていた日本、などなどに起きたことではないのだ。これは70年代に、われわれが日常を生活していた隣で起きていたことなのだ。



「正しい者」が怖い。この感覚は、自分の中では長いこと封じ込めて来たものだ。正しい者を怖がってはイケナイ。正しければ正しいほど、それは克服され乗り越えられなければならないから、ということもある。だが、このバランス感覚によって「正しい者」が自分に近づいて来たら逃げたり避けたりしないで、可能な限りその「正しさ」を問うという姿勢に自分を向かわせたのである。健全な相対化を旨とする人間にとって、したがって「正しい者」を怖がらずに、近づいていって検討してみるというのは、方針としてむしろ必要なことであった。

だが、ある集団の閉塞的な状況において、「正しさの感覚」の飛び抜けた者は、カリスマになる可能性があり、それの正否を問う存在(批判者)がいなかったり、批判者を封じ込めたりすることに成功すると、その閉鎖世界の中で「まったき暴君」となる。自分に正義があるというその恐るべき感覚。それは若くて純粋な時期の若者にこそ起きがちなことではあろう。40の訳の分かったような中年よりも子供の残酷さに近いものを彼らは持っている。特に、異なる世代がおらず、したがってさらに上のレベルから批判できる存在がなければ、「革命の理想」というものは、暴力的手法を得て、現実のものとなり得る。成功した革命とは、案外こうしたものかもしれない。

「正しい者」の行為の総ては、達成されるべき理想や目的のための手段となり、いかなる手段も正当化できるという思想に到達し、すべての特権と絶対的な権力を手に入れる。それがたったの30〜40人足らずの若者の集まりであったとしても、その絶対的権力に逆らうことはできないという空気が醸成され、それに対抗する勇気を失えば、殺人やリンチでさえも「理想へと近づくための方法」となり得るのだ。これは倫理的な社会(理想)を実現させるために倫理を踏みにじっている自己の立場を容易に忘却する。

自己批判と総括とを迫られ、呵責なき暴力を振るわれ、「こんなこと、意味あるのか? それが革命なのか?」と断末魔の中で叫ぶ男たちは、完全に秘境の地で世間から隔絶された「軍事訓練」のキャンプの中で、口を封じられ、まさにその素朴な疑問ゆえに、集団リンチを受け、死んで行った。ほんのちょっとした指導部への疑問でさえも、すべて「革命的でない」「自己の共産主義化が足りない」などの理由で圧殺される。かくして少人数のキャンプが恐怖政治となる。理想に燃えた若い青年たちの夢が、かくも脆く修羅場と化す恐ろしさ。この恐ろしさは楽しめる怖さではない。彼らの純粋な「正しさの感覚」ゆえに、そして勇気を奮えないために許される「狭い世界での専制政治」ゆえに、まことに後味が悪い。だが、この後味の悪さから逃れようとしても、描かれているものが虚構ではなく、われわれが生きていたこの世界において、現実の物語として起きていたのだという事実性から、われわれは逃れることができない。



確かにこの映画は、左翼活動家の愚かさを広く伝えるための手段として用いられてもおかしくないが、国を想う右派活動家によっても同じことは起こりうるし、起こされてきたことだ。「正しさの感覚」への無批判な信頼と、声を上げるべき時に上げないわれわれの「勇気のなさ」が揃えば、いつでも、何度でも、この地上に「実現してしまう」可能性を持つ出来事なのである。悲しいことだが、これが「人間性」なのである。
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20:20:12 - entee - TrackBacks

2007-09-03

「河合隼雄」という問題

まず前提を理解しなければならない。ユングは全体主義的な哲学とは縁もゆかりもない。彼の根底に流れる通奏的な思潮は、むしろ「反近代」とさえ呼ばれるに相応しいものである。

欧州大戦中にナチズムに加担したということが言われるユングであるが、以下のようなユング自身の記述から伺い知れるのは、そうした全体主義的な時代精神というものに対する、むしろ批判と嘲笑なのである。
ウィルヘルム一世の戴冠式がヴェルサイユで行われたというニュースを聞いたとき、ヤコブ・ブルクハルトは「それはドイツの破滅だ」と叫んだ。すでにワグナーの諸元型が扉を叩いており、それとともにニーチェのディオニソス体験があらわれた。それは陶酔の神、ウォータンに帰するものという方が良いかもしれない。ウィルヘルム時代の傲慢はヨーロッパを不和にし、1914年の惨禍へと道を拓いた
(ヤッフェ編『ユング自伝・2』みすず書房 page 50)

彼はそうした時代精神が怒濤のように流れ始めていることを肌で感じとってはいたし、そのことの「意味をよく理解していた」が、彼の時代に対する眼差しはむしろ客観的である。例えば、次の記述は国家主義というものの本質を見事に捉えていて、自由主義という名の下に国家への隷属は強化されるのだという、今日においてさえ重大な警鐘となることを述べている。
輝かしい科学的発見によってわれわれは恐るべき危険にさらされていることは言わずもがな、大いなる自由という希望は国家への隷属の増大によって帳消しされていることを、認めようとはしない。われわれの父や祖父たちの求めたものを理解しなければ、それだけわれわれはますます自分自身を理解しなくなる。かくして、われわれは個人としての根源と、自分を導く本能とを断ち切ることに全力をあげて加担し、その結果ニーチェが「重力の精神」と呼んだものによってのみ支配される集団の一分子となるのである。
(ヤッフェ編『ユング自伝・2』みすず書房 page 52)




などと、引用しながら『ユング自伝』を楽しく通読していたら、先頃死去した故河合隼雄の追悼式があったという報道が入って来た。

河合隼雄追悼ニュース

死者に鞭打つようだが、彼の業績についてはユング紹介者・翻訳者・研究家としての側面しか評価することはできない。

それにしても何ゆえに、晩年の河合隼雄は国家権力のこういうしょうもない手先みたいな輩に成り果てたんだろうか。いわゆる「知識人代表」として、文化庁の長官を務めた後、文科省文責の悪名高き“道徳”の副教材『こころのノート』の編集に積極的に携わるなど国家官僚的なエリートとして終わったということは、アカデミックな人間の極めることのできる頂点のひとつであって、世間における“成功”の一例なのだろう。だが、これはまさに生前のユングが背を向けたことではないか。そして彼の周りにいたよき理解者らしい知識人たちは一体彼のそうした奇行をどのように眺めていたのだろう。それが不思議でならない。

『ユング自伝』によれば、ユングは常に悩みながらも内なる声を意識化することを心がけ、内面の心の力と向き合った。また自己#1と自己#2の間でそのバランスをとり、ふたりの自分の間の矛盾に自分なりの折り合いを付けた。

それに対して、日本におけるユング紹介者・河合隼雄は、晩年、国家(権力)としての日本の、国際競争力と未来において「闘争し勝ち残れる子供たち」の製造に心血を注いだ。これは彼の業績の中で、掛け値なしに恥ずべき汚点だ。道徳教育の全面的な復活という最終目標が持つ意味について、彼が十分に深く考えたとは考えにくいほどの浅薄な懐古主義と呼ぶべきであろう。

河合隼雄がアカデミーの中で成功していくうちに、だんだんと国家権力側の方に取り込まれていったと思われる軌跡は、彼の著書の出版社や共著者の面々から見ても伺える。岩波や朝日新聞社などから刊行された本は多く、共著者としても、鶴見俊輔、大江健三郎、谷川俊太郎、村上春樹、山田太一、中沢新一、鎌田東二などの諸氏がいて、彼らが河合隼雄の、後の時期における国家権力への偏向(否定し難い権力志向)は誰にも予測できなかったのであろう。

河合隼雄のそうした偏向は『モラトリアム人間の時代』を書いた小此木啓吾との交流辺りから出てきたのではないかと推量する。小此木啓吾のモラトリアム人間についての論理が何を導くために意図されたのかは分からないが、「国民」が国家にとって有用な労働力であるべきだという権力/国家中心的な視点に力を与えることになったのは確かである。いずれにしても河合隼雄は反全体主義や反戦思想を持った知識人との交流を持ち、共著の多くをそうした人々と協同して出版することでキャリアを始めたが、最後は極めて国家主義的・全体主義的・反動的な思想を述べるスポークスマンとなった。極めて遺憾なことである。

一方、日本ではユングについて語ることは、その思想の初期の紹介者であり数少ないエラノス会議への日本人参加者の一人であった河合隼雄を、不幸にも連想することなしには行なうことができない。河合隼雄の晩年の国家官僚としての奇行は、ユングについて語り論じるとき、確実にわれわれに困難をもたらすだろう。

ユングの元型論や集合的無意識論というものが、河合隼雄が与したような全体主義や国家主義(自己の優先的生存)へとわれわれを駆り立てるような論理を本質的なものとして含むものではないにも関わらず、そのようなものである印象付けが、正統で余りある良心的な反・河合論者の側から成されつつあることが、実に残念なのである。ユング理論と晩年の河合の道徳論とは、明確に分けて論じる必要がある。

それにしても、日本ユング研究会会長をやっている林道義をはじめとして、日本におけるユング派がどこか「ロクでもない人たちの集まり」であるようにも思え、不信の念を拭えないのである。

「河合憎ければ袈裟(ユング)まで憎い」式のユング批判もある。主張の中心にはむしろ共感するが、こうした研究者によって河合批判のみならず、ユング批判にまで及んでいくことは、今後その批判の矛先が自分にまで及んでくる可能性を暗示しているので、時間を掛けて思潮の整理と我らが理論の強化をしなければならないのである。

参考サイト:続・日本ユング派 河合隼雄批判



22:44:27 - entee - TrackBacks

2007-07-30

「与党」の地滑り的な大勝利

民主が「自民党支持層」も吸収
Jimin News
今にネット上から削除されるので画像で保存したニュース(クリックして拡大)

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安倍の「陽動」作戦は成功した。
彼は「最悪の宰相であった」という、いかにも「誰にも分かりやすい」、「誰もが反論しがたい」レッテルを背負って、だが(誰にも、は分かりにくいだろう)“本当”の役割をしっかりと果たし、歴史に名を残すだろう。

ぞっとする話だが、「与党」が100を超える議席を盗った地滑り的な大勝利である。
本物の《野党》は今や15議席を残すのみとなった。
自民党が負けて、いよいよ「与党が野に下る」と理解した人々は皆、愛でたい。お愛でとう!
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03:29:00 - entee - TrackBacks

2007-06-20

あるのはブラックサバスである

Sabbath
あるのはヘヴィーメタルでもハードロックでもプログレでもない。あるのはメタリカであり、ブラックサバスであり、フランク・ザッパである。あるのはハードバップやフリージャズやフュージョンではない。あるのはアート・ブレイキーであり、コルトレーンであり、ジョン・マクラフリンである。ジャンルはすべて幻想である。あるいは評論家諸氏の頭で複雑な音楽の宇宙を「理解」し、ちんまりとそのなかに収めるための利便である。

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2007-05-22

ジャーナリストDの死

【あるフィクション】
ある夜、一人のジャーナリストDが戒厳令下で知られる取材先のC市(E国)で殺害されたとの報道があった。

才気煥発な彼女は、その豊かな体験と感受性、そして鋭い批判精神とで独自の取材チャンネルを切り開き、ようやく国際政治の取材と報道の世界で成功しつつあった。不定期に取材先の世界各地から配信される「国際政治の裏の裏」というメルマガも5万人に迫るいきおいで購読者数を獲得しつつあった。複数の新聞や雑誌でも彼女の活躍について特集が組まれるなど、年齢的にも中堅の、知る人ぞ知る独立系ジャーナリストなのであった。

この悲劇的事件に対し、彼女が記事を書いていた新聞社と新聞協会はさっそく彼女の殺害が「民主主義とジャーナリズムに対する攻撃である」との声明を出した。報道と表現の自由に対するE国の隠然たる圧力の存在はすでに知られていたし、日本の「宗主国」のマスコミも次第にそうした論陣を張り始めていたこともあった。その声明は政治的メッセージとしてはタイムリーであったこととも相まって、ジャーナリストを殺害する卑劣を批判する選択には妥当性の面でまったく問題があるように思えなかった。

一方、彼女は女性活動家としての顔を持っていた。彼女が関わりを持っていた女性の人権活動で急進的なキャンペーンと運動を繰り広げていた某団体は、「この事件は全女性に対する挑戦であり、女性の発言を封じるための明らかなメッセージである」と受け取った。その考えを大いに反映した特集記事も、大手誌で代わる代わる掲載された。そしてそれなりに大きな反響をもってこれらの記事は受け取られたのであった。この団体は、Dが若い頃、そもそもジャーナリストになるきっかけを作ったほどの深い関わりを持っていたのだ。

また彼女は、イスラエルで行われているパレスチナ人への仮借なき弾圧の政策を受けて、世界中で盛り上がりつつあった「新・反ユダヤ主義」に関して、「国家としてのイスラエル」から「民族としてのユダヤ」(そしてユダヤ人として生まれた個人)はすべて区別して捉えるべきだ、という国家と個人の分離論を舌鋒鋭く主張した。そして再び各地で巻き起こりつつあった「反ユダヤ政策」や差別に断固反対する立場をとっていたことでも知られていた。そのため、彼女への銃撃はユダヤ民族に対する「間接的攻撃」であると考える平和活動家やユダヤ人活動家もいたのであった。現にイスラエルで、ある新聞の一面を大胆に使用した意見広告の形で、彼女の死に対する哀悼の意が表されたのであった。

だが何よりも彼女は日本国のパスポートを持つ「日本人」であったし、かつて紛争地帯で日本人の「迷惑行為」によって、若者の旅行者が誘拐された上、殺害されたときにおこった国内での悪名高き個人攻撃(バッシング)と「自己責任論」が、世界の平均的なジャーナリストの間で非難を浴びたこともあり、彼女の死に対し、このたび日本政府は正式に「怒りの態度」を以て迎えることにしたのだった。そして彼女を保護すべき義務を負っていたはずの受け入れ国のE国大使に対し、正式に抗議を行った。これは日本政府の行った「国権の発動」としては、初めて「まともな」対応であるとして、国内の左派評論家からも高い評価さえされることとなった。

忘れてはならないのは、彼女が実は元・在日朝鮮人であったことを知る一部の左派識者たちのなかに、彼女を襲い胸を貫いた銃弾には、実は在日に対する怨嗟の間接的連鎖があったと論評する者が現れた。なぜなら、彼女にはどうやらその特殊な民族的な背景のために、国内において取材を制限されたり妨害を受けた過去があり、そのために国内での取材基盤を失い海外に活動拠点を見出さざるを得なかったというのだ。彼女は名前を日本人名に改姓したうえで日本国籍を取ったにも関わらず、それが単なる表層上のスタンドプレイであり、その中身は結局根っからの「半島人」であることに変わらない、という揶揄もネット右翼から断続的なされていたことが一部では知られていた。また、外務省のマル秘の文書として、彼女の名前が「危険思想」を持った在日活動家としてのブラックリストにも載っており、そもそも「日本国政府としてはDさんを保護する気などさらさらなかった」と多くの仲間が感じていたのである。つまり彼女の日本国外における殺害には日本国内における人権侵害も絡んでいると真面目に考える人たちがいたのである。

皮肉なことに、彼女がある仏教系の新興宗教団体に属する熱心な信者であったことも知られていて、ニューエージ系の若者たちからは時折彼女が寄稿する神秘体験のレポートが人気を博していて、いわば「その方面」でも彼女はカリスマ性を発揮していた。実際、この事件のほとぼりが冷めた頃、思い出したように、彼女の殺害は、自分たち宗教団体への攻撃として受け取らざるを得なかったと、この宗教団体が「非公式に」だが、団体関連の月刊誌を通してコメントしたのであった。

ところが、取材先で彼女を知る者たちが口を揃えて主張するのは、彼女が取材中に親しくなったあるイスラム教徒の青年実業家との親密な関係であり、実は以前取材中に知り合ったキリスト教の原理主義の傾向のあった元ボーイフレンドが、警察をそそのかして彼女を撃たせたのだというまことしやかな噂も現地では広がったのであった。イスラム教徒にとってはこれはイスラム教への攻撃であった。

つまり、彼女と関わったあらゆる組織、団体、職業領域、教団などは、それぞれに彼女を襲った銃弾が、自分たちへの攻撃であったとまじめに解釈したのであった。すなわち彼女への攻撃は、ジャーナリズムへの挑戦であり、女性への変わらぬ差別意識のもたらしたものであり、ユダヤ民族への攻撃であり、日本国への攻撃であり、在日朝鮮人に対する偏見であり、新興宗教への不当な警戒心であり、はたまたイスラム教への攻撃であったのだった。

彼女の死は、関わりのあったどの組織、どの団体、どの職業領域、どの教団においても象徴的な意味を持つことになった。そして受け取る人間の数だけ彼女の死には「意味」があり、どれにも共通なのは、「Dという個人を集団や組織との同一視すること」を解釈の基礎としていることだった。そして彼女Dという個人を個人として捉えることをしようとはしなかった。Dへの攻撃は、個人に襲いかかった単なる事故であり、無意味で、不条理な「不運」とは、誰も思いたくなかったのだ。

だが真相はこうである。

彼女は大変な愛煙家であって、灯火管制を敷かれた戒厳令下のC市で、夜間ちょっと涼もうと思ったのか、うかつにも宿泊先の安ホテルの玄関から外に出て、そこでタバコに火を付けたところを若い狙撃手に射殺されたのだった。どうも彼女はE国で禁止されていた密輸品のお酒も「嗜(たしな)んで」いたらしく、それが本当だとすればどうやらDの状況判断は甘くなっていたのであった。事実、彼女の遺体の血液からはその酩酊状態が伺えるほどのアルコールも検出された。部屋には荒らされた形跡も盗まれたものもなく、書き掛けの原稿、数本のビールの空き瓶と飲みかけのウォッカの瓶が見つかっただけだった。彼女を狙撃した見回りの若い歩哨は、彼女が何者であり何人(なにじん)であったかの確認までは、彼の立ち位置と距離からはできなかったし、ましてやDが「女であることなどカミサマも知る由がなかった」(と彼は言ったのだった)。つまり彼女の選択的な殺害は全く意図していなかったのであった。

運悪くこの日は、多くの政治犯が収監されているC市郊外の刑務所から数名の囚人が脱走し、市内に入り、彼らが合流したと想像される組織からものと思われる、首相暗殺を予告する挑戦状が官邸に送付されていたことがあり、街じゅうにいる警察機構は非常な緊張状態にあったということであった。だが、そのような本当のことは、エロ漫画が満載されているようなタブロイド判のスポーツ新聞以外は報道しなかったので、真面目な一流新聞を読んでその内容を信じる紳士淑女たちには知る由もなかった。

そうした今回の過熱した報道合戦が起こる数週間前に日本で起こった事件。あるステーキレストラン「ペッペル・ランチョン」の店長以下数人が婦女暴行容疑で捕まったために、そのレストラン・チェーンにまったく客が来なくなり倒産間近で外資によって買い叩かれそうだというニュースが広まったのだった。だが、そんな小さなニュースを吹き飛ばしてしまうほど、このひとりの女性ジャーナリストの死のニュースで持ちきりになったので、この二つの事件の深層に、「個人を組織と同一視する」という人間の「心理的傾向」と、社会的動物としての「心の限界」について、あえて思い返す人はいなかったのである。

(完)

22:11:22 - entee - TrackBacks

2007-05-08

前田耕作『宗祖ゾロアスター』を読む #2

(引用開始)
ヤズドに赴いた(ポルトガル人ペドロ・)テイクセイラは、そこで「太陽と火に仕える人びと」を見た。そこには、三千五百年以上ものあいだ絶やされることなく保存されている火」があった。「火はヤズドから一日行程で行ける山の上にあり、“火の家”とよばれ、多くの人びとが常にそれを見守っていた」と語り伝えている。

彼こそゾロアスター教徒が今日なお、イスラーム支配下のペルシアに生存しつづけていることを報告した最初のヨーロッパ人であった。(p. 41)
(引用終了)

これを読んだわれわれは「三千五百年以上ものあいだ絶やされることなく保存されている火」の逸話に驚くかもしれないし、むしろそのような記述を信じようとさえしないかもしれない。だが、もしそうだとすればそれはその火そのものの指し示す意味や、それを維持しようとした儀礼の象徴する内容に思いを巡らせられないからである。

実は、3500年どころでない永きに渡って「絶やされることなく保存されている火」というのがある。それはわれわれの身近に存在する。われわれの生きる文明それ自体がそれである。その「火」はわれわれの文明が安全な場所として絶えることなく維持されるべく燃やし続けられてきた。その努力たるや、「三千五百年以上ものあいだ」火を絶やすことなく保存すること... どころでない真に遠大な構想と規模を持った壮大なグループワークなのである。そしてそれはことによるとすでに一万年ちかく続いている可能性さえある。

われわれの文明維持のための技は、個々人の短い人生において個別に発展させられたり維持されたりしているものではない。個々人はその遠大な事業を可能にする役割のごく一部を担っているだけである。それは親が直立歩行しているのを見て、それを真似して直立歩行しようと子供が努力するくらい、言わばあたりまえに見られる「社会学的」な現象でもあり、また、一度も絶やすことなく維持されてきた書き文字の文化や、火を起こしたり水を制御したりすることを含む、われわれの安全な生存に必要な技術の伝承によって成されてきた。文明とはまさに一度熾(おこ)した火を絶やすことなく集団で役割分担や交替等をしながら雨風から守り通す行為そのものである。

だが、情報の集積と情報の学習によって、火を維持する技術はそれをただ維持するばかりでなく、世代を経るに従って洗練さえされてきた。

ことによると、その火の維持の儀式によって伝え切らなかったことがあったのかもしれない。それは、火の規模拡大の禁止である。家族何人かを暖かく維持し、食事のための煮炊きをするのに必要な、細々とした火の維持をしつづけるのではなく、その火を一ヶ所のみならずあらゆる場所で、しかもいつでも再現したり取り出したりできるものとして「開発」することが、単に安全な生存の確保以上に、便利で豊かな生活を可能にならしめた。もはや一旦消えた火を七転八倒の苦しみを経て熾す必要もない。それはいつでも取り出せるものとなった。

そして、それは単に消極的に「火」の維持をするばかりでなく、ひとつの個人の人生が終わる度毎に一から学び直されることではなく、一旦、前世代によって学ばれた「炎の維持」についての知識を、既存の技術や自明の知識の上に新たな方法や手段を積み重ねることによってより「進化」させることを学んだ。それはつまり火の規模の増大である。

それは絶やすことなく維持される火であったのが、大きくなりすぎる火を消して回り続けなければならないような危険な《大火》へと成長することになるのだ。

プロメテウスが人類に手渡したと言われるその「小さな燃えさし」は、いまや巨大なダイナモを回すための松明の炎となった。強大に成長したダイナモはあたかも地上の生ける神となり、更なる燃料を要求した。そして人類は開けることのなかった「炎を閉じ込めた厚い壁」を破る方法を学び、ついには太陽に由来しない炎を手に入れた。そしてその炎はダイナモを止めることなく回し続けることができるようになったかに見えた。

拝火教徒とも呼ばれるゾロアスター教徒の儀礼の炎は、このようにして確実に今に伝わったのだが、肝心のゾロアスター教徒(パールシー)は数多く見出されていない。現在インドなど僅かな場所で──だが特別な地位をもつエリートとして──存在しているという。しかもインドにおいて、原子力発電産業は少数派のゾロアスター教徒らによって運営されている*という。遠大なエイオンを越えて《火》の秘術を伝えた拝火教徒は、我らが世界においてもその名に相応しい役割を担っているのである。

* ユダヤ人たちが伝統的に金融業(金貸し)などの領域にその活路を見出したように、被差別の少数派が、ひとが伝統的にあまり関わりたくないと考えるような「汚れた」職業に就かざるを得なかったために、特定の産業部門にそのようなマイノリティがよく見出されるというような社会的なメカニズムによって似たようなことが、インドにおけるゾロアスター教徒に起こったと言うことができるかもしれない。

21:28:13 - entee - TrackBacks

2006-06-01

いよいよ始まったぞ、電話加入権集団訴訟!

「電話加入権の引き下げで損害を受けた」--NTTと国を相手に集団提訴

電話加入権集団訴訟参加のお誘い

「加入権」とか言って支払いを強制されたのに、電話解約の時には払い戻しがないのは、一方的で変な話だとは思っていたんだよ。だからNTT回線を使わない今でも、じっと解約しないで持っていた。きっとこの時を待っていたんだよ。参加するゾ、集団訴訟!
11:32:55 - entee - TrackBacks

2006-05-24

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [14]
“4”の時代〜「元型的水曜日」(下)

[随時推敲中]
■ 天使と「数性4」の間にある関連

The Four Archangels and the Twelve Winds Robert Fludd Four evangelists on ceilings

東方密教における「四天王」は、ユダヤ=キリスト教文化(厳密にはイスラム教伝統を含む)においては「四大天使」に相当する*。あたかもインド・ヨーロッパ語という言い方が示唆する古代の世界観と一致を見るかのように、いくつかの仏教伝承(仏教を通して伝承されたヒンヅー文化の中の神話的世界像)と、キリスト教の伝統として保持されている世界像の間には相当の共通性が存在する。

持国天増長天広目天多聞天
東寺(教王護国寺/真言宗東寺派本山)の四天王像(貞観時代/9世紀)
左から持国天、増長天、広目天、多聞天

* 四天王と四大天使間の憶測的呼応性:
毘沙門天/多聞天(ヴァイシュラヴァナ):北方の守護神、右手に宝塔、左手に金剛杵[ウリエル]
増長天(ビルーダカ):南方の守護神、右手に長い棒[ラファエル]
持国天(ドリタラーシュトラ):東方の守護神。右手に剣[ミハエル]
広目天(ビルーパークシャ):西方の守護神、右手に筆、左手に教典[ガブリエル]


Archangels

四大天使 (Four Archangels) と言えば、通常、天使ミハエル、天使ガブリエル、天使ラファエル、天使ユリエル(ウリエル)を指す。ミハエルとガブリエルはとりわけ聖書神話において幾度も登場するので広く親しまれている。この二天使は、キリスト教文化において、言わば男性性と女性性を濃厚に保持したある種の対(ペア)を成しているかのように描かれてきた。とりわけ他の二天使に比べて多く登場するのでその対照的な現れが際立って感じられるのである。処女マリアのもとに訪れ受胎告知をする天使ガブリエルは、多くの場合、殆ど女性と見まごうばかりの柔和さと優美さを持って描かれるのに対し、天使ミハエルは、多くの場合、龍を槍で串刺しにして蹂躙する、極めて粗暴で男性的な図版群を通して頻繁にわれわれの前に現れる。いわば「闘争と支配の天使」である。

Archangel Michael & Gabriel Three Archangels with Tobias
左:バルカン半島のイコンより「聖ミカエルと聖ガブリエル」 この図版から感じられることとは明らかにミハエルとガブリエルが男女として描かれていることであり、そればかりかあたかも夫婦関係にあるかのような印象すら受け取れるのである。画像引用先:Balkan Icons 右:ボッティチーニの(BOTTICINI, Francesco / b.1446, Firenze, d. 1497, Firenze)の「三人の大天使とトビアス: The Three Archangels with Tobias」にはユリエルを除く三大天使が描かれているが、これにおいてもミハエルとガブリエルの描かれ方は性別的に対称的である。[ここでは、一対(ペア)の天使が、UK(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国:The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)における主要な二大王国、すなわちイングランド王国とスコットランド王国に呼応するということを示唆しておく。]



天使ラファエル (Archangel Raphael) は、新約聖書の中にはその名前が全く言及されず、かろうじて旧約の「トビト書」において主要な登場者としての記述があるのみである。ただしラファエルは伝統的にエデンの園に生えているという「生命の木」の守護者として知られており、癒しの力を持つ天使という側面を持つ(また、ヨハネ福音書において言及される天使がラファエルであるとする一説が存在する)。

天使ユリエル (Archangel Uriel) は、バビロン捕囚後にユダヤの伝統中に成立した天使であり、偽典「ペテロ黙示録」において罪人を永遠の業火で焼く「懺悔の天使」である(仏教の末法思想において登場する地獄の懲罰者「閻魔: Yama」の役割を果たす)。それまでは大天使 (Archangel)の名前で呼ばれる天使は前掲の三天使だけであった。ユリエルとつながりを持つ象徴は「太陽の統率者」そして「神の眼球」であり、その名前の意味、神の炎 (Flame of God)からも強烈な火(光)との関連がある。ユリエルは炎の剣を持ってエデンの門に立つケルビム(智天使)であり、「第一エノク書」において描かれる「雷鳴と恐怖を司る」天使であるとも考えられている。ただし、われわれの議論においてユリエルに関してとりわけ重要視されるべき点は、724年のローマ教会会議において教皇ザカリアスによって「堕天使の烙印を押された」ことである。これには民間で加熱しすぎた天使信仰にブレーキをかけるため、という政治的意図を持ったいわば「人為的な堕天」であっただけのようであるが、ユダヤ教伝統における原初からの三大天使ミハエル、ラファエル、ガブリエルだけを大天使として温存し、その一方ユリエルを差別化するという象徴的な意味合いがここで生じたのである。「四者の中における差別待遇」という図式は、後にまた論じられるであろう。

■ 新約福音書家: Evangelistsと「数性4」

現在のキリスト教の経典たる新約聖書の最初に掲載されている福音書は、四人の異なる福音書家による報告という体裁を採っている。そして福音書家が四人選択されている事実にも当然のことながら秘教的動機が潜む。

Four Evangelits
画像引用先:symbols of the evangelists


福音書家を表す“evangelist(英), evangelista(ラ), evangelistes(ギ)”という語にもangelos、すなわち「メッセンジャー:告知者」の意味がある。ギリシア語の“to announce”に当たる動詞は“angellein”という語が当てられ、その語彙の中に「使い:メッセンジャー」の意味が入っているのである。「福音書家:エヴァンジェリスト」には「bringer of good news: 福音(良いニュース)をもたらすもの」[eu (good) + angellein (announcer) ]という構造を持っている。「天使」は、その日本語からは語源を推し量ることが難しいのであるが、欧州言語においては、「天の使い」というよりは、メッセンジャー(言付けの運び人)の意味合いを未だに色濃く残している。いずれにしても「福音書家」に当たる“evangelist: ev-angel-ist”には“angel”が明確に内包されているのをわれわれを見ることができる。

現在の新約聖書に「福音書」が四つ選択されていることには、「四人」の福音書家がいること、ひいてはそこには「四大天使」との呼応性の暗示が意図されていることを思い出す必要がある。

Four Evangelists (Book of Kells)
図版:「四人の福音書家」(Book of Kells, ca. 800)
人、獅子、牡牛、鷹の象徴はそれぞれ福音書家マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに相当する。


evangelist
c.1175, "Matthew, Mark, Luke or John," from L.L. evangelista, from Gk. evangelistes "preacher of the gospel," lit. "bringer of good news," from evangelizesthai "bring good news," from eu- "good" + angellein "announce," from angelos "messenger." In early Gk. Christian texts, the word was used of the four supposed authors of the narrative gospels. Meaning "itinerant preacher" was another early Church usage, revived in M.E. (1382). Evangelical as a school or branch of Protestantism is from 1747.


この四人のエヴァンジェリスト(福音書家)であるマタイ: Matthew,マルコ: Mark,ルカ: Luke,ヨハネ: John,と四人の大天使 (Michael, Gabriel, Rafael, Uriel) との間に存する呼応関係は、エソテリズムの世界において十分に知識として共有されるところでもある。ここにある四大福音書と四大天使との間にある興味深い共通性について言えば「ヨハネによる福音書」について言及しないわけにはいかない。「ヨハネによる福音書」は、とりわけ現状の新約聖書に収録されている福音書中、比較的グノーシス思想の影響の濃く見られることはすでに知られていることである。「正統」を決定するキリスト教成立時代の初期において、すでにさまざまな福音書が「異端的」として「偽典(外典)・偽書」の類として除外され破壊された中で、この「異端的」な福音書が新約聖書の中に残ったことは、正統としての聖書そのものを内的に相対化する(裏切る)役割を、「ヨハネの福音書」という体裁を通じて組み込まれたと考える余地がある。

四大天使において「堕天使」として認知されることになったユリエルが、その性格にも関わらず、「天使のグループ」の中に組み込まれている事情は、単に偶然的な呼応性があるというよりは、まさに四大福音書の選択と構成にも反映しようという意図があったと視る一定の根拠があるのである。


■ 天使ミハエルと聖ジョージの間に観られる相似性(混淆)

美術的作品によって取り上げられるある種の範型が、異なる題材を持った二つの作品の間に共通して見られるとすれば、それが意図されたものである可能性を疑ってみる価値がある。例えば、「ある勇者が獣的な存在(龍)を懲らしめる」という題材があるとして、同様の題材を扱った美術作品が「別の人物を描いている」とすれば、そこには二人の異なる人物が同じことを成した可能性、ないし、あることを成した一人の人物が異なる名前で知られている可能性の二つが考えられる。(いずれにしてもある題材を取り上げる際、美術家が参照先として別の人物を描いた似たような場面を取り上げる可能性もあるのである。)

Archangel Michael by Martin St George (by Tzanes
図版
左:龍を刺し殺す大天使ミハエル: The Archangel Michael Piercing the Dragon
Martin Schongauer (German, c.1450 - 1491) c. 1475@ The Cleveland Museum of Art
右:龍を殺害する馬上の聖ゲオルグ(セント・ジョージ)Icon with a depiction of Saint George on horseback slaying the dragon. By the painter Emmanuel Tzanes (1660-1680) @ Byzantine and Post-Byzantine Collection of Chania
参考:Michael (archangel)@Wikipedia


事実、この「勇者が獣的な存在(龍)を懲らしめる」という題材の絵画は、二つの異なる名前で知られた勇者の絵として今日知られている。この「龍誅殺の伝説: dragon-slaying legend」のひとつは天使ミハエルのものであり、もうひとつは聖ジョージのものである。絵画で描かれている聖ジョージの伝説の成立時期は4世紀頃と考えられており、しかもその成立場所は小アジアであるらしい。しかも聖ジョージはイングランドのみならずロシアにおいても守護聖人として捉えられているので、イングランドとの直接の関連は薄そうである。しかしながら、興味深いことに、イングランドが実際にウェールズ国と戦い、それを支配した事実と関連づけて当地では理解されていることも事実である。実際問題、ウェールズは伝統的に国(民族)の象徴として「龍: Pendragon」の徴を持っているのである。

Welsh Pendragon

イングランド王エドワード6世の治世下 (1465年) に鋳造された金貨には、龍を誅伐する聖者として大天使ミハエルと思われる像が刻まれているという。イングランドにおいては聖ジョージと大天使ミハエルの両方が競って図像表現の題材として取り上げられる。
参考:“angel” @ Etymology Dictionary

龍というのはある種の旧弊な世界の徴でもあり、実は「時の始め」に当たって行なわれる「龍とその退治の物語」は、古い世界の更新(ないし「最古の記憶」:歴史の始まり)と関連している。すなわち、この範型的場面は、現在の世界を今われわれが知るような世界たらしめた何らかの重要な発端を表す神話の中に登場する傾向にある。それは日本の神話の中にも八岐大蛇とそれを退治した須佐之男命の形で見出されるし、フリーメイソン儀礼に影響を受けたモーツァルトによって書かれたオペラ『魔笛: Die Zauberfloete 』の中でも主人公が龍と戦う(襲われる?)場面がストーリーのオープニングとなっていることもわれわれは知っている。聖ジョージの退治する龍も、ある社会(国)がキリスト教世界になったその理由と関連づけて把握されている。聖ジョージは、龍の殺害を民衆のキリスト教への改宗の条件としたのである。すなわち「皆を苦しめる龍を退治してあげる代わりに、皆はキリスト教徒に改宗せよ」と聖ジョージは迫ったのであった。

美術表現に話を戻せば、イングランドの象徴である聖ジョージと、四大天使の一人天使ミハエルの間に観られる絵画表現上の共通性は、殆ど意図されたものではないかと思われる程のものである。まさに聖ジョージはあたかも天使ミハエルの姿を模したものとして現れる。そして龍殺害の武器は双方とも槍であり、龍の身体の上に乗り(あるいは単に上方から)蹂躙しつつ槍を龍の上に立てようとする場面なのである。このほとんど作為的とも言いたくなるような二者の「混同」と表現上の「混淆」は、むしろ聖ジョージで象徴されるイングランドが、少なくとも四大天使中の大天使ミハエルの役割を果たしたことを意図した(暗示しようとしている)と考えることができる。もしそうだとすれば、イングランドの象徴である聖ジョージは、大天使ミハエルに関連付けがされており、間接的にイングランドと大天使ミハエルの間に呼応性があると読めるのである。

龍と闘う聖人像として伝承されているものに、聖メルクリアリス (Saint Mercurialis: ca. 359-406) という人物がいる。これは聖ジョージほど広く知られていないようであるが、イタリアのエミリア=ロマーニャ県フォルリ市の最初の司教とされる人物である。注目すべきは、この人物の名前「メルクリアリス」こそ、「メルクリウス: Mercurius」すなわち「翼を持ったメッセンジャー:マーキュリー」を思わせるものなのである。この聖人の歴史的役割は、町を龍から護るという聖ジョージとほぼ同等のものであり、名称的には「天使」とつながりがある点で大天使ミハエルと同一視が可能なのである。

マーキュリーはもともとギリシアのHermesに相当し、後にローマの神となるが、ラテン語の“merx”、英語の“merchandise, commerce”(通商と商売)と関連がある。さらに、マーキュリーはオーディン (Odhinn/Odin, Woden/Wotan) との関連により一週のうちで「水曜日」と強い関連があると言われている。スペイン語において水曜日はmi?rcolesで、それはローマの神マーキュリーから来ている。日本語においては「水銀」や「水星」などと訳されているMercuryであるが、曜日においては第四日は「水曜日」となる訳である。マーキュリーにしても「天使」にしても、そのいずれもがまさに「第4日:元型的水曜日」の時代を席巻する国家の徴に相応しいものである。

参考:
“Saint Mercurialis” @ Wikipedia
Mercury (mythology) @ Wikipedia




■ 閉じられた世界と「数性4」

あるコンテクスト下において、「数性4」が「東西南北」すなわち「全世界」を表すという象徴伝統中のほぼ不文律的な「約束事」がある。四天王のそれぞれが、東西南北の守護神であるように、世界を四隅に分割して捉えるという考え方は、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武の「聖四獣」の存在によっても表現されてきた。これはそれぞれ「青・赤・白・黒」の色が宛てがわれてもいる。

ある限定的な領域、とりわけ海で他者から隔てられている島のような区域において、この四隅の世界像というのはとりわけ意識されるようである。言い換えれば、その地域における海によって限定された「島国」的な精神性が、その島を「あるバランスの中で完成した、ひとつの世界を表徴している」と考える傾向として現れるのである。すなわちヨーロッパにおいても、大英帝国が4つの王国から成り立たなければならないということも、また(後に大英帝国によって併合を強いられようとする当の)アイルランド自体が4つの領域からなっていた*ことにも、われわれは注意を向ける価値がある。一方、日本は本州、九州、四国、北海道の四つの大きな島からなり、そのうちのひとつには「四国」という四つの国から成る島があり、巡礼地(ないし聖地)としての機能を果たしているところは興味深いのである。

だが、大英帝国が執拗にアイルランドの併合を謀ったのも、帝国本土を四つの王国によって完成させるという象徴完成の力が働いたものと見ることが出来るのである。実際はアイルランド全体を併合することは適わず、アイルランドの北部 (Northern Ireland) だけを無理矢理大英帝国の支配下に置いた訳である。


■ 英国と天使の間にある暗示

ブリテン島のEnglandの地は、伝統的にAnglia(アングリア)とも呼ばれる。Anglo-Saxon(アングロ=サクソン)と呼ばれる民族集団の名称の「Angl-」の語幹はもちろんAngliaと同じ語源から来ており、この「Angl-」で表されるものこそ「天使」のAngelを思わせる語幹でもある。当然のことながら、Angliaは「アングロ人の地」なのである。また古英語では「天使」は、“engel”とスペルされた。したがって、EnglandはEngel Landと考えることができる。あまり広くは知られていないことだが、EnglandもAngliaも「天使の地」の暗示を濃厚に秘めた地名ということになる。

もし、その「天使」の象徴的暗合を英国 (the UK) が確実に持っている*とすれば、後に記述するように、大英帝国自体がそのまま「数性4」との濃厚なつながりを証す別の一例となるのである。

* クシシトフ・キェシロフスキのきわめて秘教色の強い映画作品『トリコロール・白』において、主人公カロルを故国に連れ戻す役を果たす男が登場するが、この男はミコワイ (Mikolaj: Michaelのポーランド語)と言い、しかも主人公と再会を果たしたとき、彼はブリッジクラブでブリッジをプレイしているのである。ここにはミコワイが「使い:天使」であるという暗示を含ませていることが明らかだ。ブリッジはとりわけ英国においてきわめてポピュラーな紳士のカード(トランプ)ゲームであり、四人のプレイヤーが正方形のテーブルを囲んで行なう複雑なルールを持った交渉のゲームである。

「英国が“天使の地”である」とする暗合は、政治的メッセージとして英国人が好んで引用するエピソードが起源であり、「ほとんど取るに足らない」伝説の類に過ぎず、史実としてわれわれがこのソースに依頼することができないのはあえて断るまでもない。だが、そのような伝承が存在すること自体にわれわれはその象徴的意味合いの一定の濃度を垣間みるのである。聖書に対する解釈と同様、史実にだけ価値があるという考え方にも、重要な《徴》として機能するものが史実にだけ依存したものであるという考え方にも、そのいずれにもわれわれは与しない。どのような神話や伝承を後世に言い伝えようとするのか、という意図や年月を超えた民族の格別の努力、そして無意識の憧憬の中に、伝承者にとって「伝えるに値する秘儀」、後世の人々にとって「信ずべき秘儀」としての価値があるからである。そして、どのようなことを「象徴的事実」として伝えたいのか、という伝承者グループに背負わされた宿命(運命の力)も、その部分に潜むのである。

英国に関するその伝承とは、ローマ法王グレゴリー1世(大グレゴリー)のブリテン島へのキリスト教布教活動に関わる言い伝えとして残っている。グレゴリー1世の法王在位が西暦590-604年だから、6世紀末から7世紀初頭に遡れる伝承ということになる。彼がローマにてイングランド出身の若者と謁見した際に「Not Angles, but Angels (Non Angli, sed Angeli): アングル人どころか、天使そのものだ」と驚き評したというのがその言い伝えである。何度も言うように、それが史実であったのかどうかというのは、二次的な重要性しか持たない。そのようなエピソードがあったということを伝えようとする英国人(さらには欧州キリスト教徒たち)の下意識的(超意識的)な“諒解”こそが重要なのである。少なくとも、グレゴリー1世とイングランド布教は切っても切り話せない史実であって、そのように驚き評したのに伴ってグレゴリー1世は聖アウグスティヌスの異教徒の地イングランドへの派遣を決めているのである。信頼性の面で取るに足らない「史実に非ざるエピソード」は、より信頼性の高い史実の隙間に置かれるのである。

また英国を代表する詩人ジョナサン・スイフトが、「Ah, Britain, land of angels!: おおブリテン、天使の地!」という嘆息の言葉を残している(Ode to Sancroft: 「サンクロフトへの頌歌」)ことは、そうした伝説強化の一助を担って、イングランドの人々の意識に影響を与えるものとなっている。


■ 産業革命と名誉革命

大英帝国は、欧州列強間の植民地獲得競争において、最終的な覇者の地位を手に入れた。複雑な原因と込み入った事情があるが、簡潔に説明すれば、この結果は「数性3」の役割を担った国家であるフランスが、革命後の農地改革などの政策や様々な階級闘争に収斂される国内的な混乱のために、強い近代資本主義国の基盤としての農業が、十分な集約的生産体制を獲得できなかったこと、また、別の「数性3」の国家であるドイツが、30年戦争後のウェストファリアの条約によって多くの国に分割されてしまい近代国家としてどうしても弱体化させられてしまったことなどの理由で、同じ帝国主義的な植民地競争において、どうしても不利な立場に甘んじざるを得なかったことなどが起因している。

大英帝国は、島国という絶対的な地理的優勢と、王政から立憲君主制へのスムーズな移行(「名誉革命」という無血革命:王政の段階的無化)という、フランスと比較して相対的に階級闘争的混乱の緩やかな社会改革というものが可能であったことなどのために、英国人たちは、産業革命という怒濤の経済活動体制の改変へと集中的に勤しむことができ、またそれのもたらす旨味を最大限に味わうことができたのである。

これらの理由により、結果的に植民地獲得競争に関しては、仏独両国は英国に追随する形となる。だが、大英帝国が得たほどの利益や地位を植民地から得るにはついに至らなかったのである。大英帝国の「“4”の時代」における主要な役割は、こうして決定されたのであった。

すでに言及しているように、ユニオン・ジャックを通して象徴的に表徴している帝国の歴史的傾向、すなわち「信仰」を克服し、「科学」的思考を採ることを厭わなかった大英帝国人が、まさに産業革命の立役者となった。また、とりわけ「新大陸」(後の北米大陸)という世界最大の植民地を獲得したことにより、地球上に於いて圧倒的な覇権を握り、「日の沈まぬ帝国」という呼び名を恣にするような成功を得たのである。

だが何よりも、この時代の立役者となったことの二重の意味は、文字通り英国人たちが「翼を持ったメッセンジャー: angels/mercury」として世界中を馳せ巡ることになった事実の中に見出せる。北米大陸における、「後の新興国家」が欧州本土以上に宗教的な様相を呈してゆく原因は、渡航した人々がきわめて原理主義的なキリスト教信者であるピューリタニズムの信条を持った英国における被支配階級であった事実が大きいが、それだけではない。後のアメリカ合州国における最も権威的にして最大の規模を持つ教会が、英国国教会 (Anglican/Episcopal Church) であるということも無視できない。この事実は、新地開拓の先兵として、被支配階級に属する「純粋な信仰者」が使命感を持って大西洋を渡って開発の先鞭を切った後で、それを追う形で多くの生粋の英国人のエスタブリッシュメントたちが、イギリスの国教(Anglicanism)と共に新大陸に入植したということを意味している。これはアメリカの独立に先立つ植民地時代が十分に長かったことを裏付けるばかりではない。後に述べるように、アメリカ合州国という覇権国家が、資本主義と自由主義の権化であると同時に、秘教大国として世界における独自の役割を担っていくことも、こうした英国国教会と深くつながりのある被教通暁者(フリーメイソンなど)が大西洋を渡ったことを表しているのである。合州国建国の中枢的立役者たちの多くがメイソンであったことや、さまざまな儀礼がメイソン的な儀礼を模したものであったという事実は、今さらここで断る必要さえもないだろう。これは「数性5」と歴史の記述をする事象において詳述されるであろう。

「翼を持ったメッセンジャー: Angel/Mercury」の意味とは、近代資本主義の種を、その経済活動(植民地支配)を通して、世界中に蒔くということである。英語が後の世界語(Lingua Franca)となることの最大の理由は、大英帝国人が英語を話していたということに他ならないが、その英国人の子孫たちが作った世界最大の植民地が後に独立を果たすとき、世界支配のための言語としての役割をも果たしていくのである。「天使の地」アングリアを出身とする「天使の言葉:English」を喋るこれらの人々は、こうして最後にして最大の「布教活動」(最大規模の通商活動)のために、世界へ、旅立ったのである。


冒頭図版
左:ロバート・フラッドによる「四大天使と12の風」The Four Archangels and the Twelve Winds by Robert Fludd 右:スピネッロ・アレティノによる「4人の福音書家」サン・ミニアト教会(フィレンツェ)"The Four Evangelists" by Spinello Aretino, a fresco on the ceiling of the sacristy of the church of San Miniato al Monte in Florence, Italy.




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2006-05-16

映画『Touch the Sound』を観る(聴く)
人魂(ひとだま)としての「振動する私たち」と、光を通して描かれる《音》の世界

耳 勾玉 Tomoe (ha) 55%

「もしかするとまだ僅かに聴覚が残っているのがいけないのかもしれない」。

ひょっとすると「聴覚障害者」がむしろわれわれの聞くことのできない《音》を捉えているかもしれない、というようことは以前から言われてきたことだ。だが、音と光しか捉えられないはずの映画が、所謂「健常者」が捉え損なっている「存在」や「認識」の別様態が《実在》することを、これほどみずみずしく描くことができたのはほとんど奇跡のようである。

そしてこの「奇跡的効能」は、映画を観た後、直ちに作用し始める。「映画館に走れ」と伝え、それを観て来た友人は、その作用により「映画館から走った」という。それは最後にもう一度言及するように、実にこの映画の本質を言い当てた表現だ。

まず映画は、ドキュメントの主体であるエヴリン・グレニー (Evelyn Glennie) が即興ギタリスト、フレッド・フリス (Fred Frith)とのセッションシーンを通して、彼女にほとんど音が聞こえていないとはにわかに信じ難いほどの音楽性を見せつける。トーマス・リーデルスハイマー監督は、われわれの最大の関心事であり得る「彼女の秘密」を証さなず、心憎いことに「前提」として冒頭では敢えて断らない(その秘密はあちこちで既に行われている様々なレビューや日記などによってほとんど無化されてしまっているのだが)。

聞こえなくなったために、伸長させざるを得なくなったエヴリンのある種のセンス(感覚)。それは、存在の振動性を「別の耳」で捉えるという方法だった。その方法を伸長させ体全体を共鳴体とし、全身で存在の振動を受け止めること、「触る: Touch」ことを始めたために、彼女は「音が耳で聞こえる人は、自分がしているように音を聞いて(触って)いない」ことを知っている。だが、彼女の音楽に匹敵するような驚くべきことが彼女の発言を通して「Touch the Sound」全編を通して紹介される。「もしかするとまだ僅かに聴覚が残っているのがいけないのかもしれない」。そのように彼女をして言わしめた実存の振動性。それにわれわれの関心は移っていき、それがその実在が確信に変わっていく時、映画の鑑賞者はもはや映画を見、音を聞く人ではなくなっているのだ。それはひとつの「悟り」とでも呼びたくなるような何かを「体感」し始めているのだ。

映画が捉えたように、踊る人間も、退屈そうに貧乏揺すりをしながら飛行場で待っている人間も、ガムを噛む人間も、だれもが「振動」している。目に見えて振動はしていなくとも、呼吸という反復運動を免れるものはいない。ただ与えられた五感の世界を当たり前に受け入れたわれわれのほとんどが、感受性の惰性の中に安住している可能性は極めて高い。目が見える人は光を知らず、耳が聞こえる人は音を聞いていない、ということがあり得るのだ。五感を超えた存在の実体を映画はあの手この手を使ってわれわれに気付かせようとする。


巴(ともえ)という漢字は、場合によって漂う人魂(ひとだま)のような、中心に核を持ったある浮遊するエネルギーの実体であり、また尻尾をたなびかせながら漂ったり宙空を飛行したりする様子であり、あるいは帚星(ほうきぼし)のようにある方向を持って疾走する「火の玉」のようなもので、時として、ひとつの生命集団の運命を宿したものでもある。

jar with handles
漢字学者の白川静氏によれば、「巴(は)」とは器物の「取っ手」のことだという。これはセーヴルなどの西洋の対称図像系の陶磁器の壷の左右に付けられた取っ手を思わせる形状でもあり、壷を頭に譬えればそれらは左右の「耳」に当たる。そしてそれは当然のことながら波頭(渦巻き)形状である。つまり壷の頂上に付けられたボウリングのピンや松の実のような形の小さなツマミ(「終わり」を表すフィニアル)を目指して左右から迫り来る「クレスト: crests」がそれに相当し、それらは古代中国では「巴(は)」と呼ばれていたということになる。そしてこのクレストは、装飾様式的にはほとんどの場合「渦状」なのである。そして、渦にはかならず中心点が発生する。運動の中心点が存在するのは前進と後退の相対立するベクトルの指向性が存在するからでもある。

太極(白黒) 太極(勾玉)
白(陽)の中に存する小さな丸い黒(陰)は、黒との一体化を目指し、黒(陰)の中に存する小さな丸い白(陽)は、白との一体化を目指す。それが旋回運動の牽引力と考えることができる。内的な「反対物」の存在が運動の起源となる。

「陰陽」が互いに“69”(シックスナイン)の形で互いに噛み合った「太極」のシンボルはよく知られている象徴図像であるが、いわばこの「二つ巴(ふたつどもえ)」とも呼びたいような表徴の場合は、二者が、互いの尾に追いつこうとしてひとつの円相の中をぐるぐる旋回する二尾の蛇のようにも見える。その「陰陽」といった相対する二つの要素がひとつの実体の隠れた二元論的「相」であることも、この象徴は示し得る。だが、さらに興味深いことに、この二尾の蛇はその中核にそれ自体の反対物を内包しているのであり、陽であればその中に陰を、陰であればその中に陽を《核》として保持する。すなわち、それぞれがそれぞれに追いつき交わろうとする性向を持っているのは、ひとえにそれ自体に内包される自己の反対物が、追いつ追われつする他方の持つ同質の大きな部分に還元・吸収されようとするためなのではないか。反対物どうしの間に存する「牽引」と「旋回運動」の理由になっており、相互の磁気的な惹かれ合いの秘密を表しているのかもしれない。

こうした「巴(ともえ)」の象徴の内部に潜む《核》ないし中心点の存在は、勾玉(まがたま)として表徴される時、それに開けられる貫通した穴によって表される。「巴」という漢字の頭部の中心に描かれる短い垂直線は、まさにこの「核」の簡略化され変容したものであると考える事ができよう。
巴(漢字)
ときに、この巴の徴というのは日本の太鼓に於いては丸くパンパンに張られた皮、バチによって乱打される獣の皮の上に描かれるものとしても知られる。これは「三つ巴(みつどもえ)」の徴であり、この「獣」の皮に対し二本の「木」の棒によって打ち鳴らせば、大きな轟をもたらす円相上の「三位一体」がその轟の正体であることが分かる。

愛知・太鼓 太太鼓(三つ巴/二つ巴)

巴の徴は、あたかも体液中を振動しながら進む精虫(精子)の様に、尾をオートマティックに細かく振動させながらそれを推進力として前進する。これは繊毛を持った比較的固く、しかも速く泳ぐ事ができる単細胞生物の持っている体型を受け継いでいる。また母体の中を究極まで前進した先には卵があり(ということはDNAをその中心に抱く《中心的太陽》が存し)、受精が完了し、さらに着床して何週間かすると、それは「眼を埋め込まれた」最初の胎児と成る。それがまた勾玉状である。

胎児と発生

生命の核としての頭と眼球が先端に位置し、推進力を産み出すプロペラが足部に位置するならば、運動する生命の形が勾玉状であり、また「火の玉」状である。生命の核としての受精後間もない胎児がそれと相似を成しているのは、「機能の要請する形状」の理論から言っても、偶然というよりはむしろ当然と言うべきであろう。「大なるものは小なるものの似姿をしている」というのが正しい。

Scotish thistle

映画『Touch the Sound』においては、この「巴の徴」というのが控えめだが随所に出てきて、生命存在のその「振動的」な実体を象徴的に見せるのである。それはエヴリンがニューヨークのグランドセントラル駅でスネアを叩き始める時に、彼女の二の腕に刻まれている「西洋アザミ」の入れ墨に現れる。これは彼女の出身地であるスコットランドを象徴する花であるが、この花は、まさに鍵穴状の祖型的図像の一つであり、シャトルコックが下降する時の姿をしている。そして、鬼太鼓座とのセッションにおいて連打される大太鼓(大太鼓に付き物なのは三つ巴の「巴」の徴である)、そしてエヴリンの来日時における移動シーンで、雨粒に濡れた新幹線の車窓と、その表面を蛇行した軌跡を残しながらほとんど水平に流れていく水滴群によって表現される。また、映画の最終部で心電図と思われる長い紙ロールを廃屋の工場で放る「儀式」によっても描かれる。

その紙ロールが心電図のようなウェーヴフォーム(波形)を記録したものであるのはもちろん偶然ではない。巻かれたロールは放られると音を立てながら宙空で解かれ、長い尾を引きながら美しい軌跡を見せる。そしてそれは「画面右側」に向かって飛行していくのだ。そしてその尾が蛇行することによって、その振動性、飛行に伴うある種のバイブレーションが視覚的に捉えられる。

それは受精(コンセプション)されるために最終地点に向かって泳ぎ、あるいは飛行する。それはあたかも映画『2001年宇宙の旅』において、伸び切った「巴」の徴のような精子形状をした木星探査機ディスカヴァリー号が、スターチャイルドを生み出すべく画面の「右へ右へ向かって」航行したかのようでもある。だが、『Touch the Sound』の最終場面は、エヴリンによって自在に操られる4本のマレットが、「最後の一つ」になり──これもまた振動しながら進む精子のようだ──音楽の減衰と供にその振動を止めた後も、名残惜しそうにマリンバの表面を滑り幕を閉じるのをわれわれは見る。そしてわれわれは内部に何かが受胎したのを感じず劇場を去ることはできないのである。

Discovery Spaceship
Sperm
Marimba mallets

「振動とは生きていること(生命)の証である」


いかなる言語的メッセージを超えて、かようこれほどまでに『Touch the Sound』がわれわれの心を震わせるのか、その答えは作り出されるエヴリン自身の音楽にある。彼女の言葉はすばらしい。だが音楽が先行してすばらしいのである。

その素晴らしい音楽は、われわれの身体の中にあり、あたかも次なる「振動の日」を待ちながら、とぐろを巻いて丸くなって眠っている無数の精子が、それがある雷鳴のような太鼓の轟きによって目覚めさせられたかのようだ。それらがとぐろを解き、やがて全身を振動させながら一定の方向に向かって泳ぎ始めるような感覚である。体中に眠っている背中を丸めた「巴」は、身体を伸ばし切って、疾走を始めるのである。私の知人が「映画館から走った」のは、まさに全身に巻き起こった無数の「振動」が、あらゆる回転を惹起し、前に向かう推進力に従う以外にない、という状態になった結果なのではないかと思うのである。

こう考えたとき、鬼太鼓座の座長の語る「日本における音楽や芸能の始源が岩戸に隠れた天照大神を誘い出すための舞楽にあるという説がある」という説明が、この映画の中でどのような全体的意味の一部を成しているのかが、了解できてくる。自分の中の無数の「岩戸」から、生命の光(振動)が解き放たれ、走り出すのである。


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2006-04-19

滅び往くものに栄光有れ:
自己解体を実現した《マニ教》を讃える

万物は滅亡することにその究極目的がある*、とは河上肇が言った言葉だ。
* 正確には「それ万物は皆なその自滅を理想とせざるものなし。」である。

またかくも言う。
「(略)能く考えて見れば、病院は病院自身の滅亡を理想とすという事、言奇なるに以て実は奇ならず。学校も同じ事にて、無教育者を全くなくするがその終局の理想なれど、もしその終局の理想にして実現せられ、世の中に教育を受くる必要ある人の全くなくならんには、学校は乃ち廃止されざるを得ざるなり。裁判所といい、監獄といい、法律というの類、推して考うれば、皆なまたその自滅を理想とするにあらざるなし。」

これらの言葉に初めて出会った時、その大胆な表現で展開される主張と、読んでみれば全くその通りとしか言いようのない、端正な論理に驚くと共に、深い共感を覚えたのは、自分の中でまだ記憶に新しい。その時に感動は一度書いたことがある。

言うなれば、「滅びる」とは、目的を持って組織化されたものが、目的を達成して自らの存在を解消するということである。理想を言うならば、人間の組織としてのあらゆる団体(場合によっては個人)というものは、その究極の目的は「自滅」にあることになる。その点で言うと、自らの主張する教義が普く伝えられその任を全うしたら、宗教団体でさえ「自己解消」するのが最も潔い「本来の在り方」と言える訳である。言い換えれば、「宗教が栄えている」とすれば、医療、警察、司法、その他の必要悪と同様に、宗教は人々の不幸を解消していないということになり、その任を全うしていない。すなわち、全く「誇るべきこと」ではないことになる。

◆ ◆ ◆


などと、ここまで書いていて昨日の深夜辺りアップする心づもりだったが、ライヴのあと盛り上がったりしていて、そうはいかなかった。すると今日、内田樹がいみじくも似たようなことを「両親」の機能と目的ということに絡めて論じていた。全く偶然だが、彼も同じような時期に同じようなことを考えていたことになる。内田樹研究室

内田は河上肇と全く同様に...

警察官の理想は「犯罪者がいないので、警察官がもう必要でない世界」の実現である。それと同じように親の理想は「子どもが自立してくれたので、親の存在理由がなくなった状態」の達成である。(中略)子どもが成長することは親の喜びであり、子どもが成長して親を必要としなくなることは親の悲しみである。喜びと悲しみが相互的に亢進するというのが人間的営為の本質的特性である。<<

と語る。特に、最後の1行が効いている。そこまでは考えが至らなかった。そう考えれば人間の矛盾的側面の「肯定」になる。

◆ ◆ ◆


さて、そもそもあらためて何故このような河上肇の言葉に再び思い至ったかの話をしなければならない。それは10世紀頃から13世紀頃に掛けて隆盛を極め、その後カトリックの仮借なき弾圧によってついに滅んだ二神論派の「カタリ派」の歴史について、1冊の本を読了したためでもあるが、今回「カタリ派に先行する宗教」とも想像されるマニ教のことをネットで調べることになったからだ。すると、ネットで見出される解説の中でも、幾つかの秀逸な論述があった。

マニ教とは、3世紀半ばマニによって創始された啓示宗教で、ユーラシアの広い範囲において多くの信者を獲得した「普遍宗教」のひとつであった。その範囲は東は唐時代の中国にまで到達して布教に成功している。だが「聖三位一体論」を奉じるキリスト教(ローマ・カトリック)が力を付けるにつれて、グノーシス的な善と悪(霊と肉)の二元論の立ち場をとるマニ教は、次第に「異端*・異教」として弾圧されていき、やがて8世紀には実質的に滅んだ。だが、特に西方グノーシス主義は、肉体的存在を徹底して否定するので、肉食ばかりか生殖行為すら絶対的に禁止された(とりわけ聖職者の間ではあらゆる生産活動への非参加が厳格に義務づけられていた)。などなど。**

* 『異端カタリ派』の著者、フェルナン・ニールも主張するように、マニ教はキリスト教の内部派閥ではないのだから、「異端」と呼ばれるのはいささかおかしな話なのだ。そもそもひとつの宗教の外部に存在するものを「異端」を呼ぶのは不適切である。例えば仏教が「キリスト教異端派」でないのと同じ意味で。

** 参考サイト:Introduction of Manichaean Religion マニ教概説・序説 @ KHOORA SOPHIAAS


現世的な生の否定、子孫をもうけることの拒否。ここにマニ教が「人間の組織としての宗教団体」として、代々時代を超え、また子孫を通じ永遠に「栄華を楽しむ」ことのできようはずのない、特筆すべきユニークな性向が見出される。そのことは、言ってみればマニ教がその“教義”の中に「自己解体の鍵を潜ませていた」と読むことも可能になるのだ。

マニ教や幾つかのキリスト教異端派(グノーシス主義)は、物質界と精神界の全く厳格な区分(これらふたつは全く異なる起源を持ち、物質界は神による創造に与らない)、そしてゆくゆくは物質界に閉じ込められている「光のかけら」としてのわれわれの霊が、肉体から解放されること(とりわけそれが「集団的」に達成されること)を期待する。したがってそのような宗教であるからには、その壮大なるコンセプト自体をユーラシア中に広め、信者(理解者)をそれなりのまとまった規模で集めたとしても、それがその後も「人間の組織」として永続するということ自体が矛盾となる。だが、マニ教に矛盾はなかった。マニ教に代表されるように、ある特定の宗教や宗派が衰微し、今日の世界で現存しないということは、まさにそれらの役割が全うされた証なのではあるまいかと穿った考えかたをしたくなるほどのことなのである。

実際問題、宗教としてのマニ教は「散会」し、カタリ派は滅ぼされたが、その哲学や世界観はわれわれの《知識》(グノーシス)として残っている。そして、それは何度でも復活する。なぜなら、もはや宗教でも宗教団体でもないために、それを「信仰」するかどうかは個人の自由裁量だからである。したがって、そのマニ教の一時の「成功」にもかかわらず、それ自身が「存続を止めた」のは、河上肇風に言えば、「使い倒され、使い捨てられる」ということであり、内田樹風に言えば、そこに人間としての「悲喜こもごも(喜びと悲しみの相互的亢進)」があったから、と答えることができるのである。

われわれは、廃棄され忘れ去られることによって、自身の存在目的を成就する(もちろん、まず最初にわれわれは有効に「消費」されなければならない)。

マニ教の教義の成就は、歴史の早い時期に姿を消したマニ教徒によって達成されることはなかった。だが奇しくもマニ教が予告したように、現在も進行中の人類が引き起すさまざまな“イベント”の果てに、それは成し遂げられるであろう。「より良く生きよう」「より長く生きよう」とする人類の現世的・卑俗的欲望が、大規模かつ「集合的な浄化」を引き起し、「最期的な聖化」を成し遂げるという最後の大逆転(大どんでん返し)があるからである。

最後に、私は以下の一文に最大の敬意を払って賛同すると言おう。

消え去ったことで、マニ教は、純粋な平和の宗教であったことを、歴史のなかで証明しているのだとも私たちは思惟する。<< KHOORA SOPHIAAS

まさに、「滅び往くものに栄光有れ」なのである。Viva, Cathar and Manicaeism!


20:09:50 - entee - TrackBacks

2006-04-15

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [10]
“3”の時代〜「元型的火曜日」(下)

■「三日目」を表す「三日月の象徴」の登場

Crescent moon &amp; Star Fertile Crescent
巨大スケールの「分断: schism」によって衰退の色を濃くしていくローマ帝国を、決定的に弱体化させ滅ぼした幾つかの要因のうち、帝国領土への物理的浸食という極めて直接的な関与をしたのが、後の近代国家としてのドイツを造るゲルマン民族のはたらきであるが、加えて何よりも無視できないのが勢力を拡大するイスラム帝国である。そしてここでわれわれはイスラム教が「三日月の象徴」を保持していることを思い出さなければならない。

「三日月の徴」がイスラム教のシンボルであることについては、当然のことながら「顕教的に正統」とされる伝説的エピソードが伴われている。イスラム教という宗教が紛れもなく「月」によって象徴されるいくつかの性質や約束事を持っていることは至る所でその記述を見出すことができる。(エリアーデ『シンボルと宗教』参照) だがそれが視角化されるとき、「半月」や「満月」ではなく「三日月」でなければならなかったことには、単に「月」としての認知しやすさのみならず、複層的な意味合いをわれわれは見出すことができる。

預言者マホメットに最初の神託が訪れたのが「三日月の晩」であったという有名な説話が「三日月」の根拠のひとつである。だが、われわれが気を付けなければならないのは、そうした説話の持っている二重の意味性である。これは実際にその奇跡が起きた当夜が、旧暦(陰暦・月齢)の第3日であったという「歴史的事実」を伝達することだけに目的があるのではなく(それ自体には象徴的意味合いをおいてなんらのsignificanceもない)、むしろもっと大きなわれわれの「歴史時代」において、マホメットの登場(イスラム教の勃興)が(象徴的な)“第三日”であったということをも伝達するのである。

ユダヤ=キリスト教の秘教の地下水脈を辿ることで祖型的図像群中の「数性」の実在を論じるのが目的であるのでここでは深入りしないが、イスラム教の存在と、約束されたかに見える将来における一定の役割は、こうした秘教的な壮大な文脈の中に完全に組み込まれていることであるとだけ、ここでは記しておく。[将来『集団的な浄化儀礼と<三日月>の伝えるもの』で若干の詳述をする予定]


■ 前近代国家の「数性3」神聖ローマ帝国の子供たち(17世紀 中欧/東欧)

「数性3」の時代の中間期において中心を成すのが、その後近代国家になっていく、ドイツそして東欧諸国を含む(三色旗を持った)ヨーロッパの中でも相当に広範な領土を含む地域である。それはまさに“第3のローマ”とも言うべき神聖ローマ帝国のことであり、そのこの時代における役割を無視するわけにはいかない。この「最後のローマ」は長い「三の時代」の最終局面を含む。すなわち962年にオットー1世(大帝)がローマ教皇ヨハネス12世によって、古代ローマ帝国の継承者として皇帝に戴冠したときに始まり、「三十年戦争」の後、1648年のウェストファリア条約によって封建領主の独立主権が認められ、帝国は300の領主国家に分裂するまで続く。ほぼ700年間続くこの世俗権こそが、後の近代国家の数々を産み出す土壌となる「帝国」なのである。

そして神聖ローマ帝国は、ドイツ王国(フランク王国)・イタリア王国・ブルグント王国という言わば「3つの連合王国」を包含することにわれわれは注意を向けなければならない。このように「包含される国(王国)の数」というのが、ある数性を同時に象徴するというのは、実はローマが東西二つに分断された時点に始まり、この「3つの連合王国」に引き継がれ、後に華開く欧州中心的世界における象徴的国家構築の「祖型」となっていくのである。

この時代の最終局面において、ウェストファリア条約によって解体された神聖ローマ帝国は、ヴォルテールによって「神聖ではないし、ローマ的でもない。それどころか帝国ですらない: The Holy Roman Empire is neither Holy, nor Roman, nor an Empire. / Ce corps qui s'appelait et qui s'appelle encore le saint empire romain n'?tait en aucune mani?re ni saint, ni romain, ni empire.」とさえ言われ揶揄された。この「最後のローマ帝国」の細分化こそ、現代に連なる「数性3」を伝統的に保持したまま、近代国家生成の種を、欧州全土に蒔くのである。


■ 近代国家時代の「三色旗」支配の時代




























Flag of Italy

イタリア



Flag of Belgium

ベルギー



Flag of Netherland

オランダ



Flag of Hungary

ハンガリー



Flag of Germany

ドイツ



Flag of Burgaria

ブルガリア



近代的国家が、その国の象徴的基盤として「数性3」を持っていることは、今日ではそれらの<国旗>を通じて最も雄弁に表現される。現在欧州で数種類の色の組み合わせがあるものの、三色旗を持っている国々は主に“3”に象徴される各国の王に対する法王による「戴冠権」(指名権/許諾権)を独占する権威的組織としてのローマ・カトリック(すなわちローマ帝国の宗教)による支配を受けた国(後にプロテスタント側に鞍替えするものも含めて)、もしくは神聖ローマ帝国の一部を成していた国々である。このことは、「数性3、4、5(そして6)」と続く「数の進行:曜日の進行」の文脈を未だ明瞭に語れぬ現時点ではにわかには諒解しにくいことであろう。

「黒・赤・黄」の三色旗は、ドイツ、ベルギー、「緑・白・赤」がイタリア、ハンガリー、「緑−白−橙」がアイルランド、インド、また旧チェチェン共和国)となっている。特殊なところでは「青−黄−赤」の三原色*を用いたルーマニアとアンドラがある。「青・白・赤」の三色を基調とする国家にフランス、オランダ、ルクセンブルグ、(それに旧チェコスロヴァキア)がある。

われわれは一般的に英・米の国旗を「三色旗」とは呼ばない。だが中でも「青−白−赤: Blue, White and Red / Red, White and Blue」の三色を基調とするこれら仏・英・米の三国は、その共有する色が示すように、今日、まさに「三位一体」である。そして、世界中に植民地を持つなど世界に対する支配的覇権を揮う経歴を持つ国々である(ここでは取り上げなかったが、同様の三色旗を持つオランダ**もそうした国家の例に漏れない)。いずれも時代の各過渡期において競い合い、また牽制し合ってきた関係だが、とりわけ仏・英・米の3国の「一体関係」は20世紀初頭から第一次、第二次両世界大戦を通じて濃厚になっていく。後述するが、特にイスラエル建国を始めとする中東政策を巡って、この3国の間にはある種の「申し合わせ」が存在するかのように一層一体感を強めていくという過程を目撃しており、その事実をわれわれは既に無視するわけにはいかない。また後にそれを思い出すことになるであろう。

* ルーマニアはローマ人の国、アンドラはフランスとスペインに挟まれたピレネーの小国。現在はフランスの大統領(世俗権)とスペインの司教(聖職権)によって統治される二頭制の国家。この三原色は、「ヨハネの黙示録」において幻視された「2億の騎兵隊」の三色の胸当ての色に一致することに注目すべきである。

** 現在、オランダの三色旗は上から「赤・白・青」の三色になっているが、一番上の「赤」は以前は「オレンジ」であったことが知られている。オレンジ公ウイリアム(ウィリアム3世)のシンボルにちなんだものと言われているが、オレンジ色のトーンを維持するのが技術的に困難で、後に赤に「変更」されたという説明がある。だが、それよりもフランス革命による影響が免れなかったオランダが「自由・平等・博愛」の理念とそのシンボルである三色を相続したと考えるのが自然である。オランダはフランス革命後、「本国の消滅」という期間があったが、このオランダの極東における地位の激変期にも、長崎の出島の商館長ドゥーフはオランダの三色旗を掲げ続け、再興されたオランダに帰国後国王から勲章を受けている。オランダ国旗は1630年以降、「オレンジ・白・青」から現在の「赤・白・青」に変わったのであるから、出島にはおそらく現在我々が知る“Red White & Blue”のTrois Coleursがすでに見られたということが想像できるのである。



■ 「数性3」の権化としてのフランス

Flag of France Bourbon Fleurs des lys
図版引用先:
右上:Armes de la Maison des Bourbons de France (avec les Fleurs de Lys : symbole de la royaut? de Charlemagne) @ Histoire et Documents
上:Philip II the King of France @ Wikipedia

バルカン半島から北部/東部にかけてのヨーロッパで影響を持っていた神聖ローマ帝国と平行するかたちで長期にわたり厳然と存在し続け、ローマ・カトリックの権力を具現化するための世俗王権としてその「文化」的影響力を揮い続けたのがフランスである。そしてあらゆる「数性3」の表徴を主張し続けたのがフランスである。

フランスにおいて起きるその時代を画する大きな事件のいくつかは、その国の役割を象徴するものである。時間はやや前の時代に遡るが、そのうちのひとつは「アルビジョア十字軍」と呼ばれる大規模な軍事行動を含む「異端」カタリ派(アルビジョア派)に対する徹底的な宗教弾圧である。これは12世紀末から13世紀初頭に掛けて行なわれたもので、この地におけるローマ・カトリックの勢力を確固たらしめ「フランス」(王家)の領土拡大をもたらすために、多大な意味を持つと言えるであろう。そしてもう一方はフランスの「独立国家」としての最大の危機と、その際に体験された「受難」として記憶されるものである。それはイギリスとの間で闘われた「百年戦争 (1337-1453) 」での時代であると言っても過言ではないだろう。

● カタリ派弾圧の意味すること
カタリ派の弾圧は、いわば今日のフランス国土の極めて大きな範囲を巻き込んだ一種の内戦とも呼ぶべき時代的エポックである。キリスト教の成立期に既に記録されているカタリ派の存在は、この時期の政治闘争に敗れたため実質的にカトリック側から一方的に「異端」というレッテルを貼られているが、それはひとつの大きな宗教運動の潮流であった。カタリ派はグノーシス主義の一種であり、グノーシス主義とは「ゾロアスター教、古代哲学、およびキリスト教の三大潮流の合流点に位置する大きな思想運動であった*」。

そしてこの思想とは単純化を恐れずに記せば、「善と悪の二元論」というものであったとさえ考えられるであろう。ゾロアスター教を単なる二神論であったと断じるのは危険であるが、カタリ派の思想はキリスト教成立以前にすでに起きていたある種の二元論的世界観を反映し、そして何よりも現世を「悪の究極の原因たる物質世界*」と観る。ここには「悪」の存在が神の業から切り離されて厳然と実在するという世界観がある。そしてその現世世界は滅ぼされなければならず、ゆくゆくは神(善)の支配が訪れるであろう、という考えである。

こうしたグノーシス主義は西暦216年にバビロニアで生まれ(だが血統的にはペルシャ人)マニ(マネス)によって始められた新宗教「マニ教」に受け継がれる。そしてその宗教は彼の生前期にそれなりの信者を集める。後にキリスト教に「改宗」する聖アウグスティヌスも最初はマニ教徒であったことを考えれば、当時相当のポピュラリティを持つ宗教であり哲学思想であったと考えることができる。あるいはマニ教が後のキリスト教という一大宗教に合流する一群の学者や信者をある程度まとめあげる機能を果たしたということもできるかもしれない。マニ教自体は、マニの生きていた時代に積極的に支持をしたパトロンの死去に伴い急速にその影響力を失うのであるが、その後も800年以上に渡って様々に「異端」と決めつけられるキリスト教宗派として名称を変えながら、地下水脈的なグノーシスの思想的潮流として生き延びた。

このマニの教義がグノーシス説のひとつであることからも想像できようが、精神界と物質界の併存、すなわち「神(精神)と物質(肉体)の絶対的な二元併存*」を最初の前提とする。つまり肉体的存在(悪)が神(の計画)によって産み出されたものではなく、「悪」ないし「物質」として自力で存在することを認める理論なのである。つまりこのふたつの対立する本質的存在の上に「上位の神*」が想定されないところにこの思想的潮流の特徴がある。ローマの「本流」からすれば、これがカタリ派が「二神論」的と決めつけ、徹底批判する口実となったわけである。

* 参考:フェルナン・ニーム著『異端カタリ派』(クセジュ文庫)より

だが、ローマ・カトリックのその後に開花する教義とは、マニ教以上に「いびつ」であるとしか思えない「三を以て一と捉える」“三元論”的な理論であったのは、われわれのすでに知るところである。ただし、天上にいる神(父)と地上的存在である我が「人の子」と、それらふたつを結びつける「媒介」としての「精霊」の存在を積極的に認めることで、「それはひとつの神なのだ:唯一神なのだ」という理屈へと発展・進化する。

Philip II King of France
図版引用先:Philip II the King of France @ Wikipedia
手と冠に黄菖蒲の象徴が描かれる「フィリップ・オギュスト」とも呼ばれるカペー王朝の王。ドイツ皇帝と連合したイギリスから北フランスを奪還した(1214年)英雄と評価される。カタリ派に対する徹底弾圧を強行したインノケンティウス三世の命により組織された「アルビジョア十字軍」という、仏国内における悪名高き異端討伐軍参加を命じられる。実際は殆どこの異端征伐問題に立ち入らずに王領拡大という旨味が転がり込む。

すなわち、12世紀末から13世紀に掛けて「フルール・デ・リ」の象徴を抱くフランス王家によって行なわれた「ネオ・マニ教徒」とも呼ばれるべきカタリ派に対する徹底的な宗教弾圧は、「数性3」の象徴を持つ人々による、前時代の生き残りの「数性2」の保持者たちの殲滅の意味があったと捉えることができるのである。


● フランスと「百年戦争」

14世紀半ば前(1337)に開始され、まるまる1世紀以上に渡って繰り広げられた百年戦争こそ、現在のフランスの王位継承権を主張した「3人」の継承候補者の登場によって始められる(その内のひとりが欧州大陸への領土的野心を持っていたイギリス国王エドワード三世であった)。そして、その百年以上に渡って続けられたフランスの英国との闘争は、言わば中世におけるフランスの民族と国土が、その後の近代国家フランスへと連なる歴史動向の中において、ひとつの自立的意識を決定的に根付かせるだけの強さを持った文字通り「受難」の過程であった。

それは第一義的には「シャルル四世の突然死」(早すぎた死)に始まる王位継承問題を発端とする英仏間で繰り広げられた実力行使を含む長期的な対立であり、権勢を伸ばし始めた「次の帝国」たる英国を退けその影響からの脱却を進めるものとしての意義もある。そしてそれはジャンヌ・ダルクの登場とその「犠牲的受難」ないし「人身供儀」によって劇的に幕を閉じる歴史的エポックとなる。

フランスにおいて女性が殉教者として国を代表する聖人となったという事実は、フランスの持つ国民性とも集合的無意識の反映とも言い得、きわめて象徴的である。これは福音書における代表的登場人物であるキリストと使徒のあいだの関係から読み解ける各登場人物の役割が、ヨーロッパの近代国家のいくつかに当てはめられるということ、そしてそうした呼応性の中で確固とした(しかも下意識的な)役割を宿命的に担っている欧州の国々を考えたとき、フランスにおける代表的偉人が他ならぬ女性であったというのは、納得できることなのである。それは女使徒としての「マグダラのマリア」とフランスの間に暗示される関係*についてであるとここでは一こと言及しておくことに留める。

* ここでは詳述できないが、寺院の名前でも知られるノートルダム: Notre Dame(我らが貴婦人)は、通常「聖母マリア」を意味する代名詞として信じられている。しかしエソテリズムの世界においては二人のマリア(聖母マリアとマグダラのマリア)の間には、「マリア」というコードで提示されるある種の「意図された混同」があり、ひとつの女性的原理によって表される実体の「ふたつの側面」を表すものであると考えられるだけの一定の理由がある。そしていかなる固有の名称で呼ばれようと、「キリスト教会」という存在自体が、「安息日に客を取りサービスする」ことを商売(なりわい)としている点で、現福音書におけるマグダラのマリアのエピソードの指し示すものとの呼応性があるのである。

いずれにせよ、「フランス」という国が女性聖人に与えられたコード名によってその役割の位置付けがされている以上、その時代(“3”の時代)を画する殉教者は女性でならなければならなかった。

Joan of Arc (whole)
Joan with Banner
図版引用先:Joan of Arc @ Wikipedia

ジャンヌ・ダルクの登場とその死 (1430年)は、大きく敗退し荒廃したフランス国土の英国からの防衛と独立の契機となった。その結果、フランス独立の“女傑”としてジャンヌ・ダルクは認識されている。そして彼女が護ったのは既に言及した「フルール・デ・リ」によって象徴されるフランス王家なのであった。そして「早すぎた英帝国の登場と退出」がわれわれの記憶となっているのである。

フランスと“3”の関連は、三位一体を表す黄菖蒲(アヤメの一種)の紋章 (fleurs des lys)がフランス王家の紋章となっていることや、近代国家としてのフランスが三色旗を抱いているということ以外に、「ボルドーの巡礼者: the Pilgrim of Bordeaux」が、西暦333年に新約の有名な舞台のひとつ、ゲッセマネの場所と信じられている「オリブ山の麓」の聖地を訪れたという古い記録からも伺える*。(Catholic Encyclopedia)

* それ以外では国際電話の国番号がフランスは「33」になっていることを無視することはできない。


●“3”の時代と三位一体の本質(まとめ)

ローマ・カソリックこそが「父と子と聖霊」が一体であるという三位一体説“Doctrine of Holy Trinity”を唱え流布した張本人であるのは、観てきた通りであるが、この説は三つの異なる存在が「同一」であるという「数性」に絡む謎(そして最大の謎)をヨーロッパの記憶に遺すことが目的であったかのようでさえある。このアヤメ(カキツバタ)の紋章を始めとする<兆し>は、その三つの花弁が一つに束ねられるその図像を以て、その「一体性」を象徴しているのであるが、それの真に提示しているものは、紛れもない「数性3」である。「三位一体」説こそ「父と子と聖霊」が同一である、という抽象的で理解困難な原理の受け入れを迫るものではなく、それは単に世界に向けて「数性3」を歴史に示すために登場したに他ならないかに見えてくる。しかも、教会の「三位一体」説を巡り議論が白熱し、それが歴史的にさらなる論議を巻き起こす程に、そしてそれが暴力的なまでの「異端審問」を通しての思想弾圧が高まる程、恐怖を人心に引き起こすひとつのサイン(徴)となった。そしてその運動が、その内容の本質とは関わりなく、意味のあるひとつの範型的イメージとして人類に記憶されるという仕組みになっていたのだ。

時に常にひとつの時代が終わり、次の時代へ移行する際、大きな争乱が起こる。“3”の時代から“4”の時代への移行でもそれは例外ではなかった。歴史の舞台はヨーロッパ本土から、ドーヴァー海峡を越えて、ヨーロッパ「辺境の土地」であるブリテン島に移る。歴史的にわれわれが諒解するところによれば、「ヘンリー8世の離婚の正当化」のという世俗的試みが契機になり、ローマ・カソリックの呪縛から逃れるべく英国王朝は、1534年、ついにイギリス国教会の独立を獲得する。そして今度は、ある濃厚な数性を抱いた<徴>を背負った人々が、クリスチャンクロスならぬ「ある徴」を旗めかせながら、通商活動と称して世界を飛び回る。彼らこそが「翼を付けたメッセンジャー」として、本格的活動に入るのである。


03:33:00 - entee - TrackBacks

2006-04-01

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [9]
“3”の時代〜「元型的火曜日」(中)

Trefoil: St. Mary of Sorrow333 [図版1]
Hindu Trefoil33333... [図版2]
Fleurs de lys &amp; three magi33333... [図版3]



■ 天上的な“3”と地上的な“3”

これは“3”とその倍数であるところの“6”(そして将来的に“9”)の間にある関係を論じる際に再び取り上げることになるだろうが、ここでは簡単に「数性3」をめぐるもう一つの課題として、天上的な三位一体をあたかも反映したかに見える形で現れる数々の地上的な三位一体について、そして「数性3」の発揮する「上下相似」的、「天地呼応」的な象徴機能について言及する。

確かに「数性3」の地上的な表象化という視覚的な<徴>についてこそが、今回のシリーズ「公然と隠された数」のテーマと直接つながりがある部分ではある。したがって、ここではわれわれが後に「元型的金曜日」と呼ぶであろう超歴史的<周回>の「最終日」となる時間的エポックの完成(成就)の際に、再び、より明瞭に現れることになる地上的な<徴>と、それらの織りなす“星の座”(星座)を占める主要な「登場人物」たちに、この地上的な「数性3」の兆しが見出されるということを指摘しておくに留めよう。“3”の時代において、その象徴の担い手がこの歴史的時代に一気に勢揃いすることがこの象徴体系の理解における最大の重要事なのである。

今まさに述べたように、とりわけカトリック教会の一見詭弁じみた「三位一体」の神学論的教説について深い理解を得なければ諒解できないような論理展開が本論の目的ではない。ましてや深遠なるキリスト教の三位一体教説を置き換えるような挑戦的な理論の提示を目論むものでもない。そうすることはこの小論の扱える範囲を容易に超えてしまうだろう。だが、その教説の歴史上の登場と機を一つにして、“3”の時代のエポックが始まり、“3にして1”という三位一体、ひいては「数性3」にこそ注意を向けるべき秘儀があると、人々の下意識に「聞こえぬ大音声」を持って作用させたことは、「十字架」の集合的記憶の刻印に次いで実に大きな効果のひとつであったと言わねばならない。そして世の中のあらゆる事象にこうした「三つで一つ」という「三つ組:トライアード」の構成を象徴的に当てはめて行くことが、“雨後の竹の子”のように、まさにこの時期に一斉に開始されたのである。それらはすべてキリスト教的<聖三位一体>の代表格である「父と子と精霊」という不可思議な概念のバリエーションとなって地上的な象徴顕現事例の数々を欧州社会にもたらしたのである。

われわれの平面的世界上の構築物において、四脚より三脚が物理的安定を保証することが知られるが、ここからもその“3”と“3の倍数”に内在する法則が、形而上学的な世界にも通用されているのが想像できよう。あるいは大胆に言い換えるなら、そうした不可視世界における安定が、この物質的な世界において目に見える形で反映しているということこそが秘教的伝統において広く共有されるところである。これらは「天上的な三位一体の地上的な模倣」という、いわば「形而上学的な理想」を反映したものなのである。

例えば卑近なところでは、われわれが「血と汗と涙」と三つのものを並べ、また「三種の神器」という三つで一組という組み合わせを好み、それらの表現が成立した時にある種の「安定/収まりやすさ」を見出すということも、現在にまで残るそうした傾向の一つの現れと言えるかもしれない。また「三つの柱が一つの全体を支える」というような三脚式の世界観*は、現代の「立法・司法・行政」の三権分立の考えにも反映されている。そして「三人組」の政治体制・三頭制は、ロシアの三頭立ての馬橇(うまぞり)にならって「トロイカ」と呼ばれることも思い出されよう。

とうてつ
* 上に見るような古代中国の儀式用青銅器には三脚様のものが多々見られる。これは「安定」と「表徴」のふたつの機能に供すると見られる。上掲の青銅器(鼎)の文様は明瞭な饕餮であり、饕餮紋鼎は対面する二神(神的存在)がひとつの顔を作り出すことによって「世界」を表徴する典型的な対称図像と考えることができる。ユニークにも鼎は、その「世界」を三つの足が支える事例と考えられる訳である。世界軸: axis mundiとも世界樹とも濃厚な関連のある「対称図像」については既発表の『集団的浄化儀礼と<超歴史的秩序>について』でも取り上げた。これは世界像に関連する「3の数性」であり歴史の時代区分に呼応する「数性3」とは関わりがない。参照先:集団的な浄化儀礼と<対称>の伝えるもの [1]その他

画像引用先:饕餮紋鼎(とうてつもんてい)@ 東京都国立博物館



さらに、社会の三階層「式・民・兵」というものも中国や日本において、古代から伝わるものであるが、これはヒンドゥーの4つのカーストの上層三階級に相当するものである。すなわち「バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ」がまさにそれである。例えばまた、フランスにおいて1302年から始められた<三部会>は、「第一身分である聖職者、第二身分である貴族、そして第三身分である市民で構成される」のであり、これは“3”の時代に登場し、「自由・平等・博愛」の三柱のスローガンを世間に知らしめるフランス革命の生起まで続く。

これら地上的な具現化という事例の中でも今回のこの歴史において、その「数性3」の権化たるある国家が、象徴占有権の「正統な相続者」となり、そこから「数性4」「数性5」と象徴的数性を色濃く保持しつつ、世界の歴史の進展の上で極めて重要な役割を果たす「帝国的」な近代国家の中心となって行く。(その連続する数性の「三兄弟」自体が、また俗界における「グレイト・トライアード: great triad」を成しているのである。)その「正統な」最初の相続者として、「数性3」を持つ近代国家についてやがて論点を絞っていくわけだが、その前にいくつか回り道をしておかなければならないことがある。当然、この小論の包括可能な範囲でそれをしていく以外にないのであるが...


■ 「数性3」に関わる図像群

歴史を一コマ戻すことになるが、キリスト教をローマ帝国の国教として定めたのはテオドシウス大帝である。われわれの世界において、その後の欧州文明中心的な歴史的進捗に直接的な影響を与えた帝国、古代ローマを<2つ>に分割し二人の息子に継承させたのはまさにこのローマ皇帝である。西暦380年に「数性2」を強く保持したキリスト教自体、そして国教に認定されたばかりのキリスト教が、帝国の分割: schismによって事実上「ふたつのキリスト教」へと分断された。旧教と正教がそれである。そして帝国ローマの(そしてキリスト教の)東西分割というこの劇的な出来事こそ、“2”の時代の中心を画するエポックであった。

西ローマ帝国は分裂のわずか百年後の476年に滅亡。一方、東ローマ帝国は俗称を「後世ビザンツ帝国」あるいは「ビザンティン帝国」という風に変えて続いたものの、1453年にオスマン帝国によって征服されて名実共に滅んだ。だが「東ローマ」は、それまでも名前こそ「ローマ」としての国の格をかろうじて維持していたものの、もっと早い時点で有名無実化していたのである。事実上、「双頭の鷲」の一方たる西ローマ帝国滅亡が“2”の時代の終焉にほぼ一致すると考えることができるのである。

“2”の時代はこのような壮大な歴史的エポックの後に、“3”の時代に引き継がれる。その時代推移の象徴的な「兆し」はキリスト教が力を付け「帝国の宗教」へと昇格されてゆく直前の原始キリスト教の時代にすでに暗示されていた。それは現在では新約聖書の福音書の中に若干の記述として見出すことが出来る。生まれたばかりの「人の子イエス」には<兆し>を受信した<三人の賢人>が遠方より訪れ[図版3]、救世主到来を祝福する。キリストを囲む十二使徒は、三人一組の「ペア」となり、世界における東西南北の「四隅(しぐう)」に向けて、布教の先兵として放たれる。それはさしずめ三鈷杵のような矢尻(やじり: spearhead)状の花模様が正方の四隅(よすみ)に向かう徴として*各所様々な形で記録されている。いよいよ、“3”の時代が幕開けするのである。

* 世界の東西南北の四隅を表現する十字架の象徴の中でも、例えば下の「マルタ騎士団の十字架」と「第一回十字軍の十字架」からは、濃厚な「数性2」しか感じられない。十字架の二本の棒の先端は二股に分かれ、しかもそれはひとつの図像の中で四回繰り返されることでその数性が強調される。

Maltese Cross First Crusade

図版引用先:The Maltese Cross - a sinister design?

ところが、やや後年になると下に示すような「数性3」が十字架との組み合わせで登場する。そしてそれは四角い(正方形の)オブジェクトとの組み合わせによって装飾的に登場するもので、世界の四隅を表す「矢印」として機能する。

Fleurs des lys &amp; cross[1] Fleurs des lys on tile[2] Fleurs des lys at 4 corners[3] J. Verne Bookcover[4]
「フルール・ド・リ」が四隅にあしらえられた例
図版引用先:
[1] 西Wikipedia
[2] Fleur-de-Lys Medieval tiles @ Encaustic Tiles
[3] Richard Butterworthのタイルデザイン
[4] Le Pays des Fourruresの表紙 @ Jules Verne



■ 三位一体のショウブの紋章

Picture of iris fleurs &amp; rooster

端的に言えば、欧州文化において最も代表的な「数性3」の象徴の権化は「フルール・ド(デ)・リ: fleur-de-lys / fleurs des lys」という「アヤメ」(黄菖蒲: yellow flag*)の紋章である。後にフランスの王家の紋章となる、花でありspearhead(武具の一種)である「三を一つに束ねた」形状をモチーフとした図像こそが「数性3」の伝達を明確に目的としたものなのである。

* 実は、“fleur-de-lys”がユリの花なのかアヤメの花なのかという議論は古くから存在するのであるが、それは目下「アヤメ科の黄菖蒲であるらしい」ということで決着しそうである。だが、それがどちらであるのかというのは、こう言って良ければ、象徴図像学的には特に重要ではない。「三弁の花びらを持った花」を通して伝達する内容にわれわれを注目させることこそがこの象徴図像の眼目だからである。Iris pseudacorus: アヤメ科アヤメ属であり、Iris(アイリス/イリス)と呼ばれる花のひとつである。Lily(ユリ)ではない。

Yellow Flag Yellow Flag (from top) Bourgogne Heraldry
Iris pseudacorus(黄菖蒲)の実写。こうした明瞭な三弁の花びらから多くの詩人や紋章学者が魅了され、数性を表すための記号となったことは頷けるものがある。上から見たものからは明らかだが、完全に三支に分かれている(上右)
画像引用先:(上)ブルゴーニュの紋章。仏Wikipediaより
なお、Heraldicaの提供する“fleur-de-lys”の項目は有用な情報で満載である。


当然のことながら、「フルール・ド・リ」は三位一体を表象する代表的な図像ではあっても唯一のものではない。三つの輪や棒、三角形、三色などいくつかの元型的な基礎的図案が存在することは断っておかなければならない。ただ同様の意味を持つ他の図像と違って、この「フルール・ド・リ」の図像をとりわけ一旦「排他的」に取り上げざるを得ないのは、後に論じるように「近代国家としてのフランス」(より正確には、後に「フランス」となっていく領土内の実力者達)が、<三色旗>を獲得する以前の段階でひろく採用したものである(つまり歴史のやや早い段階で宿命付けられている)ということの意義が、「時間と数性」関連の議論の中でどうしても無視できないからである。

他の三位一体を表象する図像には三つ葉のクローバー、トレフォイル(trefoil) 、そしてある特定の形状を持った十字架、等々が存在することは確かであり、またいわゆる対称図像の関連でも取り上げられる世界至上権を体現する事物の中にも「3の数性」が見出されることがある。しかしながら、「フルール・ド・リ」ほど明瞭に宗教関連図像のひとつとして登場し、ほとんど十字架の役割を置き換えるほどの意味性: significanceを発揮するものはない。それは一見すると必ずしも宗教的とは言えないような──だが断じて本質的に宗教的な──例えば「楯」のような武具や「スタンダード」などに現れるシンボルという点でも、十字架が「数性2」の代表でありえたようにフルール・ド・リが「数性3」の代表格としてわれわれが捉えることには一定の正統性があるのである。


■ 2の図像から3の図像へ
[ここにひとつ小さな節を挿入]


■ 三を象徴する幾何学的図像

幾何学模様とは極めて純度の高い数性を保持する伝達手段である。それらはほとんど過不足なく純粋に<数>をコミュニケートするのである。無論表現された「数性」がある歴史的段階を意味するのか、別の意味を持った「数」を意味するのかは、それが表徴された文脈全体を無視するわけにいかず別途判断が必要であるが、幾何学模様と数というものの間にある関係は、ここで多大なる紙面を割いて論じるまでもなく、すでに切っても切り話すことができないことは明らかである。これについては「普遍的伝達」を目指した場合の<元カレンダー>について論じた「数性と歴史の回帰の秘儀」の章における若干の記述をいま一度ご覧頂くのも良いかもしれない。


●トレフォイル: trefoil

欧米の教会聖堂においては石の壁に穿ちを入れて作った透かし窓があるが、それらには花弁を模したような事例として教会などの建築物などに多く見出される。トレフォイルと呼ばれる窓はだいたいにおいて三つの円を一つに合体させたような丸い花弁のような形状になっている。[図版1] ここでご覧頂くのは「透かし」になっていない事例である。透かしは機能に正当性を貸与するが、「透かし」になっていない以上、実益的には何の役にも立たず、こうした例はその図像が伝える内容(シニフィエ)にこそ意味があるということの実証になる。

Trefoil
図版引用先:Illustrated Architecture Dictionary @ The Buffalo Free-Net (冒頭の図版1も)

縦長に垂直に天上へ向かって伸長するステンドグラスを伴う場合、こうしたトレフォイルの類はその頂点にしばしば見出すことができるし、単なる透かし窓として単独で現れることもあれば、回廊沿いの石でできた手すりの下に「繰り返しのパターン*」として列をなし複数現れることもある(冒頭の図版2:図版引用先:Sarasvati Sindhu (Indus Civilization) )。

* 以前も言及したように、「数性3」が「1を3で割った数」すなわち「0.333333...」を獲得するということを想起されたい。
Illustrated Trefoil (architecture)図版引用先:Probert Encyclopaedia


こうした花弁の透かし窓は、クァトロフォイル: quatrefoil、サンクフォイル: cinqfoil などのように数性をひとつずつ増して発展して行くところからも諒解できるように、極めて単純明快で分かりやすい数的図像の事例なのである。

Foilは、花弁を意味し、tre-, quatre-, cinq- などはそのままその花弁の数を意味する数字を意味することは断るまでもない。

● 三つ葉のクローバー
この三位一体の象徴的図像は、現在ではそれを教示した聖パトリックとの関連でアイルランドにおけるカトリックの象徴となっているが、ここにも普遍的内容を伝える数的意味合いが濃厚に存在しているのである。そしてその内容はトレフォイルを通じて図られようとする伝達内容と同様のものなのである。

St. Patrick with a clover [a]
Clover Peuter [b] trinity of church toward faith [c]

画像引用先:
[a] UNDERSTANDING THE TRINITY
[b] Three Leaf Clover Floral Pewter Pin @ Exclusively Yours Gift Shoppe
[c] HIS MISSION OF FAITH @ Father Baker

何度も述べているように、父なる神と同様にキリスト(子)と聖霊が同じ「神性」を持つという「三位一体」の教説は、現代の知性にとっては単なる詭弁以外の何ものでもないものとして捉えられるであろう。実際問題キリストの「人性」を否定して(例えば人の子イエスを)神と同列視する(ないしは、それに準じたものとして看做す)カトリックの教説は、神秘主義の世界観においては一定の真理を伝えるものであるとは言えようが、イエスが人間であったからこそ彼に降り掛かった受難に意味があるという本質を損なうものだとも言える。また三位一体の教説こそ、人間が文明を構成する以上、文明を象徴する<徴>に惹き起こる受難、言い換えれば文明そのものに降り掛かる受難がそのまま人類の受難を意味することを想起すればこそ、現世を肉体を持って生きる人々にとって重大な<普遍的人間>の指し示す象徴の本質的意味を骨抜きにするものとなる。すなわち、このカトリックが最終的に採用した教説は、そうした欺瞞的な「神秘主義」の意図の潜むものである。だがそのためにこそこの教説は、複層的かつ韜晦な神学論のヴェールによって神秘化: mystifyされなければならなかった。こうした神秘化は「霊的真理」というものに対する批判精神を欠いたご都合的な世界観を許容し、さらには結局その信仰が人類を救わないという事実からわれわれの注意を引き離し、それへの無反省な「信仰」と「救済の欺瞞」は、今後われわれに降り掛かってくる事態についての責任という認識を容易に忘却させるのである。

仮にわれわれの人生というものが、全く逆説的な意味で、そうした「神秘的な真理」の<実現到来>によって最終的に「救済」されるにしても、現世を生きる人間の実質的苦悩を相殺することはないばかりか、その真実認識はさらに深い懊悩をもたらすのである。そしてその冷厳な事実こそ宗教のメッセージが重大でありうる唯一の理由であったにも関わらず、「イエスの聖化:脱俗化」の実行によって、現世を生きるわれわれの罪過まで免罪されるという欺瞞を惹起させた。そしてその生き方を変更することの無き「免罪された人類」こそが、次なる歴史時代の終焉を決定付けるのである。


聖パトリックがアイルランドにおいて「三つ葉のクローバー」を提示して教示されたとされる「三位一体」の教説は二重の意味を持つことになる。それはひとの頭上に降り注ぐ精霊によるバプテズマについてその三叉のような形状の「緑の扇」を振りかざし、現世生活者に対してひとつの神聖示顕を司る役割をアイルランドはやがて演じるであろうからである。それは身体を二つに引き裂かれた怨嗟の集合的記憶が、<緑の兆し>を持つ人々と連合するときにその謎が解き明かされる筈である。


■ 「天蓋の星」としての三位一体の図形

後に取り上げる「数性4」「数性5」の記述において図像事例を見ることになるだろうが、「星」の象徴とは、その性質上当然のことながら、しばしば「天蓋」ないし「天上」の範型的図像(美術作品)中に登場する。だが、「数性3」においてもそれは例外ではないことが分かっている。「数性3」の象徴は、その形状の特質から「星」と認識されることはまれである。だが天蓋との組み合わせにおいてこの表徴の在り方はあたかも「星」のような性質を与えられたかのようでもある。それほど多くの事例を見出すことはできないが、本章冒頭でも掲げた図版2のように、「数性3」の象徴の「天蓋」との明らかな関わりを示すものがあることを指摘しておこう。たとえば同様のケースがブルゴーニュ地方のNotre-Dame-de-l'Assomption 教会の壁画[図版3]でも観察することができる。ここにおいては、三位一体の象徴である既に取り上げた「フルール・ド・リ」が、絵画の隅々まで鏤(ちりば)められており、背景が「天上」であることが暗示されている。したがって、ここで描かれている象徴世界自体が、天上界での出来事であるかのような体裁を見せているのである。

画像引用先:Eglise Notre-Dame-de-l'Assomption @ Montaron (Nievre)

このことは、地上の植物であるアイリス(あやめ)に、天界に示される星々の徴と同じ機能、すなわち「数性」が担われているということに他ならない。逆に言えば、これから見ていく展開の象徴たる「星の象徴」には無視することのできない濃厚な数性が封じ込められているのである。

(「中」の終わり)

08:45:00 - entee - TrackBacks

2006-02-22

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [7]
“2”の時代〜「元型的月曜日」(後半)

■ 「数性2」とキリスト教会の関連

十字架を初めとして、「数性2」と教会の間にある深い関わりは、様々な伝統的な視覚創作表現の中に示唆されてきた。とりわけ建築や美術を通してその「数性」は繰り返し表現されてきた。「数性2」は、キリスト教が「数性2」の呪縛に囚われているとしか思えないほどに強調され、表現されるべき対象(シニフィエ)が、紛れもなく数字であることを強迫観念的に追求してきたことはほとんど明らかである。

文字通り「十字架の構造」を多くの教会が平面プランとして採用しているというようなケースの存在も、あまりに基本的なことであるので敢えて断るまでもないことかもしれない。


■ 象徴図像の進化について

例えば、ひと言に「十字架」と言っても、様々な種類があることをわれわれはここで一旦認めなければならない。そして十字架のうちのいくつかは、到底「数性2」を表しているとは言い難いようなものがある。具体的にはそれらは「数性3」や「数性4」などを表していることがある。だが、それらは十字架の原型的特質としての「数性2」を出発点として発展・進化したものであり、どのような象徴に分化してしまっていたとしても、「数性2」を基礎としていると言うべきである。十字架の象徴も実際の図像においては、例えばその装飾上の強調点や、水平に伸びる横棒の位置(高さ)や長さを変えることによって、伝えようとするメッセージの意味合いや「数性」が微妙に変化することも諒解していなければならない。

[1] Chartre Cathedral Plan [2] St. Paul Cathedra (London)
[3] San Pietro (Rome)
図版引用先:
[1] Chartres Cathedral
[2] St. Paul's Cathedral: PATH OF MESSIAH
[3] Plan of San Pietro in Vaticano

十字架をモチーフとする典型的例として教会カテドラル(聖堂)の平面プランなどがあるが、こうした例には、数ある十字架のヴァリアント(変異種)の中でも、縦横二本の棒の交差点を中心点として左右に突き出た「横板」に相当する部分と、中心から上に向かって突き出た「縦板」に相当する部分の長さが等しい場合、その「突出箇所」自体で「数性3」を表現するケースがありうる。また、平面プランにおいて、「十字架」の頂点部分にチャペルのような小さな窪み(ニッチ)状の小部屋が設けてある場合、「数性2」を表す十字架上に「数性3」が内包されているかに見える場合がある。これらは後にも詳述するが、十字架の表出する「数性2」が「三つ葉のクローバ」の表出するケースのように「数性3」に発展・進化したと言うべき例なのである。このような教会の平面図に頻繁に観られるものに、数性に関連した「十字架の変異」とも呼ぶべき例が多くある*。

* 後に詳述するが、この“十字架”の変異(mutation) というのは「数性4」にまで及ぶ。


■ キリストの手(「数性2」から「数性3」への橋渡しとしての)

聖母子像などのイコン(Icon) は極めて象徴性の高い<普遍的題材>を扱った視覚表現作品とも言えるが、それらに描かれる幼子イエスや成人したイエス像の中には、十字架以外の手法によって表現された、重要性の無視できないいくつかの数的暗示がある。

[1] Orthodox Church Icon with 2 fingers [2] Holy Mother and Son (Vatopedi)
[3] Salvator Mundi by Titan [4] Giovanni

ひとつは前章でも見た聖母像の額や肩に見出される八芒星(乃至「二重十字」)であるが、もうひとつがキリストの手(指)である。中でも大きく分けて、キリストの手が示すものには大きく分けて二種類の数性がある。その内の一つはこの章で取り上げるべき価値のある「立てられた二本の指」であり、もう一つは後に取り上げるべき「数性3」を表す「立てられた三本の指」なのである。

「キリストの手」の表現に二通りの表象上の範型が認められるのは、正にそれが描かれた時代や描こうとしているものの目的や意図に関わりがある。イエスの磔刑を通じて表現された数的祖型が「数性2」であることはすでにわれわれにとって疑問の余地のないものであるが、後にカトリック(旧教)の教義の中に紛れ込んでくる「三位一体」の教説の登場によって、ほかならぬイエスに「数性3」を背負わせるケースが頻出してくるのである。従って(ここでは深入りしないものの)三位一体説によって世界に紹介される「数性3」を他ならぬカトリックが採用したために生じた「“3”によって呪縛される」一つの時代のエポックの<徴>であると考えるべきである。だが、それは後に述べる「“3”の時代」の章において詳述されるであろう。

[1] Various Orthodox Prayers
Greek Orthodox Archdiocese of Australia
[2] Mother of God of Vatopedi
アトス山上の正教ヴァトペディ修道院に伝わるイコンを元にしたというレプリカ
[3] Iconography: Wikipedia
Salvator Mundi (Saviour of the World) by Tiziano Vecelli or Vecellio (c. 1488-90 ? August 27, 1576) aka Titan
[4] Christ's Blessing by Bellini, Giovanni (1430?-1516)
手の平に聖痕のあるルネッサンス絵画。


いずれにしても、われわれの目には、「イエスの指」が一見して数字であることが分からないほど巧みなまでに、控えめな表現がなされるケースが多いために、余程の典型的事例に運良く出逢った際に、しかも必要な洞察が訪れないことには見落としてしまうことさえ多い筈である。だが、聖母子像における処女マリアが「数性8」を表し、幼子イエスが「数性2」を表すとなれば、そこに読み取ることのできるメッセージは明らかである。「8(= 1)が2を生み出した」ことである。この数性の理解によって「何が何を生み出したのか」ということがここで読み解かれることになる。

Jesus with two fingers
出典不明。上掲の図版を初めとして、「数性2」から「数性3」の移行期ではないかと思わせる「イエスの指」がある。
画像引用先:The Face of Love(「イエスの手」にフォーカスした幾つかの図版を見ることのできるサイト)



■ 「人の子の祖型」「聖母子の祖型」の指し示すもの

イエス・キリストは「人の子: the Son of Man」と呼ばれる。気を付けなければならないのは、彼が聖書の中では滅多に「神の子: the Son of God」とは呼ばれていないことである(そのほとんどが「神の子というべき哉!」という聖書中登場人物による証言や意見であって、福音書家自体の結論としてではない)。日常的・顕教的な場面に於いては、キリスト教会もそのようにフレーズを恣意的に置き換えたりしている。要するに、イエスは解釈によって勝手に「神の子」であることになっている(一面ではそれは正しい)という捉え方が一義的には正しく、聖書にしてからが、彼を「神の子」と滅多に呼ばないことにわれわれは改めて注意を促すべきである。

控え目に言ってもイエスが「人の子」であるという記述があることにわれわれは十分な注意を払うべきである。「神の子」という記述のほぼ2倍の頻度で出てくる*「人の子」という表現の表す内容は何かと言えば、そこには何らの隠し立ても晦渋もない聖書の意図が見えてくる。「人の子」であるからには、それはやはり「人」であるか、「人によって産み出された何か」である。間違っても彼は神自身ではない。

「人の子」と呼ぶ以上、彼には父親の存在が想定されなければらないが、“the Son of Man”で示される“Man”とは「男性」のことであるのと同時に「ひと」すなわち「人類」のことである。一方で、母親(マリア)が肉体的な交わりによって懐胎していないことも、聖書の記述では前提として強調されている。ということは、“the Son of Man”で表されていることは、「マリア」というコードで表される或る「母親」によって地上的な生を与えられたものであって、しかも「ひと: Man」と直接関わる。

ここで、もっとも単純に考えることによって、それが「われわれ人類自身」であり、しかも「光を与えられた人類:文明: enlightened man」のことであることが諒解されよう。人類は、言うまでもなく、地母神たるマリア、すなわち“Mother Earth”による「一人子」であり、天なる神によっても祝福されたものと考えられるものである。それは第一の<真実>である。“Mother Earth”が人類を含めたあらゆる生命を処女懐胎しているというのは、地球という「閉じた系」の中でゼロから生命を育むことができた<処女>なのであり、それはほとんど否定のしようのない生物発生/進化上の事実でもあるからである。

*「神の子」は、新約聖書中、43箇所 (43 verses)に出てくるのに対し、「人の子」は、84箇所 (84 verses)である。旧約を含めると「神の子」44箇所に対し、「人の子」94箇所であり、登場頻度は倍以上となる。

しかし、その「文明」は、人類にとっての「福音」であり、祝福された生命であると同時に、「始まりもあり終わりもあるもの」(ΑでありΩである)として登場する。そしてキリスト自体がそのように自己を明確に定義した。いかなる生命も、誕生した以上いずれ死ななければならない。だがその限りある(文明の)生は、福音書でも記載されているように、人間の生にあらゆる「奇跡」をもたらす。癒されなかった病は癒されるようになり、見えなかった目は見えるようになり、立てなかった者は立って歩くようになる。死んでいたかに思われる者は息を吹き返す。

しかし、これら「奇跡」のすべてはまさに今日目撃するような技術文明がわれわれにもたらした「福音」そのものではないか。まさに「その一切をいちいち書き記すなら、世界はそれを納めきれないであろう」とヨハネ伝にあるほどに、こうした一切は、人類の文明のこの世で生起させている<あらゆるすべて: all and everything>である。だが、その「福音」は、文明の終焉(集団による救世主の拷問と処刑)によって終わる。どんな事情があったにせよ、「救世主」は憎悪の対象となった。そしてそれは天寿を全うすることなく、30代半ば前という若さで、殺害によって幕を閉じるのである。ただし、ひとつの予言を残して。「私はまた帰ってくる」という予言を。

寿半ばに死ななければならない「西洋(技術)文明」というものは、まさにこうした「イエスの人生」を祖型として構築されたものということができよう。


■ 教会音楽の中の「数性2」

例えば音楽の世界においても教会のsacred musicの楽曲形式には濃厚な「二部構造」が見出される。教会とのつながりのある楽曲が「二楽章」形式、ないし「二部」形式になっていることはまったく偶然ではない。そこにはふたつの部分、すなわち十字架の水平線(横棒)と垂直線(縦棒)を表現しようという意図が潜んでいる。それが当てはまる作品の中には、比較的新しいところでは、G・マーラーの交響曲第2番「復活」および交響曲第8番、そしてサン=サーンス交響曲第3番「オルガン」などがある。いずれも通常のシンフォニーホールで演奏されることが想定されているというよりは、オルガンやクワイヤを大胆に含んだものであるために、交響曲でありながらコンサートホールよりは、そもそも教会での演奏が想定されているように思われる。つまりこれらは交響楽形式を纏った宗教音楽 (sacred music) の亜種と呼ぶべきものなのかもしれない。

やや古いところでは純然たる宗教音楽であるバッハの多くのオルガン曲「プレリュードとコラール」「プレリュードとフーガ」「トッカータとフーガ」なども、ある種の「二部形式」の例と考えることができるであろう。
(更なる推敲と拡張の予定)


■ “2”の時代と深く関わりのある国旗に見られる「数性2」

よく知られた事実であるが、航海術によって人類が再び大海に乗り出していく大航海時代のさきがけとなった国は、スペインとポルトガルである。この二国が旧教の布教プロジェクトと表裏一体となって西方行路を見出そうとしたために「新大陸」発見に繋がる(無論、これは彼らが「新大陸」の存在を知らなかったという前提での話である)。

いわゆるカトリック教を始めとして「ラテン文化」と言われるものが今日南米に見出されるのも、この二国が競って行なったミッションの努力とそれに次いでやってくる植民地支配の結果である。大航海時代が専らこの「二国」によって進められたことは象徴的である。

Vatican Flag Portugal Flag Spanish People's Flag Spanish Royal Flag Swiss Flag

そして、ポルトガルとスペインの国旗が「二色旗」であることにもわれわれは注意を促すべきである。この「二国」とその後の世界の覇権、そしてその時代というのは歴史のあるエポックを表象しているものと考えるべきである。

現在のスペイン国旗は二色旗でありながら水平方向に3分割するパターンによって「三色旗」の時代への過渡期を表現している。(スペイン国旗には公用と民間用があるが、公用国旗にはヘラクレスの柱による「2本の棒」すなわち「数性2」の暗示もある。)

ローマ・カトリックの総本山であるヴァチカン市国の国旗(カトリック教団旗)が、正方形であり、また二色旗であるということは、象徴上、極めて重要な意味を持つ。「数性2」は、二色(黄 vs. 白 / 金 vs. 銀)であるということに見出される他、「ペテロに渡された鍵」の象徴が二本組み合わせられていることにも見出される。こうした「X字状」の十字図像の範型は「ソルタイヤ: saltire」と呼ばれる。詳述しないが、この「斜め十字」は、ここで論じられる十字架とは全く異なる性質や意味を持つ。この鍵の組み合わせ方は、「十字」のもう一つの表象のパターン、そして「数性4」を論じる際に、再び言及されるであろう。

スイスの国旗についてはここで詳述しないが、公用の国旗として使われるこの国旗は、正方形であり、その形によってヴァチカン市国の国旗のようなある重要な秘教的意味を伝達している。スイス国旗についての秘教的解釈は再び「“6”の時代」の章の中で再び論及されることになる。ここでは、きわめてあからさまな「数性2」を保持した国旗を持つ国家が歴史的に重要な役割を演じることになるだろうことを言及するに留める。


■ 「数性2」の宣言する「終わり」の始まり(章のまとめ)

そのあらゆる生命の源であるMother Earth / Mother Natureがついにその一人子である人類の文明を産み落とした。人類が、真に「文明」と呼ぶに相応しい段階に到ったとき、歴史的に“2”の時代に突入したことが宣言される。こうした「歴史的エポック」は、ひとつの時代の象徴として、必ず或る人物が生贄になり聖化されることで達成される。それは「燔祭の羊」のようなものである。今回の歴史における最古にして、しかもまだなお記憶に新しいその儀式は、およそ2000年前に行われた。決定的な宣言の方法とは、2本の「木の棒」によって造られた「極めて特殊」な形状の処刑台の上で男が自ら死ぬことであった。そしてその人物のポートレートはマリアに抱かれる「人の子イエス」として、あるいは西洋の中世絵画や木彫の聖母子像の中では指を2本立てることで、現在でもわれわれに彼が“2”の象徴であったことを示し続けている。

われわれの生活圏が、文明と呼ばれるものである限り、同時に「終わり」の「始まり」がある。「個体の生」にしても「集団の生」たる文明にしても、「生きとし生けるもの」の宿命として、「始まり」のときに「終わり」が確実に約束されるのである。救世主として知られるこの度の文明世界を象徴するコードである「イエス・キリスト」は、隠し立てせずに「私はアルファであり、オメガである」と語ることで「始まりがあり終わりがある人類の文明そのものである」ことを明白に告白しているのである。

そして、彼は、滅び往く「かつての文明」の最終局面において約束した通り「帰ってきた」のだった。だが、彼は「この度の文明」においても再び同じ受難の道を歩んでいるのであり、かつてそうであったように再び磔刑に処される可能性が高い。これについての悟りは、福音書が「過去の話」であると同時に未来を予言するもの(= 福音: Gospel)としても読むことができること、すなわちイエス: Iesus, Jesusという名の或る<普遍的人間>についての話であることの理解をもたらすであろう。

このパターンは古今東西の神話に見られる「王殺しの祖型」として表現されてきたもの、またバガヴァド・ギーターで表現されてきたものと本質的に同じである。ただこの神話的祖型についての理解とは、「王の殺害」という事件が、われわれ自身、今後「その影響を免れることができない種類の規模」を誇るものとして起こることだという文脈で実感することができるかどうか、すなわち、「われわれ自身の問題」として理解できるかどうかに掛かっているのである。


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2006-02-01

三本の光(光の三態)について

地上の星座
阿弥陀如来 Titan ICBM

この題名の「光の三態」は、やや不正確な表現かもしれない。なぜならこの表現にはあたかも「世界にはたったひとつの種類の光しか存在せず、その唯一の光に三つの様態がある」とも読める題名だからである。しかし、ここでしようとしているのは、むしろ全く異なる3つの「光」(だが、緊密に連携し合っている光)についての考察である。そしてその「連携」を理解することによって初めてそれらを「同列」に論じることが可能なのだという論考である。その内容を鑑みれば、とても1回で語りきれる内容ではないが、先行するテーマの進捗もあり、こちらを先にシリーズ化することが許されないのと、これらについてはエリアーデによって包括的な研究があるのと、「集団的浄化儀礼」の論考シリーズにおいてもすでに必要な図版を通してある程度観て来たので、それらを参照して頂くことにして、ここでは重要な「光」についての前提の共有だけを目指すことにする。

またエリアーデの言葉を紹介することが本稿の目的でもないので、ややためらわれたのだが、これに関連して彼ほどの網羅性を以て文献を当たっている人もいないのでやはり避けがたいものがある。

(略)光はその存在様式自体からして「天地創造的」である。光が出現するまでは何物も「実在」し得ない。(それ故、後に見るように、グノーシス派やマニ教徒によって待望された宇宙絶滅を達成しうる唯一の道は、世界中に散乱した光の粒子を抽出し、最終的にはそれを超越的、無宇宙的「高み」に再吸収するという長い複雑な過程であった。)だが、発光の原理の創造力は鋭敏な知識人にとってのみ自明のことである。(略)
ミルチア・エリアーデ『オカルティズム・魔術・文化流行』第六章「霊、光、タネ」よりp. 173(楠正弘・池上良正訳 未来社)

この考察に価値があるとわれわれが考えるのは、異なったものであるはずの複数の光的な存在物・存在者が、それらに共通して存在する一定の性質を以て同じ名前で呼ばれてきたために、その事象そのものが文字通り「同じものである」と考えられ語られてきた面がありそうなこと、そしてその混乱によってわれわれが危機に遭遇しているにも関わらずそれに気付かずにいる可能性があること、すなわち一方の「光」のありかたについての(無条件的な)肯定的認識が果たして他方の「光」を信頼すべきものとわれわれが考えてしまう原因になってはいないか、という「潜在的な危険」へ、ひとの注意を喚起する必要を認めるからである。

光が良いものだという肯定的な認識は、神秘主義者でなくてもほとんど一般的通念であると言っても良いだろう。そして闇は否定されるべきものであるという不文律は光を肯定する精神と表裏一体になっている。暗い闇ではなく明るく照らされた世界を志向するほとんど宗教的と呼んでも良さそうな精神的傾向をわれわれの多くは持っている。したがって伝統的にある種の「精神主義」は、これまた光の肯定的側面についてのみ「光を当て」がちであった。そして、確かに光が無条件に肯定されるべきものと考えられる前提は、多くの宗教家や神秘家によって「疑いなく」共有されてきたかに見える。が、その本質のいくつかの検証を深めた後でも以前と同様の見解を維持できるかどうかはその理解の深度次第であり、また生命存在そのものに対する態度次第である。光という実在の多面性のすべてのアスペクトを理解しなければ、真の神秘に到達することも正しい「世界の認識」に到達することも出来ないのである。

光というものの絶対的で無視することのできない性質のひとつは、その<能動性: activity>にある。そして闇の特性とは<受動性: passivity>である。例えば光の世界と闇の世界が壁ひとつで隔てられていると想定して、その壁に穴が穿たれたとすると、光は闇の方に向かって射し込むのであり、闇が光の世界に流入することはできない。つまり、闇はつねに光の影響下に晒されようとしているのであり、光は全体を同じ性質のもので満たし、支配しようとする傾向がある。多くの人々が信じる光の肯定性とは裏腹に、光の性質というものは場面によってはきわめて暴力的で、抜きがたく一方的で、無慈悲でさえある。この光の性向は無視するにはあまりに重要なものである。

したがって、ここでは光が肯定さるべきもの(善)であり闇が否定さるべきもの(悪)であるという、万人にとっていかにも分かりやすく単純な「精神主義」を一旦完全に白紙にした上で、「三態」のそれぞれが持っている性質を改めて検討すべきなのである。

われわれが区別しなければならない光の「三態」とは以下の3つである。第一に「文明」を意味し「ひとの世界を暮らしやすいところにする」と言われ信じられてきた人類の行為としての「光」(地上的・日常的・世俗的・啓蒙的な光)。そして第二には神とも如来*ともキリストとも呼ばれ、また天上的・大洋的・宗教的な生命エネルギーとしても理解される「光」(神聖にして実存的・永遠的な光)である。そして第三に、天上と地上とを結びつけるために現実世界に出現する非日常的・超越的な「光」「光輝」。これらの3つである。第三の光は、「天上の意図」と「地上の出来事(地上的な希望)」とを一致させるために「この世(の上空)に来臨し輝くこの世ならぬ光」と言い換えてもよい。

* 阿弥陀如来(あみだにょらい、amitaabha)は、阿弥陀仏・阿弥陀などともいい、大乗仏教の如来のひとり。「アミターユス(amitaayus)/アミターバ(amitaabha)」を訳して、無量寿仏/無量光仏と呼ばれ、無明の現世をあまねく照らす光の仏とされる。(by Wikipedia)

そしてわれわれが問題にするのは、これら三種の光があたかもひとつのものとして(敢えて言えば「善なるものである」として)、無条件的・無反省的に同一視していやしないか、ということなのである。それらが相互に無関係であるというのではない。「同一のもの」と簡単に受け入れてしまって良いのか、という事が言いたいのである。

第一の光、すなわち地上的・歴史的な光の伝搬は、宗教家(キリスト教・仏教を問わず)による布教活動や人類の知への衝動(好奇心)とセットになっている以上、その点においては確かに「宗教」と無関係ではあり得ないのであるが、これは人為によるものである。ここでは「宗教」が独占的に扱い、神秘家や芸術家によって「記述」されてきた「この世ならぬ光」を便宜的に「宗教的な光」と呼んでいるのであるから、やはり第一と第二の光は(一旦は)区別されなければならないのである。だが、第二の光を体験によって感得しようと「聖なる実在への邂逅」を計ろうとする人間の衝動や、歴史的に行われてきた修行や実際の体験についての記述(表現)が多くの新たな神秘家を生産して来たこと、そして追随者による再体験・追体験の追求が第一の「地上的な光」の歴史とある種の共時的な一致を見せる面があることはひとつの特記事項ではあろう。

よく語られる地上的な光に関しては、それが文明の「明」に当たる部分、啓蒙(開盲)を意味する英語の“enlightenment”の中の「light」に当たる部分からも諒解できるように、人々を闇で盲しいた状態から「明るく照らされた状態」すなわち「ものの見える状態」へとあたかも高所から導くという「文明をもたらす側」の不遜な思い込みがあってこそ成り立っているものだ。だが、科学的思考や科学技術が、物理的にも「より明るい明かり」を造り出して地上を文字通り照らし出しているという事実とその合理的な思考法が西ヨーロッパからもたらされた事実は興味深い。地球の文明化された領域は、実際問題それ以外の諸地域よりも明るく照らし出されている。それは夜間の航空写真(図版1)によっても赤外線カメラによる地上の熱映像からも明らかである。文明は人類の心に目を与えたと同時に、物理的な光をももたらしている訳である。

そして、宗教家や神秘家が競って追求し、また記述して来た「神秘の聖なる光」(第二の光)への信仰は、地上的で人為に由来しながらも第一の光とは全く性格の相違する物理的な光(第三の光)の生産へと、人類を多いに掻き立て刺激して来たのであり、またその窮極的な結果としての超越的・非日常的な<光>さえも「粒子の抽出」によって最終的に獲得した。そしてその最終的で最も強烈な光の製造は、人間の貴賤を区別することなく、無差別に、平等に、「光の元に晒す」ことをほぼ理論上可能とした。

エリアーデの言うところの「光の分離」の多義的価値は、まさにこの事実を度外視しては意味をなさない。もう一度牽く。

われわれは原人の救助をモデルに形成されたアダムの救済物語を、改めて取り上げるつもりはない。しかし性的本能の魔性が、人間の起源をめぐるこの神話の論理的帰結であったことは言うまでもない。実際、性交、特に出産は悪である。なぜなら、それらは光の監禁状態を子孫の肉体の中にまで延長するからである。マニ教徒にとって、完全なる生とは不断の浄化、すなわち物質からの霊(光)の分離をいう。救済は物質からの光の決定的分離に対応し、つまるところ、世界の終焉に対応しているのである。
前出 第六章「霊、光、タネ」よりp. 176-177

ここで書かれている「光/霊」というものが、「異なる三つの光」をめぐるものであることは、既にわれわれにとっては明らかなのである。われわれは地上に縛られた第一の光によって天上の第二の光に近づく。そして第一の光の窮極的実在である第三の光の獲得は、われわれを等しく第二の光の世界に連れ戻すということなのであった。地に生き、生を愛するなら、われわれが「光」を峻別しなければならない理由がまさにそこにあるのである。

グノーシス説もマニ教も、世界は悪魔的な力、アルコンたち、あるいはその指導者である造物主(デミアージ)によって創造されたと考えた。この同じアルコンたちが後に人間を創造したのであるが、それは天から落ちた神的「閃光」である霊(プネウマ)を監禁するために他ならなかった。(略)救済とは本質的にこの神的天界的な「内なる人間」を救い出すことであり、彼をその生まれ故郷の「光」の国へ連れ戻すことを意味している。
前出 第六章「霊、光、タネ」よりp. 179-180


図版1(第一の光)
米軍の気象用DMSP衛星が撮影した「夜の地球」の写真。文明の分布図がそのまま実際の夜間の光で表されている。
引用先

図版2(第二の光)
三重県名張市・栄林寺の木造阿弥陀如来立像「慶長十四年(1609)八月彼岸堺の住人休味作之」
引用先

図版3(第三の光)
ICBMタイタンの打ち上げ実験。「第二の光」の到来を実現する「第一の光(文明)」の究極的作品。至上権象徴物。

参考:機能していない大陸間弾道弾(ICBM)を販売するオークションサイト(多分冗談)

13:27:00 - entee - TrackBacks

2006-01-19

芸術に関するコンラッドの思想的断章

Joseph Conrad (1857-1924)

最初に断っておく。私はジョゼフ・コンラッドの愛読者ではない。したがって、これは彼についての詳しい知識に裏付けられてのメモではない。むしろ彼の著書を今後きちんと読んでみようと思わせた端緒のひとつである。今回は、彼の極めて重要と思われる思想的断章を2つの見出したので、それをそれに対する自分の感慨とともに備忘録として残しておく。

“Heart of Darkness”(『闇の奥』という翻訳がある。映画『地獄の黙示録』の原案となった中編小説)を書いたジョゼフ・コンラッドはこのようなことを書いている。時代を反映してか、あるいは英語が母国語でない人にありがちなこととしてか、やや晦渋な表現だが通して読んで頂ければと思う。

All creative art is magic, is evocation of the unseen in forms persuasive, enlightening, familiar and surprising, for the edification of mankind, pinned down by the conditions of its existence to the earnest consideration of the most insignificant tides of reality.

すべての創作芸術は魔術である。それは存在の条件によって最も取るに足らない現実世界の潮汐についての生真面目な配慮のために身動きできなくなってしまった人類の教化のための、啓蒙的であり親しみも驚きももたらすといった説得力のある形式によって、見えざるものを眼前に呼び起こすものである。(拙訳)


ここには「啓蒙的」といういかにも欧州人的な表現が垣間見られるものの、むしろ欧州人自身を含む「人類」(というより、むしろ欧州人をこそ指している)という取るに足らない存在を教化するために必要な何かであり、それは魔法なのだという主張である。人類(西欧人)が自由を失って、束縛された仕方でしかモノを見ることもできないという現実についての慧眼がある。そしてそれはとりわけ西欧的文化の影響をすでに深く被っているわれわれ全体に関わる問題提起として読める。

ポーランド出身のコンラッドが英語で文章を書き始めたのは英国船に乗り始めて以来というから、おそらく17歳になって以降の話だ。もちろんもっと若い時点で英語の研究は開始していた可能性は大だが、コンラッドにとって英語が母国語でないことに変わりはない。彼は英語圏の読者を彼の「英語」を通して魅了したが、その伝達手段としての「英語」はコンラッド自身にとっては第二/第三外国語であった。彼は(われわれ好みの言い方をすれば)「東欧出身者」なのであり、決して西欧を(もっと正確には英語圏を)代表する発言者(物書き)ではなかった。そして欧州人が西洋に非ざるものと邂逅するときの衝撃を、そもそも主たるテーマとしている(らしい)。

東欧出身者が西欧(西ヨーロッパ)に出会う事自体がひとつの文化的衝撃である。これは以前にも取り上げたジョーゼフ・ロートも積極的に取り上げたテーマである。ロートは英語作家ではなかったが、彼の<西欧>へのまなざしは、極めて局外者からのものに近かった。非西欧がすべからく「東洋」であるという思想的定義が可能なら、第二次大戦以前の東欧は、まだ立派に「東洋」の一部のような場所であったのである(西欧化されていないという意味で)。*

話が逸れた。コンラッドの著作は実際に噂でしか非西洋的なものと「出会う」ことができなかったほとんどの西欧人にとって「異質なものとの出会いで生じる心」をあぶり出す極めて重要な意味を持ったものであっただろうし、彼らにとって重要かつ新たなる思惟の好機となったはずである。

現在ではほとんど「英米文学」のひとつに分類されていてもおかしくないコンラッドの英語の小説は、英米人を教化するための、英語で書かれた、非西欧人による文学、すなわち英語圏人にとっての「外国文学」だったのである。

次に上げる一節にも英語の物書きでありながら、想定している読者は外国人としての英米人であったのではないかと思わせるひとつである。

... Art itself may be defined as a single minded attempt to render the highest kind of justice to the visible universe, by bringing to light the truth, manifold and one, underlying its every aspect. (from Preface "Children of the Sea")

芸術そのものは、世界のあらゆる形勢において内在している、多様にしてかつ唯一の、真実に光を当て、至上とも呼ぶべき公正な判断というものの有り様を、目に見える世界の中へと描き出すための、二心なき試みとして定義できるかもしれない。(拙訳)


つまり現実とは異なった次元で実在する真実を垣間見させるものこそが芸術の目的であり、そうしたものを可能にしようというまったくひたむきな努力こそが、芸術行為と呼ばれるに相応しいものだとコンラッドは言っているのだ。

われわれが既に知っているように、むろんこれだけが芸術の定義である訳ではない。だが、真実を垣間見させることが芸術であるという芸術の定義の重要部分に関しては、いわゆるイコノロジーやシンボロジーを評価する立ち場にある私にとってさえ極めて深く共感を覚える部分である。

芸術は、目に見えざる未だ実現されていない何らかの理想像・真実像(イデア)を知覚化するための「二心なき試み: a single minded attempt」であるという表現は、とりわけ感動的でもある。このように芸術の真の目的を知っている人物による創作行為には、表現というものを通して悪しき個人的意図を実現させようというような利己主義は介在しない。

だが考えてみれば、そもそもこうした象徴物の存在というのは、こうした表現方法の文法ともいうべきものを包括的に理解し自覚した者によってのみ操作されてきたのではなくて、極めて広い種類の人間(子供、心身障害者、そしてアマチュアから専門家まで)の表現への参加、そして目的を自覚しない創作活動によって実現化され、また歴史化されて来たものだ。巧緻を凝らさない素朴な表現物が(あるいは全く素朴とは呼べない概念を含みながらも「素朴な表現物として」認識されつつ)古くから伝えられ、われわれの耳目にも触れるのである。

集団的浄化儀礼」のシリーズで展開して来た「Ω祖型」に関わる図像解釈、そしてその現れ方の構造の解明というのは、それが自明な人々にとってはもはや「解釈」でさえない。まったく揺るぎない「規則」とも評価されるべきものである。一見無関係に思える時間や空間を隔てて存在するあらゆる象徴表現が、同じ<題材>の実在を伝えるためにその形状だけを保存して来たものだ、というのがシリーズを通しての主張だった。

それら表現物の構造が規則(文法)として感得できないのは、それを横断的に把握するための分野超越的な「ある程度」の知識と、最低限の観想がなかっただけなのである。そして、まったく不可解なことは、そうしたことについて集中的に考察して来なかった人々によっても、その祖型的図像の影絵のようなプロファイル(横顔)イメージが、ほとんど強迫観念的なまでに反復的に共有されているという事実なのである。

どのようにしてそうしたことが可能だったのかという伝達の原理(理由)についてではなく、それのエポックに向かって驀進する人類が、留めようのないその<象徴的表現>の潮流の実在と超歴史的「反復」を深い無意識のレベルでは識っているということについて、示唆しているいるのではないかと思われる。そして、コンラッドの言及する意味のものが、芸術の真の目的であると言うなら(そして疑いなくそうなのだが)、まさにこうした象徴的表現こそが芸術の名に値するものだということを彼自身も知っていたということなのだ。

*「欧州」はウラル山脈以西のいわゆる最も一般的な意味での「ヨーロッパ全体」を、「西欧」は「西ヨーロッパ」を指す。「西洋」は漠然とした「東洋ならざるものの全体」、とりわけ白人文化・白人居住地域ないし国土を指すのかもしれない。その点では米国も「西洋」である。少なくとも「西洋文化圏」である。ただし「西洋」という言葉の定義は、場合によって「西欧:西ヨーロッパ」という意味でも無批判に使われて来た可能性がある。また逆に「西欧」が単に「西洋」という漠然とした意味合いで使われて来た可能性もある。だがここではある程度の精度で定義可能な用語である「西欧」は使用できるものとして考え、「西洋」のような多義的に解釈できてしまうような用語をできるだけ排し、特別な意図がない限り使わないことを心がけたい。








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2006-01-01

元カレンダーから始まる新年

商業主義と結びつかない限り、節目や儀礼というものは無駄なものではない。それどころか、われわれに様々なことを気付かせ考えさせる契機となる。ただ、今日では「節目」が商取引と結びつかないではいられないので、夏至祭(降誕祭)や正月の儀礼までが、反商業主義という「ほとんど絶対的な良心」によって批判されてしまうことがある。ある程度仕方がないことであるにしても。

自分が提唱する元カレンダーについては昨年も数度言及していたが、今年の1月こそ、まさにこの「元カレンダー: archetypal calendar」なのである。これは先月、12月25日が日曜日であった時点で分かってはいた。

いずれにしても、元カレンダーが巡ってくると、第1日は日曜日。すなわち、当たり前な話だが、こうした月には「6日は金曜」だし、もちろん「13日は金曜日」になる。これは縁起が良いの悪いのといった「迷信」とは(基本的には)関係がない。問題は、われわれがその祖型的カレンダーから何を受け取り読み取るか、なのである。

まだゆっくりご覧になっていない方は、お休みを利用して(?)ぜひ「元カレンダー」と第三周の世界あたりを読まれたい。というか、暦茶碗を取り上げた集団的な「浄化」儀礼と<宝珠>の伝えるもの[1]あたりから、読んで頂けたら本当は大感謝なのである。

今度「元カレンダー」が巡ってくるのは10月である。だが、こうした元カレンダーが新年の最初の月(正月)に巡ってくるのはそうしょっちゅうあることではないだろう。まさに「正月: correct month」の名に相応しい巡り合わせである。

節目を思い出させてくれる節目に相応しい「祖型的な暦」が、皆さんのお宅の壁にぶら下がっている新しいカレンダーによって示されている筈である。

賀正 2006




11:31:51 - entee - TrackBacks

2005-12-11

金剛への第一歩
Ω祖型とは何か[2]
Archetypal Omega or the Omega Archetype

[随時推敲中]

ギリシア語アルファベットの最終文字“Ω”の「omega」という名前の由来だが、Douglas Harperによれば、まずは「o-mega」すなわち「大きなO」「大文字のO」から来ている。そしてそれは「オー」という「伸ばされた母音」を意味する「長いO」をも意味したという。

実際、人類の最初の言葉は驚きの音声、どよめきの「オー!」から始まった。「オー」は英語では「awe」(畏怖、恐れ)に通じ、それは驚嘆の音である。それが「awesome」(畏敬、見事な、素晴らしい、酷い、無茶な)、「awful」(とてつもない、恐ろしい、酷い、すさまじい)などの言葉を生み出した。

“Ω”はまさにそうした「awe-mega」巨大な畏敬・畏怖を表す記号である。そしてすでに述べたように最初と最後を含む「au-m-ega」にも通じる。
________________________________________________________

今回は、「Ω祖型」を伝える図像を具体的に上げて行く。そしてわれわれにとって重要と言うべき象徴的図像は、形態上「驚嘆すべき」ほどに近似しており、ほとんど全て同じ事物を伝えるものではないかと考えることが妥当であり、また一定の必然性があると言わざるを得ないのである。

その一つの根拠は、これらの図像が単なる装飾的な必要からそのような形態を得るに到ったというにはあまりに互いに近似の「文脈」において出現するものであり、また「聖なるもの」との関連抜きには顕現しないという点である。

また、ここでまさに言及した「文脈」とは、至上権表象物として、対称世界の中心に位置するものとして、対立物間の狭間に存するものとして、あるいはそびえ立つ支柱の上に出現するものとして、あるいは光輝を発するものとして、果たして上昇し下降するものとして、そして何よりも「終わり」と「始め」に関わりのあるものとして、そしてそのエポックを引き起こす要因的存在として、出現するものである。

以後、ここで引用する画像群はすべて“Ω”の形状(あるいは“Ω”の形が指し示すもの)を自然界に存在するオブジェクト、もしくは人間の作り出した「遺構」を利用して伝えようとした形象例である。

■ 貝殻

  
ここで取り上げる貝殻(shell, scallop, clamなどと呼ばれる)の文様・象形は伝統的にヨーロッパにおいては「巡礼: pilgrimage」との関連があり、とくに「巡礼者」との深いつながりがある。彼らは自分たちが巡礼者であるという「徴(しるし)」として貝殻を旅行鞄や持ち物に付けた。そして巡礼の道行きにおいて沿道の信仰深い支援者は、その徴によって巡礼者たちをその他の人々から区別した。

紋章においてはこの帆立貝の貝殻を上下転倒させた形で図像化されたケースが多い。また、後に「スペイドのエース」でも言及する様に、その貝殻の紋章自体の中に「波頭」形状の巻き上がる渦巻き(波頭形状)を含んだものがある。

□ 貝殻(二枚貝)の典型的な紋章 (heraldry)
貝殻の紋章(参考)と巡礼との関連
聖ヨハネ、そして巡礼者のシンボル
聖ヤコブのシンボル
洗礼(Baptism)のシンボル・水による通過儀礼
日本の故事における「貝殻と巡礼」の関連が見出すことが出来る。

だが、ここで言われるところの「巡礼」とは、単なる実在の聖人と関連づけられた土地への参詣のための道行きということばかりではなく、「聖なる大地(地球)への巡礼」であり、それはかつての人類が歩んだのと同じ道をわれわれが「歩んでいる」ことに対する自覚の表明である。それが「犠牲によって聖化された土地:われわれの住む地球」という秘密への参入を告白するシンボルなのである。

 
ロイヤルダッチシェル:100 years of the Pecten


■ 西洋アザミ thistle

スコットランドのナショナル・フラワーであるアザミ(thistle)についてはすでに若干取り上げているが、これも典型的な「Ω祖型」を伝える図像として利用されている。多くの紋章においてもその花の付近まで「腕」を伸ばす左右の二葉によって「波頭とフィニアル」のバリアントとしての対称図像を成しているのが観察される。
某ハンドクラフトメーカーのサイトのアザミもアザミ紋章の伝統を踏まえたもの。
 
Periwinkle Promises に掲げられている刺繍デザインも、具象性よりも、そのシャトルコック状の「象形」を伝統通りに伝えることに傾注している。この拡大写真を観ると、このアザミの花の中にさらに小さなアザミが含まれていることが分かる。これは典型的なΩ祖型的な「入れ子構造」を保持した一例であると観ることができる。
  

アザミ紋章において、当然アザミの花が「フィニアル」である。そしてそれは正に「Ω」が転倒して重力によって降下しようとしている「下向きのシャトルコック」であり、それを顎(ガク)が支えるという形状であり、言わば「宝珠とそれを支える請花(うけばな)」の関係を成しているのである。日本の「フィニアル」参照。

下のDariune伯爵の紋章にも観られる様にアザミ自体が「至上権」を表す象徴となっており、それは紋章の頂点に来臨するものとして描かれる。


さらに次のDuncan MacFlandryの盾の紋章(左下)においてはこのアザミの花が3つ組み合わさり、あからさまに「三位一体」を表現している。色も「緑」が基調である。また、右下のMarch of the Thistleに至っては、アザミが連結し左右(上下)、すなわち両端方向に引き合う形になっている。これはほとんど三鈷杵そのものと言ってもいい。当然金剛杵の中心の軸(独鈷杵なら杵そのもの)に当たるのは、アザミの花自体ということになる。
 


■ 収穫麦の束: a sheaf (sheaves) of wheat
収穫された麦を束ねたものは、「A sheaf of wheat」と呼ばれる紋章のひとつのパターンである。上部先端が丸くなっていて中央部は縄で絞られている。黄金色に輝く麦の穂があたかも炸裂しているかに見えるこの形象は「支柱と光輝」の範型にきわめて近いものであるが、その基本は中央部(下部ないし上部)で縛られている形状であり、「貝殻」や十二使徒のひとり聖マタイの「現金袋」(moneybag, moneysack)とも類似のものである。参考:十二使徒の他のシンボルも観ることのできるサイト

 


マタイが税収家を職業としていたという故事に倣い、そのシールド状の紋章も3つの巾着のような現金袋が彼のシンボルマークとなっている(絞られている箇所は上部である)。同じく十二使徒のひとり大ヤコブのシンボルが3つの貝殻(escallop)であるように、一見したところその2つに余り違いがないように見える。

下に観るのは「収穫麦の束」が紋章となった例である。ペンシルヴァニア州の州旗である。ほとんど意匠の詳細が分からない場合、ほとんど「鍵穴」の様にしか見えないが、3つの「束」を紋章中に入れ込むことで三位一体を表現すると共に、その意図を強調している。(むしろ、その詳細が失われた時にその形象の本質が浮かび上がるのである。下図:赤い○で囲まれたところ

  
 
上:ペンシルヴァニア州の紋章


■ 茉莉仙桃(ジャスミン・セントウ)

「花茶」と呼ばれる中国茶は、花火や薬玉に通じる中国の古い伝統を感じさせるハンドクラフトの一分野と読んでも良いような世界である。茶の湯が洋の東西を問わずひとつの意味深い儀礼として始まり、また「お茶の間」にて親しまれてきたものであるが、中国茶の世界にもこのような「Ω祖型」を鑑賞させてくれるものが存在するのである。茶碗ではなく、「茶」自体にその形象が閉じ込められていた。ジャスミン茶が「茉莉」と表記されること自体にもさまざまなトピック立てが可能なのであるが、それらには深入りせず、ここではその熱湯の中で「展開」し、湯の花を咲かせる茉莉仙桃の様子の画像だけを楽しんで頂くこととする。

湯に浸ける前の茉莉仙桃(花火の弾丸のようでもある)


湯に浸けられて解れた「弾」が湯中で花を開かせる様子。円形で重みのある方が下を向き、上向きに炸裂する「花」を咲かせる。中央は絞られたままで、まさに「収穫麦の束」と同じ形状を維持する。香りだけでなく視覚的にも訴えかけるもののある茶の湯である。


■ 打出の小槌

「打ち出の小槌」もまた「切り札」的な役割を果たすひとつの奇跡の道具であり、ドラマの最終場面で「解決」をもたらすDeus ex machinaとして働く人智を超えた機能を備える。そしてそれはエピソード中でも「金」との関連がある。形態的には頭頂部と基部が三つ又に分かれた「三鈷杵」あるいは「トライデント:三叉銛」を思わせるもので、その上半分が貫かれた「槌」になる。

 


この図版にもあるように、この小槌自体が「宝珠」であるという伝統的理解の反映がある。そして「打ち出の小槌」自体が「Ω祖型」を伝えるための「支柱と光輝」の表象パターンを受け継いでいる。そして屋根瓦という「日本のフィニアル」の「鬼の面相」にも置き換わるものとして頻繁に登場する。小槌は高い天上にてわれわれの頭上に「恩寵」を降り注ぐべく「振り下ろされる」のである。



■ 鍵穴の象徴

 
Martin Laytonのアートにも観られる様に鉱物からくりぬいた鍵穴は天空から下降する「人知の結晶」となる。

そして、この鍵穴状の形はアメリカ先住民のキヴァと呼ばれる儀礼用の掘削穴にも観られる。チャコ文化国立公園内のCasa Rinconadaのキヴァは、そのまま「キーホール・キヴァ」と呼ばれるのである。この形で伝承しようというのがその儀礼の目的なのである。



■ 前方後円墳

そしてΩ祖型のひとつとしてわれわれが忘れてはならないのが、世界最大級の「墳墓」とも呼ばれることのある仁徳天皇陵を始めとする、いわゆる「前方後円墳」である。

「前方後円」という名からは向かって上に当たる方が「方形」(角張った方)であり、下にあたるのが「円」と考えられていることが伺えるが、「前方後円」なのか「後方前円」なのかは議論の余地のあるところである。だがそれでもなお、図像の天地をどのように考えるかはこの際、われわれの議論にはあまり関係がない(あるいは向かって手前にあるものが「前」であり、奥にあるものが「後」であるという考えもできないわけではない)。確かにそれがどちら向きに受け取られるべきであるのかというのは、象徴意味上無視していいわけではない。ここでは深入りしないが、事実、Ω祖型が上向きなのか下向きなのかということは、それを伝達しようとするものにとってなにがしかの意味があったからである。

しかし、大抵の空撮された図版を見ると「円」の方が上(前)に位置されているのである。だが、それがどのように呼ばれようと、この図像を通常の「鍵穴」状の向きにほとんど人々が捉えているということに注意を促すことは無駄なことではあるまい。

仁徳天皇陵

しかしなによりも重要なのは、いわゆる「前方後円墳」のその鍵穴のような形状については、その意味が解き明かされたと宣言されたことがないということである。こうした「Ω祖型」という一連の図像形体の文脈上でそれを観察した時、そしてその「墳墓」が内部に含んでいたもの(埴輪など)を観察した時、もはや何の疑いもなく「一つの明瞭な形状(鍵穴に譬えられるような)」を伝えるためだけにそれが大規模造営によって建設された、きわめて無視できない象徴的サインであることが明らかになる。それはエジプトのピラミッドが伝えようとしていることに等しい重要性を含んだ形状である。そして、それは「Ω祖型」を伝えるための、古代の巨大造営物であったということである。


■ 壷型埴輪

  
そして、上の「Ω祖型」伝達の意図を裏付けるかの様に、最大の前方後円墳である仁徳天皇陵から、壷状の埴輪(壷型ハニワ)が発掘される。仁徳天皇陵という巨大な“Ω”の中の「入れ子」としての小さな“Ω”が発見されたのである。壷の形状は、至ってありがちなものであると言うこともできる。だが、支持台ないし窪んだ穴などがなければ自立的に立てることのできない「丸底の壷」というものは実用の面では疑問がある。この形状に実用面以外の意図が込められていると言うことである。


■ 信仰する群衆(巡礼者)の作るΩ形状

イスラム美術において「メッカ・カーバ神殿の図解タイル*」というジャンルが存在するが、その「図解」するものが「Ω祖型」に注意を喚起するものであるのは明らかである。カーバ神殿という聖地の極において、無数の人間が一塊の群衆となってこの円の中心にある「神の家」の周囲を渦の様に回りながら祈るわけであるが、その渦の核になるのがこの「鍵穴」の上半分にあたる円の中心点である。

* 2005年東京の世田谷美術館の『宮殿とモスク展』でもその事例が展示されていたのがわれわれの記憶には新しい。


La face de Dieu
この資料に記されていることを解釈するならば、カーバ神殿というのは生きた人間が群衆となって作り出す「Ω祖型」の図像であると言うことになる。そしてそれが「神の顔」であるというのだ。また、この「図解」の取り囲む様にアラビア語のテキストが配されているが、それが典型的な「円相」を成している。これは暦茶碗を通じて教示される「巡る季節と宝珠」の組み合わせを思わせるものであるが、集団的な「浄化」儀礼と<円相>の伝えるもので掲載したリース状の円環図像を模したロウソク台とも範型を共有する。

■ ローマ・カトリックの総本山

Pietro

ここではほとんどど語る必要を認めない程、明瞭なΩ祖型の徴が見出されるのである。カーバ神殿との濃厚な共通点とは、宗教の大本山に相当する場所の、群衆の集会を許容する規模の広場であるということである。

もう一つ好例が見出されたのでここに収録しておく。

Sainte Marie
図版引用先:UNIVERSITE (Francois - Rabelais Tours)


■ スペイドのエース


スペイドとは「踏み鍬(シャベル)」のことであり、その役割からすれば本来、「地を穿つもの」であるはずだが、その形状は転倒し先端が上を向いている。そしてその名の指し示すものとは無関係に、上空に燃え立つような樹木のような黒いプロファイルをシンボルとして固着した。

本来、トランプのシンボルについて言及し始めればカードの4つのシンボルがそれぞれに保持している「数性」に触れないわけにはいかない。しかしそれについてはここで棚上げしたとすれば、それは先端が尖っているΩ祖型のヴァリアントと言うことができる。モスクのドーム状の屋根のメナーレ(尖塔)や東方教会のドームにも似たそのスペイド記号はまさに宝珠が表すものと同じものである。それは、そのメナーレ型の先の尖った形状のみならず、尖塔を左右から支える巻き上がった装飾のパターンからしても、宝珠がしばしば伴ういわゆる「雲気」を連想させる「波頭」形状をその記号自体が含んだものと観ることができる。

ある種の石灯籠とも等しい宝珠型屋根のメナーレと三位一体を表す3つの窓穴画像引用先:islamfact.com

浜田山の八幡神社にも見られる正面が三穴になっている灯籠。北鎌倉の社寺にも多く見られる形のもの。灯がともれば三つの火の玉が浮かび上がる。当然頭頂部にはタマネギ状の宝珠が据えられる。これは前掲のイスラムモスクのメナーレと3つの窓穴と全く同じ<題材>を伝えるための象徴図像なのである。



ハートやクラブ、そしてダイアのエースがそのようなデザインにされていないのに対し、「スペイドのエース」だけがこうした例外的な扱いに与っている。そして、われわれがそのカードによって喚起される連想とは何か。それはこのカードが「ゲーム」において極めて強い「切り札」でありながら「ある種の不幸」(misfortune)とも関連づけられていることである。それは思い出す価値のあることである。

[3](最終回)に続く

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2005-11-29

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<聖婚>の伝えるもの
陽物としてのフィニアルとその周辺

 

■ 金剛杵(ヴァジュラ)の対称デザインの由来

三鈷杵、五鈷杵の中心の棒は、世界至上権を表す中心(世界軸)であるとともに、象徴的な「花」の雌蕊(メシベ)である。それは五鈷杵であれば、世界の四方向から中心へ到ろうとする複数の雄蕊(オシベ)同士の至上権獲得に関連した闘争であり、三鈷杵であれば東西(ないし南北)から中心へ到ろうとする接近と隔離(近づけられつつも離されている)の様態と視ることも出来る。

すでに観てきたように三鈷杵、五鈷杵の類は、それ自体が雷電を引き起こす「スパークプラグ」であるが、同時に中心軸を表すフィニアルとそれに到ろうとする対面する「波頭」のパターンそのものを精確になぞるものでもある。つまり、図像学的にすでにお馴染みの対称構図にするという意味でも電極の一方が複数(2本ないし4本)でなければならなかった。

このように考えた時、ヴァジュラの対称構造の理由のひとつが説明されるのである。プラグと考えたとき、電極はプラス/マイナスそれぞれ1本ずつであれば機能的には十分なのであるが、金剛杵の「電極」に電圧を加えて、それぞれの先端が十分に中心へと接近して最後に接触する直前に火花が散る、その刹那は、2つないし4つの陽極のうちのどれかから「スパーク」が発生するのである。

金剛杵による発火は至上権の獲得に続き起こる地上的なるものにとっての一大イベントとなる。金剛杵によるスパーク(火花)の発生と雄蕊の雌蕊との接触(すなわち受粉)は、同じエポックを画するイベントである。花は受粉とともにその役割を終える。花は枯れ、実や種を作り、植物としてのライフサイクルは終焉を迎え、次周の開始まで「種子」として長い休息に就く。スパークプラグは世界における「火による更新」の端緒となり、天上に届くほどの「大きな花」を咲かせる。世界の表面上にある「活動」をすべて灰の状態に戻し、次周の開始まで長い休息へと就かせる。そしてこのクライマックス的出来事は、まさに地上的聖婚と呼ばれるに相応しい。


■ 陽物としてのフィニアル

以上のように、フィニアルを植物の性器になぞらえるならば、受粉する(花粉を受け入れる)メシベであるが、動物の形体的にはフィニアルはまさに男性生殖器のそれであることに反論する者はほとんどいないだろう(ただし「壷」の暗示するものは常に「永遠に女性的なるもの」としても解釈は可能である)。そしてフィニアルが男性性器(あるいは単に性器)と形体的に似ているのは偶然ではない。花や実(果物)といった植物的シンボルと置き換わること自体から言っても、機能上の「性器」的な側面を持つことは明らかである。

文明の植物的発展、あらゆる種類の「陽的な」文明行為(天に届くような高い塔や摩天楼を建てる「男性」的行為、天に達するような飛行機械を「打ち上げる」男性原理的企て)に見られるところの、「上方に伸長し天空へと聳える」「上方へと飛翔し天空で炸裂する」。「より高く」を競うパターン、特にその伸長した「竿」の先端が「炸裂」するというパターンの男根(陽物)的な性向*というのは否定することが出来ない。

また、われわれにとっての「歴史時代」という文明活動自体のこうした陽性的(昼の時代)な性格は、さまざまなところですでに論じられており、文学や美術を通しても表現されてきた内容**であることを想起することは有益であろう。



* 参考:愛染明王と聖体顕示台に見る「台座 + 柱 + 炸裂する光」の象徴
「Ω祖型」と「柱 + 炸裂する光」の両方を性器的なものと捉えた現代美術の一例:Gilbert & George “DICK SEED, 1988”


** モーツァルトが『魔笛: Magic Flute』で表現したことも「陰」から「陽」の世界への参入を象徴的に描いた英雄譚である。夜の女王: The Queen of Night の嘆願によって、攫われた娘の救出に向かう主人公が、結局は娘を取り戻すどころか、自らが、囚われの身になっている娘と一緒に一見「悪役」風の太陽神(ザラストロ: ツァラトゥストラ)の世界に取り込まれてしまう、と読めるある種の非条理劇である。ここには悲劇も喜劇もない。「あるがままのわれわれの世界」を淡々と象徴的に描いた神秘的名作である。


■ 「武器」としての性器

一方、「男性器」と「武器」の関連というのは、さまざまなところで暗示されてきたが、特に男性器と銃・大砲(gun, pistol, canon)による比喩、武器の名前で「男性器の暗示」とするのは、洋の東西で広く観られるものである。その本質は、「弾」の飛び出す長い筒をもった形状である。性的なものと、この「終わり: final, finish, finale」をあらわす造形物の間には、かくもリビドー的としか言いようのない、いわば下位意識のレベルでのつながりがありそうことは、ここで一旦特記しておいても無駄であるまい。つまりそれら図像の表現しようとする内容とは、(神秘家ならば宇宙的とでも呼びそうな)世界規模の「婚姻:聖婚」という最大級の儀礼なのであり、それは現実の儀礼的結婚(聖婚)を通じて伝えられてきたものでもある。儀礼的婚姻(聖娼との儀礼的性交)についてもエリアーデがあらゆるところで言及している。


兵庫県越木岩神社の“男根岩”・「六甲メガリス」のひとつ

ここにこそ、あらゆる聖なる場所、象徴的表現作品群において「性的」な象徴が満ち満ちているために一面的に捉えられる性的解釈やその根本的誤謬の理由があるのである(すべてを「性的」に解釈することで説明が事足れりと考えるリビドー教説、肉体的な類似を指摘することで説明が済んだと考える身体至上的教説)。しかし、象徴図像と性器(身体)との類似/機能からだけで、これらの図像を理解したと考えることは、はやり断じて片手落ちと言うべきで、「性器を表している」という納得だけでは実は全く不十分なのである。われわれの巨大且つ複雑に発展した文明行為に於いて、それが如何なる種類の「性器」「身体」を表しているのかということまで想像が到らなければ、そのフロイディアン的な性的関連性の真に重大な意義は十全に理解されず、全人類史的な「絵」の中で、深層で、解釈できなければあまり用をなさない。だが、これについて深入りするのは、それらから「究極的に」何が読み取れるのかということを中心的課題とする本稿の目的にそぐわない。

 
左:ブバネシュワル、パラスラ・メスワル寺院のリンガ(陽物)
右:ポロンナルワ、Siva Devalaのリンガ(陽物)

「性器」を表すことは、性器自体の描写に関心があるのではなく、性器がその形体を通じて象徴的に指し示す「もの」と、こうした図像群が指し示す「こと」の両方に共有されることが存するに過ぎないことを指摘するに留めよう。

■ 「終わらせるもの」としての武器

宝珠やヴァジュラ(金剛杵)が、煩悩を断ち、現世の苦しみを「終わらせるもの: terminate」として認識されていることは、むしろ本稿におけるわれわれの議論以上に、既に広く「信仰者」が了解しているところのものである。また、愛染明王が愛欲を成就させることで現世の煩悩からの「解放」を図るというのも、すでに信仰者にとっては馴染みのある考えであろう。

一方、対称図像の中心に位置する「finial」として知られる物品が、闘争の果ての最終的な獲得物であり、闘争の勝者に与えられるもの、すなわち「至上権」を象徴するものであることもすでに観てきた。だが、この対称図像の中心に置かれるものと、門の左右脇に置かれるものが、同時に同種の物であることもすでにわれわれは了解している。すなわち、周期と周期の狭間を象徴する時間的な節である正月に、門の左右に配される門松やそのほかの七五三飾り、そして社寺仏閣の山門の左右に配される金剛力士そして狛犬も、「最初」であり「最後」である時間の結節点であり、それは橋の欄干に等間隔で配置される擬宝珠と同じ意味を持つ。

とりわけ、三本の青竹を束ねた門松が、時の終わり(Ω)と始め(α)という二つの周期の狭間(年末年始)に現れる象徴物であることはすでに見たが、繰り返すようにこの青竹を「斜めに切る」ということで得られる図像的意味は「竹槍」という武器である。そこには宝珠がそうであるように三位一体と濃厚な関連のある「防御具」ないし「武具」の暗示である。そして、二つの波頭(ないし植物の蔓)が至上権を巡って競い合うその地の中心に聳えるのがフィニアルという「壷」ないし「杯」で暗示されるある種の象徴であることも見てきた。

世界の至上権を巡る闘争は、その至上権を特定の覇者が「獲得」することによって一見終わるかに見える。完全な覇権が闘争を終わらせるという見通しによればそうであった。しかし、使われない武具はないことと同じである。獲得された武具(壷、杯)は使われずに済まされることはない。それは獲得した者によって独占され隠匿されようとするが、その秘儀は必ずや漏洩するのである。そしてその至上権を独占したかに見えた覇権者が、やがてその獲得物によって復讐される運命にある(バガヴァッド・ギーター、映画『地獄の黙示録』、フレーザー『金枝篇』、他)。それは最大規模の暴力を(身内にとっての)平和獲得の手段とする者たちの宿命である。



太陽と月の婚姻とは、宇宙的(地球規模的)な陰と陽の聖婚である。これは石灯籠にも暗示のある秘教中の秘教である。この日蝕で象徴される事態とは、まさにこの太陽と月の「婚姻」が成就したことを暗示している。この日蝕という「太陽が月によって隠される」現象は、キリストが磔刑死したときに顕われる象徴的現象でもあった。それは、陽の世界としてのもう一つの至上権象徴としての太陽が、「月」なるものに隠され、世界が暗くなることへの暗示がある。この巨大スケールの婚姻は、思弁的錬金術の伝統図像の中に脈々と受け継がれてきたものだが、この婚姻こそが、われわれ人類の苦闘と煩悩の世界を終わらせ、陽の世界の終焉と、長い日没の時代へと誘う二大(四大)勢力の「結合」の瞬間でもある。



石灯籠(左右に日と月の穴が配される):一方から他方の穴を観ると「蝕: eclipse」となる。人魂の様にも精子の様にも見える「雲気」がこの灯籠にも観察される。


ボッティチェッリ 「VenusとMars」:眠っている様に見えるマルスは恍惚境(擬死状態)にある。フェアリーは合計4人いるが、ランス(槍)を支えるフェアリーの数は3。ランスは明らかな武具であるが、その先端は法螺貝によって偽装されている。


聖婚の祖型としての錬金術的「婚姻」Johann Daniel Mylius “Philosophia reformata”



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2005-11-23

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<聖数>の伝えるもの
「元カレンダー」と第三周の世界


イエス死人の中(うち)より甦へりてのち、弟子たちに現れ給ひし事、これにて三度なり。(ヨハネ伝福音書 二一章 14節)
(磔刑死後、復活したキリストが弟子たちの前に現れたときの記述)


■ 神秘的事実としての数性

「この度」が何度目の世界なのかは誰にも分からない。仮に「周期性」を受け入れている「偉大な宗教家」にしても、具体的にはローマカトリックの枢機卿たちにさえ、果たしてわれわれの世界というのが正確に一体何度目なのかを「科学的事実」として、証拠と供に示すことはできないだろう。「世界史」の反復が事実であった*としても、残念ながらそれはどこまで行っても「神秘的事実」でしかない。「かつての世界を透視した」と主張する一連のいわゆる「神秘家」でもなければ(あるいは...でさえも...だが)、そのことの現実の証明はユングであってもエリアーデであっても可能だとは思わなかったであろう。彼らに出来たこと(そして筆者に出来ること)でさえ、思わせぶりな事実や事物といった「facts」の例証提示の積み上げでしかない。そしてそれを一つの「真実: truth, veritas」として繋ぎあわせるのは洞察でしかない。しかし「繰り返している」という人類の超歴史的な周期性は、あらゆる徴の放つ名状し難い「言葉」を通して、あらゆる時代と空間を超えて「語られて」きた。そしてそれを「表現」するにあたって、当面、今回が何度目なのかというのを「決めておく」ことは、その「隠されたもの」について語るのに便宜上有用なのである。それ以上でも以下でもない。そして、その繰り返し表出するある種の「数性」(具体的「数字」)自体が、「何度繰り返されたのか分からないが、とにかく繰り返されたのだ」という神秘的事実を指す「コード:符丁」となった。

* 死して復活する救世主という存在が、実は「死と再生」を繰り返す世界そのものの象徴であるという理解は、秘儀参入者にとって新約聖書『解読』の基本である。だが、その事自体が聞き慣れない(受け入れ難い)言説であるかもしれない多くの読者にとっては、そのように読み取れることの根拠を求めるであろう。そしてそれは自然なことだ。だが、あらゆる病の治療をし死をも克服せんと努め、現世の苦から開放すべく現れた「油を注がれた主: Messiah」という存在が、現代技術文明そのものの達成しようとしている目的と「方法的な特徴」とに合致していること(リン・ホワイト『機械と神』参照)、そして科学や技術が「偶像」として崇拝の対象となってきているかの文明への信仰と信頼(同『機械と神』:発電機としてのダイナモが礼拝の対象となっている現代世界)。そしてこの「現代人としてのわれわれにとっての主」が、ゆくゆくはわれわれが永年夢見て来たごとく、われわれを永劫に現世の苦から「開放」する解決策をもたらす未来の「上昇し下降する光輝」となることが、ほとんど約束されているかに見える以上、その「救世主」の象徴的機能を、単にデタラメな解釈であると唾棄できるほど単純な議論でないことが分かるであろう。この世界至上権の覇者(王)の殺害とその復活(もしくは覇権奪取)というパターンは、エリアーデの論述に先立つこと『金枝編』を編んだフレーザー卿によっても指摘されており、「世界の王: The King of Kings」としての主イエス・キリストの殺害とその復活は、まさにそうした祖型的「父殺し」のパターンをそのまま引き継いでいるものであり、まったく神話史の例外ではないのである(バガヴァッド・ギーターを思い出せ)。新約聖書に書かれている「記述」は、まさにわれわれの歴史的パースペクティブの中で「最新の層」に属する、西欧世界においてもっとも身近な神話なのである。もちろん、これはその神話の成立を可能にした2000年前の「史実」を契機として発展した可能性もあり、歴史的実在としての「ナザレのイエス」を全面的に否定する論でもないのである。一方、現世の煩悩苦から「開放」を試みたゴータマ・シッダールタが、仏教世界においてその歴史的実在やその鋭利な哲学とはまったく別個に、アジアの各地でその「遺体」を納めたと言われるストゥーパ(仏舎利塔)の形で足跡を残し、ひとつの「文明」を表するコード(記号)となったこともここで想起すべきである。

この「符丁」は、脱聖化が進んだ今日の世界においても、いわゆることわざや金言の類として生き残っており、それらは個人または集団における神秘的な経験について納得できる「まじない」のような説明になっているのである。例えば、「二度あることは三度ある*」「三度目の正直**」などがそれである。

そのコードナンバーとは、ここまで来れば言うまでもなく、「三」である。「3」という数字に極めて高い聖性が込められていることは多くの人々が知るところである。そしてその「3」にこそ「永遠性」の強烈な含意がある。


■ 聖数と「元カレンダ」ー

1を3で割ったその数字は「0.3333333....」と3が永遠に連なる「循環」少数である。3という数字の不可思議性と「永遠性」はこの辺りの事情によって背負わされた面もひとつにはあろうことが想像される。それはともかく、G・I・グルジェフが(彼の語るところが本当だとして)クムラン教団から伝授され、彼の「秘教的スクール」の生徒たちに教示されたという「永遠のエニアグラム」にしてさえが、3の倍数と1を7で割った数字によって得られる循環数 (142857142857142857......)を原理としたものである。しかも興味深いことに後者は3, 6, 9の3つの数字(3の倍数)を含まない。それによってダイアルのように円周上に数字を割り振り、このようなエニアグラムを描くことが可能になる。これが「3の法則」「7の法則」として知られた秘儀であり、このエニアグラムによって数字の聖性が教示されたらしい。いずれにしても、この二つの数字「3」「7」は、とりわけユダヤ=キリスト教の秘教的伝統の世界においても「聖数」として共有されているのである。

グルジェフの紹介した「オクターブの法則」として知られているこのことは、正に「7」で繰り返される周期性、すなわち「8をもって1とする」という周期性の原理なのである。これについてはさまざまな迂遠な説明がグルジェフ本人、そしてその信奉者などの解説によっても成されているが、音楽的な音階を基礎に説明されるグルジェフの「オクターブの原理」は、実際の音階(ダイアトニックスケールという代表的西洋音階)、すなわち半音のインターヴァルを2つ含むわれわれの慣れ親しんだ1オクターブの実際とすっきり合致しているわけでもなく、その説明自体を真に受ける必要は余り感じられないのである。(これについてはコリン・ウィルソンによっても同様の指摘がある。)



この二つの数字「3」「7」は、これから見て行くわれわれにとっての「元カレンダー」(暦)の中にもっとも露骨な形で顕示されるのである。

* disasters come in three // never two without a third // Why only two without three? などなど
** Third time does it. // Third time does the trick. // Third time is lucky. // Third time is the charm. などなど。


「元カレンダー」には一度言及しその一部を見てきたが、今回はこの「周期性」を検討する材料のひとつとしてそれをフルに提示する。便宜的に第4周(週)までを含んだが、われわれにとって問題になるのは、第3周までである。われわれは「六日間で世界創造をして七日目に休んだ」というユダヤの唯一神の生活祖型、および創造祖型をわれわれの生活規範として採用している訳であるが、その七日周期というものは西洋文化圏の中で、宗教行事やその他の習慣にも反映されているものである。このユダヤ教にその源流がありそうな七日周期を元に、「キリスト」が磔刑によって死に、三日目に甦ったという新約聖書上の逸話について若干の解釈をしていく。

         月  火  水  木  金   土
第1周      2  3  4  5  6   7
第2周      9 10 11 12 13  14
第3周   15 16 17 18 19 20  21

第4周   22 23 24 25 26 27  28

以下のことは「イエス」の歴史的実在を無条件的な前提としている話ではなくて、象徴的な存在の意味しか持たないものとしても、それを検討することに十分な価値があるためである。


■ 「13日の金曜日」の意味すること

イエスが磔刑に遭い死亡したのが「13日の金曜日である」という記述は聖書中にさえ直接は登場しない。ただしその当日「過ぎ越の祭り: Pesach, Passover」でユダヤ人達が忙しかったということから、それが過ぎ越の始まる当日の日没前の話だったことが分かっている。そして、過ぎ越祭の定義自体がNisan月(ユダヤ暦7月:現在の3-4月頃)の第14日のイブ(前日の日没後)ということになるので、現在のグレゴリオ暦とは関係がないものの、ひとつの月(陰暦)の13日目にあたることは聖書記述の解釈上問題がない。だが、現在われわれがそう認識している磔刑の「金曜日」については、「死して三日目に甦」ったのが日曜日であり、それがキリスト教信者にとっての聖日 (holy day)となっている現実を考えれば、やはり妥当である。そしてそれは今日、教会儀礼の「聖金曜日: Good Friday」となっている。

さて、現在のわれわれにとって分かりやすい元型的なカレンダーを想定することは今後の様々な説明のためにも有益である。そしてそれは第13日が金曜日となるカレンダーを想定すれば良いことである。そしてそれは当然のことながら、それは第一週の第一日が日曜日となる「元カレンダー」ということになる。この元カレンダーによれば、13日の金曜日、日没前(おそらく日中*)は第二週の安息日(土曜日: サバト)の前日である。このカレンダーを基礎にその後の「キリスト」の動きを考えれば、彼が復活を果たしたのは15日の日曜日ということになる。そしてこの「15日の週」(第三週)がわれわれの世界ということになる。

* 十字架上で死が訪れた時、それは日中であるにもかかわらず「暗くなった」という記述があるため。おそらく日蝕が暗示されている。もちろんここには歴史的事実としてのイエスを想定する必要のない象徴的記述として受け取ってこそ諒解することのできる秘儀がある。

そしてこの日曜日はイースター: Easter Sundayとなる。以上の儀礼の流れは今日の太陽暦とはなんらの一致もないので、現実的な儀礼上の日にちは毎年変わる。したがって言うまでもなく聖金曜日が必ずしも「13日」になる訳ではない。しかし、このカレンダーを元に陰暦(月の満ち欠け)に当てはめれば、どのような「祖型的な時期」を反復的になぞるものなのかを理解することが容易になる。

そしてもし、キリストの死が世俗間における伝承の如く、「13日の金曜日」であると仮定すると、現在のわれわれがこの元カレンダーで示された歴史的時間の「どの地点」にいるのかを推量することさえ可能になる。ここでは詳述しないが、結論から言えば、世界の時間的な象徴群の指し示すところによれば、ほぼ「20日の金曜日」に近い(あるいはすでに20日の金曜日な)のである。われわれの世界は第三周の金曜日に差し掛かっていることになる。つまりここから「神々の安息日」は近い、つまりわれわれにとっての「休息」の到来は時間の問題である(末日)という論理が導引可能となる。

「歴史の終わり」をある程度正確に占うためには、その背景に「祖型と反復」のパターンというものの認識が前提となる。まったく反復のない直線的な時間しか存在しないと考える世界観の中には未来の予測も占いも成立しないのである。つまり末日的(終末・周末的)な預言というものには、こうした周期的時間という時間の祖型的パターンに対する強い認識と自覚を伴っていると考えるべきなのである。

このように考えた時、この時代におよそあらゆる種類の新興宗教団体が登場し、終末論的トーンの予言が出てくるのは、ある程度まで「理にかなったこと」と言っても良い。彼らにはこうした「周期的時間」に対する強い自覚がある。そして、その根拠は宗教によってそれぞれであろうが、その神秘性はその根拠を部外者が包括的に理解することが困難であるからに外ならないのである。だが、ここで行っている一連の象徴解釈は、いくつかある鍵の中でも、それを可能にする「もうひとつの端緒: another one of clues」なのである。


■ 歴史の三層構造

また、この第三周にあたるという歴史の積み上げた三層構造の徴というのはローマカトリックを始めとして多くの宗教的な象徴図像の中に見出すことができ、またさまざまな現代美術の中にも見出すことができる。

ローマ法王のティアラの写真
 
左:ローマ法王グレゴリー16世のティアラ 右:ティアラを冠るローマ法王ピウス12世


上:ローマ教皇庁の盾の紋章 (Court of Arm)。ティアラが正に主たる要素となっている。それほどの「意味」を伝える皇冠なのである。

この「三重冠」としても知られる「教皇冠」は、ラテン語で「トリレーヌム」、イタリア語で「トリレーニョ」と呼ばれ、宝石で装飾された三層構造の冠である。ビザンチン、あるいはペルシャに源流があり、今日の世界では「教皇制度の象徴」と考えられている。
The Papal Tiara, also known as the Triple Tiara, in Latin as the 'Triregnum', or in Italian as the 'Triregno',[1] is the three-tiered jewelled papal crown of Byzantine and Persian origin that is the symbol of the papacy.
つまり、「Tiara」の語源自体に「3」の意味合いがある。イタリア語の「tertio」は「三番目の: third」の意味。

また、日本原子力研究所の高崎研究所にはTIARA (Takasaki Ion Accelerators for Advanced Radiation Application)という施設が設置してあることは特筆すべきである。
高崎イオン照射研究施設のウェブサイト

新しいものでは、この三層構造、ないし「3の数性」を強く保ったものに日蓮上人の意を汲んだというある新興宗教団体の月刊出版物の名称がある。


フランク・ザッパのアルバム「Civilization Phase III」


■ タローの三層構造

そしてもっとも元型的と呼ぶに相応しい「周期性」を反映した美術品(古文書)がタロー(タロット)である。これは愚者: The Foolの三週間に渡る「時間の旅」と、その間における注目すべき人物との「邂逅」「意識の成長」「建設」「破綻」などの時間的過程が描かれるのである。タローの中でも中核となる「メジャーアルカナ」と呼ばれる22枚のセットは、まさにどのカードにも属さない原型的な「ジョーカー」としてのThe Foolとそれを差し引いた21枚のカードによって成る。そしてこの21枚とは7の三倍、すなわち三週の時間経過を表すのである。それは下に示すようにまさに「元カレンダー」のように並べ直すことが可能である。


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ここにもそれぞれの週(周)における第六日(金曜日)にあたる箇所が、「死」(もしくは「聖婚」)との強い関連があることが明示されている。それは「赤」と「青」の死を賭した「聖婚」、「火」と「水」のぶつかり合い、「太陽」と「月」の合体、という最期的なイベントであるから、その結合こそは、偉大な者の婚姻(絶頂)、そして小さき者(われわれ)の無数の死なのである。「我等の死が神にとっての栄光である」という原理主義的な信仰も同じ根を持つ。


■ 「三度目の正直」としてのわれわれの世界

「茅の輪くぐり」が円相と3回繰り返される反復と関連があることはすでに言及済みである。ここには超歴史的文明が「3回繰り返した」と解釈されてもおかしくない徴がある。一方聖書に戻れば、冒頭に引用した「ヨハネによる福音書」の一節は、唐突に挿入される復活後のイエスに関する記述である。これは確かにイエスが復活後に弟子たちの前から姿を消してまた現れるのを三度繰り返したとも読める。だがもしそういう事ならば敢えて記述する意味がない。「復活して後、弟子たちの前に現れた」のをすでに三度繰り返していると解釈しなければ、そこには何らの深い意味を見出す事も出来ない。そしてそれは言語化されなければならなかったのだ。無意味な記述など1行もない練られた末の「ヨハネ伝」であることを思い出さねばならない。

だが、その上で、真に問題なのは、その回数ではなく、繰り返されている歴史的祖型がある、という一点なのである。


「The End」石塚俊明(原画は渋谷のアピアにて観ることが出来る)



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2005-11-12

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<支柱と光輝>の伝えるもの
愛染明王と聖体顕示台に見る「台座 + 柱+ 炸裂する光」の象徴

 

 

上左:「絹本著色愛染明王像」小浜市金屋 高野山真言宗萬徳寺
上右:サウスキャロライナ州の州旗「パルメットと月」のシルバータブレット
直上:40フィートある純銀の「モンストランス」Cathedral of Seville



■ 「柱 + 炸裂する光」の原型的図像

蓋のついた杯、もしくは壷。西洋において「フィニアル」の名称で知られる「器」の図像。これらはそれが有用な使用に供されるとき、その蓋は開けられなければならない。杯にせよ、壷にせよ、それらの内側には「中身」がある。蓋は開けられて、中身が外に「開放」されてこそ、その器の用は成就するのである。そして古今東西の器をテーマとした(あるいは含んだ)図像にはその中身についての(言語にならざる)「言及」を見出すことが出来る。それを見ていくのが今回のこの論述の目的である。

ところで、後に詳しく論じることになる「Ω祖型」のもうひとつの側面に「柱 + 炸裂する頂点」という図像的パターンがある。立ち昇って行き、中空で炸裂するという劇的で「分かりやすい」イメージである。このイメージは世界中の極めて広いエリアで観察できる。特に西洋においては紋章学的伝統の中に多く見出される。そしてそれらの多くは植物との関連が濃厚である*。

* これは生まれ、「幼年期を過ごし、青年壮年期を経て、病の時期があり、やがて種を残し、滅ぶ(自滅する)」という人類の文明進化のパターンが、他でもない「農耕の発見」を契機に開始された文明:人類の歴史時代そのものと関連しており、またその人類史が植物の1年という長いライフサイクルと呼応するという点でも、一定以上の必然性を持っているのである。(植物的文明が内包する植物のライフサイクルという入れ子構造)

天空へと真っ直ぐに(垂直に)伸長する植物のイメージは、古今の東西において重要な象徴的メッセージを伝達する役割を果たして来た。そしてそれらの多くは深遠にして秘教的な、ある種の理解困難な謎として、あるいは多層的な意味解釈を許すものとして受け入れられてきた(世界軸: axis mundi, etc.)。そして、後に若干言及するように極めて分かりやすい「陽物的暗喩」にも満ちている。それらは、仏教における「蓮の花」、日本の「菊の花」や「彼岸花」、西洋の「アザミ: thistle」、あるいは「収穫され束ねられた麦*」といったバリエーションを見せる。またこうした草花の類を除くと、パームツリー(シュロ)、パルメット、フェニックス、その他のヤシの類などの樹木の形で現れる。これらのどれもが、紋章や家紋の形を採り、簡略化されたプロファイルを見せ、新しいところでは国旗(州旗)やその他の象徴的図像としても現れるのである。

樹木(シュロ)が紋章や州旗となった例:
 
上左:シュロのフィーチャーされた封印(シール)
上右:「有徳の象徴」(力天使:第五天使の象徴)エバハルト公のパームツリー



上:サウスキャロライナ州旗


銀食器「キャンディ・ディッシュ」パルメットの形状を思わせる(サウスキャロライナ州のPalmettoという名の骨董屋の商品)



サウスキャロライナの州旗は「パルメット」と呼ばれているシュロの一種である。この木は州都チャールストン市街の至る所で見出すことが出来る。特に海岸線付近には現在でも街路樹として多く植えられており、特に南国調の町並みを演出するものにもなっている。これが州旗となった事情は、それが「事実」であるか否かはともかくとして、明確なエピソードを伴っており、地元では現在でも人口に膾炙する。それは新大陸の植民地の13州が大英帝国に対して独立戦争を挑んだ時の逸話となっている。英国艦隊がチャールストンの街を砲撃した際、急場しのぎで作った砦はその辺りに多く茂っていたパルメットの木を切って作った木造だった。それはその地に他の木材が豊富になかったからと説明される。そして大英帝国海軍の艦隊からの砲撃があったときも「弾力性のあるパルメットの木」の幹で建設された防御壁が「砲弾を跳ね返した」と伝えられている。ここに、このパルメットの木に「防衛力」との関連が見出されるのである。これだけの理由があれば州旗となって後々の世代までそのエピソードが伝えられるだけの強さを持ったものとなる。

これらのどれにも共通なのは、ほぼ垂直にまっすぐにその幹を伸ばし、頂上部分で葉や枝などが四方八方に炸裂的に広がるというイメージである。そのイメージはそれがれが時としてあまりに似通っているため、その図案化され簡略化されたプロファイルからはそれぞれの植物の種を憶測したり特定することが難しいほどである。それぞれが、紋章やその他の象徴的物品として採用されるに至った固有のエピソードや歴史・神話を持つために、その紋章(象徴)を認識できるローカルな人々にとっては、それらは「特定される」必要がないほどに自明で具体的な植物を表しており、また特別な感慨を引き起こすものであるにも関わらず、それらはそうした固有の個性的なエピソード(場合によっては御利益)を超えて、あるひとつの内容ないしイメージを伝達しようとしているとしか思えないほどに、同じような形状的特徴*を備えているのである。

 
上左:スコットランドの紋章などに頻繁に登場するアザミ。上右:フリーメイソン用品店などによく売られているベルトのバックル。アザミは「定規とコンパス」の紋章などと併せて登場する図像である。「Ω祖型」に関して論じる際に再び取り上げる。

ここでは多くの図像を提示しないが、「収穫された麦」、「税吏官袋」、「アザミの花」などの紋章は、シュロの紋章に比べて、その「柱/竿」の部分が極端に短い*。だがその頂上部分の描き方は、ほとんどそれらが(アザミならアザミ、麦なら麦というように)具体的な何かを素描しようというよりは、それによく似た何かの形状を連想させることが眼目であったかのようである。それは下部に柱ないし竿の部分があるか、紐で束ねられて中間部が絞られているという描き方として共通なのである。これは、さらに後にわれわれが「Ω祖型」と呼ぶことになる後半なある形状のバリアントを検討する時に再び取り上げられるであろう。

* アザミに関しては、植物全体としてはシュロ、彼岸花、蓮に共通の伸長する「支柱」と頂上における「光輝」のパターンであるが、紋章の図案上はもっぱらその花だけ(と顎)が取り上げられる。そのようなことになったことには、花自体の形状という別の特徴が無視できないためである。


■ 彼岸花(曼珠沙華)


画像引用先:キメラのつばさ
別名「曼珠沙華」とも呼ばれ「天上の花」としても親しまれる彼岸花に対しても、その花摘みに対しては、「そんなもの取ってきたら家が火事になる」と警戒する慣習があるらしい。だがこの言い方にこそ、この花の指し示す内容に対するほとんど無意識の理解とも言うべき洞察ががあり、さもありなんと納得できるものである。垂直に真っ直ぐ伸びる茎、そして突然炸裂的に四方八方にその花弁と顎を広げる。まさに「支柱と光輝」の象徴の祖型を担う植物である。

画像引用先:明日香、彼岸花2


■ カトリック聖体顕示台の原型的図像

「柱 + 炸裂する頂点」といった象徴図像の中で言及が避けられないのが、カトリック教会に於いてしばしば登場する聖体顕示台である。ローマ法王がそれを両手で抱え額の辺りに掲げて拝礼する姿は写真や映像でもしばしば捉えられている。

  
聖体顕示台とそれに拝礼するローマ法王
http://aquinas-multimedia.com/adoration/
http://www.agdei.com/Commentary.html

「聖体顕示台」と日本で訳されているものは、「monstrance: モンストランス」と呼ばれるものである。別名としては「sunburst, sunbeam: 強烈な日光、日輪、太陽光線」など、見ての通り「太陽信仰」を思わせるような構成と意匠になってはいる(実際にカトリックの聖体拝領を古い異教 (paganism) の太陽信仰と結びつけてその類似性を論じる学者も存在する)。だが「monstrance」が呼び名としては正式かつ一般的だということにわれわれは十分に注目すべきである。

問題はこの「monstrance」という単語の語源である。現在、「demonstrate」や「remonstrate」など"monstrate"を語幹に持つ単語がいくつかあるにはあるが、それらは「見せる、顕示する、顕われる、露にする」などの意味との関連を持つ。だが何よりも深い関連のある単語は「monster」である。この古い用法(1300年頃)としては「奇形の動物」「出生異常による(先天的)後遺症を負った動物」という意味と持つ単語であり、その後、ケンタウロスやグリフィンといった「想像(神話)上の獣」の意味に転じる。1500年頃にはほぼ現在われわれが知るところの意味、「非人間的な残虐性や邪悪性を持つもの:モンスター:化け物」となる。

聖体顕示台が「獣(けもの)」と関連付けられる理由は、「獣帯: zodiac」との関連や明らかな二重の意味(聖体顕示と獣帯の機能の両方)を持つ物品が存在する事実のためである。だがその関連性は「monstrance」の象徴意図のオリジンについて混乱をもたらす要素として働いているとも言える。獣帯については確かに「空想上の生き物」12種を円環上に配置したものだという説明も成り立つ。つまりこれは西洋のホロスコープそのものである。そして、この円環状のホロスコープが顕示台状のものとしてデザイン化されたとき、それは現在の聖体顕示台のような現れをしたことも確かである。現に、輝く光線を発する聖体顕示台としての機能に加えて「獣帯の機能」が冠せられた事例があるのも確かである。

(聖体と獣帯を兼ねた画像例:TBA)

ところで、中世イタリアの画家、ジョヴァンニ・ディ・パオロの「天地創造と楽園追放」のテンペラ画(1400年代)は、「プトレマイオスの宇宙」のモデルがそのまま絵画の中に大胆に取り入れられた、その時代には珍しい「円相的」作品であり、絵画全体の半分以上をそれが占める。そしてその外周部分がいわゆる「獣帯」を含んでいたことは明らかである。現在でもその痕跡を認めることができる。しかし、この獣帯は太陽(あるいは「輝くもの」)との関連性よりは、宇宙像(宇宙の地図)との関連で出てくるものである。それは天体の運行をまさに表すのに便利な道具だからである。
(図版:ジョヴァンニ・ディ・パオロの「天地創造と楽園追放」)

したがって、「monstrance」の語源がその後の「獣帯」との関連で理解されるより、そもそも第一義的に「モンスター:化け物」の意味内容を顕わしたもので、後にそれが無意識化されたと考えるのが妥当なのである。つまり、カトリックの聖体拝礼が何を一体「礼拝」するものなのかということへの興味深い示唆がここにはある。

monster
c.1300, "malformed animal, creature afflicted with a birth defect," from O.Fr. monstre, from L. monstrum "monster, monstrosity, omen, portent, sign," from root of monere "warn" (see monitor). Abnormal or prodigious animals were regarded as signs or omens of impending evil. Extended c.1385 to imaginary animals composed of parts of creatures (centaur, griffin, etc.). Meaning "animal of vast size" is from 1530; sense of "person of inhuman cruelty or wickedness" is from 1556. In O.E., the monster Grendel was an agl?ca, a word related to agl?c "calamity, terror, distress, oppression."


■ 愛染明王の原型的図像

さて、次に検討するのは日本で礼拝の対象となる愛染明王について観ていくことにする。
http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_sekaiisan/Japanese/data/084.htm



愛染明王はそれが版画であるか絵であるかの区別と関係なく、それらの多くが平面作品として描かれる際、それらが明王自体の姿ではなく、ある顕示台とそれに載る明王という既存の立体作品を素描したような間接的・二次的な表現として出てくるケースが多い。つまり、そのような「顕示台」がまずあって、その「顕示台」、もしくは明王そのものをそのまま立体的に再現する以上に、それを二次元的な平面で模写しているものが「作品」となっているように見える。言わば、聖体顕示台自体ではなくて、あたかも聖体顕示台を観た人がそれを平面的に素描したような例が多いというようなことと考えればいい。そしてその素描自体が「愛染明王の図」としてわれわれには知られる場合が多くあるというわけである。

 
左:長禅寺「本尊・愛染明王像」戦国時代、京仏師・小河浄慶
右:奈良国立博物館「愛染明王坐像」鎌倉時代(建長8年・1256)

無論、立体表現として木彫などの愛染明王というのは各地に存在している。しかし、それを見るとなぜ愛染明王像を平面的に素描したときに現にわれわれが見るようなかたちで素描されるのかという理由が明らかになってくる。つまり、台座上に乗っている愛染明王自体だけでなく、それが載っている台座、そして柱も図像の重要な要素として描写されることが「全体の意味を伝達する」点で無視できないほど大きな意味を持っているからである。もし、愛染明王像自体だけが描写の対象であるのならば、「明王だけ」を描いた版画や絵画のような平面作品がもっとあっていい筈なのである。それでもその例が少ないということは、台座自体が明王本体と同じほどの重要性を持っている、つまり台座を含む全体像を描かざるを得なかったということなのである。

また、愛染明王の坐する場所は台座の上から「垂直に真っ直ぐ伸びる柱」の上であり、見たところ「請け花」的な皿(蓮華座)の上なのである。この形状的な特徴から推し量るに、愛染明王はそれ自体が石灯籠の頂点に載っている「宝珠」の機能を果たしているとさえ言えるのである。

以上の如き迂遠な説明を要するまでもなく、いくつか図版で観て頂く「愛染明王像」からも明らかなように、「明王」と「台座」は不可分であり、台座のディテール自体にも注目を惹くだけの形態上の特徴を強烈に放っていることに気付くであろう。

「宝瓶に活けられた蓮華座上で赤い円相を光背にして結跏趺坐」すると描写される明王が、あたかも台座上に位置する優勝杯にも似た「壷」から噴射され、その頂上で膨張しているかの様に見える。こうした「壷」と「明王」のパターンは、アラジンの不思議なランプとそのランプから出てくる「魔人ジニー」との関係さえを連想させるものである。緊急事態が起こるまで、ジニーは小さなランプ中に閉じ込められていて、何かことがあるとそのランプへ加えられる「反復的な刺激」に呼応してランプの注ぎ口から「吹き出てくる」わけである。こうしたアラジンのランプに見られる象徴的元型をこの「壷」(宝瓶)が担っているとすれば、愛染明王は「緊急事態」に主人の呼び掛けに答えるかたちで外に噴出して助ける、というその機能を担っていそうなことが想像できるのである。また、結跏趺坐という姿勢からも、静的で安定的な存在性よりも、ある種の次なるアクション(行為)を暗示するダイナミック(動的)で過渡的な存在性を持っていることが想像されるであろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/愛染明王
http://www.linkclub.or.jp/~argrath/goa.html

愛染明王が「ラーガラージャ」と呼ばれるインドの神であり、日本語に「愛染」と訳されているように「愛欲」と関連付けられていることは広く知られている。愛の成就をもって煩悩を断つ(愛欲煩悩即菩提)という、民間信仰を積極的に支持する。ここには「聖婚」を肯定するある種「性的」な暗示を豊かに保持した密儀との関連があるのである。

カトリックの聖体顕示台(Monstrance)も密教の愛染明王像も、形態的には「台座」「柱(優勝杯的な壷)」「炸裂する光」という点で極めて似たものである。そして、その獰猛なる獣性の暗示も共通ということが出来る。しかもこうした言わば人間の日常的意識を超えた時に理解できる「獣性」が転じて煩悩を「焼き尽くして」現世的な苦悩から解放するという点でもその機能は共通しているということが出来るのである。

そしてそれらはいずれも武具(防御)との関連が見られ、現在でも日常的な象徴図像の中で生き生きと「顕示」されている。「台座 + 柱+ 炸裂する光」という形式は、瓶(= 蓋の取れた壷)とそこから炸裂的に伸長する植物に置き換わる例もあり、その図像も枚挙に暇がない。それはペルシャやトルコのカーペット、タイルなどあらゆるイスラミック系その他の「左右対称」の伝統的作品の中にも見出せるパターンである。そしてそれらは時代(世界)の三重構造、発芽して伸長し、上昇するにつれ、幅を広げる植物的な成長進化のパターンを直感的に表象した作品で、一群の図像グループを成している。

 

最後に見るのは現実の世界における上昇と「炸裂」の例である。今後それらはより現実に展開された壷とその中身についての言及に比重を置いていくことになるが、そのひとつの象徴的な例、そしてその意味について象徴の提示者がそれを無意識的に認識しているという一例である。

 
打ち上げ後中空で爆発事故に遭ったスペースシャトル「チャレンジャー」の乗組員を追悼するサウスキャロライナ州のコメモレーションノーツ(左)。同州出身の宇宙飛行士が乗組員であったため、名誉州市民となった。この州旗が象徴する如く、乗組員たちは、「上昇し炸裂し輝く光の玉」となったのだった。





23:39:00 - entee - TrackBacks

2005-11-09

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<対称:symmetry>の伝えるもの[4]
頂点の「壷」と「未到の屋根」(クレスト)

  

■ 西洋・近東のフィニアル

西洋・近東の左右対称図像の起源の古さについてはすでに述べた。おそらくわれわれにとっての歴史時代とも呼ぶべき時間の「始まり」にまで遡れるのではないかとさえ思えてくる図像のひとつである。ここでは、おそらくわれわれの「記録された時代」において「最古」と思われる対称図像のいくつかを見た後に、その「中心的」要素であるフィニアルそのものの詳細に迫る。

伝統工芸品の中に見出される装飾品「フィニアル」が渦状の対称(対面した)要素をほぼ例外なく伴うこと、また「局部的要素」としてのフィニアルに、どのような秘教的な意味を持った物品が取り上げられ、「装飾品」として偽装されているのかというのを見て行く。

後は、「多くを語ること」ではないことが明瞭になるだろう。これらの品々がそれ自体で通常言語の持っている伝達力以上の、ほとんど魔術的と言っても良いような崇高な力を発揮するからである。したがって、ここまで読み進んできた方々に相応しい方法として、可能な限りこうした「図版そのものに語らせる」というのが実は賢明なのである。

ナバタイ王国(現ヨルダンの砂漠地帯)ペトラの「墳墓」遺跡
ペトラは「岩山」の意。ペテロ(ピーター)と語源は同じ。ペトラの都市が存在したのは紀元前300年。いずれもキリスト教定着以前に建立されたと考えられている。中央頂点に据えられた巨大な「壷」は、見たところその下部が4つの柱によって支えられており、まさにトロフィーの原型となるものだということが分かる。その優勝杯に左右から迫るのが「クレスト」である。


エド・ディル(修道院)


エル・カズネ[アル・ハズネ](宝物殿)
巨大なフィニアルである「壷」には宝物が入っていると考えたベドウィンによって銃で射撃されたことがあると言う(現在も破壊されたまま)。動機はともかくとして、それを正確に狙ったのは実に象徴的な行為である。


瓶と呼び習わすよりはむしろ「壷」と読んだ方が適切なのではないかと思われるこの「杯」の原型的なのがローマ時代(あるいはそれ以前)のフィニアルとクレストの組み合わせである。これについては「波頭」形状よりは純粋に対称な構図と、中心に据え付けられている巨大な壷状のフィニアルに到達しようとする二つの「腕」とも言うべき「屋根」が特徴である。この屋根(クレスト)は、通常の屋根と同様、中心に近づくにつれて高くなるにも関わらず、触れる直前のところで断絶されているというユニークな形状をとる。これが「屋根」と呼ばれるにも関わらず、屋根の機能を果たしていないことは明らかで、ということは特定の意味内容を伝えるための、儀礼的機能しか持たないものであることも、ほとんど説明を待たない。これはフィニアル「寸前の断絶」にこそ意味があるからである。

関連
庭園材料のサイト
手書きのイラスト


■ 「優勝杯的原型」としての今日的工芸品(modern arts)

すでにトロフィー(優勝杯)の中に小型の優勝杯が含まれるように、フィニアル自体にもまた、小さなフィニアルが含まれるという様な一種の「入れ子構造」があることについては簡単に言及したが、それについてもいくつかの実例を見ていこう。

優勝杯自体はセーヴルという装飾的な壷(あるいは蓋を持った瓶)が原型的なかたちを伝えている。優勝杯とセーヴルは、ほぼ同じものであると言っても良いほど似た構造を持っている。これらに共通なことはそれ自体が「フィニアル」という大きな装飾要素の一部をなしていながら、それ自身の内部にも「波頭とフィニアル」と解釈できそうな要素を含むケースが多いという点である。つまり、壷(セーヴル)の左右に配される取っ手(ハンドル)は完全に対称性を強調する要素として本体に付属しており、また実利の面では余り用を成さないようなやや過多な意匠を持つハンドルには、多くの場合、濃厚な「波頭/渦巻き」形状が観られる。そして中央の頂点に位置する壷の蓋のつまみ(ノブ)は、しばしば果物のかたちを模したフィニアルが付いているのである。つまり、フィニアルとしてのセーヴルが小さなフィニアルを含んでいるのである。

 
左:フランスの磁器工房が19世紀に製作したというセーヴル(Sevre)
右:19世紀フランスのペアのセーヴル。Onyxの呼ばれる柱付きの台座に乗せられたもの。いずれもそれ自体がフィニアル状であり、その中に小さな「フィニアル」とそれに迫ろうとする植物の蔓(つる)のような「波頭」形状のハンドル(もしくは装飾)が伴われている。


茶を入れるために使うロシア家庭の食卓に見られる伝統的なサモワール (samovar)なども、こうしたセーヴル的な原型を含む壷や蓋を持った瓶のバリエーションのひとつであろう。上に見た18-19世紀に製作されたセーヴルと違って、こちらは実益に供する道具であるが、形状的には台座にあたる下部は小さくその直径がコルセットで縛られたウエストのように絞られており、容れ物にあたる部分は太く膨らんでいる。そしてその本体上部に双翼的な左右対称のハンドルが付き、そのハンドルのデザインが波頭を意識している。こうした西洋に広く見られる壷(瓶)の類は、まさにこうした優勝杯のかたちの祖型と言うべきかたちをとどめているのである。

 
ロシアにおける「茶の儀式」に欠かせないアイテム、サモワール。いずれも、左右の取っ手(ハンドル)は「波頭」形状の名残があるが、セーヴルよりは実用性が求められるため、過度にオーナメンタルにはなっていない。

上左:典型的なスチール製のサモワール。左右対称性が特徴。中央に湯を放出するための蛇口がついているのが分かる(しかも蛇口の取っ手はトリニティを顕わす「鍵」のような三輪式デザインとなっている)。それがなければ「優勝杯」そのものである。

上右:いわゆる食卓を彩る贅沢品としてのサモワール。中央頂点の部分は、ポットを保温するための皿がついており、ポットを固定すると高くポットが聳える形になる。ポットが載せられることがサモワールの最大の特徴と言ってよい。実用的ではあるが、その異様な使用方法は、象徴図像的には「大きなフィニアル」(サモワール)の上に「小さなフィニアル」(ポット)が載せられる形となる。


  


上左:銅製のサモワール。左右取っ手の「波頭」形状の名残が見える。

中央:ほとんどセーヴル化した装飾的なサモワール。これではおそらく「お湯を沸かす」ことは出来まい。

右:電気式になる前の、炭火を利用していた頃のサモワールの原理。水の中に火を入れ、湧かしたお湯は蛇口を経由してポットへ、お茶の入ったポットは中央の頂点へ、そして出てきた湯気はお茶の保温に、という、極めて実利的でいながらどこか「道教」的でも「錬金術」的でもある、秘儀を感じさせる「茶の間」の道具。


参考
Samovars: Truly Cultural Symbols of the Rus
The Russians are Here! What's Samovar


23:23:00 - entee - TrackBacks

2005-10-29

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<対称:symmetry>の伝えるもの[3]
日本の「フィニアル」



■ 日本の「フィニアル」

石灯籠が道教思想の世界観の反映であることは既に述べた。またそれが最下部から最上部に掛けて「地・水・火・風・空」を表現しているらしいことも既に知られたことである。最下部が「地」を表すことは説明を要すまい。春日灯籠と呼ばれる背の高い石灯籠の「基礎」部分には「返花」と呼ばれる装飾が見出される場合がある。確かに下から2番目の「水」が図像的には明瞭さに欠いたものである(と言うより、どこからが2番目なのかが不明瞭である)にせよ、この「竿」と呼ばれる柱の上にある「火」の部分が灯籠の機能部分、すなわち実際にロウソクなど「火」を灯す箇所である*ことは断るまでもない。これが「火袋」である。そしてその上の屋根の「軒先」に当たる部分が「風」となる。これは「雲気」を表していそうなことはその特徴のある意匠からも想像できる。これは「雲の形を切り抜いた(模した)もので、怪異や霊威などに伴って生ずる超自然的な雲」(大辞林 第二版より)と説明されるいわゆる歌舞演芸などで使われる舞台装置である。これが「風」によって渦を巻き起こしているさまである。この「屋根」の部分を石灯籠では「笠」と呼び、渦の部分を「蕨手」と呼ぶ。これは、唐草模様など渦状の意匠パターンに通じる部分があることは見逃すことができない。そしてその上に「空」に相当する品、「宝珠」が据え置かれる。この宝珠は「請花:うけばな」と呼ばれる「皿」に載せられていることがある。

参考

* 灯籠の火を焼べる火袋は正面から見ると「三つの穴」が開けられているものが場所によっては見出される。つまり火が灯されるとそこには「三つの火の玉」(三ツ星)が浮かび上がるという趣向になっているのである。火袋の背面は通常火を焼べるためのアクセスになっている。そして正面が「三つ穴構造」になっていないものでも、この「火」の左右に「日」と「月」を表す形状の穴がそれぞれ開けられているのはより一般的である。ひとつはほぼ真円型で、もうひとつは三日月型の穴である。つまり東西に上る「月」と「日」、すなわち「陰陽」が象徴されているのである。これを一方の穴から覗くと他方の穴を見ることが出来る。これは「蝕: eclipse」を顕す。陰と陽、そしてその蝕について、それらの「超史実的解釈」については、のちに時間を掛けて考察をすることもあるであろう。

石灯籠の最上部にある宝珠(空)、そしてそのすぐ下の屋根を思わせる方形(ないし六角形)の笠の形状は、寺社の建立物の屋根の基本構造と同質のものである。それは屋根の先端に当たる笠の「軒先」が跳ね上がった形状(波頭形状)であり、この跳ね上がって渦を巻いている蕨手の上の頭頂部に擬宝珠など明らかに宝珠を模した形状(フィニアル形状)を持つという共通性が見出される。

西洋の家具、わけても柱時計やベッドに見られる「クレスト」と「フィニアル」の組み合わせとの違いは、石灯籠が対称面を東西南北の4方向(ないし複数方向)に持つのに対し、西洋のモデルは対称面が基本的に正面から見られたときの1方向にしか持たないという点である。

また、石灯籠は言わば、西洋的な「四隅の世界観」に似た構造を例外的に持っているということもできるが、これは東西の拮抗、そして南北の対立を象徴しているようにも見ることが出来る。クレストとフィニアルのパターンは、石灯籠においては三次元的な奥行きと広がりを持っているのである。

 

だが興味深いことに、上のような比較を行うと、石灯籠そのものが全体としてひとつの「フィニアル」として見えて来る。つまり、大型のフィニアルに「宝珠」という小型のフィニアルが含まれることが分かる。一方、西洋のフィニアルも対称図像の中の局部的エッセンスとしてだけでなく、宇宙的な全体性を含むものにも見えて来る。そして「全体」を含むものとして捉えると、比較的大型の庭園要素としてのフィニアルには、さらに小型のフィニアルを含む入れ子構造になっていることが分かる。こうした構造は、後に「Ω祖型」と呼ぶことになる一連の象徴的図像の法則の一環を忠実になぞるものであることが了解されるだろう。


■ 鬼瓦という小宇宙

石灯籠と社寺仏閣の形状の類似は明らかであるが、社寺仏閣系の建築物の屋根瓦にも同様の要素が見られる。これはより大きな同質の世界観の中にやや小型のモデルが「入れ子状」に含まれる例である。特に「鬼瓦」の名前で親しまれて来た屋根突端部の特殊な瓦の中には宝珠か、それに準じる形状のパターンが見出される。そしてやはり瓦の意匠そのものが、「雲気(風)」をテーマにしたものであることも広く共通である。

明らかな「鬼の顔」の図像が広く一般的であるものの、中にはその顔に当たる中央の「主要部分」が家紋や屋号・家号(文字)に置き換わるケースも見られる。

例えば冒頭にも掲げ、各地で話題になっている大林組の広告に使われている「巨大な鬼瓦」もその例である。ご覧のように正面の顔は「家号」に置き換わっている。その「大林」という名前も含めて典型的対称図像となっている。偶然の計らいにしても、「林」の金文が、あたかもペアの三鈷杵のように見えることは興味深い。またこの鬼瓦はその形状そしてその主要部分の下に描かれている「雲気」のような渦巻きもよく視て取ることができる。コピーは「工法は変わっても創るスピリットは変わらない」とある。きわめてエソテリックなメッセージである。


主要部分が「家紋」に置き換わったケース。家紋を囲む周辺部分の形状に注目。後にわれわれが共有することになる「Ω祖型」がここにも見出される。


平面的なレリーフ状の鬼瓦であるがそのシンメトリカルな鬼の表情には「隈取り」を模したような「雲気」の渦が見出される。鬼の面自体が雲気を含んでいるパターン。こうした顔面を通して表現される対称図像は、古代中国の青銅器に見られる「饕餮(とうてつ)」などにまで遡ることができる。顔面図像の対称の起源については別途言及されるであろう。ここでは、「対立・拮抗」する左右(陰陽)の勢力が、波頭や雲気の渦として表され、それが一つの神的存在の「顔」を作り出すのだということを触れるに留める。


瓦の主要部分が「打出の小槌」というフィニアル構造を採っている。雲気は極めて明瞭に鬼瓦の周辺を「飾って」いる。この雲気が「小槌」という世界至上権に迫る「クレスト」の役割を果たしている。


通常の鬼の表情を描く鬼瓦と同様の構成になっているが、主要部分は単なる球体であり、その球体を屋根が守護するような形状になっている。だが、「雲気」はあくまでも左右対称にその球体に迫る。


クレスト(ペアの対立図像)とフィニアル(至上権)の三体一身の鬼瓦。対称にペアを成す「雲気」はいわゆる「獅子」(狛犬)を思わせる形状にもなっているのも注目すべきである。


ほとんど鬼瓦としての原形を留めないほどに自由にデフォルメされた鬼瓦。その対称性は希薄になっているものの、その頭頂部分に三位一体を表現する3つの円形の突起物が目立つ。

以上のように、日本の石灯籠に於ける「宝珠」(擬宝珠)と蕨手(渦、波頭)の組み合わせに見る対称性、「鬼瓦」自身に見られる「屋号・家号」などの「至上権的」象徴と雲気の組み合わせに見る対称性は、明らかであり、それは西洋の伝統工芸における「フィニアル」と「クレスト」の組み合わせに見る対称性と同じものを表しているのである。

建築/屋根関連blog


瓦(日本文化いろは辞典)



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2005-10-26

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<対称:symmetry>の伝えるもの[2]
波頭とフィニアル

■ 波頭とフィニアル

至上権を巡って競争する左右対称の祖型的パターンをより古く辿って行くと、古代ローマの建築物に行き当たる。左右対称の「波頭」(あるいは「渦」や「蔓」)と中央に据えられる「杯/壷」のパターンである。これは対面する要素が人や鳥獣から「迫り来る波」に置き換わっただけのもので、それの伝達しようとする内容は同じである。この組み合わせのパターンは無論近東や西アジアの古代遺跡からだけではなく、南米を含むほとんど世界中のどの地域にも見出される。日本に於ける社寺仏閣の瓦屋根、そして宝珠に言及した時にも取り上げた石灯籠にも見出せる。ただし、ここでは日本の「波頭と杯」「波頭と宝珠」を含む対称図像に関しては後半で取り上げることになろう。

こうした左右対称の構図はあらゆるものに見出される。
 

(上)「グランドファーザー・クロック」と呼ばれる背の高い振り子時計。左右の柱が特徴的。時間と「時間の終わり」の関連が濃厚に見られる。(下)コロニアル・ベッドと呼ばれるフィニアル付きベッド。睡眠中も頭上にフィニアルがそびえるのである。



西洋の家具や柱時計に於いてもその対称構図は非常に頻繁に出現する。モダンなデザインでは簡略化もしくは完全に失われていることが多いので、そうした「波頭とフィニアル」の要素は見出すことが難しいが、ちょっと古いアンティックなどを確認すると、いくらでも見出すことのできるものである。そして古代の遺跡はその痕跡が失われつつあるものが多く、またそのうちの多くは復元によって再現されたものだ。

しかしこうした家具において、その形状は職人達の伝統によって受け継がれた絶えざる徴として明確に確認できるのである。むろん、その徴の意味を職人が了解していたかどうか、作る対象について自覚的であったかどうかは別問題なのである。ただ過去から伝わって来た意匠を忠実になぞるということによって伝えられる<普遍的題材>というものがこの世に存在するということで十分である。それはすべての茶の湯の実践者たちが自分たちの扱っている内容について、身につけた作法以上の深い理解をしているかどうかは別問題であるのと同様のことである。

このサイトに於けるfinialの説明の冒頭は非常にアナロジカルである。「サンデイ: Sundae*(洋風みつ豆)におけるチェリーのようである」とある。つまり、このスイートはまさにお菓子によるトロフィー構造になっているのである。それはクリームやチョコレートアイスクリームの作り出す山の頂上に置かれる赤い「チェリー」によって完成する。


* 音的には「Sunday」と同じ。

この中央の物体に一歩手前まで迫ろうとする部分は「波頭」形状が一般的であり、伝統家具の世界でそれは「crest」と呼ばれる。一方、中央の「物体」はフィニアル(finial) と呼ばれる。フィニアルは、家具だけでなく、柱時計、マントルピース、建築、土木など大小さまざまな伝統職人の扱う創作物中に登場する。また、Finial*は、英語の「finish, final」と同じ語源を持つ。Fin(仏)、Finito(伊)は「終わり」の意味を持つ。つまり、中心に迫る波頭は「終わり/完」への最後の(直前の)一歩を描いているのである。家具や建築に於けるこの「フィニアル」の役割は、その製作の「仕上げ」を意味しているのであって、すべての行程を終えていよいよ作品の完成という時に、その作品の中央に据え付けられるのである。

だが、以上のような「顕教的」な説明は、そのオブジェクト自体がわれわれの内面(無意識域)にほとんど直截に訴えかけ伝えようとしている内容とのあいだで微妙な一致を示しながらも、そもそもそれが「何の仕上げなのか」という「象徴されるもの」自体の本質の全てを明らかにしない。しかし、そもそも家具(とりわけ「時計」)といった道具自体に「完了」や「終わり」を意味するものが「掲げられる理由」は、そのオブジェクト以外に求められるのである(あまりに自明なことであるが)。すなわち、「象徴するもの」は、「象徴されるもの」あるいは「象徴される出来事」を指し示すに他ならない。そしてそれらは単なるオーナメント(装飾品)以上の意味を持つのであり、「指し示されるもの」というのが断じて外在するということなのだ。

* 場合によってはクロップ(crop)と呼ばれる。「作物」「収穫物」の意味である。このフィニアルがパイナップルやその他の果物に置き換わることのできる理由が、その意味「至上権」から憶測することができる。


家具やランプシェードに付けるフィニアル(左) 建築物に使われるフィニアル(右)

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パイナップルに姿を変えたフィニアル。「クロップ:収穫物」の名でも呼ばれるフィニアル。サウスカロライナ州チャールストンに於けるジョージ・ワシントンが幼少を過ごした家が博物館になっている。その家の家具のほとんどにパイナップル状のフィニアルが付いている。それを館内のガイドに意味を尋ねると、「Pineapple means hospitality.」(パイナップルはおもてなしの意味)」であった。

後半ではフィニアルのバリアント、そして日本におけるその代替物を見ていくことにする。それは、世界中に見出される、後にわれわれが<Ω祖型>と呼ぶことになる図像元型へとつながっていくのである。


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2005-10-25

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<対称:symmetry>の伝えるもの[1]

■ 人間の図像作成に於ける対称性




つい先頃、「自然界に完全なる対称図形はない」という名言を聞いた。つまり広い自然界において、「対称」という意匠は大抵が人為的かつ抽象的なものであり、すなわち決定的に「観念的」なものであり、われわれの目にも極めて強いインパクトを持った立ち現れ方をする。こうした「強さ」を持った形状が秘儀を伝えるための視覚的手法として採用されないはずもなく、人間界における対称図像の選択とは、ある意味必然的な結果であったとさえ言うべきであろう。建築のような巨大規模のものではインドのタージマハール、カンボディアのアンコールワットなどが有名であり、それらがわれわれを魅了する第一の真相は、まず最初にその左右対称の構成(あるいは単に対称であるというよりは、「対称性」を強調する意匠)にあると言っても過言でないほどである。

■ 闘争と勝者の獲得物

勝負事の公式試合には優勝杯やトロフィーが付き物であるが、優勝カップがなぜ「杯」もしくはそれに準じる形になっているのか、トロフィーがどうしてあのような「杯」を4柱が支える形もしくはそれに準じる形になっているのか、ということについて、日常的にその「問い」に出会うことも「答え」に出会うこともほとんどない。世界の「至上権」をめぐる闘争において、最終的な覇者が獲得すべきものが「杯: さかづき, 逆月」であることは、当たり前の前提として受け留められていること自体が、特筆すべきことである。だが、その起源を探ることはさらに興味深い作業となるだろうことに疑いはない。

 


要するに、トロフィーは「優勝杯」である。いわゆる「スタンダード」タイプのトロフィーは、優勝杯を4つの柱で支えるという世界像を表したものである。

世の至上権を巡る闘争は、伝統的に「左右対称で対面するふたつの像」によって表現される。とりわけ、それは対面する2人のひと、もしくは対面する2頭の鳥獣によって象徴化されてきた。それは一部の例外を除いてはほとんど場合、同じ人間、同じ鳥獣が対面する図像によって。そして多くの場合、東西の代表的勝者が左右からそれぞれ登場し、至上権を象徴する<ある物品>に「どちらが先に到達できるか」を競う場面を描いたものである。つまり、「左右対称に配置される対立物(ペア)」に加えてその中央にそびえる「至上権」を象徴するもの(シングル)という組み合わせで登場する。こうした対称図像は世界の至る所に、そして新旧のあらゆる時代に見出されるが、それらはほぼ同様の<普遍的題材>を伝達することを明白に意図していた。

   


これは探求不足なのかもしれないが、いまのところこうした「至上権獲得闘争および獲得物」という観点で対象図像について論じられた記述にお目に掛かったことはない。

日本においては東と西からそれぞれの代表的戦士が現れ(あるいは「紅白*」に分かれ)、その力を競い合って勝負を決めるという闘争の祖型的パターンが見出されるものに相撲がある。そしてその舞台は「土俵」と呼ばれる「円相」系の限界線で区切られた「世界」で繰り広げられる**。この「世界」の覇者を決定するための長いプロセスは詳細に儀礼化されており、今日われわれの目撃する相撲も、言わば神(あるいは神格を持つとされる王)の御前で行なわれる奉納の儀式であることは広く知られたところである。それは仏教や神道の伝統というよりは、その儀式の構成要素はむしろ中国から渡って来た道教にこそその起源が求められる***。当然のことながら、日本の神道儀礼と混淆していることは否定すべくもないが、相撲には「木火土金水」の明瞭な五元素、および「東西」によって象徴される「陰陽」の要素が明瞭に見られ、茶の湯と同じく、「陰陽五行」の世界観が濃厚に反映されている。


* 相撲において、赤(紅)は「赤房」の下がる南東の角(朱雀の区域)、白は「白房」の下がる西南の角(白虎の区域)である。

** また世界各国で見出される拳闘(ボクシング)は「世界」を表す正方形の「リング」が設定され、その四隅の内の二隅(red corner / blue corner)から戦士が現れ、世界の至上権の決定をする。覇者が獲得するものは「チャンピオンベルト」という「時間的円相」(=歴史時代)である。ユダヤ=キリスト教系の世界像は、円よりは東西南北を表す四角形に親しみがある。「All corners of the world」と言えば、「世界の津々浦々」というニュアンスを表す。「From the four corners of the world」は、「世界の隅々から」となる。このように言葉からもボクシングの様式からも、世界に「隅」があるというほとんど無意識の聖書的世界観の反映が見出される。

*** 西洋の代表的宗教の秘教と「(思弁的)錬金術」の伝統との関係、密教と「道教」的伝統との関係にはある種の平行関係がある。だがここではテーマを単純化するために詳述はしない。とりあえず、ここではそれぞれの伝統や作法がその近隣で発達した宗教芸術や宗教儀礼の中に取り入れられていることには不思議はないということだけを断っておこう。



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2005-10-17

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<円相>の伝えるもの

ちょっと気が早いと思う方もいらっしゃるだろうが、これを読んでその意義を理解された方々には、これからやってくる「クリスマス」、そして「正月」が待ち遠しく、なるであろう。
[漸次推敲]


図版1

図版2
   
図版3




■「0」の発見

「ゼロ」の発見がインドで行なわれたという話は、一般教養的通念として多くの人々によって共有されているものである。確かに「0」の概念の「発見」がその後の数学の発展を根底から変えたものであることは想像に難くない。そしてそれがインドにおける数学の「極端な深化」の根本要因を説明するものだということは十分にあり得るだろう。しかしここで取り上げられる「0の発見」は、そうした事実とはおおむね関係がない。むろん全く関係がない訳ではないが、ここでは問題を単純化するために、そのことはしばし横に置いておいても構わないだろう。

歴史の秘儀に関わる分野においては、それが極めて長期にわたって「予告された」ものであったにせよ、われわれの生きる世界における具体的な「0の発見」は、20世紀に行なわれたのだ。その「発見」ないし「再発見」を予告するものは、象徴図像の中に極めて広範に見出すことができる。そしてそれら「予告」は、どれもが宗教(聖なるもの)との関係が濃厚であり、そしてとりわけ「死と再生の儀礼」そして「永遠回帰」の概念に伴って繰り返し出てくるものなのである。

そしてその本質的意味である「無」「空*」は、文字そのものの「形状 O」によってそれ以上の意味、すなわちわれわれの捕らえられている「歴史」や「時間」というものの性質を端的に表す象徴となったのである。

* 「空」は、石灯籠の一番上に載せられている「宝珠」型の物体によって表現されていることも想起されたい。

■ 夏至/冬至そして円相

日本の正月に現れるものとして七五三飾り(〆飾り)の類があり、先述の門松(かどまつ)さえ、そうした飾りの一種と考えられるのであるが、とくに神社などに現れる「円相」の類は「世界の更新」の時期(年末年始/冬至の頃)のちょうど六ヶ月前、すなわち夏至の頃、だいたい6月24, 25日から30日頃にかけて現れるもので、これは新年と同様、ひとつの周期の中間の時期に現れるのに相応しいものである。これは「茅の輪:ちのわ」と呼ばれるもので、この時期に神社に参詣した人々は、日本最古の宗教儀式の儀礼を受けることになる。この「円環」の中をくぐって厄を祓い、「浄化」されたことを疑似体験する。くぐり方にも神社などによっては詳しくその方法が説明されており、その多くは「8の字」(∞ 無限記号のように転倒しているが)を描きながら、結果的に「合計3回」くぐるのである。この儀礼が円環する歴史、過去の秘教的歴史に関わりがあることは疑いの余地がない。




「みなつきの なごしのはらえするひとは ちとせのいのち のぶ(延)というなり」。この「茅の輪くぐり」は、最初の半年を息災に過ごしたあと、残りの半年を無事に過ごして半年後の「新年」を迎えたいという気持ちの現れであると考えれば理解しやすいものの、これは巡る周期の中間点に来ており、しかも日の長さが最大であるということの明確かつ象徴的な確認であり、その日を境に日が「短くなっていく」すなわち「死に向かって行く」訳である。しかしこれがこの時期に行なわれるのは、われわれの「無事にもとの位置に戻って来たい」という願いの反映ということもできるだろう。

また、日本で「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われる6月下旬のまさにこの時期6/24-25はキリスト教文化圏においては「聖ヨハネ祭:中夏節」の日に当たる。まさに「イエスの降誕祭」と受け取られている12月25日の半年前に相当する「夏のクリスマス」とでも呼びたくなるものである。また聖ヨハネ祭の夜はまさにシェイクスピアの「真夏の夜の夢: Midnight Summer's Dream」で描かれる世界であり、恋人に「花環/花冠」を贈ったり、この夜は妖精の悪戯により魂が肉体から遊離する危険があるので夜を徹して火を焚いて騒ぐ(庚申祭*に類似する)などのことが行なわれる日でもある。

* 庚申祭は神道や仏教文化よりは、他の様々な「神事」と同様にむしろ中国から伝えられて来た道教 (Taoism)と深い関連がある。むろん、日本における道教思想が日本の古神道や大陸から同時期に伝わった密教系の仏教思想と混淆したか、あるいはすでに混淆したものとして日本に伝わった可能性が高い。

■ 日本の円相

「掛け軸」などの鑑賞作品としてわれわれの目に触れ、また茶の湯や禅の世界でも登場する象徴物が円相の書である(図版3)。これはほとんどバカバカしいほどに単純な、筆と墨でただ円を描いただけの「書」であるが、この図像はきわめて深い象徴的意味を持つ。まさに永遠回帰をその意味合いを「隠しながら伝える」という役割を果たして来たのだ。

この図版に付いて来た解説によれば、「円相は言葉で表現できない絶対の真理を仮に一円をもって象徴的に表示したもの」とある。だが「始めもなければ終わりもなく、円満具足である」とあり、顕教的には「愛でたい」ものとして一般拝受者からは有り難がられるような説明が成されているのである。

■ 欧米の円相

「円相」系でしかも年末年始に関係のあるデコレーションと言えばリース* (wreath: 花環/花冠) があり、これについて語らないで済ませるわけにはいかない。西欧ではクリスマスとの関連で毎年同じ時期に出現するものであるが、そもそもこのクリスマス自身が「世界の更新」あるいは「再生/復活」と不可分なものである。


ほとんど「絵に書いたような」典型的クリスマス・リース。「3つの火の玉」の要素が、より見事に具象化している。

ひとつにはこの「クリスマス」として現在知られる「季節的行事」がキリスト教化以前の欧州各地で見出されたペイガニズム(異教/古代の多神教/アニミズムの類)の慣習から来たもので、冬至との関連があるという説はすでに広く受け入れられるところになっている。だが、それがそもそもキリストの「降誕祭」と混淆したこと自体、両者の祭儀のあいだに本質的な共通項があったことを表している。それは「復活」をキーワードとする何かなのである。

* こうした花環は欧米においても故人の命日などに墓参した際に、墓や故人を記念する碑に供えられるものでもある。これは死者への敬意を表すると同時に、死者の来るべき日の「復活: return, resurrection」を祈念した形状であると考えることができる。

すなわち冬至は一年の内で最も日の短い日であって、「日の世界」の死のピークを意味する。当然ピークを越えるや「日の世界」は再生(迎春)に向かってまっしぐらに進むのである。この日(冬至=クリスマス)が春分や秋分といった特殊な意味を持つ区分などと同様に年の「始まり」もしくは「終わり」の時期に設定されることには一定の必然性があるのである。

■ 12月25日という日が「降誕祭」である理由[補遺]

実際は、その日が「主イエスの誕生日」であることには何らの歴史的根拠も、ましてや聖書における記述すらないのであるが、「降誕祭」を太陽暦の12月25日という具体的日にちに設定したことは、別の面で合理的と言える。ここに簡略化されたカレンダーの一部を用意する。共通の聖典に起源のある3つの宗教においてさえ「聖日: holy day」の曜日が、それぞれ、ユダヤ教(土曜日)、キリスト教(日曜日)、イスラム教(金曜日)という風に異なることもあり、何曜日を「週の始まり」にするのかというのは議論となりえるところである。だが、日曜日が週の第一日であるという旧約「創世記」の伝統に基づき、週の第一日が月の第一日と一致する(つまり月の第一日が日曜日である)カレンダーを用意する(今後も同様の暦を引き合いに出すことがあるので、読者の方にはこの《元カレンダー》に慣れて頂く必要がある)。この場合の安息日は土曜日(サバト)となる。

その上でキリストの復活(誕生)が日曜であるということも踏まえて、降誕祭12月25日を日曜日であると仮定すると次のようになる。

        月  火  水  木  金  
12月  25 26 27 28 29 30 31
 1月     2  3  4  5  6  


つまり、新年の第一日(元旦:翌年の最初の日)が日曜日となり《元カレンダー》に一致することが分かる。これはキリスト「降誕」し、1週間後(8日目)に「再臨」するという「七日間周期の元パターン」に一致するのである。つまり降誕した「何か」は、六日後に晦日を迎え「過ぎ越し」を経験し、集団的「浄化」儀礼が7日目に起こる。8日間の中に銘記すべき「降誕/再生」が2度やってくる時期というのはこの時において他にない。これは結果的にクリスマスから新年にかけてシミュレートされる七日間の物語となる。そしてそれは「新年」後も、永遠に「死と再生」(あるいは生と刑死と復活)の七日周期を繰り返し続けるのである。

話が逸れたかもしれない。円相に話を戻す。「円環する歴史」というもののイメージの極めてアルカイックな図像がタロットに求められることは、ここでも一度は言及しておく必要があるだろう。タロットの「大アルカナ」(Major Arcane)の22枚のカードが21日(3週間)に渡る「愚者の旅」であることを説明するのがここでのテーマではない。循環するイメージすなわち円相を見て行くということが、あくまでもここでのテーマである。いずれより詳しく《元カレンダー》を見ていく際に、この「三週間の旅」については再び言及するであろう。

■ タロットの「世界: The World」のカードに見る円相

円環をまさに明瞭に表出した大アルカナの最後の21番目*(第三周の最終)のカード「The World / Le Monde」で現れる女神像は、まさに「茅の輪くぐり」をしているように見える。「死と再生」とは無関係に永遠の命を生きる「世界」とそれを囲むように「永劫の死と再生を繰り返す」植物の織りなす円環の象徴(円相)の組み合わせとなっている。カードの四隅に現れる象徴は、「四大: 地上的な四大元素、四大天使、四天王、4人の福音書家」などの象徴である(詳述はしない)。円のつなぎ目には「X」マークのような形の「赤いリボン」が見える。ただし、つなぎ目は2ヶ所であり、あたかも冬至と夏至の2ヶ所をリボンで繋げたかの様でもある。その場合、二匹の蛇が互いの尻尾を噛み合っているような円環にも見える。

* 「愚者:The Fool」のカードは旅をする主体である「ゼロ」番を割り当てられているので、合計22枚の大アルカナのセットであるが、「世界」は21番目と考える。

また、円の中心に描かれるこの永遠に生きる存在は、「永遠に女性的なるもの」であり、処女懐胎するマリア、地母神、あるいは豊穣の神としての役割を担っていくヴィーナス(ウェヌス)をあらわす像である。それはまさに、われわれの暮らす「世界」そのものに他ならない。


左から原初的な「マルセイユ」セット、もっとも広く実用されているという「ウェイト+コールマン・スミス」セット(1910)、スペイン製のペーニャ・ロンガによる「イル・グラン・タロッコ・エソテリコ」セット。


左からトリノ製の「アンティキ・タロッキ・エソテリチ」セット。そしてやや変則。悪名高き“オカルティスト”アレイスター・クロウリーの「トート」セット。大胆な「解釈」と感じられようが、このリース状の植物繊維の「円相」は、このセットにおいては完全に蛇(ないしウロボロス)の図案に置き換わっている。これはむしろ原始の象徴への回帰と呼ばれるべき現象である。

前掲のタロット「The Wolrd」の図像の伝統を直截に受け継いだかに見えるクリスマス・リースと女神(天使)像。加えて注目すべきことに、「金色」に着彩されているリボンによる花は、やはりここでも3点。赤い花もしくは柊の実は、ここでは色が変わって「金」になっているが、「金色」であることはその「三位一体」の性質をよく反映している。


■ リースの模しているもの(色について)

この植物繊維のような縄を円環にして繋いでいる図像というのはまさにリースのところで確認した通りの元型を表現している。だが典型的リース(花環)において、とりわけわれわれの注意を捉えて放さない点とはその基本色である。つまり通俗的に「クリスマス色」として認識されている「緑・赤」のことである。その色を演出するために植物の緑を基調として輪が作られ、赤い「柊の実」や「リボン」などがあしらわれ、「赤」の要素は追加的に表現される。


「緑」のボトルで作られた巨大なリース。如何に素材の色が重要であるかが分かる。


こうした年末年始のリースの色と形状からどうしても連想せざるをえないものがウロボロスの図像である。これは「我が尾を自ら食む齢を経た蛇/龍」である[図版2]。

ウロボロスの図像は、錬金術図書の冒頭、「扉」に印刷されることが伝統となっている。まさに思索的錬金術の図書が後世のわれわれに伝えようとしたことが、この一幅の単純な図画に凝縮されているといっても過言でないほど、ほとんど「機械的な作法」として錬金術関連図書の中に現れているのである。その「蛇」の図像は多くの解釈を許して来たし、何らかの円環を暗示するものとして理解されて来たことに違いはないが、それでは「何の回帰」なのかということをきちんと言語化した記述をお目にかかることは少ない。

だが、冒頭に「円環するもの」を提示して、人間の「錬金」という行為が何をもたらすもので、その物質がどのように「成長進化」して行き、それがどのような「結末」を迎えるのかということを象徴豊かに描いていると考えることで、その「円環するもの」の内容を的確に洞察することさえ可能だと言えるのである。

当然、そのウロボロスの暗示するものとは、自らの身体を消費しつつ生存すること、あるいは自己の「生存」が自己の「犠牲」なしにあり得ないことのアイロニーが含まれる。

そのウロボロスに起源を持つのがクリスマス時に玄関の「扉」などに飾られるリース(花環)である。リースはそのウロボロスの赤と緑の鱗がよく表現された円環の蛇のヴァリアントと考えることができる。しかも多くの場合、その円環のトップに付けられるリボンはそのウロボロスの顔(口)とそれの噛み付いている尾を隠匿し、同時に「始まり」と「終わり」を結びつける役割を果たしている。そしてそのリボン(ないしそれに準じる要素)は「暦茶碗」におけるある種の「炎」の代用物である。


リボン部分が火の灯った「ロウソク」に置き換わったリース

リースのバリエーション:リボンのヴァリエーションとしてのロウソク。このロウソクはむしろリボンの代替物と考えるよりも、より本質的な図像の起源に戻っていると考えることが可能である。特に左側の「鉄製リース」は、聖体顕示台との類似も顕著である。

さらに、クリスマス・リースに多く見出されるように、それには三つの赤い要素、それは赤い花であったり、柊(ヒイラギ)の実であったりするのであるが、「三つの火の玉」の名残を留めていると考えることができるのである。また柊やそれに準じる刺を持つ葉が用いられる理由は、それが鱗状に見えるということ、そしてまた磔刑前にイエスの頭に強制的に被せられたと伝えられる「イバラの冠」を連想させるからである。つまりその冠は、「主の誕生」の時点ですでに準備されているのである。まさに、「イバラの冠」とは、われわれの住む世界、すなわち「茨の円相」なのである。

イバラの冠 = 茨の円相 = われわれの住む世界

■ 最後に戻ってくる「円相」としての「ゼロ」

そしてこの円環するイメージというのは20世紀中期の第二次大戦の最終局面に於いて再び現れることになる。前回取り上げたニューメキシコ州アラモゴルドの「Trinity Site」の爆心地が「Ground Zero: ゼロ地点」と初めて呼ばれたのである。現在では「爆心地」全般がそのように呼ばれるのであるが、それはむしろ逸脱である。この「史上初」の核爆発爆心地が「0 : zero」となったのは実験の暗合名称が「0」であったからである。マンハッタン計画の起草から広島・長崎の原爆投下までを「従軍」記者の立場ですべてを書き記す立場にあったW・L・ローレンスの言葉を引く。

この装置に関するあらゆるもの──爆弾塔の置かれている地点、その爆発の計画時刻──が、実験の暗号名称「ゼロ」でまにあわされていた。あらゆる関係者にとって、「0」は世界の中心となった。時間も空間もゼロ0に始まりゼロ0に終わった。全生活がゼロ0に集中された。すべての人がゼロ0地点とゼロ0時間、いやどちらかと言えば、ゼロ0超瞬時のことを考えた。
W・L・ローレンス著『0の暁』崎川範行 訳


これは「歴史の更新」の始まる時間とその地点を時間座標軸と空間座標軸の「0」としたのである。しかもこれから引き起こそうとしていることの意味をよく理解している物理学者たちがほぼ無条件に受け入れた「始まり」(そして「終わり」)の地点を表す象徴であったのだ。

「緑」という色が特に「錬金術」そして円環の閉じる地点、時間の回帰地点の象徴が緑色との強い関連を持つという理由が以下のローレンスの著述の中に見出せる。

ちょうどその瞬間、地の奥からこの世ならぬ光が立ち昇った。それはまるで、無数の太陽が一時に輝いたような光だった。この世界にかつて見られたことのなかった巨大な緑色の超太陽が、何分の一秒かの間に二千四百メートルの高さまで立ち昇り、さらに高く高く雲に達して、目のくらむばかりの光輝で天地を照らしたような日の出だった。
 (中略)その色は皆既日食の時にのみ見られるあざやかな緑色を呈した。(略)われわれは天地創造のとき、神が「光よ輝け」と叫んだあの瞬間にいあわせたような感に打たれたのだった。
W・L・ローレンス著『0の暁』崎川範行 訳


ここにこそ、門松の青竹や松葉の緑、クリスマス・リースの緑、ウロボロスの鱗の緑、茶の湯の茶の緑、そしてここではまだ語らないが、文殊菩薩の跨がる「緑の獅子」、そして錬金術伝統における「太陽をかじるGreen Lion」の緑の色、などなどの《祖型色》の理由があるのである。

臨済宗瑞龍寺天澤僧堂の禅師・隠山惟?(1754-1817)の円相の傍らに書かれているメッセージは「心月孤円 光万象を含む」なのである。



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2005-10-13

「金剛」への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<宝珠>の伝えるもの[2]


今回は「新年」「宝珠」そして「三つの火の玉」に関わりのある話。特に「三位一体」性を具象化していると考えられる図像や象徴的名称などのいくつかについて言及する。

日本の社寺仏閣系の「聖なる地所」を訪れるとわれわれがしばしば通過しなければならない最初の場所として「門」がある。特に山門の左右、もしくは門をくぐってからしばらくして左右に「対称」に配置された二つの像に気付くであろう。多くの場合は、日本では狛犬(こまいぬ)などで親しまれている二頭の獣(けもの)の石像である。これは実に多くの場所で見ることができる。もちろんこれは正確に言うと配置を除いては「対称」ではなく、一方は「あ/ア」の音を発声する口をしており、他方は「うん/ウム」の音を発声する口の形をしている。つまり、「あ・うん」の二つに挟まれた場所をわれわれは静々と進んで行くということになる。その獣が実は「獅子」であるということは単独で特記することも可能だが、ここではテーマの関係上あまり深入りしない。

そもそも、この獣像にさえいろいろなヴァリアントがあって狛犬(= 獅子)だけでなく、有名処では「金剛力士像」のケースも散見され、また稲荷神社であれば左右の狐(キツネ)像*であったりもするのである。しかし、そのどれも左右の像が伝えようとしている記号は「あ・うん」なのである。

* 狐像もその尻尾の形状をデフォルメさせることで「宝珠」の様に見立ているケースがある。つまり左右の「宝珠」である。

「ヨハネの黙示録」には次のように書かれている。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきてそれぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパ(アルファ)であり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである。」これは正にわれわれ人類の「時間への陥穽:歴史の開始」に関しての象徴的で警告的な表現である。キリストがそのように述べたという記述は実のところ、4つの福音書中一言もないが、この新約の最後に収められている「黙示録」には、キリスト教美術や教示画の伝統の中でキリスト像とともにその左右にアルファ(α)とオメガ(Ω)が配される根拠となっていると思われる記述が見出される。だが、「私は去る(不在だ)が、また再び戻って来る」と使徒たちに向かって約束したイエス(キリスト)と、その「アルファベットの象徴」とが、ひとセットになっている以上、実に必然的なことと言わざるを得ない。

これを読まれる方々にとっては、改めてことわるまでもなく「アルファ:α」と「オメガ:Ω」はギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字である。英語で言えばさしずめ「AでありZである」ということである。これには差し当たって二重の意味がある。時間(歴史)が自覚され、それが始まった以上、いずれ「それ」には終わりが来なければならないという、歴史の摂理に関しての比喩の機能が第一である。また英語の「(from) A to Z」という表現が見られるように、これには「あらゆるすべて: all and everything」という含意がある。最初から最後までの「すべて」を含んでいるという意味である。まさに人為の数々とそれらに対する報いという地上(現世)に起こる「すべて」のことを総合して呼んでいる訳である*。

* 「イエスのなしたことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書をおさめきれないであろう。」(ヨハネによる福音書21:25)という記述を想起されたい。

さて、一方「あ・うん」はどういう意味なのかと調べてみると、漢字では「阿吽」のように記され、簡単に言えばそれは「最初の音」と「最後の音」であるという定義がされている。「母音(摩多)12字と子音(体文)35字で構成される」という梵字(サンスクリット)の字母であり悉曇(しったん)すなわち「成就*/吉祥の意」なのである。そして「阿吽」は「「阿」は悉曇(しつたん)字母の最初の音で開口音、「吽」は最後の音で閉口音」とあり、言ってみればアルファベットの「AとZ」に相当するのであった。これは、ヒンヅー教のマントラ「A-UM」とも同様のものである。つまりインド・ヨーロッパ諸民族の共有財産として、アルファベット(文字)がギリシア語においてもサンスクリットにおいても最初と最後は「アルファ:ア」と「オメガ:ウム」と、共通なのである。

となれば、われわれが社寺境内で通過する「狛犬」「力士像」とは、まさにその獣/力士の口の形状によって「アルファ」と「オメガ」をわれわれに伝達することに目的があり、その「始め」と「終わり」の間を歩いて行くという儀礼を、知らず知らずに境内を訪れる人々が踏んでいる訳である。

日本の年末年始との関わりで話さなければならないこととして、家の門に備えるある種の季節的飾りとして玄関に現れる「門松:かどまつ」がある。これにもある程度のバリエーションが存在するものの、その基本的形状は簡単に記述可能なものである。「三本の青竹を縄で縛って束ねたもの」である。しかもその「青竹は斜めに鋭く断ち切られたもの」で、その鋭角のその形状は「竹槍」状であり大いに武器を暗示するものになっている。これが「正月の玄関の左右に置かれる」もので、左右対称ではあるが、それに期待される象徴的機能は社寺境内に見られる「狛犬」と同様である。すなわち「アルファ」と「オメガ」と同様に左右に配置するという行為なのである。つまりわれわれの家は「アルファ」と「オメガ」の狭間に建てられていて、われわれはそこに「住んでいる」ということを伝達するのである。むろん、広く信じられているように「神が宿る場所」を示すものであるという伝統的説明を否定するものではない。

 
■ 典型的「門松」の在り方(イラストは最もシンプルに元型を反映しやすい)

しかしどうしてこの一つの長さを持った時間の「最初」と「最後」に「槍状の青竹を三つに束ねたもの」が出現するのかということを考察しなければならない。フランス王家(ブルボン家)の家紋であり、天使ガブリエルとの強い関連のある「フルール・ドゥ・リ: Fleurs de lys」の百合(もしくはアヤメ/カキツバタなど3弁の花)の紋章、聖パトリックが顕示したと言われる三つ葉のクローバーの形をしているハーブ、シャムロック: Shamrockの葉クラブ (club, clover)、ギリシア神話中のポセイドンの持つ三叉の槍(トライデント: Trident)、毛利家の家紋(三本の矢)などと同様に、「三つに束ねられたもの」が三位一体を表すことは言を待たない。いずれの場合も「武具」との明瞭な関連があることには最大の注目を払うべきである。それらはすべて危機的状況とそれに対抗するための防御具として理解されることがある。


この章の冒頭に掲げたように、フルール・ドゥ・リは「槍の先端」に現れるパターンであり、また頻繁に防御壁(柵)や盾(シールド)に現れる形状である。トランプで知られる「三つ葉」の象徴は棍棒「クラブ」のことであり、振り下ろして敵の頭を砕く伝統的な武具である(また農耕民の象徴でもある)。また三叉の槍は現在「銛」の形で現存するものであるが、ポセイドンの例を挙げるまでもなく武具の一種と考えることができる。毛利家の家紋(いちもじにみつほし)については後述する。

■ 毛利家の家紋「いちもじにみつほし」

一方、聖なる概念としての「三位一体」とは何か、という問いにもわれわれは答えられなければならない。これには「聖三位一体」というものが、何らかの「奇跡的な力」「尋常ならざる破壊力」との結びつきを持つものであるといういくつかの無視できない実例もある。

広島と長崎に原爆が投下される前に、合州国内で一つの原爆実験が行われていることは広く知られている。ニューメキシコ州アラモゴルドの砂漠で炸裂したこの「史上初」の原爆にはコードネームが付けられていた。マンハッタン計画の最後の局面に於いて最初の試験的原爆につけられた名前は「トリニティ: Trinity」であった。そして現在でもその原爆の点火された場所には「Trinity Site」と銘打った石碑が据え置かれている。つまり「この地は、三位一体の遺跡(現場)なり」と。

 
■ 「錬金」は成った。「Ω(オメガ)の暁」アラモゴルドの砂漠で膨れ上がる火の玉 (fireball)の写真。

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つまり錬金術の最終的な目標であった人為による「三位一体」の実現(金の生成)というものが、原子物理学の目標(核エネルギーの抽出:原子核変換)との間になんらかの寓意的な一致、もしくは(ある方面にとっては)明瞭な一致があるということである。西洋の錬金術用語(東洋の密教用語)と核開発関連用語との間の疑いようのない関係についてはいくつかの実例を挙げることも可能である。

システムの複雑さと安全確保に乗り越え難い困難があるために各国で頓挫、もしくは撤退している核施設に高速増殖炉というものがある。これは通常炉の燃料であるウランの燃えカス(灰)にあたるプルトニウムを「再利用」してさらに大きなエネルギーを得ることができるという「夢の発電施設」であるらしいが、各国における挫折や国内での反対にも関わらず、日本では依然として開発が続けられている。その高速増殖炉には「ふげん」と「もんじゅ」が、フランスに於ける同様の実験炉は「フェニックス」「スーパーフェニックス」という名前が付けられていた。つまり日本に於ける中型の実験炉には普賢菩薩の名が冠されており、より大型の商用の増殖炉には「智慧の化身」たる文殊菩薩: Manjushri の名が冠されている。文殊と言えば日本では「三人よれば文殊の知恵」という言?が知られていることに注意を喚起すべきであろう。「史上初」の原子爆弾のコードネームが「三位一体: Trinity」であったように、ここにも「三位一体」の暗示があるのである。そして最初に人の上に落とされた原子爆弾の一つは広島*に落とされており、この地は「三本の矢」の故事を遺したとされる毛利家と深いつながりがある。

一方、フェニックス(不死鳥)には「灰」から甦る「蒼い鷲」のイメージとして錬金術図版にも現れるものである。

* 広島を地元とするサッカーチームに「サンフレッチェ」と命名されたのには「聖フレッチェ(聖なる矢)」というラテン(イタリア)語を思わせる音を採ったと同時に「3フレッチェ」つまり「三本の矢」にちなんでいるという話は有名な話である。しかもチームカラーは「赤」と「青」の混合、すなわち「火と水の聖婚」の結果によって得られる「最後の色」、あるいはキリスト教会のレントの時期(キリスト磔刑後、聖金曜日の時期)に使われる聖なる色「紫」を採用していることにも注目すべきである。広島には「三位一体」の故事とともに核を暗示する象徴がすでに見られるのである。

そしてひとつの<出来事>がふたつの意味を持つ、すなわち「始まり」であり「終わり」であるということは、前回「暦茶碗」で見てきたように、同一のことの二面性を表している。それは「二つの時間的な周期の合間」に来るものということができる。さらに、丸く円周状になっている暦茶碗を宝珠の部分に切り込みを入れて、あたかも紙でできているものであるかのように平面へと「展開」すれば、当然のことながらその宝珠の部分に当たる「始まり」であり「終わり」である部分は左右対称に配置されるのである。厳密に時間が「回帰」するものではなく、直線的かつ不可逆的に進行するものであると考えれば、この「宝珠」は橋の欄干に見られる擬宝珠のように、ほぼ等間隔で配列されるであろうことは想像に難くない。

「宝珠」「狛犬」「門松」の様々な表象で象徴されるものとは同一のものであるということができる。




23:19:48 - entee - TrackBacks

2005-10-11

「金剛」への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<宝珠>の伝えるもの[1]

正月の茶道の家元の儀式の一つに「初釜」というものがある。年始にあたり初めて竈の炭を入れ火を起こし茶釜に湯を立てて招待した方々に茶を振る舞うというものである。もうかれこれ十年以上前の話になるが、、生まれ故郷にも関わらず、留学先から帰ってきて間もなくの、見るもの聞くものがすべて新鮮に感じられた時期に、ある裏千家の家元の開催する初釜の儀式に招待頂くというまたとない幸運に恵まれたのであった。私のようなまったくの茶の道の部外者がその世界の一部を垣間みることの許される「開かれた」会なのである。

この「儀式」の最中にいくつかの特筆すべき発見があったが、その中でも忘れることの出来ない或る「物品」がその初釜に登場した。それは「暦茶碗」と呼ばれるものであった。茶碗にはいろいろな種類があるようだが、この暦茶碗と呼ばれるものは、その茶碗の外周に暦の名前、もしくはそれに準じる文字が筆で書かれており、それがぐるっと一巡するようになっている。一年の暦が一周すると、また最初から同じ季節が巡るという円環状になっていて、「ある意味」を伝達するのに相応しい、まさにその碗の(円周の)形状が活かされたデザインとなっているのであった。

とりわけ私の目を捕らえて放さなかったのは、その暦自体もそうであったが、暦が一巡するところ、すなわち暦の「始め」と「終わり」の出会うところに描かれている特定の図像であった。それがあまりに驚嘆すべきものであったので、「一体これはどういうことか」と静々と進行する初釜の儀式の最中に思わず叫ぶ失態を演じた。

それは写真でご覧になって分かるように「宝珠」であった。私の異様なまでの関心に喜んだホストの方が、礼を失した私の態度にも関わらず寛大にも奥からさらにいくつかの暦茶碗を持ってきて、別の茶をたてて私に回してくださったのであった。そしてお茶が回ってきた時、それらを思う存分眺めることが出来たのだった。

茶碗の形状や色、そして書かれている文字の具体的内容はさまざまだったが、どれも共通して在るのがこの宝珠の徴なのであった。それは「三つの火の玉*」のように描かれていることもあれば、一つの宝珠が炎上するように描かれているものもあって、幾分のバリエーションは認められるのであるが、時の始まりと終わりに相当するところに出現する「それ」は、どれも燃えるように描かれる「宝珠」であることは共通なのであった。

* この「3つでひとつのペア」を成している宝珠の図像についてはまた別の機会に論じるであろう。

■ カトリック教会に於ける聖体顕示台「モンストランス/サンビーム」にも見出される炎の円相とそれを支える「台座」のパターン


それでは「宝珠とは何か」。無論その時にそれなりの説明を受けたのであるが、それがその重要な本質に触れる説明でなかったとしてもホストを責めることはできない。だがホストによれば、宝珠とは「宝物の玉(ぎょく)」であり、「憧れを以て獲得を目指すべき尊い何か」なのであった。それを聞いたとき、すぐに連想したのが錬金術において獲得を目指すべき目的物である「金」、あるいは「金」のコードで表されるものであった。大辞林によれば、「〔仏〕 上方がとがり、火炎が燃え上がっている様子を表した玉。これによって思うことがかなえられると説く。如意宝珠。宝珠。」

また宝珠は、それを炎と考えれば天空へと「上昇」するものを暗示する形状ととることができるが、同時に水滴のように捉えた場合、それは地上に向かって「下降」する何かを暗示することになる。この象徴には垂直方向への運動、すなわち「上昇」と「下降」とが示唆されているのである。それを裏付けるものとして下のような記述がある。

如意宝珠の由来には種々の説があるらしく、「仏舎利が変化したもの、龍王の頭の中から取り出されたもの、阿修羅(Asura)との戦いの際に帝釈天の武器が砕けて人間界に落ちたもの、人間の善行や良い因縁の報いとしてひとりでにできたもの」などとも説明されている。特にここで注目すべきは、この「至宝」が、帝釈天(Indra: インドラ)と関わりがあるとも伝えられていることである(金剛杵の記述:「金剛」への第一歩エリアーデ語録 #3 参照)。しかもそこには強い「武器」の暗示がある。そして「炎」との関連は、その形状や描かれ方からは疑いを容れる余地のないものである。

つまりどう控えめに言っても「それは二つの時間的な周期の合間」に配置されていて、それはまさにその「周期の合間」に生じる、流動的で「カオス的な」状態」(前出:エリアーデ)の<象徴>の元型的顕われの重要なひとつと視て取れるものに違いなかったのである。

一方、宝珠の形状というのはわれわれが最も「親しんでいる」ものとしては、いわゆる擬宝珠(ぎぼし/ぎぼうし)という橋の欄干や仏閣の屋根などに据え付けられているタマネギ(ネギの花/ネギ坊主)状の「飾り」である。この膨らんだキノコのような形を思わせるものは、実は世界各地に見出される。特に聖なる地所において。だが、日本では例えば九段下の日本武道館の屋根の上に載せられている巨大な「黄金のたまねぎ」が有名である。おそらく日本で最大級の宝珠のひとつと言えるかもしれない。それが「武道」を行なう儀礼の場所に「偽装的に」顕われていることにも注目すべきである。またイスラム圏ではそのようなドームを持ったモスクはいくらでもある。それらの多くが「金色」に着彩されており「金」との関連が暗示されている*のである。

日本国内に目を戻せば、日本庭園や寺社で見出される石灯籠の頂点に置かれているものである。これにはまた別の説明があり、石灯籠の構造は下から、地・水・火・風・空の順序で垂直に並べられているのである。その理解からすればこの石灯籠上の擬宝珠は、「空」に当たる訳である。

増上寺の石灯籠

* あるドキュメンタリー映像の中で、パキスタンの核兵器製造に関わったある物理学博士が大学の生徒の前で最終的な目的、すなわち「核エネルギーの抽出/核爆発」の実現のプロセスを板書したとき、そのチョークによって描かれたキノコ雲の形状がまさに「宝珠型」であったことは無意識であったにせよ、ひとつの祖型の共有を表しているとしか考えられなかった。その映像でその教室の窓から近隣のモスクのタマネギ屋根が黄金色に光っているのが映し出されたのを私は見逃さなかった。

結論から言えば、ここでその「形状」がわれわれに示唆するものは「memento mori」(死を想い出せ)というメッセージに他ならない。すなわち「始まり」があって「終わり」がある「それ」が、永遠でないことを想起せよというメッセージなのであり、多くの人によって眺めることができる高所(屋根の上など)に堂々と掲げられているのである。モスクや武道館といった施設の「頭上」に、そして「世界の頂点」に据え置かれるのである。

それは個人の死 (small death) に関わりがないと言えば誤りであるが、第一義的には集合的なより大きな人類の経験したことのある「死」への記憶を呼び起こすものである。そしてそれは同時に「円環」である以上、未来を指し示すものである。それが日常的な個人の死ではなく、集合的な死であるところにその<出来事>が後に宗教的なものに集約されていく理由がある。そして宗教は(とりわけアジアの宗教において)その「死」の回避の知恵を教示するものとして発展した。だがその死の記憶の共有なしに伝授されるべき秘儀もあり得ないのである。

さて、茶の湯に話を戻そう。

灰の中に注意深く整えられ制御された炭と炎、そして火によって鍛えられた鉄瓶(鍛冶術の成果のひとつ)の中で煮立てられ儀礼的に聖化された「水」は、最期に「緑」の葉の煮汁を抽出する。そして、この戦慄すべき「暦」の施された道具の中に注意深く注がれた緑色のどろどろの液(お濃い茶)を会衆の皆で最期に廻し飲みをするという儀式に大いなる触発を受けたのだった。これはほとんど「毒を呷る」行為に等しい。

茶の道がこれほどまでに敬意を以て保存されて来たのは、まさにこの永遠回帰の秘儀とその共有に関わる重要性のせいに他ならないという確信が生じた。これはまさに秘密の共有(共犯関係への参入)の儀式なのである。げに、茶の湯とは恐ろしいまでに無駄なく形式化された動作や道具を通して保持されたホストとゲストとのあいだの完璧なる入社儀礼であり秘儀伝授なのであった。そこにはあるいはまた、フリーメイソンの儀礼さえ凌駕するような象徴体系を保持した一種の「結社」と考えるべき理由がある。

そして私にとっては、その悠久の昔から続いている会衆への通過儀礼(イニシエーション)が、まさに部外者へのイニシエーションとして機能した瞬間だったのである。

関連:“火花”を散らせ!──「金剛」への第一歩(続編)





22:53:00 - entee - TrackBacks

2005-10-06

二つの周期のリレイ地点を想う
エリアーデ語録 #4

古代ローマの暦では二月が一年の最後の月であったため、それは二つの時間的な周期の合間に生じる、流動的で「カオス的な」状態をあわせもっていた。規範は一時、機能を停止し、死者は地上に帰ることが出来る。また、ルペルカリアの祭りが執行されるのもやはり二月で、それは「新年」によって象徴される世界の更新(=世界の儀礼的再創造)を準備する、集団的な浄化儀礼であった。

エリアーデ『世界宗教史II』「私的祭儀──ペナテス、ラレス、マネス」
page 125より(太字は引用者による)


日本の正月にも「集団的浄化儀礼」の要素が色濃く残されている。正月を「世界の儀礼的再創造」であると意識して過ごす人は、脱聖化が進行した今の日本では僅かであろう。しかし、その儀礼的傾向は今にして抜き難い強さを放っている。


一つの混乱と終わり、そして僅かな数のサバイバー(生存者)による世界再生の儀礼は、ユダヤの伝統文化の中では、より具体的な形で生きている。その最たるものが、「過ぎ越し祭(ペサハ): Passover」である。「過ぎ越し」とは言うまでもなく旧約の「出エジプト記」で記述されている当時の覇権国家エジプトからのモーゼ率いるユダヤ民族が一斉脱出をし、民族規模の艱難辛苦を「過ぎ越し」たこと記念する行事である。だが、現在の「過ぎ越し祭」はそれを記念することを口実にした言わば「クリスマスと正月が一緒にやってきたような」(Exodus: 脱出成功を祝う)祝祭的な雰囲気を持つ「私的」祭儀と化している。しかも、どうやらそのような意味合いに変質していたのはイエスが生きた「新約の時代」にすでにそうであったようであり、その様子の一端が「福音書」の中にも見出される。

まさにイエスが磔刑に遭う「金曜日」とは、ユダヤの人々が「過ぎ越祭」を祝うための準備に急がしい「前日」であったことが分かっているわけである。そもそもイエスの刑死が「13日の金曜日」であったことなど聖書の記述に求められるものではなく、あくまでも民間伝承によってでしかない。だが「13日であった」ということの象徴的意味を解き明かす場所ではないのでここで詳述しないが、<それ>が起きたのが「金曜日」であったことには、こうした新約聖書における「過ぎ越祭」記述に根拠があった訳である(史実としてよりは、あくまでも象徴的な意味で)。そして、この二つの<イベント>(「キリストの刑死及び復活」と「ユダヤ民族の脱出サバイバル」)の「季節的一致」は、それまた偶然ではなく、こうした世界の更新が「現象世界の世界的現象」として共有されていることを意味しているのである。

さて、翻って日本における正月とは、新年が明けてしまえば嘘のような「静寂」と言うか「清浄さ」をたたえた年間でも特殊な意味合いを持つ「聖なる休日」となるわけであるが、その休日を静かに過ごすために、年末の特に「晦日」「大晦日」の2日は、上や下への大忙し、「時間との戦い」の様相を呈するものとなる。まるでこの典型的な「師走の風景」が、過ぎ越前夜(金曜日)の日没以降は「火を起こしてはならない」「火を通した食物を口にしてはならない」という厳格なユダヤの律法を何としてでも護るために、必死になって祭の食事と休日の食事の準備しなければならない多くのユダヤ人家族を思わせるほどのものである。過ぎ越後の(新年の)食事は火を加えられないので冷たい(火を通さなくても良いような)食べ物となる。それは、日本の正月の場合は「御節(おせち)料理」(という名の緊急ランチボックス)となる。それもこれも過ぎ越後の数日(正月)を静かに何もせず(仕事をせず)に過ごすことが極めて重要だという通念を共有している訳である。


マッツァ(左)とマッツァカバー(右)


重ねて置かれたマッツァ(上)



ユダヤの「過ぎ越し」で重要な食べ物にはセイヨウワサビの摂取などいくつかの要素があるが、その内のひとつに「マッツァ」と呼ばれる「種無しパン: unleavened bread, azyme」がある。これは、イースト菌(酵母)を入れて発酵させ膨らました通常のパンと異なりまったくふっくらしていない、さしずめオードブルのクラッカーのような実に味気ないパリパリの薄っぺらい大型パンである。これは「出エジプト」という「非常時」における辛苦の期間中、発酵させた「通常のパンを先祖達が食べられなかった」という民族の記憶を留めようという意図がある、と(家長によって)説明される儀式の一部であり、過ぎ越祭の期間中、ずっとテーブルの上に「重ねた」状態で置かれており、しかも布をかぶせてあるのである。


このなんの変哲もない鏡餅に、「円相」「至上権象徴物」「炎(陽)」「対称」「歴史の三層構造」などなど、これから順に見てゆくあらゆる祖型的要素が含まれている。


一方どんな理由でか、日本には新年明けてしばらくは通常の「暖かい米(ご飯)を食べない」という習慣がある(伝統的にはほとんど禁止されてブレーキを掛けさせられたような感じでもある)。その代わり、餅米を使ってあらかじめ搗(つ)いてある「モチ」を食べるのである。これもおそらくもともとは、火を使わないでも食べられる保存食のようなものとして、年間でも正月の期間限定で登場する、極めて儀礼的要素の強い食べ物である。ご存知のように、このマッツァならぬモチは重ねて聖なる場所にしかるべき儀礼的期間だけ安置されるのである。

ここまで記述した上でも、ユダヤ民族と日本人との間の「不可思議な暗合」を強調するのが本論の目的ではない。安っぽい旧弊な「日猶同祖論」を展開しようと言うのでもない。この話はそのような話よりも遥かに大きなフレームの話なのである。

そうではなくて、「“年の最後の月”の“二つの時間的な周期の合間”に生じる、流動的で“カオス的な”状態」の忠実な再現が、日本人とユダヤ人の両方に見出されるということに他ならず、新しい周期の初期段階では「質素なものしか口に出来ない」という状態であったことが想像できるということなのである。そして、それは過去の何らかの「苦難」を記念するものとして出来上がったひとつの「記憶術」に関係のあるものなのである。



03:00:16 - entee - TrackBacks

2005-09-11

人類史に関係のない神秘思想などというものはない
そして神秘と名付けられるにふさわしいことは唯一つであり
それは同時に神秘ではないということについて

体験自体は私事に属することではある。留学中の1991年の1月末に私に起こったある名状し難い体験は、私の人生において向かうべき方向を決定的に変えてしまったが、その受け取った内容が、如何にヴィヴィッドなイメージを伴うものであったにも拘らず、私の知性はそれをそれとして全面的に肯定した上で受け止めることは難しく(もちろん、大いに振り回され、周囲の人を振り回したものの)、私の思い込みなのではないかという懐疑とは恒に背中合わせであったことは否定できない。だが、それはその後、3年以上に渡って私の内部に居座り続け、私を「あること」に対する恒常的な畏敬とも畏怖とも呼ぶべきなのかも分からない精神状態に釘付けにした。自分の「危機的」体験を裏付けるような証言か、それを中心的課題として論じているようなまじめな論考がどこかにありはしないかという思い(あるいは否定されて欲しかったかもしれない)が生じ、それから経済の許す限り神秘主義やシンボルのリソースの収集が始まった。

それら神秘主義関連図書に共通する事は、ほとんどどれもおなじか似たような図版の複製を見せ、それなりの博物学的な必要最低限の解説を用意しているにも関わらず、一番肝心なところを説明していないと感じられたことだった。つまり、こうした図版集はほとんど何の説明もなしに、ただその図版を読者に見せる(そして勝手に考えさせる)ことが目的なのではないかと思われるほど、一致して紋切り型であるか単に網羅的だった。そして、ちょっとましな解説に出会っても、やはり肝心なところに言及するとなると、いきおい曖昧かつ迂遠な表現になるという共通の傾向はやはり否めないのであった。

ここで私が考えたのは、ひょっとするとこうした図版の提示者自身が、自分の「見せているもの」の意味をまったく理解してはいないのではないか、ということ。あるいはこうした図書に現れる図版の内容が重要であればあるほど、それが本当は何を意味しているのか語るのに提示者本人が「ためらい」を感じているのではないかということ。そのどちらかであるということであった。それが、事情を了解しない第三者の目には、どちらも「神秘主義」であると映る。

ただ、特に有名な作家の中には、博物学的な網羅主義に陥っているとしか思えない、関連のありそうなものすべてを、ただ一見して関連がありそうな印象を以て、どれもこれもを同じ札のついた袋の中に雑多に詰め込んだような印象を与えるものもあって、その博物学者本人が自分の扱っている対象の重要さの度合いを勘案しているとは思えないことさえあるのであった。

私にとってこうした一連の図版との邂逅と自分なりの手探りの探求とは、ある具体的内容に関連していると思われる、古今東西を問わない、まさに歴史的著述の中の「証言探し」の試みでもあったのだが、1994年秋の帰国後、直ちに開始した歴史や宗教研究家による和訳されている書籍の類の乱読の中で、遅ればせに出会ったのがルーマニア出身の宗教史家・比較宗教学者のミルチア・エリアーデであった。

彼の大著『世界宗教史』の第二巻の中の「ヘレニズムの錬金術」の章における記述に、相変わらずの、いわゆる「論理実証主義的な冷厳な態度」が不可欠に求められるらしい、悲しいほどにアカデミックな学者の論述の中に、論証不可能なある内容についての「明らかな暗示」が行間に残されているのを発見したのであった。それはほとんど詩人による詩の言葉として聞こえてくるようなトーンと警鐘の響きをたたえた明かなメッセージとして私には届いたのである。

この日、私の個人的体験によって得たある種のビジョンと歴史体系が、もはや「私という個人」に属する幻想の類でないことが確固として決定付けられたのだった。いったいどれだけ古い起源を持つものなのかが分からないような象徴の体系が、現代人の中に再生され再構築されたのであった。そしてエリアーデ自身の書籍を始めとして、立て続けに幾人かの著作者による言葉の数々の中にも、同様の「内容」についての暗示や、明らかな言及を次々に見出したのだった。それらは、およそ言葉にできないことを言語化するという途方もない先人たちの努力の賜物であった。

故あって、現在、二度目の通読を行い始めた『世界宗教史』であるが、その第1巻の巻末にある訳者(荒木美智雄)による解説の中で、再び驚くべき記述を発見した。それはエリアーデが高く評価し大いに魅せられていたというハシデウの「歴史に関する大胆な仮説」というものであった。荒木氏によれば次の3つにまとめられるという。

冗漫かつ韜晦に感じられるかもしれないが、何を語っているのかを理解できる人には明瞭にその意味が伝わる内容である。

(引用開始)
1.認識論的なレヴェルでは、歴史の解釈学は「総合の要請」を必然的なものとする。

2.歴史を書くことは、歴史的状況の深い理解を前提としている。この理解は、現実的に、聖なる、あるいは象徴的なる超歴史的秩序の意味へのイニシエーションなのである。この種の理解は物語としての歴史の価値を排除するものではなく、具体的な文化や共同体を構成する、基本的な宗教体験の重要性を承認する歴史を要求する。そして、これらの具体的な体験は、神秘とシンボルにおいて顕わにされているのである。(太字は引用者による)

3.現象の起源に帰ることの重要性である。それは、歴史的に日時を測定できる起源と言うことではなく、存在的な出来事、存在の与えられた質、あるいは構造の最初の体験を意味している。聖なる現象の根源的な意義を把握することによって、われわれは歴史の解釈することができるようになる。なぜなら、その理解こそ解釈の過程全体を生み出し、導き、体系化する意味の「中心」を用意するものであるからである。(太字は引用者による)

(引用終了)

長く引用したが、私には「歴史の(秘密への)理解」が、今という歴史的「時点」への理解そのこと自体に言及する、これ以上によく書かれた記述を想像することができない。全く持って、戦慄すべき正確さで語られている。もちろん、詩の言葉を除く、いわゆる「論理実証主義」的なマナーに則った記述、という「狭い世界」の論述様式の中での話であるが。

どれも比較困難なほど重要なことが書かれているのであるが、特に筆者が注目した記述は2そして3である。ここでは、「イニシエーション」と呼ばれている体験が、まさに「歴史」とその起源への理解ということと不可分であることを、如何なる曖昧さも排除したトーンで語っているのだ。

ここで私が言い換えた「歴史の秘密」とは、まさに「セーフェル・ハ=ゾハール」(光輝の書)に書かれている「この世界は、ただ秘密によってのみ存続する」に関わるものであり、それは、これが「秘密」でなかったら、いまわれわれが生存する「壊れつつある世界」は、いまの形で存在すること自体ができなかったという意味での「秘密」である。これが「秘密」と化すことなく、大多数の「生存者」にとって当たり前の前提であった世界(時代)は、われわれが眼前に目撃しているようなスケールで「間違う」ことがなかった。だが、それが「秘密」になった時に、始まりがあって終わりがある世界というものの「起源」への記憶が喪われた。そして、いまの世界を成り立たせるためには、それが人類共有の財産であってはならないということになって忘却されたか、あるいは、その「自明な出来事」は特定の人間集団の中だけに注意深く隠匿された。あるいは、俗化された神秘主義結社における通過儀礼の形で、その意味も解されることなく伝えられることとなった。

そして、その隠匿、もしくは喪失こそが、われわれの眠りを意味し、この世界を耳を覆いたくなるほどの喧噪にしているのだ。つまり、夜の世界の彼らは「目覚めて」いたのに、昼の世界のわれわれは「眠って」いるのだ。その眠りがわれわれを「間違わせて」いるのだ。

ただし、その隠匿は局部的なものであったし、それらは神話の中や建築や美術といった表現の中に保存され「それ」と了解されることなしに、あからさまに、露出されながら伝達された。それはあらゆる喧噪や混乱の中で、ひときわ輝く徴として、いまでも奇跡的に生き続けている。(私がいまもこうして生き続けているのは「俗中の聖」という扉が、あちらこちらに未だあることを認められるからだ。)

そこにこそ、「現象の起源に帰ることの重要性」とそれに至る「鍵穴」がある。つまり、世界を成り立たせる「秘密としての歴史的事実」の再共有化・顕教化が、神話解釈・宗教の包括的理解の眼目なのである。つまり、「それはもはや秘密ではない」というような「歴史認識」の回復こそが、「今後の世界」をかつて起こった如く終わらせるか否かの、ターニングポイントとして求められる。すなわち、エリアーデによって開示されようとした宗教の本質的役割というものは、それほどかように緊急性を帯びたものであり、それはすなわちわれわれの生き残りに直接連関したものであって、いかなる科学技術による「解決策」にも、政治による「全体的解決」にも及びもつかないほどの重篤な意味を持った内容なのである。そして、「基本的な宗教体験の重要性を承認する」という研究や学問のより公正な評価がいまこそ求められるのである。

あるいは、二度とその重要性は承認されることなく、聖脱化の方向へ驀進する我らが文明の、その刻々と変化する傾向によってのみ、最期的で大団円的な「聖化」の企みは成就するであろう。そして俗化の究極の姿が、後の世界における「聖なる地所」を改めて捏造するであろう。

次いで、3の中で言及される「存在的な出来事、存在の与えられた質、あるいは構造の最初の体験」だが、分けても「構造の最初の体験」とは、言い換えれば、世界を現在のようにあらしめている構造の「端緒」を築く、かつて人類の上に現実に降り掛かった「最初の」体験のことであり、ほぼ約束されたかに見えるわれわれにとっての「最後の」体験とだぶって見えてくる巨大な薬玉を天空で無数に割るような「大祭」である。最後であると同時にそれは最初の体験となり、その壮大な地球規模の体験は、人類を「精霊で満たす」という経験に匹敵するものにするだろう。

その体験は、起きたことがあまりに自明な時代においては秘密になりようがなかった。だが、その劇的体験を直接持っている人々は急速にいなくなり世代が交代されるに従ってそれは「言い伝えられたもの」へ、そして神話へと変容した(ヒロシマやナガサキにおける被爆体験の記憶さえ、世代交代によっていかに急速に失われ得るのかということを、すでにわれわれは目撃し始めている)。われわれが現在目にしている類の技術文明の恩恵を受けることのない後世の人々が、実際にわれわれ祖先(神々)の上に降り掛かったことを合理的に説明する方法や言葉はすぐに失われるが、禁止事項(タブー)として実生活を律する律法による強制的実践という形で、歴史時代以上の長さを持ったひとつの「夜の時代」を形成するだろう。そして、この変化することと記述すること自体を禁じる時代の始まりこそ、終わりも始まりもない時代の始まりなのである。

むろん、言い伝えられたことが「秘密」となり、「超歴史的秩序の意味」がイニシエーションを通じてのみ伝えられ、それを共有する人々の間に「共犯関係」のみを築くようになるまでは。

23:55:24 - entee - TrackBacks

2005-08-18

「即興」さえも相対化するという視点

[タイミングがタイミングだから、これが何かに対する「反論」と思われるかもしれないが、反論を意図していないし、反論になっていない。]

これは長い長い(形而上学的考察に関わる)精神論的音楽論に突入する前にわれわれがまず大前提として了解していても「損はしない」話の一つである。


もうこの辺りは、私の足りない頭でも考え尽くし語り尽くした感があり、いまさら何か付け加えることがあるのか分からない感じが正直なところだが、あえて「知らない部分」をもう一度洗い出すために自己にこれを課す。まずは便宜的に、捉え難い「精神論」をすべて省いた純粋に現象面での話をする。(それだけでも長大な文章になるだけの課題がある。)

第一に、今日的な音楽表現に於いて、その手法が「即興か、プランか」というのは、結局は「程度の問題」にほかならないのであって、「完全に即興」であるか「完全にプラン」であるかというような前提で語ること自体がナンセンスになってくる。「全くの即興」ということはあり得ぬ話だし、「全くのプラン」ということも同様にあり得ぬ話なのだ。つまり、即興に対して「全か無か」というような二者択一があるのではなくて、それらをどう「ブレンド」するのか、つまりどれだけ「非即興」という要素も加味・想定できるのかということが、真の即興者にとっての自由の度合いでもあるはずだ。まさにそれはわれわれの人生そのものと同様に。

その点で極論を敢えて言えば、手法としての(あるいはカテゴリーとしての)「即興音楽」に何の幻想も過大な期待もない(実は、後に言及する?ように、これは部分的には嘘なんだけど)。以下に述べるように、「即興」とは、即興音楽やその他の芸術創作だけの独壇場ではないからである。生きることそのものが純然たる即興であるということを了解していればこそ、なおさらに音楽の即興性の側面だけに過剰な評価を加えることに対して、私は常に「それは公平さに欠いた精神論である」と批判して来たのである。即興を絶対視/特別視する一種の「精神論」だと言う意味で。当然、即興を実践している多くの人からは反論を受けるだろうことは覚悟の上で。

最初に音楽に限った話をすれば、古典楽曲を「楽譜通りに奏している」かに聞こえる演奏でも、すぐれた演奏であると感じられるものは、きわめて“即興”的で、しかも有機的である。つまり「作曲された音楽が人間を奏している」としか思えないような「特異な必然性」を具現化している場合がひとつ。そしてもうひとつは、「楽譜通り」とは言っても、音楽の全てが記譜されることがありえぬ以上、当然のことながら、速度、音量、アタック、音符の長さ、音色、その他の、あらゆる音楽表現に不可欠な、厳密な記譜が不可能な要素については、ほぼ不可避的にその場その場の判断でその「匙加減」が選択されていく。実は、これこそがむしろ音楽の「主要な部分」である。である以上、古典に関しては「解釈」が必須となり、古典楽曲の演奏行為さえ演奏行為の瞬間に於いては「即興行為」から不可分な訳である。これは能などの日本の伝統芸能に関しても同様のことが言えるはずである。

まったくもって、記譜されていること自体が作品実体のごくごくわずかな部分なのだから、音楽家にとっては、それらをどう解釈し、どう実際の行為に転化するのかという部分こそが表現の本体なのである。ここで言った「解釈」とは演奏行為に先立って行なうもの、演奏最中にスポンテイニアスに行なわれるもの、その両方である。後者の場合、「解釈」が即興的に行われる。

だから、古典楽曲演奏を完全に「即興に非ざるもの」と考えるならば、その時点で既に錯誤がある(そんなことを言う人がいるのかどうかさえ疑わしいのだが)。ひるがえって、社会通念的に「即興音楽」と考えられているさまざまなジャンルについて言えば、それらがすべて純然たる「即興」であるのか、と言えば必ずしもそうとは言い切れぬ部分があるのであって、逆にそのことの意味を関係者は持続的に問い続ける必要がある。自分のやっていることは「即興」だが、本当に<即興>なのか...と。

しかも、「本当に即興なのか」という問いについても、その本質論(精神論)に至る前段階として、それへの各自の関わり方の深さに見合った設問が、重層的に想定できる。そして答えも様々であり得よう。

例えば、有限な技巧上の「引き出し」を利用する気まぐれな「自己反復性」を基に、安易な即興を<即興>と看做さない厳格な即興上の「思想」や「教義」があるのも知っているし、表現者による「偶然」の能動的な制御不可能性を根拠に、そもそも即興演奏を「表現としての音楽」と見なすべきかどうかという根源的な(そして古典的な)問いがあることも知っている。一方、音楽を表現者の意思と完全な意識のコントロールの下に置くような即興を<即興>と呼ぶべきかどうかを問う向きもある。仮に偶発的要素の少ない「即興ソロ」などが、記譜されていないにも関わらず、その展開がほとんど想定範囲(予想可能の範囲)であるとき、それを即興と呼ぶべきなのか、という問いがある。そうだとしても、それはそれで理解可能である。だが、さらに「予想可能である」からと言って、その価値がそれを以て計れるというものでないという部分もある。もし「予想不可能性」こそが音楽の価値であると断じれば、今まで存在した全ての反復的に演奏家たちによって取り上げられてきた古典楽曲には価値がないことになるが、それはわれわれの認識に反する見解である。「予想不可能性」は、人生自体がそうであって、ご大層に音楽だけに求められるべき独壇場でも絶対的機能でもないのである。

だが、時代を遡ってもう一度「音楽の歴史」というものを鳥瞰したとき、結局「即興」は音楽創作上の「ほとんど唯一の方法」だった時代の方が長い。音楽に「作曲者」が誕生する以前の状態を思い浮かべてみるといい。職業的な「作曲家」が現れたのはせいぜい400年ほど前辺りからである。名前のある「作曲家」が認識され始めるのと西洋個人主義の萌芽はほぼ一致する。一部の例外があるものの、そうした「作家不在」の音楽時代は、ほんの500年から1000年前の世界がそうだった。場所によってはほんの数十年前までそうであった所もある。長く見積もっても「作曲者」の登場は、歴史時代以降(有史以来)の話なのである。歴史以前の時代の音楽は、ほぼすべてが無名の楽師もしくは“シャーマン”による即興“演奏”であったはずである。あるいは、記譜されたこともない「記憶された旋律」を基盤としてのアドリブであったはずである。あるいは純然たる打楽器などによる旋律を伴わない即興。すなわち[音楽]=[即興]だった。このことを思い起こせば、現在われわれが再び音楽創作上の手法として「即興」を取り上げること自体に、何の「真新しさ」もないのである。あるのは、即興を「再び取り上げる」にあたって、それを「正当化」しなければ済まないわれわれの「思想的傾向」である。

しかし、以上のことをすべて前提と考えた上で、言い尽くされないことがまだまだある(当然のことながら)。まず、上記の話には、何らの精神面での説明が加えられていない。だがこれは意識的に選択されていることだ。「即興」という言葉のもっとも平板な用法を巡っての、一般論以上でも以下でもない。一足飛びに即興行為の「精神性」乃至「至高性」を大上段から語ったり、論理的な思惟の手続きを経ずに一刀両断の精神主義に陥ることに対して、私には大いなる警戒があるからである。むしろ、それ以前の部分──それらを前提としてさえ、まだ語られていない部分──を可能な限りあぶり出すことが、「地上で精進する者たち」に課せられた宿題であり、真理に至る近道であるからなのである(と、いきなりこの辺りで「精神」論的な色彩を帯びてくる!)。

以上、言語的に網羅しうる即興の多面性については、自分は相当に自覚的だし集中的に考察をして来たつもりだ。特に、常に自分の追求する類の<即興>が行なえているかということについての点検は、厳しくありたい。だが、もし「即興」が手段ではあっても「目的」ではなく、必然性を帯びた「劇的」性の具現化が音楽表現のゴールであれば、その手法が「即興」を包含した「プラン」であってもよいし、プランされたものであっても、最終的には「その場で即興されたものとしか思えない」というような「必然」性を帯びた質のものを追い求めるだろう。その点において、<音楽>が上位であり、即興が下位なのである。

そして、もっと欲を言えば、人類にとっての<普遍的題材>を表現したとしか思えないものを即興音楽を通じて作り上げることである。それによって、聴者は過去から未来へ至るひとつの「絵」を視るだろう。それが成されたときに初めて“シャーマン”として<音楽>を扱ったことになるだろう。



一方、冒頭で「程度の問題」と断った「即興」が、音楽に限らぬより大きな領野へと話を拡大していっても、もちろんそれは通用する話だ。使い古された言い回しだが、「我々にとって生きるということ自体が即興」であって、予測不可能な世界において眼前で生起しつつあるあらゆる事態に対峙して、われわれの「態度」が、周囲との関係の中で自己の行為を「適材適所」と成すべく、どこまで柔軟かつ直感的で、また事態に乗り遅れないだけの敏捷さを発揮できるか、という「生きるための技術」といった文脈でも語ることができる。だが、それでもなお、「全てが即興」というような世界への「同時的対応」と一刀両断できるほど、現実も単純な話ではない。

その理由こそが「即興」が「程度の問題」であるとあえて言う所以である。なぜならば、日常生活に於いても全てが即興である訳ではない。プランをするときがあり、イメージを作り出す時間があり、思った通りの音を出そうとする修練があり、音を出すためだけの(リードを作ったりという)地道な個人的努力がある。それらが「すべて即興」という言葉で呼ばれるに相応しいものであるのかは、別途判断されれば良いだろう。だが、筆者は<即興>とは他者や環境があっての、社会的/集団的、もしくは外因との「関わり」の中でこそ考慮される方法であって、そういう限定的な言葉の用法こそ、その言葉の「精神」をより本質的に伝えるものだと信じる。

したがって、そのような文脈に於いて、むしろ初めて、即興と言う「日常行為」を改めて音楽に“持ち込む”ことの「正当性」を主張することが出来る。そして、そこには日常に於けるのと同様のリスク、そしてリスクを負う人間だけが得ることの出来るだろう精神的成果(失敗も成功も含めて)という果実が与えられるのである。

これについては、これまた使い古された言い方かもしれぬが、「人事を尽くして天命を待つ」という金言以上のことを今のところ私は思いつかないのである。

私の中では、最初に実践(行為)ありき、であり、「精神」は後から発見されるものだという考えを拭うことが出来ないのである。最初に音楽があって、それが「精神」を呼び寄せるのである。

(と、ここに至ってようやく「即興精神」というものについてフェアに論じる立ち位置を得るのである。)



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2005-08-02

聞こえているものの先に、聞こえないものを聞こうとするする思い」に報いること。

うーむ、あっちでもこっちでもツナガって、「タコ足配線」地獄じゃ!

我が畏友、ランドスケープ実践家 兼 風景批評家 兼 GPS地上絵師の石川初のblogに、なんとも刺激的で、あたかもボクに対して「読め」と発信してきているような、ひときわ目を惹く題名あり。
『「見えるものの先に、見えないものを見ようとする思い」に報いるということ。』

今回石川が「孫引き」引用している加藤典洋の風景論というのに「足を止め」て思わず読み入ってしまった。ここでそっくり引用すると「曾孫引き」になってワケの分からないことになるので、このblogをお読みの方は、そちらで読んで頂きたい(だってそういうのが簡単にできるのが、ネット技術なんだから)。音楽についても多重にこの「エンガージュマン」と「デガージュマン」が適用されそうなことに気付く。ただし、今回はそう簡単に当てはめられない事情もある。

それは、人間の恣意が関与しない前提としての「風景」と、人間の恣意が関与するのが前提としてある「音楽」が、容易に同列に語れないという社会通念上の事情があるからだ。しかし、それでも、コトを見る目の高さ(心理的レベル)を変えてみると、それが適用されうる「断面」が、音楽においても浮かび上がってくるという興味深い事実にも思い至った。

いつものように、石川の「孫引き」に代入して適当に文章をアレンジする。(最近、代入が好きだな、ボク...)

まず最初の方は、「音楽内部についての話」として読む方法(必要)がある。たとえば下などは、容易に理解できる適用例だ。

<<

実際問題、極端な例だが、聴者がオケのメンバーだったりすると、他のオケを聴いていても自分の普段担当している楽器のソロとか、あるいは内声部を選択的に聴いていたりして、全体として(作曲家の意図している意味での)音楽を聴いているという感じの体験とは違ったものになってしまう(もちろん、鑑賞の達人になってくると、そういう普段なら聞こえにくい声部を「耳」が抜き出して、セカンド・ヴァイオリンやヴィオラパートを楽しむなんていう“倒錯した”音楽の楽しみ方もある訳だが...)。そんな、極端な例を挙げなくても、案外よくあることなんではないだろうか。つまり、“「音楽」を聴いているという意識が生じない”というのは、言ってみれば「音楽鑑賞以前」の状態という訳である。

<<

ふむふむ。ま、最後の方は当たり前の話では、ある。音楽を全体として「一つの構造」として聴き取る、ということが、まさに「音楽を聴く」態度であり体験だからだ。だが、こうした言い方が成立するのは、ここまでだ。

こうした「音楽」の成立のうちに、・・・・・「音楽」は消えるのである <<

本当に「音楽は消える」のかと言うと、音楽そのものの内部の話をしている限り、あるいは音楽そのものの内部だけに関心が注がれている限り、そう簡単に音楽が「消えて」しまうことはない。音楽はたいていの場合、特に西洋音楽の場合、通常、作曲家や演奏家は「譜面に書いた音、鳴らされるべき音、そのものを聴いてくれ」と迫ってくるからである。(少なくとも、そのように思われているように見えるな、大概の西洋音楽は!)

したがって、こうしたレベルでは、相反する二つのものを同じ「音楽」の名で呼ぶことから生じる「音楽論の混乱」というのは、あまり問題にならない。ただし、例外的に即興音楽においては、そうしたことが大いに(鑑賞にとって)課題となる[後述]。そして、ある特殊な聴者の心理状態においては、ほとんど音楽的体験と呼ぶに相応しからざる「音楽体験」というものがあるのも確かだ。

つまり、これを音楽を含んだもっと広い環境・状況というところまで拡大すると、面白いことが言えるのだ。つまり、適用できなかった最後の部分が、適用可能であり、それこそが、音楽を鑑賞する体験の中でも、最も面白い部分ということになる。

<<

たとえば、音楽会で音楽を集中して聴いていて、あるいは静かな環境でゆったりくつろいでレコードを聴いていて、「音楽が消える」という体験を想起するのだ。(オーディオマニアが、「本当に良い音は、オーディオ装置が消える」とか言うが、そういうことに、ここでは深入りしない。)すなわち、音楽にわれわれが本当に没頭したときに、我々は本当に音楽(音)を聴き続けているのか、という設問である。素晴らしい音楽体験とは、全くもって内面的(心理的)なもので、それは「音楽自体からの感動」とは別物であることがある(あるかなぁ、みんな!)。音楽がきっかけとなって、我々は別の場所に勝手に到達してしまうからである。こうした体験さえも「音楽の体験」と同じ言葉で呼んでしまうと、確かに混乱がある。

音楽家が作り出す作品(音)までは音楽家の責任だが、それを通して得てしまう「聴く側の能動的なはたらき」による体験は、必ずしも音楽体験そのものとは限らないからだ。そうしたことが聴く側の内部で起きる時、楽器ひとつひとつの音色やメロディーは、「既知のもの」でありながら、体験としては「未知の領域」に入ってくる瞬間だ。そして、更に言うと、鑑賞者が<普遍的題材>に触れる劇的体験があるとすれば、その刹那にこそやってくるのだ!

ここからは、ふたたび石川の言葉への「代入」となる。

<<

あるいは(別テイク)

<<

話は脱線するが、
石川の文章:
<<

の部分は、いわゆる「環境音楽」「アンビエント系音楽」などに関係した主張の典型として読むことも出来る。つまり、サウンドスケープや“ジョン・ケイジアン”の立ち場だ。

「サウンドスケープ」は、(音場に)デザイン「できない」ものが「ある」ということを前提にする。音楽の領域において「“ランドスケープ”的アプローチ」をとるなら、何よりもまずはそこに、環境音、すなわちカラスの鳴き声、虫の声、風、豆腐屋の笛の音、万年物干竿屋の拡声音、子供の泣き声、自転車のブレーキの音、などなどの「デザインできないもの」の存在を認めるところから始める。そして、それを「デザインできるもの」に置き換えたり、覆ったりするのではなく、そういう「デザインできないもの」「コントロール不能なもの」を示唆することを目論む。

というわけだ。なかなか「模範的解答」となるぞ、これは。

さて、「即興」について、通常音楽と区別して語ってきた事情から言うと、最後にそれを言及しないで済ませる訳には行くまい。ここからが、やっと本番だ。

即興音楽と風景の類似性について<ことさら>に発言したくなる理由のひとつとして、それらに共通なリアルタイム性、スポンテイニアス性がある。つまり、即興音楽家たちは、集団即興においては特に、それぞれがある程度自分にとって既知の「持ち札」(特定の楽器やテクニック)を持ってステージに登場する。だが、ひとたび音が出されるや、自分という音を出す主体以外の「未知な要素」「予想不可能な要素」というのに、必然的に遭遇する。そして、本人の演奏し始めて初めて分かる「体調の認識」と遭遇する。そして、それへのリアルタイムの「対応」が求められる。大きく分ければ、そうした「未知なる要素」に対して、それを「無視して進む」というのと、それを「利用して進む」という態度の「二大選択肢」があらゆる瞬間に出現し、それへの判断を忙しく行なわなければならない。音は生き物だから、待ってくれないのである。まるで、風景のようだ。しかも、どのように無視するのか、そのように利用するのか、というほとんど無限の選択肢の中から、もっともカッコいい方法を(ほとんど本能的に、瞬時に)選択しなければならない。

無視することによって生じる二つの(三つの、それ以上の)世界の、同時的な顕現が、まるで写真の二重(三重、多重)露出のような効果を以て生起し、とてつもなく象徴的な音場を築いてしまうこともあれば、単なるやかましい雑音に堕することもある。一方、「未知なる要素」に対して、互いに利用して進むということでしか発生しない、リアルタイムに醸成される協和的で調和的瞬間が----まるで「人生」のように----音楽的に「意味あるもの」を構成することがある。

いずれにしても、「風景のデザイン」と同じように、他者の存在や偶然という制御不可能性を受け入れることによってしか、立ち行かない「創作」の在り方が、即興音楽にはあるのだ。

即興音楽においては、「われわれを取りまく環境のある状態・状況を指しているものであって、その状況のもとにおいてデザインという行為が表象するものと、表象が指向する対象の間に」絶え間ない緊張の関係が築かれる。

石川が...
<<

と、いみじくも言っているように、音楽においても(即興音楽であればとりわけ)、演奏者は、そこに意味のあるつながりを見出す観察者(音楽鑑賞者)による「音楽の風景化/ドラマ化」の「契機」の生成を試みている。つまり、即興音楽家が、「デザイン」しうるのは実は「音楽」それ自体ではない、のである。

鑑賞者がその中からリアルな「劇」、あるいは「物語」と呼ぶに相応しいものを見出す「契機」を、即興音楽家は、あるいは音楽家は、試みるのである。そこには、予定調和的な大団円はない、かもしれないし、ごくまれなチャンスで、あたかも譜面にプランされたとしか思えないような、浪漫派的な「歓喜の物語」をリアルタイムで生み出す可能性を秘めているのである。

そこにこそ、即興音楽の醍醐味があるとenteeは、考えるのである。

かくして、かの石川のオツな導きによって、数年前に『ランドスケープ批評宣言』(INAX出版)に寄せた、拙文(即興性と計画性に見る風景と音楽のアナロジー ある即興音楽家の夢想的「風景」論)は、再び日の目を見るのであった。(と、せいぜい“我庭引水”して、終わるのであったー!)


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2005-07-11

静かであることの「強制力」と「音への愛」
あるいは「即興演奏」という名の別領域への扉

ある種のセッションでは起こりうる(起こりがち?)ことだが、絶対に特定のメンバーが全体の中から「突出」することを許さないような「静けさ」をもった集団即興というものがある。あるいは息ができないような緊張感を伴う静寂というものがある。だが、昨日のそれは、ある意味で「厳しさを伴った愛」のようなものであった。あるいは愛が基盤としてある厳しさとでもいうものであろうか。しかし、その「厳しさ」は、われわれに十分に息継ぎをさせるものであったし、演奏態度を通して共演者に暗黙に伝えられたものであった。そして奔放な「愛」は、紡ぎ出された一つ一つの音自体の襞の奥へと向かう。そしてその音を聞き逃さず、慈しみ愛することが演奏者相互の尊重と敬愛へとつながって行くのだ。

これが、日曜日に行ったCarl Bergstroem-Nielsen(カール・ベアストレム=ニールセン)氏との「インフォーマルな即興セッション」であった。

参加者:
カール・ベアストレム=ニールセン French horn, 鍵盤ハーモニカ、prepared harmonica, voice, etc.
池上秀夫 bass, voice、モリシゲヤスムネ cello、そして自分 voice, oboe, English horn, piano
場所:荻窪グッドマン

思えば、私はそもそもいわゆる「爆音系」の即興には縁がなく、あまり関わってこなかったが、それでも今までは身体的には比較的「厳しい(激しい)」ことを中心にやって来たものだと思い返された。カールさんの即興スタイルは、そういう「ギリギリの淵」で演るような即興でない「即興」という別側面がこの世にあるのだ、ということを(考えてみれば当たり前なのだが)改めて知らしめてくれるものであったように思われるのである。

カールさんとの即興セッションは、その点、「静か」ではありながら「凍り付くような緊張」というのからも、ほど遠いものだ。静かであり、しかも優しい持続力なのである。そして、長過ぎず短すぎずの各セット。私にとっては、音楽というもののあり得る形のひとつを、図らずも「療法系の即興者」から教わったという感じがしたのだったのだ。繋ぎ目なく複数の楽器をふわふわと渡り歩いて行く彼の演奏のスタイルも、一つの楽器でやれることの「限界」を追究し自分を追い込む、というようなストイックで求道者的なものではなく、あくまでも無理なく、ひたすら自在に、花から花に移り渡って行く蝶のように演奏して行くのだ。

自分のやれることや自分の身体が要求する即興のスタイルというものは、そう簡単に御破算になるものではない。当然の事ながら即興にもいろいろな方法がある。演奏者は、大なり小なり結局自分に一番あったスタイルというものに逢着するだろうし、あるいは自分にあった気質の人間同士がグループとして集まるのである。しかし、自分は、異世界からやってきたカールさんとのセッションを通して、自分が主たるテーマとして追求してこなかった即興のフィールドというのが、わずかに開けられている扉から見えるひろい田園風景のように見えた気がしたのだ。

彼とのセッションを終えたら自宅に招待し、ワインを飲みながらの食事会となったが、その際も、カールさんも自分にとって未知なるものへの純粋な好奇心のアンテナがずっと動き続けているのが分かった。私たちはおそらく彼の知らないものを見せた(聞かせた)のだし、彼は私たちの知らないものを控えめに見せたのだ。それは、「この音を聴け!」と迫って来る「物量」や「音圧」を通してではなくて、主に「このか細い声から言葉を拾って欲しい」と控えめに置かれる音の「肌合い」から声を掬いとってもらおうとでもしているように、少なくとも私の追求して来た方向性とは明らかに異質なものだ。それを「自分の形式」と異なるもの、として退ける事は簡単なのだが、そうしない者にだけもたらされるギフトというものがそこにはある。

「音楽療法: music therapy」におけるある種の「セッション」というのは、数年前に「音楽療法」の世界に一時的に足を突っ込んでいたある近しい友人から、その概要を見せられたり聞かされたりした事があったので、なんとなく知っているような気がしていたが、カールさんを通して、ある種の効能のようなものを自分は遅ればせに部分的に体感したのではないか、と思われた。

デンマークの大学で音楽療法士を育てるクラスを持ち、ご本人も「療法」を必要としている「クライアント」相手に音楽療法を実践しているカールさんの立場から推し量れば、セッションをやる相手が「音楽家」(音楽専門家/即興演奏者)であるかどうかというのを、良くも悪くも一旦白紙にして先入観なしに接しようとしているようであり、したがって一律にクライアントの類として「診られて」いる面もあるのかな、などと邪推してしまう瞬間もあった。その点で、正直、ややある種の「居心地の悪さ」を感じたのだが、逆に、私が「どのようにホルンを吹くに至ったのか」を尋ねた時に(要するに、プロのホルン奏者としてのキャリアがあるのかを私が思わず聞き出そうとしてしまった時に)彼が感じたかもしれない居心地の悪さを今は想像しているのである。何故なら、それは療法家としては出ないだろう種類の質問、つまり「音楽家」の立場を取る人間からこそ出がちな典型的な質問の類だっただろうからだ。

しかし、そうした互いの互いを推し量る居心地の悪さは、セッションの録音を聴き返したり歓談を通してほとんど雲散した。即興を日常的に実践しているという自負のある私(たち)には、こうした講義者と受講者の間にありがちな関係の中での出会いはやや不利であったかもしれないが、それは時間が容易に解決する事であろうと思う。

今度再会する時にどのような展開になるかが今から楽しみである。

また、今回の件ではカールさんを紹介してくれた岡部春彦さん、そして大いなる心砕きと気遣いを発揮して下さった池上秀夫さんには、大感謝である。
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23:15:25 - entee - TrackBacks

2005-06-17

『日本の軍隊』吉田裕著(岩波新書)を読む

戦争の「正」の側面を知るということには意味がある。(負の側面など今更強調するまでもないという前提で...)だが、「新手の戦争肯定論か?」と早合点する前に次を読んで欲しい。

こういうことです。つまり、「戦争はみんなが考えるほど悪いものではないんだ」という主張や考えに、どういう事柄や現実認識が「支持」を与えているのか、戦争のどういう側面が戦争肯定論者に「勇気と力」を与えてしまうのか、ということを識ることにつながるから、だから意味があるのです。

戦争の負の側面については、その度し難く無秩序な破壊と混乱、そして人命や人間の尊厳を奪い去る暴力の組織的(というか本当は無秩序で混乱した集団による)な行使であるから、つまり殺人という取り返しのつかない罪の本質は如何なる理由においても正当化できない、という理由以上のことをあらためて語る必要さえない。それほど左様に、すでに自明のことである(もちろん、どれだけ語ったってそれで「こと足れり」とされるものでもないほどに、語り継がねばならないことが無数にあるのは言うまでもない)。

したがって、いかにして戦争を美化し、その価値を称揚し、その存在を正当化して来られたのかを知ることには価値がある。例えば、青春時代を「戦争を生き延びる」ことで過ごしてきた「戦争しか知らない(かつての)こども(青年)たち」の論理を、如何にして無効化するのか、という批判材料を得ることにつながるのである。そして、そういう戦争肯定論者(一部肯定論者も含む)の言い分を単純に信じる(あるいはその「言い分」に対して同情的な)人々の存在、あるいは戦争の悲惨さを自分の問題として想像できないだけなのではないかと思えるような、皮相的な戦争肯定論を「口真似」する若い世代の人々。こうした存在が増殖しつつあるということを考えるにつけ、彼ら「肯定論者」を包括理解し、その論理のどこに決定的な穴があるのか、ということを知り尽くす必要があるのだ。そういう人々をバカ呼ばわりしても、人格否定しても、それは肯定論者、否定論者のどちらのタメにもならないのだ。

戦争というものの“多面性”に冷静な光を当てる『日本の軍隊』(岩波新書)によれば、軍隊に入って初めて満足な3度の食事にありついたという青年たちが大勢いるという。これ自体が私にとっては衝撃であったし、「目から鱗」の記述であった。戦争前夜、そして戦中当時の農村の「貧困層」に属する人々からすれば、軍隊での生活はそれまででは考えられないほどの贅沢であり恩寵であり、飢餓からも労役からも開放された、ある種の安楽世界であったという、明確な実感を持つ元兵隊達がいる。あるいは、社会階級とは関係なく、軍隊という組織は(部分的だとしても)「能力主義」が実現していたある種の「公平なる社会」であって、軍隊の機構上、ある程度明確な上位下逹の「主従関係」はあったものの、一度一兵卒として入所した時点では、その全員が、すなわち金持ちも華族も農村出も、すべての者が同じ飯を食い、同じ訓練や仕置きを受けた。これは軍隊の外の世界では、当時まだ「実現していなかったこと」だというのである。

そして、われわれ戦争否定論者が正面から対峙しなければならないのは、これらの理由を以て軍隊を肯定せざるを得ない人がいる、という事実である。

そればかりではない。さまざまな理由を以て、なるほど軍隊が「よい場所」だと感じることにはいくつもの「根拠」があった訳だ。

しかるに、こうした軍隊のもつ一連の「長所」を以て軍隊(兵隊)というものに課せられている機能、期待されている役割、そして何よりも破壊と暴力を可能にする道具でもって武装している組織であるということ、そして「防衛のための道具である」と主張して維持される軍備そのものが、結果的には、他者(他国)から見れば脅威を感じる対象そのものに他ならないという点、そして、「防衛」と云う名のもとに侵略*さえ実現可能にするという点、最終的には命令が絶対であるというトップダウンの命令形態、そうした軍と言うものの一切の暴力的本質を根本から書き換えてしまえるような「価値」なのであろうか?

* かつて防衛という大義なしに行われた戦争というものがあっただろうか。すべての戦争はそれを始める人たちによって「防衛手段」であると主張されているのである。それは現在アメリカ合州国政府によって成されている先制攻撃ですらそうである。日本人が朝鮮半島に入植したのも軍隊を展開させたのも、「ロシアや清国の脅威に対する本土防衛のため」という説明がある。すなわち、「防衛」などという言い訳は、誰によっても可能であるという理由で、すでに無効であり、それにまともに耳を貸す必要がないほどである。「攻撃してくるかもしれない」と一部で脅威が叫ばれている某国に関して、彼らの側からすれば日米や韓米の軍事条約を背景に外交を展開する日本や韓国に対する脅威を感じている訳で、「祖国防衛のための先制攻撃」という口実を持っている訳である。この際どちらに「正義」があったのか、と言うことは問うまい。だが、確実なのは朝鮮戦争が起きた当時、ソヴィエトのバックアップを得た金日成に率いられる朝鮮民主主義人民共和国の側にも、共産主義に対する防衛を声高に叫んでいた合州国にバックアップされた大韓民国の側にも、等しい「正義への感覚」があったわけである。互いが「防衛」を旗印を上げて血を流し合った訳である。

軍隊の長所によって「戦争(戦時下の世界)というものは悪いものではない」という戦争観は、さしずめ、「必要悪」を主張する言説の別名に他ならない。だが、必要悪を口にする者は、「悪」を「必要」によって免責できると考えている。悪に対する根本的な無理解、あるいは悲惨への想像力と感受性の欠如がある。そればかりか究極的には根本的な差別主義の発露に他ならないのである。

つまり、必要悪でもって「必要」を満たされる人々がいる一方で、「悪」の犠牲になって死ななければならない人が出るという不条理を前提として肯定しているからである。そこには明確に「生存できる人間」と、それに与れない人間のグループに人間を分つ差別構造を認めてしまう精神的な弱さがある。そこには、「必要悪」によって「必要」を満たされる側にいるだろう自分(あるいは身内*)への愛と、悪によって滅ぼされるかもしれない側にいる人間(他者)への明らかな無関心という根の深い差別意識なしにはあり得ない思想なのである。

まさに戦争とは究極的な人間の選別とそれを可能にする抜き難い差別意識なしには実現不可能な「政策」なのである。そしてその政策は、いつの時代でも、安全圏にいて自分(や自分の身内)が生き残る者達が、自分たちの安全を無条件的な前提として造り上げられるのである。

こうした差別され「消耗」される側に対する無関心は、「必要悪」を軽々しく口にする人間たちの間に目立って見出される特徴である。必要悪を認める自分は、他でもない「自分」の犠牲というあり得べき可能性に関して、どれだけ想像力を働かせることができているのであろうか? 仮に自分がその犠牲に身を投げ出すことが本当にできたとしても、それは他者の犠牲をも同時に強制する類の「自己犠牲」ではないのか。戦争というものはひとりではできないのである。

* 身内への無条件の愛は、自己愛とどれほどに違うのであろうか? 血縁の子供や愛する人間を優先的に生存させると言う本能的行為のどこにヒューマニズムの崇高性があるのであろうか?

どんなに勇ましい戦争における自己犠牲(壮烈な死)であっても、死に臨んで、どんな貧困も、どんな悲惨も、生きられれば「死よりはまし」と思うかもしれないではないか。いや、私は思うに違いない。

そんなことを考えさせてくれる良書として、筆者は『日本の軍隊』を評価するのである。


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2005-05-31

「ありふれたファシズム」(ある映画作家の慈愛と洞察)

われわれの日常的な無関心やそれに深い根を持った言葉、均一化、同質化への期待。同じでないことへの無意識の忌避。こうしたことは毎日の行動や言葉の中に現れる。

リュボーフ・アルクス編『ソクーロフ』(西周成訳)p. 200
<<

そう、われわれの言葉は、われわれの心が弱い時こそ、集団を根拠に口から出る。エリツィンでなくたって、われわれは時として、政治家のように語る。「みんながそういっている」と口が滑る。それはだが、集団に属している意識と、集団に属さないものへの愛の欠如がそうさせるのだ。

われわれは個人の咽喉から漏れ出てくる言葉にこそ、個人の言葉を聞き取る。誰彼が言っていた、みんなが言っていた、という、あたかも<あなた>が世間を代表するかの言い分ではなく、<あなた>が<あなた>自身の言葉で<私>に話しかけることができた時、それは個人の言葉を聞き取ることになり、<私>にとっての真実となる。まかりまちがっても顔の見えない不特定多数の誰かを<あなた>が代表できるかの幻想を見てはいけない。

(「犯罪者」を、笑いもし、泣きもし、痛みも感じる「ひと」として捉えた某ドキュメンタリーフィルムに関してそれを制作した某映画作家に投げかけられた言葉)
鑑賞者「犯罪の被害者がこれを観たらどう思うと思うんですか?」
作家「こちらに被害者の方がいらっしゃるんですか?」
鑑賞者「... ここにはいないかもしれませんが、もし観たら怒りを感じると思いませんか?」
作家「怒りを感じるかもしれないし、感じないかもしれない。でも、ここにはいないですよね。それともいらっしゃるんですか?」
鑑賞者「いないかもしれませんが、もしいたとしたらどう感じると思うか訊いているんです。」
作家「私はこの映画を通して、犯罪被害者の方にではなくて、あなた方がこれを観て、自分でどう思ったかを、あなた方に訊いているんですよ」

彼は、このやり取りを回想してこう言った。「これを観たこの会場にいるみんなの中に、この犯罪被害者の方はいらっしゃらない。犯罪被害者でないあなた方が、犯罪被害者の気持ちをあたかも想像し、それを代表できるかのように思い込んで、そして私の作品を批判する。あなた方は、ここにいもしないし会ったこともない人々の気持ちがわかると思っていて、その癖、そのいないかもしれない人の架空の言葉を以て、人の作品を非難する。良いですか、こう言うエピソードがあるんです。ある知り合いの方が、駅前で死刑廃絶の呼びかけの署名運動をやっていた。そうすると、必ずいるんですよ、こう言うことを言う人が。『そんなことやって! 犯罪の犠牲者の家族の方があなたのやっていることを見たらどう思うと思うんですか!』と。そしたら、この署名運動をやっている方がこう答えたそうです。『私の息子が犯罪の犠牲者になったんです。』」

われわれは想像できているつもりで、充分に想像できていない。何が人をしてある種の行動に掻き立てるのか。いろいろな経緯や気持ちというものがあるだろう。しかし、犯罪の被害者の家族が、加害者の救済を主張することを通じて「あらゆる暴力(殺人)を否定する」という崇高な思想の貫徹をしようとすることがある。

しかし、良心的で公平だと思っている被害者の立場でものを言う、言えると思っていて、ある種の表現を封じ込めようとする正義の人がいる。しかしその人自身が、自分が自らの言葉を語らずに、大衆や「みんな」の意見として、何かを主張し、ある表現や立場に対する弾圧に手を貸す。自分こそが弾圧者側にいることを容易に忘れる。「ありふれたファシズム」は、こうした「正義の人」の中にも容易に巣食いうる。

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2005-05-29

「ソクーロフのオールナイト」という体験

体力的にハードな「映画のオールナイト」などほとんど行ったこともない。それにソクーロフを映画館で観るのは、これでまだ3度目にすぎない。一念発起して、土曜日の10:30pmから翌朝の6時過ぎまで池袋の映画館で過ごす。無謀なる8時間あまり。

実は、ソクーロフが1994年に日本を訪問したときの印象を、ロシアの映画雑誌に書き記しているという記事をネットで見つけた。その言葉から感じられる洞察の深さに心が動いたので、そのまま転載する。それぞれの作品に関して抱いた自分の印象をつれづれに書き記す前にひとつの言葉を引用したい。

「... 私は、日本から帰ったばかりです。驚いたことに、私は日本でいかなる異国情緒も感じませんでした。かの地で私は、世界のどんな国でも見たことのないほど多くの疲れた人々を目にしました。もしロシア人が、日本人のように疲れているのなら! あんなに疲れた民族を、いままでに一度も見たことがありません。疲労のあまり人々が泣くのを目撃しました。疲労からですよ。明日も今日より楽にならないゆえに、明日も明後日も今日のように辛いゆえに。きっとロシアでは想像もつかないでしょう ... 一人の人間が疲れているのはわかります。でも、民族全体が疲れているなんて ... 彼らは敬服にあたいします。地上の空間でせめて誰かが疲労の十字架を背負っていることは、きわめて重要なのです。おそらく私たちみんなのために、彼らはこの十字架を背負っているのでしょう、そう見えます。実際なんの罪もないのに、少なくとも人類を前に、ロシアの住人に比べて日本人のほうが、ずっと罪は小さいのです。私たちロシア人も疲れていると言われますが、日本人には及びません。
 私たちは、困難な時代に生きています。なぜなら、人々のこのような疲労困憊の要因が、現在ほどドラマチックで巨大だったことは、いまだかつてなかったからです。このような現象の後には、きっとなにかが起こるでしょう。こんなことが長く続くはずがない... なにかが起こるにちがいありません。」

これは、何かを予言した人間の言葉としてではなく、ある民族集団とその世界における「機能」への洞察、そしてその民族への深い慈愛のまなざしを感じさせる言葉である。このように、他人を、他の民族を、見つめることの出来る心とは! われわれこそが、このような芸術家を生んだ異境の地の文化というものに心を開き、そして謙虚さを学ばなければならない。

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2005-05-23

「弾圧」を実体化させるな!

例えばさぁ、の話である。

誰かが「理想の地」を海外に見出し、ある種の芸術活動をしようとして、最初は同地に合法な手段で入国し、その後、ビザの効力が何らかの理由で切れてしまうとしよう。(海外に生活基盤を求める人が増えている以上、このようなことは世界中のあちこちに起こっていても不思議はない事態である。)しばらくは出入国管理所のチェックもなく、問題もなく経過していたとして、ある日、何らかの詰まらない理由で「不法滞在」が当局側にバレてしまうとしよう。そして、やがては強制的な国外退去命令が下る。これは、政治亡命や難民でない限り、芸術をやろうと、ある種の文化活動をやろうと、ビジネスで一旗揚げようと、どんな理由で同国に渡ったかによらず、それは単なる「個人的な法的な手続き上の問題である」と言える。

そこでだ。単なる個人的な「法的手続きミス」なのに、それによって生じたトラブルに過剰反応して、周りがその問題を「文化弾圧だ」と騒ぎ立てるとする。すると、どうなるか。それは、単なる個人的な「事故」や「判断ミス」であったかもしれないのに、そのことは「文化弾圧」であるというコンテクストで読み返され、再解釈されることになり、それは「社会的な事件」となる。

「起きた現実」と「人間のこころが成す解釈」の間にギャップが起こる。あちらでもこちらでも起こる。そしてその際、「解釈」はおそらく渡航した本人の出身地と本人を受け入れてきた当地の両方で、あるいは立場の違いによって、さまざまなギャップの諸相を見せることになる。だが、十分に意識を向けなければならないのは、「文化弾圧である」と考えたい人々の思う通りに、結果として、その問題が「現実化していく」という可能性についてである。つまり、「予言の自己成就性」のように、「事象」の方が主張する解釈の方に近寄っていく、という主客の顛倒が起こる。

すなわち、その「個人的ミス」が「大きなミス」へと発展する可能性がある。

そうなったとしたら、海外における文化活動の実践基盤を守ろうとする側にとっても、政権当局者の側にとっても、どちらにとっても不幸な結果が待っている可能性があるのだ。

つまり、ある特定の政治活動家の反対運動が、「○○の自由を守れ」とコールすることで、権力側に「本当の弾圧」をするきっかけ(口実)を与えてしまうということである。権力者側だって、人間の集まりである以上、「あらぬ腹の内」を探られれば感情的にも反応するし、一旦感情的にある特定の集団を視るということになれば、彼らも自己保身の論理で動いているのであるから、「火の手」が大きくならないうちに、「弾圧」を強化して、もともとはありもしなかったその「運動」を抑えようとするかもしれない。最初はどこにも問題はなかったのにも関わらずだ。そうすれば、運動をする側からしても「それ見たことか、これが権力の正体だ」と一層の運動の激化を呼びかけるかもしれない。そして、弾圧する側はその力をさらに高める。これを「意地の張り合い」と呼ぶ。

それは、果たして芸術活動をしようとして実際に他国へ渡った表現者当人の立場をよくすることなのだろうか? 渡った表現者自身が政治活動を展開するために、意図的に「ビザが切れて不法滞在する」ことを計った、とでも言うのだろうか。それは十中八九違う。彼/彼女にとっては、今まで通りにその国に滞在できて、好きな表現活動を続けられて、その地で見つけた友人知人たちと楽しくやっていくこと、だろうと私は容易に想像する。

政治権力に関わる問題とは、もちろんあちこちに存在する。だが、なんでもかでも「それ」であるとラディカルに反応することが、どういう結果をもたらすのか、ということまでクールに想像する知力が必要なのではないか。

たとえば、果たして、このことを「政治問題」として読み替えることが、渦中の人自身の福利になるのかどうか、あるいは、今後その地で表現活動をしたいと思っているわれわれ自身の福利になるのかどうか、そこまで考える視点、つまり「闘争せずに勝利を得る」という視点と戦略とを十二分に吟味しているだろうか。こうしたこと一切を、あらためて熟考する必要がある。

フルスケールの「政治闘争」となって得をするのが誰なのか、そして、誰が一番貧乏くじを引くのか、考えてから行動したい。保守的に響く発言だが、今は「その渦中にいる人」がどのようにしてそのトラブルから離脱できるのかを優先して行動する(あるいは、行動せざる)べきではないだろうか。ここはひとつ新たなニュースが来るまで黙って見ている、というのが良い。(という自分が、こんなものを書いた矛盾には、どうか皆さん目をつぶって下され。)

まったくもって、抽象的な「例えば」の話なんだよね、これは。



20:39:00 - entee - TrackBacks

2005-05-06

ゴッホの「黄金色」そして梶井基次郎の見た「檸檬」の輝き

美術三昧の3日目。だがその前に...。

先日のライヴでピアノの上に放置した財布に「足が生えて」立ち去った事件であるが、練馬の警察署からの連絡で財布が拾得されたと通知される。出てきたのである。足が生えて立ち去ったが、自分の足で私のところには戻ってこず、その代わり人に拾われて、しかも出てきた場所が阿佐ヶ谷ではなく、私が行ったこともない某所からである。実に面白いな。電車とバスを乗り継いで「遠方」の警察署に出向く。いずれにしても、すでに凍結して現金を下ろせなくなっている銀行のキャッシュカードやら、もはや期限が切れて使えなくなった運転免許やら、もろもろのカード類がそのままになって出てきたのである。だが、現金の類は小銭を含めてきれいさっぱり「吐き出された」状態であった。財布そのものが戻ってきたのは良かった。だが、全く選択的に財布の中から金品がなくなっていた。「不幸中の幸い」と人からは言われたが、そうだろうか。お陰さまで、カードからは知らない人の指紋やら何やらがついているし、気持ち悪いったらない。

鬱陶しい雨と気分を転換すべく、駅近くの珈琲屋に入って席に着くと、ゴッホの複製画が目の前にある。気を取り直して、竹橋の国立近代美術館へゴッホ展を観にいくことに。雨が降っていたことに加えて「平日」であったためか、5/3に初めて来た時よりは全然混んでいなかったのは幸い。とりあえず、舗道まで溢れるほどの行列とかはなかった。中に入ってみると確かになかなか進まない列や人の頭で観づらいところはあったが、イライラしたり耐えられないほどではない。また、あまり近距離で観たくない絵もあって、列から離脱したり、隙間の空いているところに適当に移動しながら縦横に鑑賞することも可能だったので、その人の数さえあまり気になるほどではなかった。もちろん、人は少ないにこしたことはないが、私もその集団のひとりだから不平を言っても仕方がない。

ゴッホの原画というのは今までも「単品」であちこちのミュージアムの常設展示とかでいくつかを観たことはあったが、これほどのまとまった数で、しかも適度に調光された光の下で観たのは初めてである。また、同時代の画家による作品との併設展示もあっていろいろ見比べられるのは、私のような美術に関してシロウトにとっては、いろいろなことを憶測したり学習することができて有り難いのである。

よくご存知の方なら反論もあるかもしれないが、それにしても、ゴッホの画風がまったく突如として突然変異のように世に出現したというよりは、ある種の同時代の作家のさまざまな手法(例えば点描など)を自分なりに試したり取り入れたり、取り除いたり、はたまたミレーなどの「古典」の熱心な模写を行ったり、という試行錯誤の果てに到達したものだ、という感を新たに得た。また、色彩のない初期の<<職工>

それにしても、油絵の具の「照り」と輝くような色の艶やかさは、とても百二三十年前の古典絵画を見るような感じはしない。私はまずその絵の具の、つい昨日描かれたように見えるその新鮮さに、原画からしか感得しえない感動を覚えた。これは、最初に特記しておきたいことだ。

■ 職工 ─ 窓のある部屋 (1884)
正面の窓を通して黄金色の光が美しく描かれていて、逆光の中で織物をする職人の顔の輪郭や糸がそれを反射して黄金色に輝いている。これは、1889年から始まるサン=レミの燃えるような一連の作品群に先立つこと5年前の作品だが、黄金色に輝く「あちらの世界」の光の萌芽があるように思った。

■ レストランの内部 (1887)
併設展示のシニャックやリュスといった点描の画家たちの追求したのと同様の作風が濃厚に見られる作品。なんと言ってもレストランの壁にかけられているファン・ゴッホ自身の絵というのが、同じ日に珈琲屋で見たように、あたかも現在ゴッホの複製画が当たり前のようにレストランや喫茶店の壁に掛けられているのを預言するかのような作品(Aquikhonne曰く)で、楽しくも明るいレストランの内部の風景は、実際のゴッホの人生を思うに、かえってやるせない気持ちにさせるものである。ゴッホの悪戯はおそらく彼自身の祈念を反映している。

■ 芸術家としての自画像 (1888)
手にパレットを持つ自画像。解説によると、このパレット上の「絵の具が、色彩を混合することなく用いられた」形跡を残しているのであり、それはつまり印象主義や新印象主義の影響を物語っているらしい。その辺りは、どれだけエポックメイキングなことなのかはよくわからないが、混ぜられることなく絵の具が展開されていることは確かにキャンバス上からも伺える。しかし私が印象深く感じたのはそういうテクニックのことではなくて、ファン・ゴッホ自身が羽織っている、ボタンのひとつだけ付いたマントのような衣服であった。これが実に、同年に描かれた<<夜のカフェテラス>

■ 夜のカフェテラス (1888)
今回の「ゴッホ展」のポスターにもなったいわゆる展覧会の目玉のひとつ。この絵を見てただひとつだけ書きたい個人的なこととは、梶井基次郎の「檸檬」の次のくだりである。ちょっと長くなるがそのまま引用する。

「そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。」

断言しても良いが、ファン・ゴッホが見たものと梶井基次郎が見たものは、ほとんど同一ものだ。そして基次郎を魅せた檸檬の輝き、「電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛」「裸電球が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ射し込んでくる」それとは、ゴッホの描き続けた「黄金色」に他ならない。われわれは、その色に魅せられる。

■ サン=レミの療養院の庭 (1889)
あまり手入れに行き届いていないような雑草が生い茂り、花をつけた木々の葉のひとつひとつが生命の息吹を発散していて、ほとんど「やかましい」ばかりである。ベンチが草に埋もれそうなほどの手入れの行き届いていないこのような庭自体が、最も美しい。解体が始まっており、近々「やがて記憶の景色」と化してしまう我が家周辺の都営住宅廃墟周辺や公園予定地の草むらを思い出させる。ゴッホは狂気と正気の狭間で、そうした息吹に美を見出していたのだ。

■ 糸杉と星の見える道 (1890)
解説によれば(あるいはゴッホ自身の記述によれば)、これは夜景であるそうだが、絵自体からは、描かれている糸杉の右手にある「三日月」からかろうじて推測できるものだ。だが、これが夜景であると諒解しなければならない理由が私には分からない。白っぽい道も、そこを行く人々の姿も、それが夜の道であるというなんの証にもなっていない(私には)。三日月であれば、道をあれほどの明るさで照らす「月明かり」であるはずがない。題名から伺える「星」も、その輝きは、誇張されているとは言え、まるで太陽のようだし、三日月よりも強烈な光を発しているように見えるその天体は、明らかに「太陽」を意識したものだ。そのことから僅かな私の知識の告げるところは、この絵画の描いているものが、夜景でも昼間の景色でもない、ある抽象的な(というか、現実にない)風景であるということである。それは、中央に堂々と据え付けられた燃え立つ糸杉によって左右に分断される。そしてそれぞれの世界は、三日月と太陽のように輝くもうひとつの天体、によって象徴される。これはまさに、われわれの住む「非対称の世界」そのものである。

そればかりではない。「月の下」にある右手の遠くの世界から、「太陽の下」にある左手の近景へと蛇行しながら進行する白い川では、人が押し流されているの図なのである。そして、白い道の向こうに描かれている黄色い穂をたわわに実らせる「畑の階層」は、右奥から左手前へと近づくに従ってまるでグラフのように幅広くなり、「収穫」が近いことを告げている。これが、単に「夜景」にほかならず、黙示録的なものでないと一体誰が言えよう?

■ 全体として(あるいは「神話解体」への立ち会い)
今回のゴッホ展は、展示作品の図版集に収録されているエフェルト・ファン・アイテルトによる論文が冒頭でも断っているように、「ゴッホに関する神話」の客観化がさまざまな研究によって進行する*今という時代を、おおいに反映したものであったのではないか。それが、今回の「ゴッホ展」の特徴とさえ言えるのではないだろうか。良い悪いを言っているのではない。ゴッホ神話とは、アイテルトによれば「近代芸術が社会の評価を得るための苦闘の中でたおれた殉教者」「社会によって自殺させられた犠牲者」という天才画家のイメージである。神話を信じる理由も経緯(いきさつ)も、われわれの間にさえ、さまざまあるだろう。だが、その殉教者のイメージというのが、「精神を病んだ不幸な画家(殉教者)に自分自身を重ね、ファン・ゴッホの名を借りながら、世間一般の順応主義に対してあらん限りの怒りをぶつけた(アイテルト)」らしいアルトーのように、ある創作家に対する評価が私怨によるものが幾分でもあるのだとしたら、私はそれをそのまま字義通り受け入れることはできない。すくなくとも、その「古典的ゴッホ像」でゴッホを知るに事タレリとするのは、やはり十分ではないと考えるのだ。

* 「今日では、フィンセントの作品がいつどのように売られ、彼の名声を築き上げ永続させるために遺族がいかなる努力を払ったかを含めて、彼の生涯と死後の評価の形成を正確にたどる事ができる」(同アイテルト)というのだ。

すなわち、神話とともにある作家の幻影を、自分の受け入れたい形で受け入れている状態よりも、神話が解体されて、再び作品と各自が向き合うという状態の方が、遥かに健全であると私には思えるから。私は、作家への幻想の喪失(“幻滅”と言ってしまっても良い)によって、作品を見る目が変わるくらいなら、それだけの事だったわけだし、ファン・ゴッホの作品が、「幻想の喪失」によってその質自体が簡単に失われてしまったり「再評価」されてしまうほど脆弱なものとも思えない。つねに、初めてそれに出逢ったような目で、われわれ自身が何度でも作品と「出逢えばよいこと」だと信じている。


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2005-04-15

日本の「民度の高さ」に乾杯!

隣国による反日運動を指して、「やはり民度の低い野蛮な国だ」という発言があった。「やっぱりなぁ、そういう他国のネガで自国の優越を感じてしまうひとが日本にはまだまだいっぱいいるんだろうなぁ」と感じ、実に残念。

どんな理由であるにせよ、実は、こうした考え方が、ある一定の現象から一刀両断に国全体を(あるいは民族全体を)演繹的に判断して済ませるお手軽な思考法の典型である。こういう方々は、おそらく今回の反日運動がなくても、そもそもその隣国に対して既に特定のネガイメージというものを持っていて、それが裏付けられるように思ったので、「反日運動」のような今日的現象を進んで取り上げ、満足げに、独りごちるのである。しかも、「日本では 他国の国旗を燃やしたり 中華料理屋や フランス料理店を襲撃したり」しないというような比較で、その隣国に勝っているとでも思いたげである。

こういう方は、そもそもどうしてそのような反日運動があるのか、というような歴史をさかのぼって検証するというような知的作業には、もとより無関心なのであろう。だいたい、それを始めると自分の後生大事に持っていたい独善的「自慰史観」そのものの根拠が失われるからである。

こういうレベルでの他国との比較や自国優越感が好きな方々は、どうやら日本人は「民度が高い」とさえ思ってらっしゃるのだが、その日本人の「民度」たるや、その実態を知れば目を覆いたくなるほど「お愛でたい」ものである。というより、その「洗練された高い民度」が、ある帝国宗主国への「羊の群れ」のような半世紀年以上に及ぶ絶え間ない隷属と「植民地的被支配」を可能にしてきたのだ(しかもそれを被支配者に気付きさえさせずに)。そして、自民族の危機など、必要が迫っても声も上げず、盗られるだけ盗られてよしとする一方的な宗主国への奉仕は、経済的なことのみならず、これからは人命によっても支払われる、そうした国に日本はなっていくのである(このままでは確実に)。だいたい、在日米軍への「おもいやり予算」で支払われているあの金額は一体何だ? 全く正義のない「イラク戦争」に腰巾着のように進んで加担する日本政府の非人道性は一体どういう「民度」なのだ? そして憲法を無視して「集団的自衛権」だと? それが日本人の「民度」の程度なのだ。

経済的なことだけをとっても、現在進められつつある郵政事業の民営化(すなわち、日本国民の数十年に渡って貯めに貯めてきた老後のための箪笥預金などのリスク化)によって、長銀の米投資ファンドによる「買い叩き」どころのスケールでない途方もない大きさで、あれよあれよという間に米帝国への上納金となるであろう(全く「合法的」な手続きによって!)。そのために、着々と小泉首相や竹中経済財政・郵政民営化担当相は(売国奴とも呼ばれずに)そのプロセスを進めている訳だが、こうした自分たちの財産権や安全権を簡単に国家に譲り渡してしまうような意識の低さが、「日本の民度の高さ」なのである。おめでとう!

石を取って、米国大使館に投げつけるくらいの「民度の低さ」にわれわれはむしろ見習うべきではないのか? なんて言うと、まるで破壊行為にひとをアジっているみたいだが、そんなことを頭の中で想像したくなるほど、日本人の国内政策に対する無関心、そして「従順」が、我が「民度の高さ」を支えているのである。Fuck our mindo!
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2005-04-13

「靖国問題」に対する批判は内政干渉ではない

国家元首による靖国神社参拝に対する批判は、中国のみならず日本国の内外の誰によって成されても可笑しくはないものである。むしろ、「なぜ」そのような批判がなされるのか、という歴史的経緯について、日本国内での知識や認識がなさ過ぎる。靖国の問題は、日本の宗教と政治を分ける政教分離の原則に反する憲法違反であるという重大事さえ含むが、それをとりあえず棚上げしても、そもそも内政云々の問題ではなく、まさに日本の外交政策そのもののもたらした結果と言って良い。よその国の宰相が批判するということを「内政干渉だ」と呼ぶのは、日本の政権やその取り巻きが批判をかわすために採っている常套表現であって、それをわれわれのような一般人が無反省に繰り返すことは、単なる政府の代弁者になっているに過ぎず、自分で考えたり調べたりしてものを言っている態度からはほど遠い。

そもそも、どうして日本の政治家による靖国参拝に対して批判があるのか、ということについて、われわれはどれだけ分かっているのだろうか?

1978年に日中間で締結された「日中平和友好条約」というのがあるが、その際、中国は日本への賠償請求権を放棄し、形式上、「日本の戦争責任がA級戦犯を中心とする一部の人々にあり、日本国民の多くは犠牲者であった」と、いわば大人の解釈をすることを選んでくれているのである。われわれ現代を生きる日本人が、「戦時中の日本国民の多くは犠牲者に過ぎなかった」という考え方をそのまま鵜呑みにすべきかどうかは、また別の課題であるが、とにかく、条約締結当時の中国政府は、先の解釈を以て、中国の内政的には多くの犠牲者やその遺族を抱える中国人民を納得させ(黙らせ)、外交的には以前の加害国たる日本との「前向きで未来志向」の関係を結ぶことを選んだのだ。

しかるに、条約締結国の一方である日本においてはどうか? 単なる一個人としてならまだしも、国家元首たる首相が、公人としてA級戦犯を祭っている日本の戦時体制を象徴する、その靖国神社(私的宗教法人である)に参拝するということは、大人の判断をしたその中国政府の顔に泥を塗るということなのだ。そうした日本の不誠実に対し中国が怒るというのは、至極真っ当なことである。つまり、靖国問題が単なる日本の内政の問題であるというのは、完全な認識不足であって、まったくもって日本の外交政策上の一貫性と節度のなさに帰されるべき問題なのである。
参照:小泉首相に“歴史観”はあるのか(窒素ラヂカルの「正論・暴論」)

われわれは、植民地支配下で抑圧された経験がない。だが、もしわれわれの立場が全く逆で、暴力的かつ抑圧的な植民地支配をされていたとしたらどうだろう。しかもその支配国と抵抗の闘争をし、多くの同胞の血を流したあげく独立を勝ち取った後も、その植民地政策の加害責任を持つ相手国が、戦争に負けた後でも未だにその加害責任について無自覚であるばかりか、その責任者が「神」となって祭られているところに、いまだに現今の元首がお参りをする... こういうことが起きたとしたらどうだろう。そういう態度を、われわれの目には「不誠実であり反省していない」と映るであろうことは想像に難くない。ましてや、友好関係樹立にあたって、われわれが当然持っている賠償請求を取り下げる代わりに、当時の植民地政策の責任者を敬うのは「今後一切止めろ」と求めるのは当然であろう。これは相手の立場に立って考えられるか、というまさに想像力の問題なのである。

加えて、靖国神社は、断じて単なる戦死者を葬っただけの国立の戦没者慰霊設備ではない。もしそういうものであるなら、日本人/外国人/在日外国人を問わず、あるいは空襲によるか戦闘によるかを問わず、戦争が原因で死んだあらゆる人々の霊を慰めるものでなくてはならない。だが、靖国神社はそういうものではなく、特定の信仰を代表する私的一宗教団体で過ぎないばかりでなく、先の日本の戦争を美化し、戦地にて戦死した軍人だけを軍神として祭り上げた上で、日本に戦争責任などはない、などと未だに嘯(うそぶ)いている集団なのである。そして、A級戦犯として裁かれた戦争責任者が、その他の一兵卒として闘って死んだ兵隊と共に合祀されているのである。百歩譲って、私的宗教法人が何を教義にし、何を信じ、どれだけ信者を集めようと、それはその法人の勝手だが、そこに国家元首が私人としてではなく、公人として参拝をするということは、外交問題になって当然なのである。

中国の学生が騒ぎ始めているということには、「靖国」や「教科書問題」だけでなく、いろいろな政治的背景や動機があるだろう。国内問題を外にそらすという意図がないとは言いきれない。だが、問題の本質はそこではない。そのような政治ツールとして学生運動が利用されているとしても、発端となる種をまいたのは他でもない日本なのである。したがって、今後、日本の対応いかんによってはもっと激化してもおかしくはない状況である。おそらく、日本からの明確な返答があるまでは中国が幾度でもこうした「挑発」ともとれる行動に出ても不思議はない。政治問題である以上、中国の政府主導による陰謀や操作があったって不思議はない。だが、それは、お互い様である。

しかし、中国が今どうしているか、ということではなく、日本がこれまで中国に対し、あるいはその他の植民地支配をしたアジアの諸国に対しどれだけ不誠実であったかということが、そもそもの根本原因であるということをわれわれの方が自覚する必要がある。他国の残酷な植民地政策からなんとか逃れた戦勝国なら、当然持っている賠償請求権を、自主的に放棄した中国政府が、それによって友好関係を築こうとした相手国から、なんらの誠実性も納得できる説明も期待できないばかりか、未だに戦争責任者として裁かれた時の指導者を礼拝しているとなれば、最後は「もはや自国民を黙らせている必要がない」と判断したとしても不思議はない。これは、彼らがそれだけ納得できていないし、怒っているというサインを送ってきているということなのだ。怒っている側の主張に耳を傾け、自分たちに何ができるのかを考えることこそが、隣国と争わずに隣人として共存して行く、本当の意味での「未来志向」であるはずなのだ。

全部賛同できる訳ではないけど、まだ、こういう言い方の方が、まだましだとおもうんですよね。
23:27:11 - entee - TrackBacks

2005-03-15

映画『パッション』を斬る:
われわれにはもうそのような巨大なイコン(遺恨)は要らない

映画『パッション The Passion of the Christ』の映画の示した製作陣の想像力と創作力の欠如は、あまりに明らかである。メル・ギブソンがカトリックの信者であるとか、巨額の私財を投じたとか、あらゆるこの映画を伝説化する多くの美辞麗句を用いた風説が語られ、日本でも、呆れたことに、おおむね肯定的にその「衝撃」を受け入れているかに見えるが、それら一切が本作品の本質を語ることとは無関係である。

この映画は人間の想像力の衰退を映像的に補うという目的で正当化できるとでも言いたげな、だがその実、人々の想像力の欠如にむしろつけ込んだ映画であるとさえ言える。映画が、人間イエスの肉体的苦痛(だけ)にフォーカスしたことは、福音書の映画化というかつても存在したいくつかのプロジェクトの中でも、確かに今までにないアプローチであることは認めても良い。だが、人間イエスが通過した肉体的苦痛の映像的な再現とその強調表現というものを通して達成出来る「彼ら」のゴールとは、怒りと悲しみ、そして、それを成就させたある種のグループへの遺恨というネガティブな感情の醸成でしかないだろう。その結果としてなされることとは、「人と人を分つ」ということである。

確かに、聖書そのものに、そうしたネガティブな感情を作り出す側面があるということが、この際より明らかになったという意味で、別の評価も出来るものかもしれない(だが、それへの極端な反応が映画を見た人々による現代を生きるユダヤ人への憎悪の亢進という、ある程度予測可能だった異常な事態である)。だが、本稿は、聖書そのものの、あるいはキリスト教そのものへの批判を眼目としたものではない。そのような考察は容易にこの批評の範囲を超える。*

[* ましてやアンチキリスト教信仰者でもないばかりか、キリスト教のもたらした象徴的世界の<実現>のまさに渦中にわれわれ自身がいる以上、その宗教への安っぽい批判は、実のところ、その象徴的な出来事の<成就>に手を貸すことにはなっても、「批評できる以上客観的である」ということにも依然としてならず、いつまで経ってもその影響下から抜け出すことが出来ないというパラドックスに陥るのみである。だから、ここでは映画に対する批評にその射程を絞ることにする。]

もちろん、イエスが痛みを感じる存在 -- 人間である以上、彼が体験した肉体的苦痛というのは、映像化されるまでもなく、新約聖書の福音書を読み、中世の時代から繰り返し描かれてきたキリストの受難を描いた絵画(イコン)を見れば、十分に想像出来るものである*。映画化されたショッキングな映像を通して初めてイエスに起きたことを悟るというのでは、まずは信仰者としてあまりにお粗末という以外にない。だが、映画はそうした現代人の想像力の欠如を最大限に利用して、むしろ宗教に対して熱心なばかりで怠惰であり続けられる自称信仰者を容易に間違った方向へ導くものである。

[* イエスが人間である、と(とりあえず)断定するこの文章を、イエスの神(もしくはそれに準ずる存在)であると信じる信仰者の側からすれば、笑止なものであると受け取る可能性があるが、「イエスが人間ではない」と信じたい人々に逆に訊きたいのは、もし人間でないとしたら、彼の体験した痛みに一体どんな意味があったことになるのだろう? 彼がわれわれと同じ肉体を持った人間であったからこそ、その「受難」に意味があるのではないだろうか?]

映画『パッション』は、新約聖書の(福音書の)中で描かれるイエスの肉体的な受難だけを、しかも最期の12時間だけを選択的に映像化したものである。そして、その抜き出し方そのものの中に、制作者の具体的意図がある。言うまでもなく、今回映像として抜き出された部分だけが聖書のすべてではない。しかし、受難だけを選択的にドラマ化したことによって、聖書を自ら参照することをせず、また自習しない極めて多くの一般的な(自称)クリスチャン、もしくは若いクリスチャンの精神に与える影響は無視することが出来ないほど絶大であると言わなければならない。

聖書の詳細を幾分なり知る者たちや、ある程度の自覚を以て読んだ者たちとっては、映画の大半を占める受難シーンの中に出てくるいくつかのエピソードは、一般教養のレベルで知っていることであろうが、映画で初めて知るというのに近い非キリスト教圏のほとんどの鑑賞者、そしておそらくほとんど日常的に聖書を読むことのない非常に多くのキリスト教圏の鑑賞者にとってすら、説明なしにそれがどのような意味を持ったエピソードであるのかが分かるような映像構成にもなっていないのである。

人間の残酷さとそれを受けるイエスの痛みという肉体的受難を描くことにひたすら傾注しているこの映画は、束の間、フラッシュバック的に描かれる「過去の出来事」として、聖書で言及されるいくつかの重要なエピソードが断片的に見せるだけである。だが、それは聖書を知っている人によるひっきりなしの注釈が必要なほど、不完全かつ不親切に描かれている。その点だけを考慮すると、最期の12時間に起こるいくつかのエピソードの扱いが、それらをある程度ベーシックな知識として了解している鑑賞者をターゲットと想定しているとも考え得るのである。また、極端な暴力シーンの連続であるこの映画は、残虐な暴力シーンを含む映画に対してもっぱら厳しいレイティングを施す合州国では、大半の子供が観ることが出来なかっただろうことは想像に難くない。この2点から言っても、イエスの受難劇をある程度了解している人(おとな)が、自分の聖書体験を映像で追体験、あるいは再発見しようというのが、鑑賞者にとって『パッション』を観る動機であるように思える。だが、もしそれが正しいとすれば、このことはイエスに起きた肉体的な受難が「どれほどにひどいものであったのか」という下世話な興味を満たす位の効果しかないことになる。分かりやすく言えば、この映画から学べることはほとんどなく、サディズムやマゾヒズムを満足させる映画なのではないかと邪推したくなるほど程度の低いものなのである。

したがって、逆にこの映画で初めて聖書の世界に入ってくるという人々にとって、これが適切なイントロダクションになり得るかということは、十分に検討されなければならない。

この映画を観る前と観た後で、われわれはどれだけ賢くなっているか。このことを問う必要がある。この映画はわれわれに何か新しい哲学的省察の端緒を提供しているだろうか? あるいは、聖書や宗教に対するあらたな視点というものを提供してくれるだろうか? イエスという「人物」の持っている根源的な矛盾や、イエスのもたらすメッセージ中のダブルスタンダード、さまざまな人間臭い悩み、そしてやがて「救世主」に成っていくことに付随するパラドックス、ユダヤ律法者やイエスの弟子たちのコミュニティに発生する対立や困難、親友の裏切り。こういった肉体以外の「受難」、人間集団にもたらされる受難をこの映画は描いているだろうか? あるいはポンティス・ピラト自身の立場やローマ辺境の地の政治的背景は描かれているだろうか? マグダラのマリアが一体どういう役割を果たしたのか? そうした一切が描かれていない。映画に登場する人々の半分は野卑に預言者に苦しみを与えることに喜びを見せ、残りの半分は苦悶するばかりであるが、何を苦悩しているのかが分からない。苦悩しているらしいことが、母マリアの顔を絶え間なく伝う涙や苦痛の表情を通して表現されるだけである。そこでは即時的な苦悩は表現されるが、人間のドラマが描かれることはない。息子が痛めつけられて苦悩することを描くのなら、普遍的に現在でも世界の至る所で起きているのであり、イエスと母マリアでなくてもいいはずなのだ。

以上のような聖書や人間イエスの周辺に現れるあらゆる矛盾や苦悩、そして何よりもイエス自身が通過しなければならなかった精神的な受難と変容。こうした内容がふんだんに盛り込まれているのが、ニコス・カザンザキスの原作を元にマーティン・スコセッシによって監督・映画化された『最後の誘惑 The Last Temptation of Christ』である。

様々な点で、『The Last Temptation of Christ』は、メル・ギブソンの『Passion』を凌いでいる。ほとんど比較するのもバカバカしいほどである。サウンドトラックの音楽に関してだけ言っても、後者のは、前者のサウンドトラックにおいて実現されたあらゆるアイデアの恥ずべき盗用と評価したくなるほど、「いいとこ盗り」である。聖書ものの映画にあのような音源を当てることを考えついたのは、Peter Gabrielの業績なのである。

メル・ギブソン曰く、「私の望みは、ユダヤ人を非難することではなく、キリストが我々の罪を償うために味わった恐ろしい苦難を目にし、理解することで、人の心の深いところに影響をあたえ、希望、愛、赦しのメッセージが届けられることだ」(公式サイトからの引用)。一見、いくらでも良心的に解釈できそうなコメントだが、彼は自分の語るところの「キリストがわれわれの罪を償うために味わった恐ろしい苦難」という彼なりの聖書「理解」を語ることで、図らずも現代における典型的キリスト教信者に共通して見出されるキリスト教に対する「大いなる勘違い」の領域から一歩も踏み出していないことを自ら露呈する。メル・ギブソンを含めて、過去の「実在の人物」に起こった受難が、その未来を生きる「今日のわれわれの罪」まで償うことになるというご都合者的な欺瞞、現在のわれわれを故なく免罪する論理上の破綻、その両者を容易に見逃す。キリストに起こった受難とは、その「4つの福音書」を通じて預言された<現在>を生きるわれわれにこれから起こる、そして既に始まっている受難を、象徴的に表しているものであるということにまったく気付いていない。

いくら語っても足りないほどだが、映画自体を(そして聖書そのものを)理解し、批評的に鑑賞することなしに、この映画がわれわれを哲学的省察に導くことはない。だが、もし人と人を分つことに働くならば(そして、おそらくそのようにしか働かない)、それは本来聖書の意図したことから大きく逸脱したものと言わざるを得ない。

聖書自体が最後にこう断っている。「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、私は警告する。もしこれに書き加えるものがあれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉を取り除くものがあれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」(ヨハネの黙示録22-18)と。これは、新約最後の預言書の、そのまた最後に書かれた警告であるが、それは、聖書全体に対する「取り扱いに関する注意」のようにも見える。聖書を一部引用してそれを「作品化」した映画『Passion』は、その点ではキリスト教原理主義者を喜ばすような体裁にはなっていても、聖書自体を正しく参照していないという点で、すでに原理(原典)主義的アプローチからもほど遠いのである。その点、一方の受難映画『最後の誘惑』は、何を参照しているのか、すなわちニコス・カザンザキスの哲学的省察をもとに作品化したことがきちんと最初に明記される。だが、映画『Passion』は、そのような断りもなく、大いに権威的なプレゼンをするのである。だが、よく言っても、あくまでも2時間に渡って延々と描かれる、メル・ギブソンの私財27億円をつぎ込んで造られたイエスの壮大な「苦しみのイコン」再創造プロジェクトに過ぎなかったのである(映像作品的には多くの盗用の末にできた再創造であるが)。誇大妄想狂の至った最後の作品が、キリストの受難だったというのは、いかにもありそうなことではある。

「聖書からの抜き出し方そのものの中に、制作者の具体的意図がある」最初に言ったのはまだに、そのためである。
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2005-02-22

反精神論の音楽論 あるいは、非・霊的音楽論

今更ながらのことで、敢えて私が言うようなことでもないだろう。だが、世の中には「音楽」と呼ばれるものが実に多くあっても、「およそ音楽と呼ばれるに相応しいもの」のなかに、そう易々と作られる(演奏される)ものはない。ただ、その「難しさ」にはいろいろな種類があって、ただ音を出すのだけでも難しいという「発音」レベルの難しさもあれば、指や腕を自在に動かすことの難しさもある。また、音色や音量を操る困難がある。これらのこととも切り離せない密接な関わりのあるのが、フレージングの難しさという「音を出せる」「指を動かせる」というレベルの次に待ち構えている困難である。さらには、他人の出す音とどのように合わせていくのか(あるいは「合せない」のか)、という「アンサンブル」上の困難というものもある(「アンサンブル」については一度書いたことがある)。いずれの場合も、どのような音を目指すのかと言う、一旦身体の外部に存在したことのある、いわば「既存にみとめられたことのある音型への接近」という、演奏者にとって避けて通れない課題が存在するからこそ、起こってくる困難であるということも出来るかもしれない。換言して、これはイメージ(形)への接近という取り組みである。この「イメージ」を便宜的に私は「外在したことのあるもの」と呼んでいるのである。踏み込んで言えば、こうした一連の「困難」は、取り組むに値するものであるし、追求するに必ず喜びを伴うものでもある。つまり、この困難と喜びこそが音楽においてまさに表裏一体のものなのである。

だが「困難」か「喜び」かという議論は、この際、問題の対象ではない。それを生み出そうとしている状況や結果によってどちらにでも転び得るものだし、「どちらが真か」というような問題ではないからである。しかし、以下のことは議論に値する内容であると信じる。それは、「困難」が、容易に音楽家による「精神論」に結びついてしまうという問題について、である。

■ 「かたちから入る音楽」への反省という歴史
人によっては意外なことであるかもしれないが、音楽に関してある程度の習熟を得ている者たちにとっては、「外在する音型を目指す」ということ自体が、すでに「疑問の対象」となって久しいということがある。これは目指すものが、「外在した音のイメージ」ではなくて、あくまでも「内在的なイメージ」であるという、ある程度のまとまった数の人々が口にし始めている別の「正論」のせいでもあるのだ。つまり、外在したイメージの追求は、「かたちから音楽に入るのはどうか」といういかにも説得力のある言い方で忌避されがちなことでもあるわけだ。こうした「かたちから入る音楽」を批判的に捉えている音楽家というのは、当然あるべきイメージがわれわれに内在したものであるべきだ、と言うある種の精神主義によって支えられている。

一度外在したもの同士に存在するひとつひとつの違い(個性)はこの際、問題にならない。それは、音をイメージ通りに具現化した後で問題となる末端的な違いに他ならないからである。他のすべてが型通りに外在化できたからこそ初めて問題になるレベルの話である。

ここでひとつ忘れてはならないのは、およそ「精神主義」や音楽に関するある種の「知恵」というのは、どのようなレベルの修行者にも等しく理解されて良いものではないということだ。ひとつの教えを、あらゆるひとのあらゆるレベルに当てはめてしまうということは、実はミソとクソを区別しない勘違いと大差がない。ただし断っておくがここで言う「知恵」というのは、特定少数の人にのみ公開されている秘儀とは関係がない。

■ 模倣の非神秘 vs. 霊的神秘主義
反論を覚悟で繰り返せば、あらゆる音楽は「物まね」から始まる。つまり外在するイメージの模倣である。あるいは、「かつて外在した音のイメージ」の模倣と言っても良い。しかるに、音楽は心象風景を表現することだとか、精神的活動だとか、あくまでも人間(演奏者)の内的存在の具現化だとか、はたまた自分の属するある種の霊的存在への奉仕であるとかいう、まったくもって反論のし難しい「立派な精神論」は存在しているし、そうした事々が常に多くの演奏家たちを奮い立たせてきた一方で、大いに惑わしてきた言説のひとつようにも思えるわけである。

特に本論で問題にしたいのは、たとえば、精神論の中には音楽以前に演奏家がどんな郷土を持っているのかであるとか、どんな民族的バックグランウドを持っているのかなどという、まかり間違えば、特定の人間にはそれに取り組むこともできない(取り組む資格がない)とさえ取られかねない内容を含むことを、差別と思わずに(あるいは自己の優越意識を自覚せずに)平然と言い切れる人がいる。もちろん、音楽に取り組むにあたっての、ある特定の精神論を過小に評価しようとか、無意味だとか言うつもりもない。それについては後述する。

だが、霊的精神主義は、限られた数の儀礼通過者が、自己の存在価値を自己の作り出す音楽そのものから得ようとして得られない場合の「頼みの綱」とする、いわば選民意識(エリート意識)の様なものとして働く。おそらくたいていの場合、そのような意識を芽生えさせる本人は、そのことに無自覚なのである。

実際問題、自分の関わる音楽創作が特定の人間にだけ許された特権的な「作業」であるという考え方(思想)は、常にある程度の技術を持った人にとって抗し難い魅力であったということは理解できなくもない。それは、先達から弟子への、音楽的な、さらには音楽から観れば副次的な、ある種のイニシエーション(洗礼的な通過儀礼)を経て、今なお伝えられている可能性がある。こうした通過儀礼的体験が、音楽性そのものを深めるという可能性も完全には否定できないが、むしろそれは本人の関わっているある種の音楽へのコミットメント(献身的取り組み)を強化するための、きわめて効果的な方法のひとつと考える方が妥当なのだ。
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2005-02-02

映画『生きない』、そして、生きようとした実録『全身小説家』

■ ビデオ鑑賞第1弾 『生きない』
借金を抱えて多額の生命保険をかけた自殺願望の「有志」だけが13人集まって、事故を装った「集団自殺」を決行するために企画した「沖縄バスツアー」。そのなかに、行けなくなった人の代理人として事情を知らずにツアーに参加してしまう若く前向きな女性。さあどうなる? という感じの、ダンカン主演の『生きない』を鑑賞。監督は、清水浩。清水さん。昭島で即興工房やっていると思っていたら、こんな映画創っていたんだ。やるじゃん。すばらしい出来です。(なんて、爆!)

それにしても、死ぬには体力と工夫が要りますな。死ぬための体力と行動力。事故と見せかけるための工夫と計画。実に面白い。あれだけの行動力と未来を見据えられる想像力があれば、ボクより元気に生きられるよな、という感じ。死に向かって疾走するバスの中で、ある自殺志願者に発作がでる。すると皆で必死に介抱する。死のうとするほどに、生き生きとした生があり、生きようとしたときに死は突然やってくる。これは、実に良いテーマです。なんかカミュかカフカの小説を読んだような感じ。ダンカンさんって、初めてちゃんと見たんですが、はまってましたね。良い作品でした

■ ビデオ鑑賞第2弾 『全身小説家』
その後、先日観た、原一男の映画『またの日の知華』がきっかけで、以前からビデオに録っていた『全身小説家』を「再読」することに(一体いつ睡眠とるんだ?)。二度目の鑑賞のせいか、今度はその映像の捉えた内容が以前より頭に入ってくる。本を読むときと同じだ。井上光晴という人が何者だったのか、小説一つ読んでいないが、今はそれが分かる気がする。

多くの弟子たちの前で、権威者然としているが偉そうにではなく、むしろ爽やかに、そして、容赦なく、挑発的に弟子たちを叱咤する。ほんの15, 6年前の映像であるにも関わらず、とても古い時代の日本人を観るような気もする。叱咤され、否定され、それでもそれを快感に感じて付いていこうとするように見える弟子たち。こうしたメンタリティというのは、日本人にとっては案外まだ当たり前に師弟関係の中には生きていそうだし、かく言う自分の中にも「だめな自分を否定してもらいたい」という、ややマゾヒズムに近いメンタリティがいまだに巣食っていないとは言い切れない。

正確な言い回しは覚えていないが、井上光晴が言いたかったのは、「裸の自分を発揮せよ」というようなことだったと思う(そして、実際に弟子たちの前で率先してストリップをしてみせる。それは象徴的な)。「まだまだナマ緩い。もっとエゴを!」と言っていたようにも聞こえた。これは結局ボクというフィルタを通して自分が勝手にこの映画から受け取ったメッセージであるのだけど。

癌を告知されて入院、手術を受け入れた時点で、彼が病人になっていく過程がまた瑞々しくも痛々しく描かれている。病院と家族と本人のガップリ組んだ三位一体で病人は病人らしく造られていく。あんなに大きく肝臓をとられたら、どんなに元気な人でも骨抜きになるだろうというような、摘出された肝臓のなんとも大きかったこと。そもそも病人ドキュメンタリーを撮るつもりはなかったのかもしれないが、一球の病人ドキュメンタリーになっている(これは連れ合いの弁)。

病人に対して「顔色良いじゃない」とか「いやいや元気そうだね」と元気づけている見舞いの人が何人もでてくるが、その声やその言い回しが、形になった映像作品からは、なんとも紋切り型で工夫なく聞こえてしようがなかった。それがしかも思想家や宗教家の言葉なのだ。

元気のない人に「元気なさそう」ということを言っては行けないとはよく聞く。そのことで一度怒られたこともある。本当に具合の悪い人に具合が悪そうと言ってはいけない、と。でも、本当にそうだろうか? 空虚に響く紋切り型の見舞いの言葉よりも、「お前ほんとに大丈夫か?死にそうか?すごく気分悪そうだぞ!」と言われた方が、ボクなんか却って元気が出そうだからである。「そうだろ、気分悪そうだろ。悪いんだよ。死にそうなんだよ。ちぇ。死にそうだ。くそー死んでたまるか!」となる訳です。だから、「本当に具合の悪い人に具合が悪いと言ってはいけない」というのも、紋切り型の考えなんです。ケースバイケースだし、人によるんじゃないでしょうか? 元気ないと言われて元気が出る人もいるんです。

と、大いに『全身小説家』から脱線したところでおしまい。


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2005-01-28

「あちら」の風(Zefiro)が吹いてきた或る「銀座の夜」

十六分音符は、襖(ふすま)一枚を隔てた「あちら」の側から聞こえてくるようなまろやかさで、転がり始める。それは、クラリネットの1番奏者のごく控えめだが明確に奏者同士の集中を束ねる視線を2本のバセットホルンに投げかけた直後に、あたかもひとつの風琴が作り出しているような1本の有機的な息の技として眼前に提示される。そして、その有名な「フィガロ」のテーマ、その十六分音符群が最初の12小節を終えて、全楽器がトゥッティに突入するとき、たしかに13の生楽器、しかし古楽器だけが作り出すことの出来る柔らかな爆裂音が王子ホールの会場を満たした。たった最初の13小節で、自分が今立ち会っている音楽の非日常性に、思わず体が反応して、音楽の喜びが笑いに変わってくる。それは、あまりに良すぎる音楽体験のときだけ起こる情動的な痙攣なのだ。

金曜日。イタリアの古楽アンサンブル集団、Ensemble Zefiroのコンサートに縁あって行くことに。Zelenkaのアルバムを出したときにそれを知ってもうかれこれ10年経っているので、彼らの音楽を知って早10年の月日が経っていることになる。が、まさか彼らの生演奏に触れる機会があるだろうとは想像だにしていなかった。コンサート情報を前々普段からチェックしていない自分だが、このような幸運に恵まれたのは兎にも角にも得難い友人のおかげである。

今回彼らの演奏した曲目はバロック時代の音楽ではなく、全曲モーツァルト・プログラム。メインは「13管のためのセレナーデ(Serenade Nr. 10)」、すなわち「グランパルティータ」で知られる管楽アンサンブル曲である。管楽アンサンブルそのものがあまりコンサートで聴くことの出来ないマイナーな分野であるが、それが古楽器によるもので、しかもそれが13人集まると言うのは、よほどのことでない限り、ないのではあるまいか。オーケストラのメンバーから13人の管楽器奏者を抽出して演奏するということはあるだろうが、そうなると俄然モダン楽器オケのメンバーによる特別演奏会のたぐいで取り上げられるカタチというのが、もっとありそうなことである。しかも現在では事実上失われてしまった一枚リード楽器、バセットホルンはクラリネットで置き換えられがちなパートであるし、それをその時代の楽器(もちろんそれは復元されたものではあるが)での演奏を耳にすることが希である。

Zelenkaの到達しがたい高みを極めた問題作「2本のオーボエとバスーンと通奏低音のためのソナタ(全6曲)」で、嫌というほどその深い音色と卓越したテクニックを見せつけてくれたAlfredo BernardiniとPaolo Grazzi、そしてAlberto Grazzi(おそらくPaolo Grazziの兄)が、当然のことながら1番と2番オーボエ、そしてバスーンの1番を占めている。この3人を除いて残りの10名は、すべて自分にとって、ほぼ初めてその聞く人ばかりである(調べたら、今回natural hornを吹いていたDileno Baldinという人は、ZefiroによるVivaldi曲集では、トランペットを吹いていたらしいことが判明)。

言及した2本のオーボエ以外では、「13管のセレナーデ」は2本のクラリネット、2本のバセットホルン、2本のバスーン、4本のナチュラルホルン、そして1台のコントラバスという編成になる(コントラバスーンを聴いてみたかったが、そのような古楽器が現在あるのかないのか、この度はコントラバスで)。この編成で残っているモーツァルトの原譜というのは、おそらく「グランパルティータ」以外にはないから、オール・モーツァルト・プログラムをやろうとすれば、曲ごとに演奏者を変えながらということにならざるを得ない。だが、そこはZefiroを率いるBernardini氏が、モーツァルト生前の時代におそらくこのように演奏されたであろうオペラのハルモニー(管楽合奏)バージョンを復元して、グランパルティータのフルメンバーで、「フィガロの結婚」をハイライトの形で演奏したのである。冒頭の「フィガロ」はそのまさに序曲で起きた自分の驚愕と感動を記述しようと愚かにも企てたものである。

グランパルティータは、自分が聴いてきたものはアーノンクールが指揮をしているウィーンフィルのメンバーによるものや「フルトベングラーが指揮をした」ものを含めてすべてモダン楽器によるものであったが、古楽器によるグランパルティータというのは、録音のものも含めて聴いたのは初めてであったのではないかと思う。まさかこのような希有のパフォーマンスを他でもないZefiroの演奏で聴けるとは。

初めて目にしたBernardiniは、一見学者然とした研究家を思わせる風貌をしている。しかしいったん演奏を始めると、自分が楽しみ、さらに人を楽しませようという、衒いのない音楽に対する姿勢があり、音が自然と「客の方に向いている」ところもあり、絶妙なバランス感覚で嫌みでない程度にエンターテイナーとしての要素も持った芸人であることも分かる。だが何よりも、驚くような歌と技巧を同時に聴かせてくれる音楽家である。

マーラーのカリカチュアとして知られる「マーラーの影絵」というのがあるが、鳴り止まぬアンコールへの呼び声に答えて、自らがそれを思わせるような風貌とジェスチュアで「現代音楽」と題する即興演奏を12人の仲間を相手に自ら指揮をした。その12人の演奏家たちの驚くような統率性。ヴォイスパフォーマーたちを指揮をする巻上公一氏さながらにBernardiniが、即興をやる。これで、「現代音楽」の何たるかを、実践的に相対化してくれたのだ。これ以上の、批評というものがあろうか? 彼は音楽創作を通じて現代的音楽のある部分を笑いにして葬ってくれたのだ。

Zelenka録音版で大いに暗示していたBernardiniらのradical性は、今回の演奏会によって、それが単なる想像の世界にだけ存在するものとしてではなくて、「音楽を通じてのヒューモアと批評精神」というものの実在を間近に見ることが出来たのだ。
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2005-01-09

第8回「風の、かたらい」

石内矢巳の主催する詩の朗読と器楽即興を中心としたパフォーマンスあり。今年最初のライヴにふさわしい楽しい展開。主催者の石内さんはビジネスで不在であったが、皆の機転と、そして何よりも彼の一任した松田景子さんの「しきり」によって、難局を乗り切る。彼女には感謝。

出演者はいつものように多様にして多彩。前日に別用で電話連絡のあった黒井絹さんに助っ人を頼んだら快諾。電気ギターを持って駆けつけてくれる(そしてレギュラー出演者よりも早く現場で待機してくれていた)。ラッパの斉藤剛さんにも声を掛けたところ、顔を出してくれる。実に、頼もしい人々なのである。あとは、レギュラー出演者の小川圭一さん、永山、松田景子さん、えみゅさん、佐野さん、そして第3部に遅れて登場した廃人餓号さん(即興俳句、声)。

全体を三部に分けることにした。(以下敬称略)最初のセットで、小川+黒井+ナ カ ミ ゾ のトリオで始める。思いのほか、というか、推して知るべしというか、よく「合う」3人なのである。それを好しとすべきなのかどうかは、人のテイストにもよるだろうが、黒井さんと自分はかなり満足ができたのである。そのトリオに松田、永山の2人が機を逃さずに登場。

第2部は永山のプロットによる「朗読プレイ」。あらかじめ用意しておいた朗読用のテキストを永山+えみゅ+ナ カ ミ ゾ の3人で同時に読み始めるという一見ナンセンスな試み。テキスト朗読の即興性と偶然性を味わうという至ってシンプルなアイデアなのであるが、それを石内さん不在を良いことに試してみる。5人のヴォイス集団、「空・調・音・界」以来の試み。永山はこれが実に好きなのである。鑑賞者側にいた佐野さんは、実に率直かつ批判精神に富んだ反応を客席からしてくれて、正直なかなかつらいところではあったが、永山が演者側に招き寄せることでなんとかやり過ごす。その後は、小川さんがサックスで入り込んできたことをきっかけに、器楽即興の世界になし崩し的に突入。景子さんの朗読が始まると、フロアタムとシンバルを叩いてみようと思い、それを実行。

第3部は、やや演奏し過ぎのきらいを感じた自分は、聴く側に回る。最後はアルメニアのダブルリード楽器のduduk演奏を結局してしまったが、ピアノに切り替えて曲を終わらせてしまった。これには小川さんはやや不満のご様子だったが、時間的にはちょうど良かったのである(などと言えば、暴言かな)。

ライヴ後は、青梅街道沿いの中華料理店の二階に、餓号さん、黒井さん、えみゅさん、永山、そして自分の5人で打ち上げ。打ち上げの集まりとしては5人は少ないが、ここではまた、黒井さんと餓号さんが中心になって、「癒し系」「ニューエージ系」など音楽のジャンル談義が始まってしまった。究極的には、「カテゴリー」は各人の解釈の問題であり、解釈者の主観を如何に面白く、説得力あるカタチの器に盛るか、のハナシでしかない。それはそれで悪くはないが、いくら解釈してみても、音楽のあるがままの実態は、あるがままのものとして存在する。それは、何をどう捉え、位置づけたいか、享受者の希望を反映したものにすぎず、実態を把握することとは別問題なのである。

ニューエージと呼ばれて、嬉しい人がいないと言ことう(私の主張)が、いわゆる、後になって「ニューエージ」と呼ばれる音楽カテゴリーの、もっとも端的に現れる「本質」の一つだと自分は考えるが、それはなかなか分かってもらえない。第三者が名前を与えるカテゴリーから、実は、あらゆる創作者は逃れようとするものなのである。それは「ニューエージ」だけの話ではなく、「ジャズ」から逃れる、「ヒュージョン」から逃れる、「ロック」から逃れる、という感じで、名前の数だけ、われわれが逃れてきたいカテゴリーがある。「あんたの音楽はニューエージミュージックだ」と呼ばれて喜ぶ音楽家を、私の前に連れてきてもらいたいもんである。

それは、「癒し」の商品化に伴って、ビジネス上の便宜で付けられたというのが、おそらく真相だろうし、それをわれわれ鑑賞者が正面切ってそれを真に受ける必要などないのである。

それにしても、「ニューエージ」への分類というのは、実に悪意に満ちている(というのが言い過ぎであれば、「否定的感情と結びついている」)典型的分類だと思う。

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2004-11-10

任侠か、仁侠か

実は、いろいろな媒体でも「にんきょう」のことが現れてきているような気がするのであるが、そのスペルに「任侠」というのがあるのに気が付いた。それで、ちょっと慌てた。自分の「仁侠キネマログ」というのがミスペルなのかと早合点したからだ。それで、某検索エンジンで調べた。

【検索結果】
任侠(24100件)
仁侠(6430件)
数の上では「任侠」が「仁侠」の4倍もある。さて、どちらが「正しい」のか? と思って、職場の事典(広辞苑*)で調べたら、両方とも存在する。意味は「弱きをたすけ強きをくじく気性に富むこと。また、その人。おとこだて」とある。仁侠を「おとこだて」とするのは、こうした気性が男の特質(あるいは男の持つべき徳)だと決めつけている感じで抵抗があるが、「弱きをたすけ強きをくじく」というのは、「仁侠/任侠」の定義としてなかなかいい。
(* 広辞苑を権威として信頼しているということではなくて、職場には広辞苑しかなかったから。)

「任」の意味は想像できる。「まかせられた職分・役割」と言ったところだろう。しかし、「仁」の意味は?と訊かれたら...
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