entee memo
課題が見出される庭園 - Annex:祖型と反復、宗教と象徴、神話と図像
――「あらゆる手立てを尽くして正否を明らかにしなければならないほどに
例外的に重要な論件」としてのエゾテリスム釈義

2009-06-10

日本へ贈られた「佐藤優」という恩寵

佐藤優『獄中記』(岩波現代文庫)を読む
(書きかけ)

獄中記表紙

自分の趣味を豊かにしたり世界観の補強をしたりできる、いわゆるタメになる本、あるいは読んでいる間は面白く感じるが、記憶に留まらない本、というのは数多いが、一生の内で本当に影響を受けて折に触れて思い出すだろう本というのは、そう数あるわけではないと思う。この本は、おそらく今後も折々に紐解かれるだろうし、これから読み進むことになるある「特定分野」の本へのアプローチの端緒という位置付けの本として何度も言及されることになるだろうと予期している。

読み終えて、この本に手を伸ばし購入して家に持ち帰った自分の幸運を喜んでいる。

著者の佐藤優(さとうまさる)は、今や週刊誌や新聞に連載を持つような売れっ子「作家」である。今でもそうなのかは分からぬが、肩書きは「起訴休職外務事務官(元主任分析官)」というらしい。「ノンキャリア」(専門職採用)であっても、ロシア駐在もした外務省の情報分析局におけるそれなりのエリートであり、まさに諜報エージェントとして辣腕を振るったことのある人物である。その能力をロシアとの関係正常化に大きく動いていた衆議院議員・鈴木宗男に「買われていた」わけである。

有罪判決を受けた外務官僚の一人であったという理由で、彼を評価の対象外に置こうとする人もいるかもしれない。鈴木宗男が政治家である以上、ロクなもんじゃないと正統に評価することを拒むのと同じ物差しを以て、判断停止をするのである。佐藤優がどんな肩書きや思想的背景を持っていても、結局はいわゆる「体制側の人間」であろうという一点で、肯定的評価を下すことは出来ないと言う人もいた。あるいは彼が政治的すぎるという理由で避けて通ろうとする人もいるに違いない。

自分が佐藤優という人について初めて関心を抱いたのは、彼がまさに検察に逮捕される直前のテレビ映像を通してであった。すでに鈴木宗男の逮捕は時間の問題だった。追い込まれていた彼らの映像のうち、記者にもみくちゃにされてどこかに向かう佐藤氏の姿が映ったとき(今の姿よりもずっとやせていたような記憶があるが)、その顔を見て瞬間的かつ直感的に感じたのは、この男は何らの疚しいことをしていないばかりか、嘘をつく人間には見えなかったことだ。もし彼が政治犯や思想犯としてではなく、「偽計業務妨害」という程度の低い刑事事件として起訴されたというのであれば、彼はおそらく「ハメられた」のであり、マスコミが彼のことを悪く書くのであれば、真相は全くその反対で、彼の未だ聞こえて来ない主張にこそ理があるのではないか、だがいずれその理が証されるのではないか、ということであった。

スタートからして彼に対してある種の共感(エンパシー)があったので、すでに自分は彼についての公平な判定者ではないのかもしれない。(だがそれがどうだというのだろう。)その当時周囲のやかましい声に掻き消されていたのだが、いよいよ東京拘置所から出て来た佐藤氏の「未だ聞こえて来ない主張」を、まさにゆっくり聴かせてもらう時がやって来たのだ。それがこの岩波現代文庫の『獄中記』だった。

チェコのプロテスタント神学者フロマートカ、20世紀最大のプロテスタント神学者カール・バルト、戦時下、治安維持法で特高によって捕まった和田洋一について言及される序文、獄(拘置所)に入ってからすぐに始まる精力的な読書と執筆活動。ヘーゲルとの本格対峙。

学問を志していた神学生が、フロマートカ等のチェコの神学の研究を続けようとして外務省に行くが、そこでロシア担当となって、逮捕起訴されると言う前段のキャリアの端緒を作る。

国家が国策としてポスト冷戦後の外交政策の転換のために排除される道具としての政治家、そして官僚。

だが、「運の悪さ」から逮捕、起訴されて、東京拘置所に512日に渡って拘留される。だがその不条理を彼は「理解」し、受け入れ、そうした陥穽に至った自分という人間の有り様について、深く省察する。

結局、国家権力は、佐藤氏をつまらない犯罪者として裁くことで国策の向かう方向へと国を動かしているつもりで、行なったのは「佐藤優」という手強い論客と思想的作家をひとりこしらえただけだったのだ。反知性的な空気が充満するこのところの日本において、佐藤優を世に送り出したのは、国家のなし得た快挙である。(宗教臭くなるが)ここには世界に神の関与の余地があることに思いを致す何かがあるようにさえ感じるのだ(考えてみれば、佐藤氏自身はプロテスタントのクリスチャンなのだ)。

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参考拙論:米追従外交 vs. 非米多元化外交という対立軸で解明できる鈴木宗男事件
Also Sprach Tatsurustra! 2007-08-30

00:06:53 - entee - TrackBacks

2009-05-05

端午の節句に見る《ショウブ》の象徴に遊ぶ

「勝負」という言葉は最近では「勝負下着」とか、「ここぞ」という大事なときのキメの一着(一枚?)のことらしく、ここから読み取れるのは男女の房事のことが、今では「(真剣)勝負」と言われるようになってきているということでもある。昔から「“勝負”があった」とき、そのことを「雌雄を決する」と換言できることからも分かるように、確かに、男が男であり、女が女である──男女を決する──「その場面」は「勝負」という言い方こそ相応しいのかもしれない。だが、閨事(ねやごと)が「勝負」であると捉えるその現代人の感覚は、下のような伝統的な西洋の象徴世界でも共有されていることでもあり、あながち間違ってもいない*のである。

Rosarium
ボッティチェッリ

* これについてはかつて『金剛への第一歩──集団的な「浄化」儀礼と《聖婚》の伝えるもの(陽物としてのフィニアルとその周辺)』という拙論で言及したことがある。


冗談はさておき、ショウブはショウブでもこの度のショウブは、「端午の節句」にちなんだ菖蒲についてである。三月三日が「桃の節句」なら、五月五日は「菖蒲の節句」である。

調べると、端午(たんご)というのは、午(うま)の月の初め(はじめ/端目)の日のことらしい。しかも旧暦での祝いの日だったから、グレゴリオ暦の5月5日が「端午の節句」になっているのは二重三重に転倒していて、儀礼のオリジンを訪ねようという向きには面倒な状況ではある。端午の「ご」の音が数字の「五」に通じるということで五月になったということもあるようだが、「午」とは十二支では7番目。旧暦で「午の月」とは五月(皐月)(グレゴリオ暦のおおよそ6月)のことだ(今年の端午は5月28日なのである)。

一方、節句とは節供(せっく)と書かれることからも分かるように、植物をお供えする供犠のことだ。端午の節句が「男子の節句」となっているのは、紀元3世紀頃の中国の故事に由来するようであるが、この「端午」が、日本の田植え前の時期に男子が皆出払ったあと、家に篭る女性たちの穢れを祓う日本の旧い「五月忌み」と呼ばれる儀式(女性のための儀式)と習合して、性別が反転して鎌倉時代頃に男子の節句となったという説がある。それ以前でも、おそらく中国の影響を受けたと思われるが、宮中ではこの端午に薬玉(くすだま)を贈り合う習慣があったという奈良時代の記述があると言い、そこでも薬草や菖蒲との関連が見出される。

なるほど端午の節句には邪気を払うと言われる菖蒲の束を浴槽に浮かべて入浴する菖蒲湯の習慣が今日でもあるが、この菖蒲にこそ、(後に)天空で割られることになる「薬玉」に負けずとも劣らない秘儀(エゾテリスム)が潜むというのが筆者の考えである。

菖蒲
▲菖蒲の花(イー薬草ドットコムのサイトより)いわゆるアヤメ科の花とはまったく異なる。


「菖蒲の節句」が男子の節句となった経緯としては、武士の時代であった鎌倉時代に「菖蒲」(ショウブ)の音が、「尚武*」と同じ読みであることなどで転じたというのが有力な説のようであるが、間違いなくそこには「勝負」への連想もあったはずである。

* 武道・軍事などを大切なものと考えること(大辞林)

このショウブという植物のもっているという「邪気の祓え」の魔力は、ある種の秘儀の名残と言い得る理由がある。菖蒲(しょうぶ)の古名はアヤメであり、アヤメは「殺め」に通ずる。アヤメグサは「殺め草」でもある。このことは、端午の節句について説明する「菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ」(Wikipedia)というような、最もありふれた記述の中にも見ることができる。

確かにショウブがサトイモ科で、いわゆるキショウブ(黄菖蒲)やカキツバタ(燕子花)などの三弁の「アヤメ(菖蒲)」と一括りにされるアヤメ科の植物とは似ても似つかない花を付ける*のであって、ショウブがアヤメ科の植物と混同されている不思議には様々な説明が必要でありまた可能でもあろうが、そのどちらにも連関がありそうなのが、まさに前述した《武具》への連想なのである。

* 参考サイト「いずれがアヤメ?カキツバタ?」

いわゆるショウブとは違うが、西洋のアヤメの紋章は、その三弁の花弁の形状からフルール・ド・リ(fleur-de-lys)として繰り返し現れる「三位一体」の象徴であるが、それはそのまま西洋の伝統においてはスピアヘッド: spearhead(槍の先端)、つまり武器の形状としても認識されるものでもある。つまり「アヤメ」(菖蒲)は、洋の東西を問わず武器(殺める道具)への連想が存するのである。

spearheads
Qingdao Andireal International Inc.より

Fleurs de lys
Déguisement de chevalier Fleur de Lys avec armes en mousseより


この写真で見られるように西洋のスピアヘッドは三位一体の象徴である「フルール・ド・リ」(アヤメ/キショウブの紋章)の形状を採ることがあり、武具と三位一体の間にある関連性が示唆されるのである。これは日本における正月の門松(かどまつ)が、竹槍状に斜めにカットされた三本の青竹を束ねて、αとΩ(阿吽)の位置、すなわち門や玄関の左右に置くことで、武具(あるいは穢れの祓え)と三位一体、そしてわれわれの住む世界の始まりと終わりの位置に発生する何かを象徴する習わしと根を同じくする。

まさに端午の節句とは、5の並びの日(5/5)を目印とした勝負/尚武の節目であり、鯉のぼりとともに空高く翻る五色の吹き流しによって強調される「五行」の徴によっても「5の数性」は高らかに顕現させられる。ということはまさに今日の世界──数性“5”と数性“5”の権化が仁王像のように東西から立ち上がり、大洋を隔てて対峙する現代社会──において、男子に秀でた武具使いとなることを真剣に祈念する日なのである。

そして菖蒲の湯に浸かることは、菖蒲の持っている邪気を祓う魔力の滲み出した液を以て全身を「洗礼」されることで、武具と同様の魔力を身に付けようという迷信として伝わったもの言うべきであろう。

象徴の作法とは、時間の経過と共に発展し、不明瞭は明瞭へと転じて、解釈可能な形象へと徐々に改訂されて行くのである。

17:18:57 - entee - TrackBacks

2009-04-04

ミサイル報道を巡る、いくつもの矛盾した疑問

とにかくどの前提を正とするのかという判断で、いくつもの段階に異なる問題圏に属する疑問があり、簡単な結論は導けないというのが実感である。しかるに...

「人工衛星は簡単にミサイルに転換できる」という主張は、おそらく理論上「正しい」のだが、だからと言って他国の発射物を無条件に撃ち落とすという主張に正当性があるのか? この際それは関係ないという論理もある。その主張の理屈によって、ある国が打ち上げるものを他国が迎撃できるのであれば、日本が種子島から打ち上げられる人工衛星は他国によって迎撃されていいということになる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の打ち上げる人工衛星だけが危険であるなら、その根拠はどこにあるのか? これが疑問の第一。

今回打ち上げようとしているものが、確かにミサイルであった場合(その場合その弾頭が何であるのかというのも確かめる必要のある内容だが)、それによって達成しようとしている目的を、本来われわれは第一に問題にすべきではないのか? それが単なる挑発行為だという場合、その挑発行為によって、一体北朝鮮は何を得るのだろう。そしてその行為による最大の利益の享受者は誰だろう。こうした疑問はむしろ普通に問われていいことだ。だが、それを正面切って問う動きがあるように見えない。

では、今回のことが「挑発行為」だとして、その行為は文字通りの意味で「実在する」のであろうか? これは疑問の第三。われわれ一般市民はテレビの報道を鵜呑みにするしかない立場だ。実在しないかもしれない行為、確かめようの無い「事実」によって、われわれは戦争状態に入るべきなのだろうか? そもそも飛ばすべきものが北朝鮮にあるのか?(その飛ばすべきものが人工衛星であるのか核弾頭であるのかは問わずに) 

今のところ、「飛ばすべきもの(= 核兵器の場合)」が完成していると主張しているのは、北朝鮮自身と合州国の国防総省のフライング発言のみである。だが、北朝鮮に脅威があるというこのリークによって喜んだのは北朝鮮自身だった。これは彼らが自身を脅威と見られるリスクを選んでいるということだ。これは唯一確かなことだ。

だが、米政府の正式な立場は、北朝鮮を核保有国とは看做さないというもので、その建前を信じるならば、「北朝鮮に脅威は無い」ということになる。これも矛盾だ。これは疑問の第4だ。

さて、この唯一確かなこと(すなわち自身を脅威と見られたいという北朝鮮の意志)、そしてそれを脅威と看做そうとする日本政府の紋切り型の対応は、単なる判断ミスではないのか? 北朝鮮がそう見られることで得られる利益とは、単に交渉を有利に運ぶための、すなわち「力を背景にした外交路線」のためのライセンスなのか? いやむしろこれはどこまでいっても手段であって目的とは言い難い。脅威と見られることを是とする理由が分からない。これが疑問の第5だ。

一つ想像できるのは、北朝鮮のあらゆる行動はすべて合州国の目論み(あるいは想定)によって動いているといういつものアレだ。つまり発射台における準備も、かつての核兵器完成の喧伝も、すべて合州国の国益に適っているという隠れた事情だ。

それが実体的なものか否かにかかわらず、北朝鮮の主張するように、彼らに脅威を感ずべき根拠があるとすれば、それは日本の安全に影響があり、日本の政府も無関心でいることはできないという政治の世界での「常識」を利用した陰謀である。日本に戦争をさせたがっている(あるいは戦争に参加させたがっている)のは、日米同盟の邪魔となる憲法9条不要論を繰り返し唱えるアーミテージの発言を牽くまでもなく、実は合州国政府であって、それを北朝鮮との密約によって金正日に「悪者」を演じさせて、その演技料を支払う。これは、サダム・フセインの支配するイラクで起きたことを考えると、実にリスクの高いパフォーマンスであるとは思うが、失うものがすでにない北朝鮮にとっては、ことによると戦争という異常事態を利用しての現状打開を(金総書記の意志と関係なく)模索せざるをえない勢力が北朝鮮に実在することを意味するかもしれない。

戦争と言うが、どのような戦争をわれわれは想定すべきなのか? 日朝双方から超音速ジェット機が飛び交い、互いの都市を爆撃し合うような戦争なのか? それとも日本海沿岸の各地にボートを着けて歩兵部隊が一斉に上陸してくるような戦争なのか? 

どう考えてももう一つ確かなことは、この戦争によって利益を上げるのは一般の市民ではない、ということだ。

原因不明の爆発が東京の都心で起こり、「空から何らかの飛来物が来るのを観た」とかいう証言や、特撮画像のひとつがあれば、北からの攻撃だと看做されるのだろう。戦争など、それをやる意志さえあれば、いくらでもその理由は捏造できる。ということは、問題は、その《意志》を持ってしまっているかどうかなのだ。多くの日本人はそのような《意志》からは縁遠いように見える。








10:05:13 - entee - TrackBacks

2009-03-12

読書録:J・H・ブルック著『科学と宗教』

読書録:J・H・ブルック著『科学と宗教〜合理的自然観のパラドックス』田中靖夫訳(工作舎)を読む。

Brooke book cover

慧眼な読者は別のことにも気づかれることだろう。ビュフォンの連続する七つの年代と創世記の連続する七日との驚くべきアナロジー。反神学的でありながら、ビュフォンの視点には宗教思想の残映が認められる。彼の批判は科学と宗教が通約不能であるとする点で正鵠を突いていたが、相同性を利用したのはビュフォンの方なのである。

これは、何となく面白いと思ったので(と、言うより、今に重要な意味合いをもつことになりそうな根拠無き直感を得たので)引用しておいた。別段、ここでこの記述について論じようなどというわけではない。

さて、前回取り上げた『中世の覚醒』が12世紀以降の2,3百年の間に生じたアリストテレス哲学の自然観とキリスト教の宗教観の間の緊張感を描いた労作だとしたら、これは、科学と宗教が互いに対立・否定し合って発展したのではなくて、実はそれぞれが「互恵的」な関係の中で、つまり「たがいに助け合って発展した」のだという、一見驚くべき西欧の精神史をさらに長いスパンで追いかけた書物であると言えるだろう。

文章自体は訳文の若干の癖に加えて、内容の難しさも相まってなかなか頭に入って来ないところがあって読み進むのが難しかったが、『中世の覚醒』を読んだ頭で読んでいるので、科学と「人間の組織としての宗教」が互恵的であったということが、多くの証拠に基づいて論証されたのはよく分かった。内容的には実に価値が高いのだ。

こういう比較は得てして意味をなさないものと知りつつ言うなら、こうした歴史についての論述に対して、単なる興味以上の意味を見出そうとして取り上げるなら『中世の覚醒』は、非常にお薦めなのである。ひとつは、中世の覚醒の著者が、現代社会の問題なども考える思想家/活動家であるために行間に滲み出て来るうったえがある点で、こうした考察が現代社会の在り方を考える契機になるというのがよく伝わって来るからである。一方、この『科学と宗教』の方は、純粋に学術的なもので、ある種の学術的論争に対する備えとして厳密な議論を目指したという感じがある。

だが、こうした比較はやはりナンセンスであって、互いに持たないものを備えている点で、やはり「互恵的」なものなのである。

ニュートンに関する記述:

ケンブリッジ時代のある危機的な時期、彼は聖職の管理者から命じられた道義的な要求を甘受しなければならなかった。トリニティのフェローの地位を維持するためには、慣例に従い、聖職に就くより他になかったのである。それは国教会の定める三九か条に宣誓することを意味したが、彼の良心はそれを許さなかった。キリストが神聖を持ち、父とともに永遠であるという教義をすでに拒否していたからだ。(page 152「機械論的な宇宙における神の活動」より)


この苦悩というのは今を生きるわれわれの苦悩に似ている。

空間は、すべてを知って感じとる神、その下僕が叛くときを知っている神、彼自身が教会で林檎をつまみ食いしたり、安息日にネズミ捕りをこしらえたり、ケンブリッジ時代のルームメートにシラミのことで嘘をついたりしたこと、そのすべてを知っている神で満ちている、とニュートンは考えた。神の存在に関する強迫的な感覚は、彼が遺児であったことに由来すると心理学的には分析されてきた。俗界の父親を知らずに育った彼は、あらゆる絶対性が賦与された代替物を天上に見つけた、というのである。(page 153「機械論的な宇宙における神の活動」より)


ニュートンが遺児であったことは、初めて耳目にすることであった。基本的に自分は心理分析というものに信頼を置かないが、この記述にはある個人的な理由で関心を抱かざるを得ない。備忘録としてここに書く。

フランスの後世の世俗学者からすれば、ニュートンの宗教心は、要するに病気とされた。今日でも、古典力学の基礎を築いたほどの人物が、聖書の預言や宗教的な錬金術に凝っていたことは驚きの的になっている。歴史研究においても、特異体質でないとすれば前時代的としか言いようのない偏見を彼が持っていたのは事実である。例えば、異教の文明がユダヤ文明に先行したなどとは到底考えたくなかった彼は、ギリシア、ラテン、エジプト、ペルシアの年代記作者たちが「その初代の王たちを事実よりも少し古めかしている」と論じた。しかし、ニュートンは支離滅裂だったわけではない。彼の科学の特徴とされる合理主義は、聖書研究において欠如したどころか十分に発揮された。自然を解釈する規則を設定したのと同じ精神で聖書を正しく解釈しようとしたのである。崇高なる自負を持っていた彼は、確実な真理に到達することにより、自然哲学と聖書解釈の双方において、議論の余地をなくそうとした。(page 166「機械論的な宇宙における神の活動」より)


一八世紀はじめのイングランドにおける政治状況は、フランスと対照的(ママ)である。1689年の寛容令のもとで、国教会の三十九信仰箇条への署名などの条件を満たしさえすれば非国教徒にも宗教の自由を保証したからである。それでも不満の余地がなかったわけではない。非国教徒は宣誓令と地方自治体法によって教職に就くことが禁じられていた点で依然差別されていた。さらに急進的な非国教徒であるソッツィーニ教徒(キリストの神性を否定する)などは、良心ゆえに三九信仰箇条に署名できなかった。また、反プロテスタント勢力まで寛容政策を広げるのは、ローマ・カトリック教徒や無心論者をのさばらせるとして忌避された。(page 185「啓蒙時代の科学と宗教」より)


この「三九信仰箇条」について現在ネットで内容が読める。

英国国教会・三十九信仰箇条
英国国教会公式サイトに掲げられる「三十九信仰箇条:Thirty-Nine Articles of Faith」

他ならぬローマ・カトリックに対抗する英国国教会の宣誓文が「39か条」であったことについては、その象徴的な意味合いに思いを馳せないでいることはできない。

チャールズ・ダーウィンは、自らの生命観には壮大さがあると宣言して『種の起原』(1859)を締め括った。生命の力がいくつか、あるいはたったひとつの形態に「吹き込まれた」単純な始まりから、この上なく美しく、驚くべき生命体が進化してきたと。旧約聖書の喩えを用いたことや、「創造主によって物質に刻印された法則」に言及したことから、彼の結論に聖書風の宗教さながらの意義や価値観を読み取ることは可能である。彼の私信によると、そんなつもりはなかったらしい。植物学者のJ・D・フッカーに打ち明けたところでは、「何らかの道のプロセスによって出現した」ことの表現として、想像に関する聖書の言い回しを使って一般大衆に媚びたことをずっと後悔していたという。(page 300「進化論と宗教的信念」より)




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2009-03-08

読書録:チャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒〜アリストテレスの再発見から知の革命へ』

中世の覚醒画像

昨年末からずっと追いかけているヨーロッパ中世史。サブジェクト次第で、該当時代のレンジが変わってしまう「中世」という言い方もそうとう曖昧だが、いわゆるキリスト教発祥の前後辺りから、例の「12世紀ルネサンス」までの間の精神史にはまっている、と言い換えられる。

この神話は多くの文化に共通するもので、ある特定の文明は他の文明から何一つ借用したり押しつけられたりしてはおらず、独自の源泉から独自に発展したという観念である。「われわれの」文化は正真正銘自前のものだが、「彼らの」文化は派生ないし模倣したものに過ぎないと──その国籍にかかわらず──偏狭な愛国者は主張する。他のあらゆる伝統的文化に対する西欧文化の優越を確立したいと望むものたちにとって、ヨーロッパが初めて経験した知的革命の物語は、当惑を禁じ得ないものなのだ。(page 24)

現下の厳しい世の中の状況は、毎日の生活の中で相当メンタルな疲労を強いるものだが、この歴史世界に遊んでいる間は、知的興奮で一時苦痛を忘れる。現実逃避が目的ではないが、結果的に「逃避」できている。余りにも長く続くストレスに、われわれは耐えることができないのだ。それくらいの息抜きは許されるだろう。

読む片先から忘れて行く自分の記憶だが、忘れぬうちにメモを取っておく。

リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒〜アリストテレスの再発見から知の革命へ』小沢千重子訳(紀伊国屋書店)☆☆☆☆☆

1000年近くも西ヨーロッパから姿を消していたアリストテレスの著作を、アラビア語翻訳を通して出会ってしまった「キリスト教化されたヨーロッパ」が再び出逢う。このときに生じるキリスト教神学と(先を行っていた)古代ギリシアの哲学との間の緊張。

長いイスラム教支配から脱したばかりの12世紀のスペインに於いて発見された、古代の著作との西欧人たちの出会いを、ルーベンスタインはアーサー・クラーク=S・キューブリックの『2001年宇宙の旅』における、20世紀末の科学者たちの巨大黒石板(モノリス)との出会いの衝撃のようなものだったという比喩を用いて説明する。この喩えの的確さは、あたかも月面下に埋められていたモノリスが、然るべき時(人類のような存在の出現)が来たら、然るべき知的存在によって発見されることを意図して用意された、知的生命体による「便宜」であったかのごとく、然るべき成熟を果たそうとしていた西欧世界のさらなる知的暴走の起爆剤として働く点で、注目すべきである。

あまりの面白さに2度立て続けに読んでしまった。

われわれは、ピエール・アベラールの名前とその破天荒な行状を知り、その敵対者(クレルヴォーの)ベルナールとの闘争の話を聞いた。また修道士アンリの大胆な行動や、そもそも異端的で教会の腐敗に批判的であった、伝説も多い、かのアッシジの聖フランチェスコが、後にカトリックの中枢に人材を送り込み、多大な影響を与えることになるフランチェスコ会の「宗祖」そのひとであったという事実に驚き、そしてロジャー・ベーコンやトマス・アクィナスの名前に親しみ、オッカムの吐いたと言われる(あの)金言を牽き、マイスター・エックハルトの死を賭した弁明に心を動かされる。

だが、これらの出来事はすべて、「コペルニクスの著作がローマ・カトリック教会の禁書目録に載せられ、ジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられ、ガリレイが異端審問官に迫害され」る時代の前に起きたこと(つまり、ほとんどが13-14世紀の出来事)であり、そしてそれはとりもなおさず、キリスト教の神学に関わるきわめて「狭い世間」の話でもあった。それにしても、ヨーロッパの中世を「暗黒の中世」と評することの、何と一面的で紋切り型な認識だろう。いわゆる《ルネサンス》やその後の産業革命などを引き起こす以前の西ヨーロッパとは、すでに水面下ではそう言った一切の準備を、激しく知的操作を行ないながら準備していたのだ。

もう一つ忘れてはならないのは、結局、われわれの知るヨーロッパ中世の知的巨人と目される著名人たちは、ほぼすべて真性のキリスト教徒であって(異端と名指しされたとしても)、もっと正確に言えば、キリスト教会の紛うこと無きインサイダーであって、つまりは神学者だった。彼らの知的好奇心は極めて高かったので、手に入れた古代ギリシアの哲学を無視することは出来ない。結果的に、彼らは自分たちのキリスト教的世界観と、1000年近い時間を経て再発見された知的財産の間の、見かけ上の差異や矛盾にどう対峙し、如何にしてそれを「解決」し、つじつまを合わせるのか、ということを真剣に考え、論じるようになる。そこでは「神学論争史」とも呼ぶべき、膨大な精神的闘争の連鎖が欧州で起こる。

カタリ派なるキリスト教異端派が、南仏辺りで勢力を増した時期に、ドミニコ会などが力を付けたのも、改革への反動であったのみならず、知識や弁論によってイデオロギー上の論争を勝ち伸びなければならなかったカトリック側の生き残りを賭けた真剣勝負の一端だった。こうした文脈の中で、カタリ派を外から捉えた視点でものを観てみるのも興味深い(そもそもカタリ派へのシンパである自分は、カタリ派を迫害する側のカトリックの理屈というものに後からアクセスしたのであった)。

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