entee memo

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [3]
序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀

数性と歴史の回帰の秘儀を伝達するための一般的手法を以下に示す。
(この下にこのような無意味なブランクが生じるのはなぜだろう。不思議だ。ブログのバグか、それとも表を入れたことで生じる不具合か?)



































第1周


1 (8)


2


3


4


5


6


7


(8)


第2周


11 (88)


22


33


44


55


66


77


(88)


第3周


111 (888)


222


333


444


555


666


777


(888)



勘の良い方にはこの表を見ただけで、これらの数字が時代のどのようなエポックにそれぞれ対応しているのかを瞬時にして理解できるかもしれない。とりわけ、「第3周」にあたる数字の列を見て、ある親近感を覚える方は多いだろう。同じ数を三つ並べるという数的象徴というものは、われわれの時代に於いて極めて重要な意味を持つからである。第1周を一つの数字によって表し、第2周を二つの数字によって表す。そして第3周を三つの数字によって表すことによって、それぞれの数字の列がどの周回に属するかを表現し、2回ないし3回繰り返される数字自体がその周回における歴史的「時点」を表現する。このシステムは実に理にかなったものである。

だが、ここではそのひとつひとつの意味とそれに対応する具体的な歴史上のエポックが何であるのかを詳述しない。それはこれから追って詳しく見ていくからである。問題は、これらの数字がアラビア数字で表されることによっては時代を超えた普遍性を獲得しえないと言うことである。

すなわち、アラビア数字を読めない人々にとっては、なんらの意味もない「記号らしきもの」の繰り返しに他ならない。これらの形状には時代を超えて認識されるだけの(もともとはあったのかもしれない)普遍性がもはや失われて存在しないからである。少なくとも繰り返しがあることは視認されようが、そこにどんな意味があるのかを読み解くのは難しいであろう。ならば、より確実にそれが数性を表している事実を伝えるためには、時代を超えて存在するものの表象を活用する方法が有効となる。ここに幾何学的図形や時代を超えて存在するシニフィアン(記号表現)としての徴の採用が検討される。

花であれば花びらの数、葉であればその形状が「数性」を表す記号として機能すれば良いのであり、その場合、アヤメや三つ葉のクローバーは“3”を表す記号として、サクラの花は“5”を表す記号として、ユリの花は、その描き方次第で(“3”ないし)“6”を表す記号として、利用可能なのである。つまり、ここで「三つ葉のクローバー」はシニフィアンであり、「3」という数性がシニフィエである。現に、特定の詩人や建築家達は、花を意味を伝えるための特別な記号として使用して来た実例がある。

さて、以上の元カレンダーをアラビア語を使わずに普遍的伝達を図ろうとした場合の一般的手法は以下のようになる。これらの記号は一例であり、さまざまなバリエーションが存在する。ここではひとつの範型を示すに留め、数的図像をひとつひとつ観て行く時に、それらのバリエーションを観ることになるであろう。

普遍様式・元カレンダー
普遍様式・元カレンダー(クリックして拡大)

教会においてはステンドグラスのウィンドウや壁龕(へきがん: ニッチ)、そして透かし彫りの窓の形状などによってその数性を伝えた。そして、こうした数性を確実に特定の数として伝達し後世の人間に理解させるために、そうした記号の制限的利用が必要となる。乱用されるほどに、それに特別な意味がある事に対して人々が関心を払わなくなるからである。したがって数そのものが聖なるものであり、むやみな数や数を示す表象の乱用や誤用を回避させる必要があった。

このようなわけで、先人達の努力によりこうした数性を保持しうる表象的対象物自体も容易に美術作品に登場する事はなく、特別な理由や明確な目的がある時だけ登場することになる。逆に言えば、そうした数性を伝え得るシニフィアンとしての表象物が登場するとき、それが無意味に登場することはなかったのである。確実に何かを伝えるためだけにそうした数の表象が現れるようになる。

解かれるべき謎は数字そのものであり、数字は図形の中に潜んでいる。



posted at 13:15:00 on 2006-02-06 by entee - Category: 伝統数秘学批判 TrackBacks

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