entee memo
課題が見出される庭園 - Annex:祖型と反復、宗教と象徴、神話と図像
――「あらゆる手立てを尽くして正否を明らかにしなければならないほどに
例外的に重要な論件」としてのエゾテリスム釈義

2007-10-23

『全共闘の時代』

...などと、書くと、またぞろ何を言い出すのかと思われそうだが、
これは現在銀座のニコンサロンで行われている写真展の名前だ。
この週末にツレと友人二人で観に行った。
「ひとみ わたなべ アーリー ワークス(hitomi watanabe early works)全共闘の季節 1968-1969」。

全共闘の季節ポストカード

ウチに来た案内状で知ったのだが、この写真家・渡邊眸さんはツレの古い知り合いで、以前世話になったらしい人。ツレ曰く、自分の写真についてはこの眸さんから影響を受けたことが多いとか。

ご一緒した友人の《ぴ》さんは「どの風景もどの写真もあまりにも痛ましい」と評してらっしゃる(し、確かにそのようにも見えるのだ)が、私は暢気にも写真自体の美しさに魅入られてしまったり、機動隊や闘士の若者たちの真剣な表情やあどけない表情、そして彼らの姿と供に捉えられた周辺のさまざまな背景(建築物や装飾)などにも釘付けになってしまった。そして眼を奪うのは檄文である。

このような生々しい現場の内側から撮られた写真があったこと自体、驚くべきことだったが、このような重要な記録写真がツレの身近な知り合いが撮っていたことも実に驚きだった。

渡邊眸さんの写真は、グッドマンがかつて荻窪にあったとき、カウンターの内側にあるいくつかの本の間にあった、『猿年紀』という題名の、猿を撮った写真集の題名に惹かれて*マスターに見せてもらったのが最初だ。(どうやらこの写真集が詩人の石内矢巳さんの紹介によってグッドマンによってもたらされたようなのだが、その写真家がツレの知り合いだとはそのとき知る由もなかった。これは事実と言うより憶測を含む。)

その後、蓮の花ばかりを撮った巡回展が《ちめんかのや》で行われたとき、ツレと一緒に観に行ったのが眸さんと会った最初だった。その時の印象が強く、静物的なものを撮る方だと思っていたので、今回公開された古いが生々しい写真の数々は、報道写真のようであり、また動きがありながらも詩情に溢れる表情豊かな作品でもあったので、きわめて大きな印象を得たのだった。

これは10/30(火)までなので、写真に興味がある人も、当時の政治に興味があるひとも、是非足を運ばれることをお薦めします。

渡辺眸 「early works - 全共闘の季節 1968-69」@ Tokyo Art Beat
「ニコンで渡辺眸の全共闘写真展」@ 銀座新聞ニュース



===============
* 『猿年紀』という題名に惹かれたのは、世界の大きな時代区分(エイオン)で、現在が「鳥の時代」であり、その前が、どうやら「猿の時代」であったらしいことに思いが至ってそれに取り憑かれていた時分にこのタイトルが眼に飛び込んできたので、大いに衝撃を受けた。言わば、まったく個人的なシンクロニシティを体験したのだった。これは西洋占星術でいうところの、言わば「水瓶座の時代」とかいうのに近い、より大きな時間についての話。

21:19:04 - entee - TrackBacks

2005-11-19

宮殿とモスクの至宝 11.12.2005

これは本来11/12の日記として書かれるべきであったもの。すでに1週間経っているが、どうしても多くの人に知ってもらいたくて、今週末はここに置いておこう。会期は12.4(日曜日)まで。世田谷美術館に走れ!


http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
http://www.enjoytokyo.jp/TK/TK050920mosque.html
http://www.aii-t.org/j/ads/img/Islamicart1.jpg
http://www.aii-t.org/j/ads/20051004.htm


それらが「至宝」である理由。それは意味を伝える記号とその解き明かしうる文法が存在するというその理由において他にない。

われわれはこうした象徴的記号、あらゆる先達者の骨身を削る努力によってこの時代まで伝えてきた図像に再会すると言う幸運に恵まれている。これはあらゆる予定や都合を繰り上げて、馳せ参じる価値のある「至宝」との「再会」を可能にする絶好の機会なのである。







03:24:00 - entee - TrackBacks

2005-05-28

「ケルビーム展」へ:あるいは「見えない学校」の「見える形」を賛美する

怒濤の2日間、土曜日の第1弾(アップロードは前後する)

梅崎幸吉氏の率いるグループ展「ケルビーム展」に出掛ける(半ば興奮気味に)。楽しみだったのだ、心底。場所は目白の『新樹画廊』。「ケルビーム」とは、梅崎氏がかつて銀座で開いていたという「画廊」の名前だそうだ*が、美術、文学、演劇、音楽、などなど、あらゆる「創造的人間関係」の磁場の中心点であり、梅崎氏自身の創作におけるパッション、人との関係における仁愛、そして人間的魅力が大きな牽引力をとして機能していた、ある種の「学校: school」のようなもの**であったらしい。もはや、その名は彼を囲む創作への衝動を心に抱く人々の集合の旗印として機能しているのであり、単なる「グループ展」の名称、あるいは昔あった「ギャラリー名」という以上のものになっている。むしろ、梅崎氏の移動するところにケルビームはあり、梅崎氏の呼びかけるところに人が集まればそこが学びと共感の場となると言う、言わば「移動式の見えない学校」(mobile invisible school)が存在するのである。

* 「...だそうだ」などというやや消極的な伝聞のかたちでしか記せないのは、梅崎氏の往年の活躍ぶりを残念ながらリアルタイムで私が体験していないからで、飽くまでも連れ合いから聞き続けた噂と梅崎氏から若干伺った話でしか知らないためである。

** それを「学校」と呼ぶのが最適であるとは分からないが、そのような場として機能していたことが話から伺えるために、これ以上相応しい呼び方があるとは、今の私の想像力からは考えられないのである。


「ケルビーム展」には、梅崎氏本人を含む17名の方々が出品。私たちが訪れた土曜日は、このグループ展の最終日。しかも1週間の会期日中、週末はこの日だけだったので、自分らにとっては選択の余地はなかった。店舗を兼ねたギャラリー1階には17名の参加者全員の作品が1点ずつ展示されている。それをひとつひとつ矯めつ眇めつ眺めていると、2階から梅崎さんそして来訪者と思われる方達の談笑する声が聞こえる。絵の眺めながらゆっくりと2階に上がってみると、そちらの方がどうやらメインの展示会場となっている。階段を上る頭上右側には梅崎さんのやや大きめの作品が掛かっており、階段を上り切ると、階下に展示されていたモノクロの作品とは打って変わって、色絵の具(不透明水彩?)を使った石塚俊明さんの作品が2点目に飛び込んでくる。まるでナヴァホの砂絵が描いているようなある種の曼荼羅のようなもの、見ていると日本のいなかの原風景のようにも見えてくる。

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2005-05-08

『梅崎幸吉個展』@ 青山『HAYATO NEW YORK』

美術三昧の4日目。最終日の今日は梅崎幸吉氏の個展に行く。

HAYATO NEW YORKは、骨董通りに入ってほどなくした通りの右側にある。美容院の建物の地上入り口から3階までの階段と踊り場、そして美容院の店内に至るまで、すべてのスペースを利用してのユニークなギャラリー空間。梅崎氏の作品が入り口から見る者を奥へと誘う。一体この奥に何があるのだろうと思って階段に足を一歩踏み出せば、そこにはあらゆる日常的に入手可能な素材と本格的な画材が絶妙にブレンドされた梅崎氏のパッシオの世界が始まる。[パッシオとは「憂」と「仁」をまとめたつもりの言葉である。]


(Photo by entee)

以下のことをうかつにも言葉にしたら、3秒と経たない内にあきれ顔の連れ合いによってきっぱり否定とともに教示される結果となったが、極端に単純に言ってしまうと、最初、私にとっては「きわめて抽象性の高い図象」であった。つまり、意味を考えずに、ただ造形の美しさに打たれる作品もあるのだが、意味ある図象として圧倒されるという感じでないものもあった。だが、スパイラルビル内の喫茶サロンで梅崎氏と会ってひとしきり会話して別れた後、再びHAYATO NEW YORKにちょっと立ち寄ってみると、そこには永山が言うように、「明らかな具象」ととるべきイメージが、その抽象的な絵から浮かび上がって見えてきた。そうなのだ。永山が言うような「心眼」、梅崎氏の語るところの「本当の視力」を以て対峙すれば、そこからは宗教的と言っても差し支えないあらゆるパッシオの場面が浮かび上がってくる(それが唯一の見方であると主張するつもりはないが)。


(Photo by Aquikhonne)

例えば、結果として私が観たもの。シナイ山から戻ってきたモーゼが十戒の石板を高らかに提示する図。三美神が舞を踊る姿。聖母とも菩薩ともとれるようなベールと長いロ−ブを纏った普遍的「女神」の姿(部分:photo by Aquikhonne)、など。

日常のあらゆるものに意味があり、「美は見出すもの」であり、あらゆるものに美を見出す人の心に美が到来する。そうした日常意識の一枚障子*を隔てた向こう側に、無意識の美術とも言うべきものが控えている。このようなことは、新しい知覚の扉を爆裂的に開け放ってくれたカンディンスキーの絵画 (Sur Blanc II) との瞠目的で神秘的な出会いを通じてすでに「学んだ」はずのことであったにも拘らず、いまさら改めて教えられなければ気が付かないとは!

* その障子は、そこに映る影に気付くこともなく、また開けてみようとさえしなければ、その「向こうの世界」が存在することさえ、伺い知ることのできないものであるが。

白を基調とした不思議な素材の上に乗せられる黒の油絵の具やインク。木材を画材として大胆に用い、赤のアクリル絵の具で着彩した作品、髪を洗うエリアの壁にひっそりと掛けられた「黄」を貴重とした小振りな作品。これらが私には気に入った。

しかし、店内入り口左側に掛けられていた大胆にもカンバスを水平に切り裂いた作品を見た時、その手法で実現してみたい自分の作品の具体的イメージが頭に浮かんだ。こうした「ぜひ自分でやってみたい」と思わせてくれる触発性を持った作品というのが、実はもっとも有難いものでもあるのだ。

クリックすると写真がポップアップ↓ (photo by entee)
店内の様子 #1
店内の様子 #2
まるで、店の一部のように作品がとけ込んでいる。とけ込む梅崎氏の作品が素晴らしいのは言うまでもないが、とけ込ませる店は店で、それがまた作品自体のようでもある。


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2005-05-06

ゴッホの「黄金色」そして梶井基次郎の見た「檸檬」の輝き

美術三昧の3日目。だがその前に...。

先日のライヴでピアノの上に放置した財布に「足が生えて」立ち去った事件であるが、練馬の警察署からの連絡で財布が拾得されたと通知される。出てきたのである。足が生えて立ち去ったが、自分の足で私のところには戻ってこず、その代わり人に拾われて、しかも出てきた場所が阿佐ヶ谷ではなく、私が行ったこともない某所からである。実に面白いな。電車とバスを乗り継いで「遠方」の警察署に出向く。いずれにしても、すでに凍結して現金を下ろせなくなっている銀行のキャッシュカードやら、もはや期限が切れて使えなくなった運転免許やら、もろもろのカード類がそのままになって出てきたのである。だが、現金の類は小銭を含めてきれいさっぱり「吐き出された」状態であった。財布そのものが戻ってきたのは良かった。だが、全く選択的に財布の中から金品がなくなっていた。「不幸中の幸い」と人からは言われたが、そうだろうか。お陰さまで、カードからは知らない人の指紋やら何やらがついているし、気持ち悪いったらない。

鬱陶しい雨と気分を転換すべく、駅近くの珈琲屋に入って席に着くと、ゴッホの複製画が目の前にある。気を取り直して、竹橋の国立近代美術館へゴッホ展を観にいくことに。雨が降っていたことに加えて「平日」であったためか、5/3に初めて来た時よりは全然混んでいなかったのは幸い。とりあえず、舗道まで溢れるほどの行列とかはなかった。中に入ってみると確かになかなか進まない列や人の頭で観づらいところはあったが、イライラしたり耐えられないほどではない。また、あまり近距離で観たくない絵もあって、列から離脱したり、隙間の空いているところに適当に移動しながら縦横に鑑賞することも可能だったので、その人の数さえあまり気になるほどではなかった。もちろん、人は少ないにこしたことはないが、私もその集団のひとりだから不平を言っても仕方がない。

ゴッホの原画というのは今までも「単品」であちこちのミュージアムの常設展示とかでいくつかを観たことはあったが、これほどのまとまった数で、しかも適度に調光された光の下で観たのは初めてである。また、同時代の画家による作品との併設展示もあっていろいろ見比べられるのは、私のような美術に関してシロウトにとっては、いろいろなことを憶測したり学習することができて有り難いのである。

よくご存知の方なら反論もあるかもしれないが、それにしても、ゴッホの画風がまったく突如として突然変異のように世に出現したというよりは、ある種の同時代の作家のさまざまな手法(例えば点描など)を自分なりに試したり取り入れたり、取り除いたり、はたまたミレーなどの「古典」の熱心な模写を行ったり、という試行錯誤の果てに到達したものだ、という感を新たに得た。また、色彩のない初期の<<職工>>などのスケッチを見るに、きわめて精緻な素描テクニックを確固たる基礎として獲得しているということ。知っている人には当たり前のことだろうが、そうしたゴッホの作風の発展史を概観できたことには、非常に得るところの多かった。

それにしても、油絵の具の「照り」と輝くような色の艶やかさは、とても百二三十年前の古典絵画を見るような感じはしない。私はまずその絵の具の、つい昨日描かれたように見えるその新鮮さに、原画からしか感得しえない感動を覚えた。これは、最初に特記しておきたいことだ。

■ 職工 ─ 窓のある部屋 (1884)
正面の窓を通して黄金色の光が美しく描かれていて、逆光の中で織物をする職人の顔の輪郭や糸がそれを反射して黄金色に輝いている。これは、1889年から始まるサン=レミの燃えるような一連の作品群に先立つこと5年前の作品だが、黄金色に輝く「あちらの世界」の光の萌芽があるように思った。

■ レストランの内部 (1887)
併設展示のシニャックやリュスといった点描の画家たちの追求したのと同様の作風が濃厚に見られる作品。なんと言ってもレストランの壁にかけられているファン・ゴッホ自身の絵というのが、同じ日に珈琲屋で見たように、あたかも現在ゴッホの複製画が当たり前のようにレストランや喫茶店の壁に掛けられているのを預言するかのような作品(Aquikhonne曰く)で、楽しくも明るいレストランの内部の風景は、実際のゴッホの人生を思うに、かえってやるせない気持ちにさせるものである。ゴッホの悪戯はおそらく彼自身の祈念を反映している。

■ 芸術家としての自画像 (1888)
手にパレットを持つ自画像。解説によると、このパレット上の「絵の具が、色彩を混合することなく用いられた」形跡を残しているのであり、それはつまり印象主義や新印象主義の影響を物語っているらしい。その辺りは、どれだけエポックメイキングなことなのかはよくわからないが、混ぜられることなく絵の具が展開されていることは確かにキャンバス上からも伺える。しかし私が印象深く感じたのはそういうテクニックのことではなくて、ファン・ゴッホ自身が羽織っている、ボタンのひとつだけ付いたマントのような衣服であった。これが実に、同年に描かれた<<夜のカフェテラス>>の夜空のように、青地に黄金色に輝く地色で、あたかもゴッホが星で輝く「天球の空」を身にまとっているように見えてくるのである。しかもそれは常にある極点を中心に回り続ける蒼穹をカメラの「解放(バルブ)」で撮影したかのように、回り続ける夜空なのである。

■ 夜のカフェテラス (1888)
今回の「ゴッホ展」のポスターにもなったいわゆる展覧会の目玉のひとつ。この絵を見てただひとつだけ書きたい個人的なこととは、梶井基次郎の「檸檬」の次のくだりである。ちょっと長くなるがそのまま引用する。

「そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。」

断言しても良いが、ファン・ゴッホが見たものと梶井基次郎が見たものは、ほとんど同一ものだ。そして基次郎を魅せた檸檬の輝き、「電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛」「裸電球が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ射し込んでくる」それとは、ゴッホの描き続けた「黄金色」に他ならない。われわれは、その色に魅せられる。

■ サン=レミの療養院の庭 (1889)
あまり手入れに行き届いていないような雑草が生い茂り、花をつけた木々の葉のひとつひとつが生命の息吹を発散していて、ほとんど「やかましい」ばかりである。ベンチが草に埋もれそうなほどの手入れの行き届いていないこのような庭自体が、最も美しい。解体が始まっており、近々「やがて記憶の景色」と化してしまう我が家周辺の都営住宅廃墟周辺や公園予定地の草むらを思い出させる。ゴッホは狂気と正気の狭間で、そうした息吹に美を見出していたのだ。

■ 糸杉と星の見える道 (1890)
解説によれば(あるいはゴッホ自身の記述によれば)、これは夜景であるそうだが、絵自体からは、描かれている糸杉の右手にある「三日月」からかろうじて推測できるものだ。だが、これが夜景であると諒解しなければならない理由が私には分からない。白っぽい道も、そこを行く人々の姿も、それが夜の道であるというなんの証にもなっていない(私には)。三日月であれば、道をあれほどの明るさで照らす「月明かり」であるはずがない。題名から伺える「星」も、その輝きは、誇張されているとは言え、まるで太陽のようだし、三日月よりも強烈な光を発しているように見えるその天体は、明らかに「太陽」を意識したものだ。そのことから僅かな私の知識の告げるところは、この絵画の描いているものが、夜景でも昼間の景色でもない、ある抽象的な(というか、現実にない)風景であるということである。それは、中央に堂々と据え付けられた燃え立つ糸杉によって左右に分断される。そしてそれぞれの世界は、三日月と太陽のように輝くもうひとつの天体、によって象徴される。これはまさに、われわれの住む「非対称の世界」そのものである。

そればかりではない。「月の下」にある右手の遠くの世界から、「太陽の下」にある左手の近景へと蛇行しながら進行する白い川では、人が押し流されているの図なのである。そして、白い道の向こうに描かれている黄色い穂をたわわに実らせる「畑の階層」は、右奥から左手前へと近づくに従ってまるでグラフのように幅広くなり、「収穫」が近いことを告げている。これが、単に「夜景」にほかならず、黙示録的なものでないと一体誰が言えよう?

■ 全体として(あるいは「神話解体」への立ち会い)
今回のゴッホ展は、展示作品の図版集に収録されているエフェルト・ファン・アイテルトによる論文が冒頭でも断っているように、「ゴッホに関する神話」の客観化がさまざまな研究によって進行する*今という時代を、おおいに反映したものであったのではないか。それが、今回の「ゴッホ展」の特徴とさえ言えるのではないだろうか。良い悪いを言っているのではない。ゴッホ神話とは、アイテルトによれば「近代芸術が社会の評価を得るための苦闘の中でたおれた殉教者」「社会によって自殺させられた犠牲者」という天才画家のイメージである。神話を信じる理由も経緯(いきさつ)も、われわれの間にさえ、さまざまあるだろう。だが、その殉教者のイメージというのが、「精神を病んだ不幸な画家(殉教者)に自分自身を重ね、ファン・ゴッホの名を借りながら、世間一般の順応主義に対してあらん限りの怒りをぶつけた(アイテルト)」らしいアルトーのように、ある創作家に対する評価が私怨によるものが幾分でもあるのだとしたら、私はそれをそのまま字義通り受け入れることはできない。すくなくとも、その「古典的ゴッホ像」でゴッホを知るに事タレリとするのは、やはり十分ではないと考えるのだ。

* 「今日では、フィンセントの作品がいつどのように売られ、彼の名声を築き上げ永続させるために遺族がいかなる努力を払ったかを含めて、彼の生涯と死後の評価の形成を正確にたどる事ができる」(同アイテルト)というのだ。

すなわち、神話とともにある作家の幻影を、自分の受け入れたい形で受け入れている状態よりも、神話が解体されて、再び作品と各自が向き合うという状態の方が、遥かに健全であると私には思えるから。私は、作家への幻想の喪失(“幻滅”と言ってしまっても良い)によって、作品を見る目が変わるくらいなら、それだけの事だったわけだし、ファン・ゴッホの作品が、「幻想の喪失」によってその質自体が簡単に失われてしまったり「再評価」されてしまうほど脆弱なものとも思えない。つねに、初めてそれに出逢ったような目で、われわれ自身が何度でも作品と「出逢えばよいこと」だと信じている。


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