entee memo
課題が見出される庭園 - Annex:祖型と反復、宗教と象徴、神話と図像
――「あらゆる手立てを尽くして正否を明らかにしなければならないほどに
例外的に重要な論件」としてのエゾテリスム釈義

2009-12-05

レオン・フライシャーという現世への《贈与》

『羊は静かに草を食み』ピアノ版。この、静かに連打される和音。これは一体どこから聴こえて来る音なのだろう? 天か? それとも内奥からか? いや、それは購入からもう15年経つ旧いテレビの小さなスピーカーから聴こえて来ている。

Concert Memoirという本ブログのカテゴリは、自分が足を運んで見聞きした主に音楽パフォーマンスについての備忘録のはずであったが、テレビで放映していた音楽にこれほど感動したのはまれなので、書いておく。これは内田樹式に言えば《贈与》である(「恩寵」と言いたいところだが)。だが、それはテレビといういまや「死にかけた」メディアから流出して来た愛でたき《贈与》だったのである。

レオン・フライシャーは、Columbiaの往年の有名録音を集めた廉価版シリーズのCDでセルと共演していたラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」で知っていたが、音盤を追いかけたこともなかったし、特にどんな演奏をする人なのかという印象も持たずにいた。

Freisher-Rachmaninoff

しかるに、この日12/4にNHKで放映した彼の闘病についてのインタビューとその後の演奏実況を聴いて大いに感銘を受けた。そこで聴いた音楽のいくつかは全く初めて聞くものだった。

例えば、J.S. Bachの『旅立つ兄に思いを寄せる奇想曲』BWV992、SchubertのピアノソナタD960。この2つは是非もう一度聴いてみたい。Schubertは、特に愛聴する作曲家ではないが、こうして美しいものの存在をこの歳になってひとつひとつ発見していけるのは、実に幸運という他ない。(それにしても美しいものは、ただ単にそこにあることに気づくというよりは、それへの一瞥を与えるための、第三者による眼差しなり、実際に奏でられる具体的な奏者による音を通して常に行なわれるのである。あたりまえではあるが、こうした媒介者の存在は再現芸術に関しては過小に評価されることが多いように思われるのだ。)

芸術劇場 −レオン・フライシャー ピアノリサイタル−
05:05:00 - entee - TrackBacks

2007-10-13

桜の樹の下のバサラつぎ

10/13(土曜日)19:00頃から。

【以下敬称略】狛江の泉龍寺境内で行われる野口祥子(のぐちさちこ)の主宰するひめしゃら塾の舞踏公演(と呼んでよいものか...)の第二回なるものに友人の誘いもあり、行ってみた。夜の冷気も迫り肌寒くなりつつある境内に優に二百人は超える観客が徐々に集まった。

全体の印象としては薪神楽や薪能に通じるようなものだが、文字通り天井がなく桜の木下に設えられた特設の野外舞台を中心に創られるパフォーマンスというものは、そうしたものとはまた異質の非日常空間を生成しつつあり、それはまさに幽玄を絵に書いたようなものだった。

泉龍寺の桜の木は実に立派で、それ自体が鑑賞に値するものだが、天然の木をそのまま舞台装置の一つとして取り込み、また背景に位置する鐘楼は、前方で静々と進む静的な舞踊とコントラストをなす動的な舞踏の第二のステージ(関係は逆になることもある)とも言うべきもので、前後の関係にあるこの二つの舞台は、それ自体でもこの場所ならではの特有の遠近法を創り出すのであった。

Vasara1
公演が始まる前の“舞台”全景。右手に見えるのはシタールとドラム奏者の演奏場所。注連飾りのようなものを締められた中央の桜を囲むような形で舞台が造作されている。

Vasara2
神巫(かむなぎ)の様な装束と仮面で現れた野口祥子の踊り。着物姿で左端に見えているのは、後に舞台に登って踊ることになる二胡奏者の向井千恵。

Vasara3
右端に見えているのはシタール奏者の鹿島信治。鐘楼の上でも若干の演出的な「動き」が...

Vasara4
野口祥子を除くとひめしゃら塾の舞踏家は6人(向井千恵を含む)。そのうちの3名。衣装は次々に変わっていく。

Vasara5
基本的に仮面を付けて登場し、それは外され、舞台装置の特定の場所に置き去られる。それは他の登場人物によって再発見され、また盗用される。パントマイムの様でもあり、劇の様でもあり、舞踏の様でもあり、そしてまたそのどれでもないようでもある。

そして最もこれらに相応しい呼び名は「神楽」であろう。だがそれは神社や民間に伝わる、例えば鍛冶術に関する神話(どうやって刀が造れるようになったか、などの)の伝承などの目的はなく、独創的かつ現代的なものだ。また心理学的な解釈を施す誘惑を感じてしまう類のものである。

23:50:00 - entee - TrackBacks

2005-11-16

廬佳世さんのアルバム来る!



一度以前にこのブログでも「オブリガートなオーボイストになった夜」というタイトルで書いたが、私がオーボエで参加した廬佳世さんのアルバムがついに出来上がった。廬さんご自身から嬉しいメッセージと供にサンプルのCDが送られてきていた。

私が吹いているのは3曲目の「かたち」という曲。
いきなり冒頭のイントロで素朴なメロディで登場し、最後に渋く(?)オブリガートで彼女の歌と絡みます。彼女の飾りのないストレートなメロディーと歌声を是非お聴き下さい。

歌詞やアルバムジャケット、また廬佳世さんのプロフィールなどはこちらに詳しく載っています。ぜひご覧下さい。




23:39:00 - entee - TrackBacks

2005-07-27

オブリガートなオーボイストになった夜

矢野敏広さんは、李政美(イ・ヂョンミ)さんや、enteeが敬愛する趙博さん(パギやん)、朴保さん(パク・ポウ、パッ・ポオ)[以下敬称略]などの弾き語り系のバッキングメンバーとして欠かせない「オチることなく、いつも寄り添うようにそこにいる」繊細緻密なギター + マンドリン奏者である。彼の伴奏ギターの音を聴いていると「信頼される理由を持ったプロだなあ」と嘆息させられる。いつも日本中を旅して回って大忙しである。

2年ほど前に即興 + コリアンロックの佐藤行衛さんを通じて知り合った。なぜか矢野氏も不思議な縁を感じる人。行衛さんを通じて知り合った関係で、行衛→韓国→矢野という流れであるにも関わらず、私は別の「系統」でも矢野さんと「コネクトした」のである。アメリカ滞在期間中、その当時、西海岸で「快進撃中」だった超国籍的レゲエの朴保バンドの音源だけをビレッジに住むある友人夫妻を通じて聴かされていたからである。しかも朴保の名前を自分は十年以上失念していた、というオマケ付きである。

一年前か、矢野氏に<もんじゅ連>ライブのゲスト出演をして頂いた後、自宅近くで飲んだ。その時、私が何度も聴かされた「忘れられないあの音楽」が朴保本人であることが劇的に判明したのだった。その後、朴保のことをいろいろ調べたまくったところ、全ての条件が符合したので。それが彼であることに今は一抹の疑いさえない。

だが、矢野さんがその朴保のグループの永年のメンバーの一人であったとは! これは以前にも、別の「音つながり」の縁の不思議についてentee memoで語ったとき、言及しているので知っている方にとってはもはや退屈なだけの話であろう。

さて、その矢野さんとAquikhonneの3人で10月にライヴを予定している。これは、これまでの自分の経験にない「癒し系朗読」パフォーマンスとなるかもしれない。このようなことを書くと早速「共演者」からもお仲間からも反発を買いそうだな...。案外この一言で流れたりして(口は災いの元なのだ)。

その矢野さんから先週末電話があり、廬佳世さんの新アルバム録音でオーボエを吹いてくれないか、と言うのであった。矢野さんはどうやら本アルバムのプロデュースもやっているようである。ありがたいオファーであったので、自らの未熟さも顧みず、二つ返事で引き受けた。「歌もの」でイントロとオブリガートだけの演奏であるが、バラード風の曲のそうしたオーボエ伴奏は、一度心底からやってみたかったことだったのだ。

仕事が終わった後、楽器を抱えて雨の中を新宿の某スタジオに向かう。想像した通り、スタジオは地下室。集中豪雨になって大量の雨水が流れ込んだりしたら嫌だななどと思ったが、思いのほか雨はひどくならず。

スタジオの皆さんは初めて会うような気がしないほどに気さくな方々。おかげで無用の緊張を強いられることはなかった。

9時近くからスタートして、11時半頃に終了。実にいろいろなことを学んだ。既に録音済みのトラックを聴きながら、音を重ねていく典型的スタジオ多重録音の作業であるが、イントロと間奏部以外をどうするかは明確に決まっていた訳ではない。一つは自分がどう出来るかが試されるのであるが、エンディング部でついにネを上げ、私が「最良のオブリガート」をアドリブできない(出来るんだろうけど、いつ最良テイクが録れるかが見当もつかない)ことが判明し、急遽、矢野氏のお仲間のアレンジャーが20分ほどでオブリガート部を作成する。いわゆる「緊急現場合わせ」である。しかし、彼の作り出したオブリガートの美しいこと! 鉛筆で書かれたこの世に一つのパート譜を見て、「そーゆーふーに書くのか!」舌を巻いた。譜面化されたオブリガートを基に、それを何度か吹いてオーボエトラックの完了。ちょっと悔しくもあったが、実に面白かった。

おわったら廬佳世さんの歌の詩がますます心に染みてきた。
アルバムはうまく行けば10月頃にリリースの予定らしい。
先日ちょっと参加した石塚トシさんのアルバムも秋頃リリース予定だし、いろいろ楽しみな秋なのである。

こういうことが週中に起こると、興奮して眠れなくなって、翌日ほとほと困るのである。

07:39:00 - entee - TrackBacks

2005-07-12

中島淳一の独り芝居:その人に相応しいものに成るということ

7/12(火)。噂に聞いた“多極 美術家”の中島淳一氏の<独り芝居>。その「マクベス」東京公演を東京芸術劇場にて観劇。芝居そのものが、長らく親しんで来たものではないが、梅崎氏達との出会いを通じてついに観に行く事に。

これが「演劇」と呼ばれるものなら、その<劇>は年に一度とかではなくて、週に一度でも!と思えるほどの感動と親しみを覚えるものだったし、これが「独り芝居」と言うものなら、こうであって欲しいと自分が勝手に願っていた「個人が達成できる表現の理想」をすでに実体化しているものだった。このような夢を実現してる人間を間近に見、その人の呼吸を、言葉を、そして冗談や笑い声を、同じ空気の中で共有し、また自分も共に笑い、楽しんだということは、ほとんど夢のようである。最近、立て続けに起こっている「学びを伴う贅沢」のダメオシである。

とにかく自分の貧困な想像を、さまざまな意味で裏切ってくれた<芝居>だった。こうした裏切りは、もう驚きを超えて痛快なのである。

始まるまでは、最初から最後まで中島淳一氏がマクベスひとりを演じる「独白もの」なのかと、ちょっと想像したりもしていたのだが、左に非ず。シェイクスピアの「マクベス」に登場する主たる登場人物、すなわちマクベス本人、マクベス夫人、ダンカン王、マクベスに仕える士官、などなど、「本筋の語り」に必要な人物をすべて「一人で演じ分ける」と言う、いわば落語家が一人で何役もこなす、というのに近い芸である(奇しくも後で、その昔落研にいたことも判明)。しかも中島氏は、おそらくマクベスにこそ相応しい唯一の衣装を身に着けて、それを変えずに最後まで、演技と声色だけで幾人もの登場人物に成りきる。そして、その人物の変転にも中島氏の演技の妙がある。そして、華飾を省き、エッセンスは逃さない、という実に個性的で簡潔な脚色が、その魅力だった。しかもその脚色は、後から本人に聞いた所によると、オリジナルにない解釈や付随のエピソードまで含むものであり、しかもどんどん本番中にアドリブされているものであり、原作をよく覚えていない私などは、「ふ〜ん。そういう話だったかな〜」と容易に騙されてしまうのである。こういう「高度な騙し」に騙されるのは全然悪い気がしない。それだけ、「中島淳一の世界」に連れて行かれてしまっているのである。

中島淳一氏の言葉



最初に、中島氏が英語(原語?)のセリフを喉から絞り出すのを聞いた時、「おいマジかよ、まさか最後まで英語でやるの? だとしたらそいつはツライな〜」と正直思ったのだった。しかもシェイクスピアなので、2,3時間の独演は普通だろうと勝手に想像していたこともあり、そうなると「かなりの集中が要するぞ、これは!」とちょっと覚悟を決めかけたのだが、そういうことではなかった。後で御本人にそのことを話したら、やるたびにあちこちで同じことを思われてきたようで、最初の「一瞬の誤解」を楽しんでおられるようでもあった。確信犯なのである。しかも彼が英語のセリフをまわすことには、それだけでない必然性があるようだ。「自作英詩の朗読」というのが、彼の音声関連表現の始まりであったとも聞き、彼が「英語を選ぶこと」についても妙に納得をする。

なぜ、妙に納得をしたのか。ここで自分の話をするのは本来不適切なのだが、敢えて書くと、自分も日本語で「詩らしきもの」を書き始める以前、最初の「それ」は、留学中に英語で書かれたものだった。それは、滅多に人前で音読されたことはなかった(機を逸したと言っていいだろう)が、英語で書くことしかできない内容だったし、それを日本語に「逆翻訳」するなどということは、当初思いもつかないことだった。それらは英語で出来上がったのだし、英語を母語ではなくひとつの「記号」として、それらの持つ強い日常的意味や通常の単語運用に囚われることのない外国人として、純粋に「詩的」なツールであったのだ。中島氏が「自作英詩の朗読」から始めたというのは、だから実感できることなのだ。

中島氏の声色(こわいろ)の七変化には感動を禁じ得なかったが、そういう技術的なことの前提となる、その根本的な声質と言うか、舞台上で発声される響きのある<音声>自体が、黒く太い骨格とそれの描く鋭角な線に虹色の縁取りがされた「あれ」であったのだ。



そして、オーボエソロの本間正志氏が、この「独り芝居」の音楽担当。本間氏は、留学中に私がいろいろお世話になったオーボエ奏者のH君の師匠であり、多くの本間氏の「教え」を間接的に彼を通して「体験」していたのだ。が、このたびは、その師匠ご本人の「お出まし」なのであった。



梅崎氏の“ケルビーム部隊”が本公演を全面バックアップした。その梅崎氏が中島氏と深くつながっていて、中島氏が本間氏と20年来の「腐れ縁」なのだという(そして古楽合奏団のオトテール・アンサンブル「ぐるみ」のお付き合いでもあるらしい)。嗚呼、どこで誰がどのようにつながっているものやら! その辺りのいきさつは公演後の打ち上げで、おもしろおかしく聞かせて頂いた。

本間正志氏はフラウト・トラヴェルソの有田正広氏と並んで押しも押されぬ日本の古楽器界のパイオニアの一人であるが、中島氏の「独り芝居」ではモダン楽器による演奏(最近はモダン楽器の演奏が中心と聞いた)。それは4時間前に完成したという「自作曲」であり、したがってその音楽は「記譜」さているのだ。実は、これが私にとってこの夜の最初の驚きで、2つ目の意外さは、オーボエと台詞のリアルタイムの「インタープレイ」を見せるというのではなく、劇の始まりと終わりに来る挿入曲的な音楽のあり方だったのだ。

本間氏のパーフェクショニスト的なアプローチや古典楽曲を追求する、人を容易に寄せ付けないかの美学を思えば、記譜された音楽を音符の告げる通りに(つまり自分がプランした通りに)演奏するというのは、まさに必然として理解できることなのである。ただ、私の浅薄な思い込みが、私に驚きをもたらした。そして、音楽自体の完成度の高さには舌を巻いた。しかも、それを完璧に演奏するための修練も技術力もある訳だから、本間氏にとって、「それをもう一度やる」ということになれば、それを何度でも「再現する」ことができるはずである。

中島氏の演技との劇中におけるインタープレイや即興の可能性については、お二方は当然検討したらしい。だが、今のところは中島氏の演劇の内容を尊重すればこそ、安易に採用できないという事情でここまで来たらしい。それはそれでまた理解できることなのである。

これは、即興を主たる創作音楽の方法として採用してきた自分にとっても十分に考察することができる問題提起である。特にテクストとの共演に関しては、即興の匙加減というのは常に検討課題なのだ。うまくいったときは、「作曲の効果」を容易に凌駕する結果があるが、失敗は相当に悲惨な場合がある。実に即興においては成功と失敗はコインの裏表であり、リスクとは背中合わせである。



本間氏、最近は古楽器演奏の頻度は下がっているようで、むしろ都響の有志メンバーで作っているスイングジャズのビッグバンドでサックスを吹くという「不良な趣味」にご執心なのだそうだ。また、その日アンコールで演奏された「独り芝居:吉田松陰」のための音楽の秘密を譜面を見せて教えて下さった。



独り芝居と観ている間、学生時代にスコットランドを通過した際に訪れたインヴァネス近郊のコーダー城を思い出していた。マクベスの生きていた11世紀には現状のような城はなかったらしく、訪れたコーダー城自体は18-19世紀に「復元」されたものらしい。あの物語の舞台になったスコットランドは、牧草と花の生い茂るひたすらに静かな平原野であり、そこであのような悲劇が起きたことを想像するのは難しい。いろいろ実在のマクベスについて調べてみると、マクベスとダンカン王との確執は、暗殺ではなくて戦場における実体的な戦闘によって勝負がついたのが真相のようで、シェイクスピアの戯曲自体がすでに史実から遠いフィクションであることが分かる。シェイクスピアは謀殺(殺人)を現世におけるひとの生きる手段としたときに、その人間に降り掛かる事の顛末という普遍的な因果の悲劇を描くにあたり、実在のマクベスや彼の生きた場所、そしてそれにまつわる伝説を作者は利用したのだろうと想像される。

虚言にして箴言。虚構にして普遍。中島淳一氏は、現代の独演狂言師(虚言師)と呼びたい真の創作家だ、と思った。



中島氏にしても本間氏にしても、何を実践しているのかという具体的内容云々ではなく、その人物の人間性や大きさに相応しい存在に成るということ(すなわち「真の成功」)、一見単純そうで、それこそが人生の大問題であるところの到達し難い「自己実現」を成し遂げている人物の心のありように、最も大きな興味を抱いているのである。だからただ羨望の眼差しを投げかけるのは、もうやめなのだ。

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