entee memo

2005-04-19

預言に「自己成就性」の回避を組み込めるか

ある事態の潜在的危機(とくに軍事や外交問題)について警鐘を鳴らす専門家が、知らず知らずに予想された「その事態」が起こることを切望し、引いてはそれが起こることに加担してしまうというディレンマについて、「テンポラリー専門家」になった人物が自分の体験をもとに証言をしている。「ためらいの倫理学」の内田樹氏は、似たようなことを既にどこかで述べておられるが、それを自ら実感を持って体験したと今回blogにおいて書いているのである(「中国の狼少年」)。

自分には、これが「○○が起こるかもしれないぞ〜」と警告する学者や預言者の言葉や、その警告者の存在自体が、その予言の成就の片棒を担いでしまうという、まさに予言の自己成就性について書いているようにも思えた。これについては、我が身の言葉の在り方を振り返ると同時に、自分は、何らかの専門から局外者の立場であるという、言わば「寄港地を持たぬ船」、あるいは「あらゆるフィールドからアマチュアである」という生き方へも想いが馳せられた。

実際問題、内田氏が指摘するまでもなく、専門家的発言というものの持っている危険性や、専門家自身が自己の論理正当性を明かすのに、それの「成就すること」が、もっとも手っ取り早くしかも効果的であるわけだが、そうした自己陥穽に自覚的な専門家というのも、実は少ないと思うのだ。

特に、「○○が起こるぞ〜」式の警告的トーンの本を何ダースも書いているような小説家や経済批評家や政治評論家や軍事評論家という人種の中には、自己の役割のこうした側面というのに無自覚ではないか、と思われるフシが多々ある。中には、如何に自分の予言がこれまで多く的中してきたか、ということを誇ってやまない物書きもいる。むしろ、その予言が当たらなかったことの方が、本当は「目出度いこと」のはずであるにも関わらず、どれだけ自分の予言が当たったかということを夢中になって誇示する訳である。そうなってくると、この人は、世の中がそうした事態を回避することを喜ぶのではなく、悪くなっていくことにこそ快感を感じ、ほくそ笑んでいるようにも思えてくるのだ。そして、何よりも、そうした物書きはその本をより沢山売ることができる。「あの人の占いはよく当たる」というような評価を以て。

だから、「頼むから当たらないでくれ!」という悲痛な願いの聞こえてくるような予言にこそ、私は敬意を表する。あるいは、どうしたら、その悪い事態が回避される得るのか、という提言を多く含んだ「予言」にこそ、本当は価値があると、言った方がおそらく正しい。いや、予言そのものが、決して成されなければ良かったという視点さえあるのだ。ある局面で、やはり「口は災いの元」ということだ。だが、それは未来予想についてに限った話だ。

また、専門家自身の持っている知識自体が、特権的なものであるという専門職から客観的立場に立てる門外漢(アマチュア)による、批判がつねに意味をなすのだ(と、またアマチュア礼賛をして、終わってしまうのだった)。
21:04:06 - entee - TrackBacks