entee memo

そりゃあ問題ですよ、樹さん(続編)

昨日の日記で若干の“反響”があったので、
もう少し書いてみることにする。

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「温暖化が進行すればより深刻な事態があるだろう」
というものと、
「温暖化が進行しても大して深刻な事態はないだろう」
という、“計量的にどちらも蓋然性がない”らしい2つの言説が存在するとき、いざその結果が出た時に、どちらの言説の方がわれわれの生存にとって有益だったことになるだろうか。このことは、われわれの想像力の問題である。

「ひょっとしたら被害があるかもしれない」と悪い事態の予想をして行動する方が、多くの場合「安全のためになる」とするのが、安全保障確保の基本である。われわれが危険を感じる時に、例えば、狭い路地の200メートル先でこちらに向かってくるクルマの挙動に何かおかしなものを感じる時、それをわれわれは「計量的な蓋然性」として認識するのだろうか? ひょっとすると何の問題がなくても、「おかしい」と感じた自分の第六感に従って行動する方が、その人が生存できる可能性は高い。「クルマの挙動はおかしいかもしれないけど計量的に証明できないからいいや」と考えて敢えて無視する人が、そのクルマにはねられる方が蓋然性 probability は高いのである。

気候が温暖になることと気候が寒冷になることを、気温の次元だけで比べて済ませるなら、私の見解も内田氏の見解とそう変わらない。温暖化それ自体(温度)が直接人を殺すことはなく、どちらかと言えば、寒冷自体の方が人を殺すだろうという点で危ないということは賛同できる。だが、それは気候を温度というパラメータだけで判断するという近視眼的な判断だと言いたいのである。気温の上昇がより多くの氷を海の中に落とすという誰にも分かる現象自体だけをとっても、「その影響が巡り巡って、それでも何もない」と断定することの方が、“計量的な蓋然性”がないだろう。(それにしても“計量的な蓋然性”というのは不思議な言葉だ。)

あと重要なのは、われわれはもはや「温暖化があるかどうか」というレベルの話をしているのではなくて、少なくともほとんどの観測データが「温暖化は(おそらく)進行しつつある」という結論に達している点である。内田氏も文章のタイトルが「地球温暖化で何か問題でも?」と言っているところから見ると、「温暖化がある」点については疑問視していないように思える。おそらく彼が言いたいのは、人為(二酸化炭素増加)と温暖化の間にあるとされる相関関係が、広く世間で言われているほどにはまだ証明されていないだろうという様なことだろう。それは分かる。だが、それは温暖化そのものの進行の否定ではない。「温暖化はある。だがその理由は分からない。」ということに尽きる。でもこれだけで話を終わらせるのは、余り生産的ではない。主張されるべきは、その先にあるだろう。太陽系の話をするのは、ひとをケムに巻くには充分だろうが、それで停止するのは樹さんらしくないではないか。

樹氏が「温暖化そのものが眉唾物だ」と言っているのであれば、議論の次元を変えざるを得ないだろう。だが、おそらく環境変動の原因について所々対立している学閥が存在していても、温暖化そのものを否定しているサイドがそう多くないのはほぼ認定できる。それは少なくともこの20年の間に目に見える環境の変化を捉え損なわない限り、共有できることである。

(「温暖化があるかどうか」という“レベルの話”は、今年の3月時点で温暖化議論の相対化を目指した「地球温暖化を巡って考えられること」でも取り上げた。)

したがって、われわれに残されているのは、その原因が何であるのかという(内田氏が言うようにおそらく容易に突き止められないだろう)問題と、(奇跡的に)原因が突き止められたところで、われわれにその進行とそれによって引き起される事態を阻止できるのかという問題があることになる。そして、「来るべき事態」がある程度予測可能(計量的に蓋然性がある)になったときに、それへ対策を開始したとして、原因が証明されてから行なって間に合うのかという点である。

黄昏を待って飛び立つミネルバの梟は、われわれを救わないのではないか?そう思えて来るときに、私は悲観的にならざるを得ない。



posted at 00:25:18 on 2007-10-12 by entee - Category: Other people's blogs TrackBacks

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