entee memo

地球温暖化を巡って考えられること

最初に言っておきたいのは、いわゆる米共和党政権の政治指導者たちが言うような「問題は現実のものではないし深刻でもない」というようなことではない。最初に言っておけば、われわれが問題すべき意味での「地球温暖化」は、「おそらくある」。

だが、その上でもわれわれが考えて損しないことも、「おそらくある」のだ。



永久凍土の喪失。極地方や高標高地域に於ける氷河および氷山の溶解、小諸島の海岸線の浸食、などなどの目に見える証拠によって、地球温暖化の危機については、さまざまな主張がある。特に、米元副大統領のアル・ゴアが火を付けた『不都合な真実』という書籍や映画によって、今後一層の話題となることは確実である。こうした主張の中で目立つのは、今すぐわれわれがアクションを起こさなければ、来るべき文明大崩壊の阻止に間に合わないというトーンである。それらのレポートの告げるところは、本当にそうなのかもしれないし、もしそうだとしたらわれわれの未来は、じっさい相当に暗い。

だが結論を急いで「急いて事を為損じる」前に思うのは、以下の二つのことである。

まず、地球温暖化は本当に在るのかということ(いや、怒らないで欲しい)。もうひとつは、在るとして、その原因は人類の文明活動にあるのか、という点。この二つのことを組み合わせると、以下の4つの可能性が考えられる。

(1) 地球温暖化は無い。存在しないものに責任追及は無い。

(2) 地球温暖化は無い。無いのは人類のせいである。

(3) 地球温暖化は在る。在るが人類のせいではない。

(4) 地球温暖化は在る。在るのはまさに人類のせいである。


(1)についてはどうもここ100年くらいのスパンの観測に因ればやはり「ありそうに見える」ので、おそらく除外できそうだ(その辺りが温暖化説に反論するひとから問題視されているようだが)。もちろん観測領野を数千年から数万年のスパンにしてしまうと、変動はあるが、冷却する期間もあり長い目で観て平均化すると「地球は温暖化していない」という主張さえ可能になってしまう。「地球は急速に寒冷化する」という主張さえある。だが、われわれはおそらくそういった超歴史的な長いスパンを問題にしているのではなくて、われわれの文明圏が「歴史」上、初めて体験する「ほぼ明らかな温暖化への傾斜」を見て、自分たちの経済活動や生活の基盤が脅かされるのを感じ始めたということだろうし、あくまでもその傾向が人類の代々限りない繁栄を妨げそうな勢いで明らかになって来たことを、真剣に問題にしているのであろう。いずれにしても現今の地球温暖化の議論のほとんどは、(1)の様な前提に則ったものではない。

(2)については上のような理由と、常識的に考えてもありそうもないことなので考察対象から除外できよう。

(3)については、おそらく人類のアクションを直ちに求める学者や運動家の人々から観れば噴飯モノであろう。あるいは「人類のせいかどうかはともかくとして」、とにかく温暖化が明らかな以上何らかのアクションが必要だという論者からすれば、このような「原因の究明」に時間を掛けているヒマはないということが出て来るのも、ある程度は頷けることである。これは、数年前にNHKが「地球法廷」というインターネットを使った自由な議論を基に、BS向けの番組を作って放映した時の内容も大同小異であった記憶がある。「原因はともかく急がなければ」というものだ。だが、「どうもあるらしい地球温暖化」の本当の原因が何なのかということは、はやり続けて検討されるべきことのように思われる。もし仮にそれが人類のせいでないとしたら、おそらくわれわれ人類の対処療法的な方策でどうにかなるというようなレベルの話ではないばかりか、その方策に掛ける時間や努力そのものが無駄になるからだ。努力をした後で、「実は私たちのせいではありませんでした」ということで済む問題であろうか? もっと良い「温暖化対策」というものがあったかもしれないのだ。もし地球温暖化(もしくは周期的気候変動)が人類の文明活動と関係なく存在し、しかも避け難いことであるとすれば、その努力は温暖化阻止ではなくて、むしろその「ほぼ明らかな地球温暖化」とどのように付き合っていくか、ということを考えることにしか無いだろう。台風の発生や進行を止められない人類が、温暖化という自然現象を止められるほどの力を持てると考えるのは愚かなことだ。

(4)は、おそらく現在地球温暖化を問題にする人々に共通の「考え」なのではないかと思われる。温暖化の傾向は便宜的に本当だろうと譲歩できるにしても、原因については少なくともそれは未だ「真実」ではなくて、可能性レベルの話である。また、可能性として二酸化炭素の増加が温暖化の原因になり得るという有力な説がある以上、程度問題はあるとしても、人類の文明活動はその増加を促進するものであることに間違いないので、やはり「地球温暖化は人類のせい」という因果関係への推測を支持する人々は増えることはあっても減ることは無いだろう。2007年3月25日の東京新聞の「読書」欄(書評欄)にも『地球温暖化の現場から』(エリザベス・コルバート著)の書評見出しとして「滅ぼされる命の現実を直視」というタイトルが付けられていた。これはそうとはっきり明言してはいないが「滅ぼす」と書く以上、人類が温暖化の責任を持っているのを前提としているように見えるし、そういった印象付けが無意識に採られていると言うことが出来るかもしれない。地球温暖化が自然現象なら「滅ぼされる」ではなくて「滅びゆく」とでも言ったところだろう。



いずれにしても温暖化はおそらくありそうだ(少なくとも2、3千年のスパンでは)。だが、その原因の真相はまだ解明されていない。したがってわれわれの努力の何を以てその阻止の方策とするのかは、実は分かっていない。二酸化炭素の増加を停めても温暖化は止まらない可能性さえある。そうなれば、先進国を追って今後経済発展が予想される諸国から、(京都議定書の様な)二酸化炭素発生の抑制の圧力は、国家間の経済格差を固定させるための政治的意図を持ったもので、『不都合な真実』などは政治的陰謀を担った環境運動キャンペーンなんだという意見が出て来てもおかしくはないのである。ゴア氏のファンには申し訳ないが、彼自身は良心的にやっていても、それが政治的に利用されているという可能性だってある。あるいは良心的環境活動家の仮面を冠った確信犯という可能性だってある。

既に発展してしまった先進国にとっては、二酸化炭素発生の抑制というのは、これから発展していきたい各国に比べて、遥かに実現可能性の高いホームワークだからだ。少なくとも、自分たちは世界を汚し放題汚しつつ発展したくせに、後から来る人々にはより高いハードルを課すことには違いが無いのである。

温暖化は否定しないものの、環境危機に関する全般的な捉え方については、運動家や政治家ではなくて学者側からの真面目な反論もある。ビョルン・ロンボルグ著『環境危機をあおってはいけない』などもそのひとつだ。ロンボルグ氏の研究に対して私の判断はまだ保留中だが、ゴア氏の著作を読んで浮き足立った方々にとっては、別の視点というものがあるという事を知っていても悪くはないと思うのだ。
同著に関するコメント



最後にもう一度言っておきたいのは、いわゆる米共和党政権の政治指導者たちが言うような「問題は現実のものではないし深刻でもない」というようなことではない。あらためて、われわれが問題すべき意味での「地球温暖化」は、「おそらくある」。というより、人類の文明の在り方を考えてみれば、それが永久に続く筈がない事は、おそらく直感的に小学生だって分かるレベルの事だ。「温暖化」はそうした環境破壊の一環に過ぎない。

しかし、その上でもわれわれが疑って損しないことも、「おそらくある」のだ。

posted at 14:38:15 on 2007-03-25 by entee - Category: Politics! TrackBacks

コメント

No comments yet

コメントを追加

:

:

トラックバック

TrackBack URL