entee memo

2005-06-29

最高裁判決への戦い方

憲法違反の行為を平気で成す政府、憲法違反の判決を平気で下す最高裁。こうした厚顔無恥な権力者たちのトレンドは、どうやら日本だけの専売特許ではなさそうだ。むしろ日本国の政権が宗主国として崇め奉っているアメリカ合州国でこそ、全体主義への零落は明らかなのかもしれない。だからこそ属国日本も何のためらいもなくその宗主国の傾向に習っているのかもしれない。だが、決定的に違うのは、その権力者による憲法違反への人々の反応と対応である。

当然のことながら、合州国では私有地の政府による接収というのが憲法によって厳しく制限されている。一方、憲法修正第5条の例外規定によって「公共使用のための例外を除いては政府による個人財産の接収は禁止」という表現がなされている。

だが、ここへきて所有権護持を主張する活動家を怒り心頭させる連邦最高裁判決が下され、大いに物議をかもしている。米国の新聞などで報道されているが、その判決によれば、橋や高速道路などの公共プロジェクトに限らず、「スラム」化した地域の「浄化」や土地の再配分という名目でも私有地の接収ができるばかりか、「公共目的」の中に、不況に喘ぐ地域に仕事をもたらすならば「私的企業が土地の買収開発をする」ことを州政府命令で実行することが含まれる、としたのだ。

コネチカット州において、私企業が開発するオフィスビル建設のために土地を追われようとしている住民が、明確な「公共使用」でない開発事業のために土地を立ち退かなければならない理由はない、と当然の権利として訴えていたケースに対し、連邦最高裁が、公共の利益にかなっているので「公共使用」であると解釈できると判断を下した訳である。これは今後、どのような土地でも、現時点で生み出している以上の利益を生み出すプロジェクトによってより多くの税収が見込まれるとすれば、私企業が自由に、何の制限もなく人の土地を接収できるという最悪の判例を造ってしまったことを意味する。当然のことながら「貧困層」や「高齢者」が住んでいる宅地自体は、オフィスビルや工場ほどの「利益」を生み出さない。当然だ。私の住んでいるアパートは、私が住むことによっては私の払う家賃しか生み出さない。こうした人々の土地は、金を持つ人間が望むなら、州政府命令でいつでも私企業にそれを売り渡さなければならないわけである。ここで財産権の侵害を禁止する憲法の理念がねじ曲げられるという一歩が踏み出されたわけである。
CNNの記事
Washington Postの記事

この判決に敗訴した住民のみならず、この最高裁判断を「重大な憲法違反である」と反応した数多くの人々がいる。当然の話である。

この最低の最高裁判決を下した一人であるスーター判事の住むニューハンプシャー州 34 Cilley Hill Road という地所を州政府指導のもとに接収した上で、買い取り、ホテルを建てるという計画を立案したのだった。そしてそのホテルはウェア市の当局にスーター判事がそこに住み続ける以上の経済的利益を作り出し、市はより多くの税収を確保するだろうと伝えたと言う。

天才的な活動家、Logan Darrow Clements氏の計画によると、ホテルの名前は「The Lost Liberty Hotel: 自由喪失ホテル」で、ホテル内には「Just Desserts* Caf?」というウィットの効いた名のカフェをしつらえ、公共に開かれた博物館まで付随させるというものらしい。博物館ではアメリカに於ける自由の喪失をテーマにした常設展示を行う。そして普通のホテルによく備え付けられているギデオン協会の聖書の代わりにリバータリアンのアイン・ランド女史の小説『肩をすくめるアトラス』を置く。

* やったことへの当然の報いとして与えられる「デザート」。行動にふさわさしい末路として行為者に与えられるもの。当然の結末。

これは新たな戦いの始まりだ。もし公共の利益になるという理由で私的企業が他人の財産を接収できるというのであれば、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領の私邸を私企業が買い取ることもできる。こうした闘うための基金を募って公共の利益のための「買収」というリベラル活動家による<合法的>な動きはあちこちで起こるであろう。なぜなら、連邦最高裁が下した判決という「お墨付き」があるからである。最低の判決に対する最高の抵抗である。もちろん予断はゆるさない。裁判所が三権分立の理念を平気でねじ曲げる理念無き輩の集まりであるとすれば、大物政治家や裁判官自身の私邸を接収の対象にすることなど、容易には認めないだろうからだ。だが、こうした抵抗に遭うことこそ、彼ら権力者が「やったことへの当然の報い」「当然の結末」なのである。
freestarmedia

確かに憲法というものは「文章」であって武力も警察力も持たないものである。おそらくこのように何の強制力も持たないから権力者は好きなことを始めているのかもしれない。だが、そうした新自由主義には倫理もヒューマニズムもない。理念や理想に生きるものが<人間>である以上、憲法を平気で違反できるその心は人間に属するものではない。

以前なら、憲法という「文章」そのものに対する畏敬の念というものがあった。それを勝ち取るのに抑圧と闘争のプロセスがあったからだ。憲法を単なる文章だとしか考えないとすれば、それは思想の敗北(人間の「考える力」というものを過小評価するもの)であり、権力者の堕落であり、次なる<時局更新>への引き金(口実)を敵(われわれ)に引き渡すような恥知らずで無知な行いなのである。つまり法律自体が遵法しているかどうかを測るための、保守も革新も、どちらの側も無条件に守らなければならなかった超法規としての憲法は、それを生み出した合州国でこそ死文化しつつあるのだ。

だが、それに対して戦う方法を編み出すのも、かの国のヒューマニストたちの着想であり、工夫であり、実行力なのである。

18:03:09 - entee - TrackBacks

2005-06-25

「解読」
(散文、あるいは「未来へのシナリオ」の骨格として)

(これは常に推敲の対象である)

曲がった腰を伸ばし
汚れた手の甲で額から汗を拭い
穴の底から照りつける太陽を見上げる
ぽっかりと空いた真っ青な穴の中心から
白い太陽が容赦なく照りつける
男は自分の掌にあるその小さなものを見つめた
それは彼の頭で強いコントラストの影になっていたが
それが何であるのかは、分かっていた

深い地中から掘り起こした粘土板
それを男は見つけたのだ

その小さな石の破片のようなものに
明らかに人の手によるものと思われる「傷の行列」を見出した
だが、そのとき一体誰がそれを読み解きうるものと思っただろう?
だが男にはある確信があった

その発見にもかかわらず
無意味な発掘は続けられた
あらゆる美術品、工芸品の類が地上に曝され
札を付けられ整然と並べられた
そして地中より掘り出された直後の鮮やかな色のいくつかは
ほんの数日で失われるものさえ、あった
だがその中でも絶対に失われないものは
その「傷の行列」であることを男は知っていた

発掘された品物は然るべき場所へと
それぞれ移されて行った
だが彼の興味を惹いたのは
たったひとつの小さな粘土板だけだった

委員会は何を思ったか、その発見を秘密とした
いくつかの雑誌が粘土板の存在をスクープし、取り上げた
だが、それは「噂」であり、その噂は「あれば面白い空想話」として
時とともにすぐに忘れ去られた
発掘が終わると仲間達はそれぞれの仕事場に帰っていった
そして日常生活が戻った

最悪なことに
粘土板は綿を敷き詰めた木箱にうやうやしく仕舞われ
博物館の鍵のかかった金庫室に収められようとしたのだ
彼はそれに封印が掛けられる直前に救い出した
そして出土した詰まらぬ花瓶の破片を綿にくるみ
それを素知らぬ顔して木箱に収めた
男は盗みに成功した
そしてその粘土板は彼のものとなったのだ

傷のような線文字を解き明かすことが男の人生となった
手がかりを与えてくれないその粘土板は彼の前に
大いなる謎として、立ちふさがるのだった

だが彼は決して諦めなかった

それが言葉であると言う直感
そして絶対に解き明かしうるという信念だけが
男の人生を突き動かした
それはほとんど絶望的と言えるような探索の道筋であった

数えきれないほどの本を渉猟し
言語の体系を覚えた
引っ掻き傷に「文法」が存在することに辿り着くまでに
数十の言葉を覚え、文章を組み立てることさえ
できるようになった
失われた古代の言語たちは彼の内部で再び息を吹き返した

彼の部屋はすぐにおびただしい紙の束でいっぱいになった
壁はあらゆる新聞や雑誌の切り抜きで埋め尽くされた
そして寝食を忘れて、夜も昼もその研究に打ち込んだ
男はやせ衰え、頭は知で満ちたが、精神は飢えたオオカミであった
家族は去り、数少なかった友人からの連絡も途絶えた

だが(アレルヤ!)
ある晩、男はその粘土板の文字をついに読み解いたのだ
すべての研究の成果が一つの輪となって閉じたのだ
男は欠けたり摩耗してしまいほとんど読めなくなっている箇所さえ
そこにどんな文字が書かれていたのか
ありありと頭に描いてみることさえ出来るようになった

その夜、彼は神に感謝し、自分に降り掛かったこの「幸運」を一人で祝った
しかし喜びは絶望と隣り合わせであることを
知らぬはずもなかった

絶望とは、その文字の語る内容であった
彼はそれをどうしても人に語ることができなかった
語りたい誘惑に駆られた
酔った勢いでそれを話したこともあった
面白がる者は二度とそれ以上彼の言葉を聞くことはなかった
蒼ざめた者は二度と彼の前に現れることはなかった
だが、現実は、ほとんどの者がそれを真実であると実感せず
自分の問題として耳を傾けることがなかったのである

運良く彼の言葉に耳を傾ける者がいれば、
その「作り話」を一体どうやって着想したのか
ということにだけに興味を示した
そして敵意さえ抱いたのだった

彼の男への批判は呵責のないものだった
男の話す言葉に根拠を求めたのである
根拠は彼の解き明かした粘土板の文字にほかならない
だがそれを読めるものはこの世に彼ひとりしかいない
しかもそれは存在しないとされたものに刻まれたものだったのだ

つまり、それは取りも直さず
彼が生涯をかけて解き明かしたことを
誰も取り合わなかったということなのだ
だれも耳を貸さず、耳を貸したとて、最後まで
その根気のいる証明に付き合えるほどの時間も忍耐も
人は持っていなかったのだ
驚き呆れる者たちも
何事もなかったかのように自分の日常へと戻って行ったのだった

証明が第一の問題であった
そして
解き明かした内容そのものの途方もなさ
それが第二の、そして最大の障害なのだ
この障壁をどうやって乗り越えるのか

誰にも信じてもらえないものは事実と言えるのか
それがいかに明らかな事実であり、証明が可能であっても
世界で、彼一人しか知らないのだぞ
だが、独りしか知らないものは真実ではないのか

彼がそれを解くまで、それは解き明かしうるものとさえ思われていなかった
だが粘土板は確かに地中に埋まっていたし
それは発掘された
それだけではない
それを読む者さえここにいるではないか


そうだ
確かにこれを石に刻んだ者がかつてこの地層の時代を歩いていた
そして、この者が視た事実を誰かに伝えようとした
それも確かだ

しかし、粘土板が語るように
かつてそれを刻んだ者さえ、当時それを信じてもらえなかったのだ
粘土板自体がそうかたるように
あたかも、男が今、それを信じてもらえないように

男の心は初めて彼を選んだ神を憎んだ

だが男は立ち直った
粘土板の文字の語る言葉をあまねくこの世に伝えるための
根気のいる「証明」を書き記すことに決めた
それは彼が解き明かすのに掛けたのと同じくらいの時間と根気を要求する作業だった
それは全く無関係に思えるふたつの事実を一足飛びにつなぐことの出来る
想像力と洞察というものの連鎖であった
その直感によってつなげられた内容をしっかりと、緊密に
つなぎ目がどこにあるか分からないほどの論理の連鎖で
再びそれらをつなぎ合わせるという作業
それは男に極度の疲労を強いるものだった
だが、それは膨大なページを有する7巻の本となった
そしてついにそれを世に問う日がやって来たのだ

すっかり髪の白くなった彼は、一度は神を呪ったことを詫び
神に感謝し、自分に降り掛かったこの「幸運」を一人で祝った

だが、それが完成したとき、
世界はすでに男が粘土板を発見した時と異なる
新たな時代局面に入っていたことを
彼は、知らなかった
それだけ彼はこの本の完成にのみ没頭していたのだ
その粘土板が語った内容のいくつかは
恐るべきことに
すでにこの男の住む世界において
実現し始めていたのだった

そしてそれらの成就がわれわれに何をもたらすのかという
粘土板の告げる最後の言葉さえ
もはやこの世では珍しいものではなくなっていたのだ
幼い子供までが、その言葉を口にしていた
人々はもうそれを薄々とだが、身近に感じ始めていたのだ

男がその本の内容の要約をかいつまんで説明したとき
どの編集者もどの出版社も首を横に振った
その内容に興味を持たなかったわけではない
だがもはや「それ」を証明してもらう必要さえなかったのだ
なぜなら、その内容は、多かれ少なかれこの世を生きる人々が
了解していること、だが決して言葉にすべきでないあることと
瓜二つだったからだ
そしてその粘土板の語る言葉
そしてその膨大な証明の手続きを記した草稿
それは誰からも顧みられることはなかった
彼は遅すぎたのだった

男はその草稿と足の踏み場もないほどに
部屋を埋め尽くした文献と資料の堆積の中で
天井を見上げ神を呪った

財産も名誉も要らなかった
彼に必要だったのは彼の知った言葉に
耳を傾けて欲しかっただけなのだ
だが、男は遅すぎたのだった



曲がった腰を伸ばし
汚れた手の甲で額から汗を拭い
穴の底から照りつける太陽を見上げる
ぽっかりと空いた真っ青な穴の中心から
白い太陽が容赦なく照りつける
男は自分の掌にあるその小さなものを見つめた

それへの最後の別れを告げるために

そしてそれを厳重に縛った包みに入った彼の本の草稿とともに
元あった場所に、それを埋め戻したのだった

「希望」と一緒に



(この長い草稿を最後まで読まれた方には多謝である)
02:34:16 - entee - TrackBacks

2005-06-24

感慨:鬼神ライブ@音や金時 6/23

慣れた訳ではない。ライヴに慣れるはずがない。良くも悪くも(普段の自分でなくなるという意味で)緊張はしているのだが、不思議と今回は、比較的落ち着いて舞台に立てた(座っていたけど)気がする。これはどういうライブならそうなるのか、というような一般化も定式化も全く出来ない何らかの条件で起こる一種の精神状況で、それは年にだいたい30回前後出演するライヴパフォーマンスの中でも、ほんの2、3回程度(あるいはもう少し頻繁)に起こるものなのだ。言ってみれば、それが「たまたま」昨夜起こったということだ。

しかも、そういう「落ち着き」というのが、ライヴの内容に良く反映するとも悪く反映するとも、そのどちらかに体よく収まるということとも無関係なのだ。落ち着いていて良い演奏が出来たと思えることもあれば、そうでないこともある。ボルテージが上がり切り、自分を見失っているのに(いるから)、結果が良いこともあれば、(見失っているからこそ)ダメな時もある。「自分がこうあれば、結果がああなる」と予測できるものでもないので、あまりアテになることでもないということが分かるだけなのだ。
これに関連して以前に書いたことのあるエッセイ

ただ、ひとつだけ言えることがある。とすれば、それはこの度のライヴにおいては、夢中で演奏している自分がいるのと同時に、それをどこかで「楽しんでいる」自分がいたということである。前回初めてゲスト出演させて頂いたAPIAでの最初のライヴの時のように、「ここぞ。ここで出なくてなんとする?」という瞬間をことごとく「見逃しの三振をする」、という感じではなく、全体の時間の流れに自分も乗っている感じもあり、舟から落ちないように櫂にしがみついて必死で川を下っているくせに、周りの景色も突然目に入ってくる、みたいな瞬間があったし、川を下っているスリルを楽しんでいる自分もいた。もちろん、演奏後にビデオを観て初めて気付くようなことだっていくつもあったのだが、それでも演奏中に自覚できることが多かったことは、自分にとって珍しいことであると言えよう。演奏の善し悪しとは別の問題として、演奏している自分を楽しんでいるというのは、実に有り難い出来事ではある。

なぜなら、演奏中の自分を皆目思い出せない数多いライヴの中で、演奏を録音を通してしか「追体験」できないというのは、口惜しくもあり、スリルで冷や汗をかきながらも演奏そのものを演奏中に実感できるというのは、貴重な体験であるからなのだ。

そのためなのかどうかは分からない。今までの浅い経験からしても、「そのためだ」と容易に「何かのせい」に結びつけることは何の足しにもならない。だが、あれだけの熱意を持って楽器を吹いても、自分が思い描いている音として鳴っていない、どこか「ぬるい」部分があることは、録音からでもよくわかった。こうした音色や音圧についての自覚は、演奏後の方が客観的に分かることが多い。それについては、普段と変わらなかった。

せっかく聴きにいらした方のことを考えると、このようなことを書く(思う)こと自体が拙いのかも知れないが、自分を大きく見せる気も神秘化する気もない。あるがままの自分を聴いて下さる方のためにも、自分が何であるのかというのを「隠す」のは潔くないと考えるのだ。

なぜなら、音楽の神秘とは、それを生み出す人間に属するのではなくて、音そのものの中に、そしてそれを読み取ることの出来るひとの心の中に宿っているものだからだ。演奏家にあるのは、そのために格闘するという、それ以下でも以上でもない、あるがままの「いとなみ」だけなのだ。

何度でも書くが、こうした経験への機会を下さった梅崎さん、トシさん、そして皆様に感謝の意を伝えたいと思う。
23:39:00 - entee - TrackBacks

2005-06-21

タルコフスキー「映画論」へのメモ

これも長い前文のようなものに外ならない。
(タルコフスキーの「映画論」へのメモ:Tarkov_supplement2.txt)

映画作家という人種は、一部の人々(あるいは思いのほか多くの人々)によって「映画という媒体でしか表現し得ない夢や題材を抱えた人達だ」と考えられている。

だが、そのような幻想は、特定の映像作品にとって正しい評価の妨げになる考え方だ。映像作品の登場は、映像という媒体が存在する以前の、遥か昔から存在している題材を、映像といういわば「総合媒体」を獲得した人間が、ようやく扱い始めたということにすぎない。そして当然のことながら映像ならではの「特殊な表現」が生まれたことは事実であって、しかも必然的なことではあっても、アンドレイ・タルコフスキーのような特定の映像芸術家が作品を通じて描こうとしたものが、「映像によってしか扱えない題材」だと考えるのは、<題材>そのものに肉薄できないわれわれの勝手な想像に過ぎないのである。もちろん、これはタルコフスキーの評価を貶めるつもりで表明する意見でも、鑑賞者各自に起こる経験そのものの真実を否定する言辞でもない。むしろそのまったく逆で、タルコフスキーこそ映像史に永久に残る映像作家であるということを、改めて言おうとしているのである。そして、それには確固とした理由があるということを。

実は、<題材>こそがタルコフスキーの作品を特別なものにしているというのが第一の真相である。そして、その意味では映像だけがそれほどに特別なものでもないのである。映像は、そもそもそれ以前に存在した文学や演劇など、あらゆる作品や表現行為が伝えて来たある<題材>に緊密につながりがある。そして、タルコフスキーのように、映像作家でいながら優れた脚本を書く人はおり、そもそも<脚本>(根本的なアイデア)がなければこれほどの傑作は創れないのである。そして脚本は、タルコフスキーの独自のものではなく、ある種時代を超えた「ユニヴァーサルな台本」というものをベースにしているのである。「キリスト教的」と言えば一面当たっているが、それは顕教(表)としてのキリスト教ではなくて、むしろ密教(裏)としてのキリスト教と関わりがあると言えば、その意味では正しい。だが、この密教に言及するならば、それはもちろんキリスト教だけの専売特許ではなくて、あらゆるまともな宗教が伝えようとしたこと、あるいは古代密儀としての宗教なのである。つまりそのようなユニヴァーサルな台本がまずある。

もちろん、タルコフスキーの才能の特殊性とは、その<題材>を扱えるだけの優れた脚本を起こす能力(<題材>を理解する能力)があったのみならず、それを映像作品として具現化する技術的なノウハウすら持っていたということなのである。

映像作家としてのタルコフスキーが、詩人の父からの影響を受けていたということは、極めて重要なことなのである。

「タルコフスキーの作った映像を意味に還元して読み解くという行為は本当の意味でエクリチュールとしての映画を観る事からは遠ざかっている」という意見がある。これはつまり、多くの映像作品の鑑賞者が作品から「一定の意味」を捉えることに抵抗を感じ、さらにそのような見方は映画の価値を狭めるものであると漠然と感じていることを意味しているのであろう。だが、こうした多くの人の賛同を呼びそうな主張の特徴とは、まさに扱われている<題材>そのもの、そしてその「意味」を知らないからこそ出てくる意見なのである。

扱われている<題材>の意味をとらえることが可能なら、それが映画の価値を狭めるどころか、映画の(いや、主題の)途方もなさに驚愕を覚えるはずなのであり、その驚愕でさえ、その主題世界への参入のほんの入り口に過ぎないことが分かろうものなのである。

そもそも<芸術>の名に値する諸作品は、課題を提起し、その課題を囲んで人々を結びつけるためにもある。だが、鑑賞者の数だけ理解や解釈があるという今日的な「鑑賞者の自由」とは、人を同じ問題のもとに集合させるという芸術のひとつの機能を過小に評価している証拠でもある。あれほどの苦労をしてタルコフスキーの伝えたかったことは、「見る人の数だけある」と考えていいはずがないのである。

「作品は鏡である」というその深遠なる意見に反映していることの真相は、はたして単なる鑑賞者が耽溺しがちな自己愛ではないと言い切れるのだろうか? ここで語られていることは、実は「解釈」論でさえない。それは、たったひとつのことである。タルコフスキーには伝えたい確固としたテーマ(<題材>)があったということ。そして、その伝達に寿命を縮めるほどの精魂を注いだということである(あたかも『ノスタルギア』におけるアンドレイのように)。そしてその「題材」はそのような超人的な努力を払い、人々に問題意識を喚起するだけの「価値」のあるものであった、ということである。

現実としては、哀しいことだがその意図した内容は、おそらくほとんど伝わってもいなければ、「理解したり、共有したりできるはずのないものだ」と多くの人が思い込んでいる。それが筆者には悲しい。こうしたあまねく共有される「寛大なる理解」、すなわち鑑賞者自身による「多義性への寛容」という現実への、ささやかな抵抗の試みなのである。そして映画(に限らず芸術一般)には「見る人の数だけの解釈と理解があってよい」と考え、それこそが「芸術の胆」であると考える「自由なる鑑賞者」からは、それを傲慢だと受け取られる危険性を孕んだ考えでもある。
23:39:00 - entee - TrackBacks

2005-06-17

『日本の軍隊』吉田裕著(岩波新書)を読む

戦争の「正」の側面を知るということには意味がある。(負の側面など今更強調するまでもないという前提で...)だが、「新手の戦争肯定論か?」と早合点する前に次を読んで欲しい。

こういうことです。つまり、「戦争はみんなが考えるほど悪いものではないんだ」という主張や考えに、どういう事柄や現実認識が「支持」を与えているのか、戦争のどういう側面が戦争肯定論者に「勇気と力」を与えてしまうのか、ということを識ることにつながるから、だから意味があるのです。

戦争の負の側面については、その度し難く無秩序な破壊と混乱、そして人命や人間の尊厳を奪い去る暴力の組織的(というか本当は無秩序で混乱した集団による)な行使であるから、つまり殺人という取り返しのつかない罪の本質は如何なる理由においても正当化できない、という理由以上のことをあらためて語る必要さえない。それほど左様に、すでに自明のことである(もちろん、どれだけ語ったってそれで「こと足れり」とされるものでもないほどに、語り継がねばならないことが無数にあるのは言うまでもない)。

したがって、いかにして戦争を美化し、その価値を称揚し、その存在を正当化して来られたのかを知ることには価値がある。例えば、青春時代を「戦争を生き延びる」ことで過ごしてきた「戦争しか知らない(かつての)こども(青年)たち」の論理を、如何にして無効化するのか、という批判材料を得ることにつながるのである。そして、そういう戦争肯定論者(一部肯定論者も含む)の言い分を単純に信じる(あるいはその「言い分」に対して同情的な)人々の存在、あるいは戦争の悲惨さを自分の問題として想像できないだけなのではないかと思えるような、皮相的な戦争肯定論を「口真似」する若い世代の人々。こうした存在が増殖しつつあるということを考えるにつけ、彼ら「肯定論者」を包括理解し、その論理のどこに決定的な穴があるのか、ということを知り尽くす必要があるのだ。そういう人々をバカ呼ばわりしても、人格否定しても、それは肯定論者、否定論者のどちらのタメにもならないのだ。

戦争というものの“多面性”に冷静な光を当てる『日本の軍隊』(岩波新書)によれば、軍隊に入って初めて満足な3度の食事にありついたという青年たちが大勢いるという。これ自体が私にとっては衝撃であったし、「目から鱗」の記述であった。戦争前夜、そして戦中当時の農村の「貧困層」に属する人々からすれば、軍隊での生活はそれまででは考えられないほどの贅沢であり恩寵であり、飢餓からも労役からも開放された、ある種の安楽世界であったという、明確な実感を持つ元兵隊達がいる。あるいは、社会階級とは関係なく、軍隊という組織は(部分的だとしても)「能力主義」が実現していたある種の「公平なる社会」であって、軍隊の機構上、ある程度明確な上位下逹の「主従関係」はあったものの、一度一兵卒として入所した時点では、その全員が、すなわち金持ちも華族も農村出も、すべての者が同じ飯を食い、同じ訓練や仕置きを受けた。これは軍隊の外の世界では、当時まだ「実現していなかったこと」だというのである。

そして、われわれ戦争否定論者が正面から対峙しなければならないのは、これらの理由を以て軍隊を肯定せざるを得ない人がいる、という事実である。

そればかりではない。さまざまな理由を以て、なるほど軍隊が「よい場所」だと感じることにはいくつもの「根拠」があった訳だ。

しかるに、こうした軍隊のもつ一連の「長所」を以て軍隊(兵隊)というものに課せられている機能、期待されている役割、そして何よりも破壊と暴力を可能にする道具でもって武装している組織であるということ、そして「防衛のための道具である」と主張して維持される軍備そのものが、結果的には、他者(他国)から見れば脅威を感じる対象そのものに他ならないという点、そして、「防衛」と云う名のもとに侵略*さえ実現可能にするという点、最終的には命令が絶対であるというトップダウンの命令形態、そうした軍と言うものの一切の暴力的本質を根本から書き換えてしまえるような「価値」なのであろうか?

* かつて防衛という大義なしに行われた戦争というものがあっただろうか。すべての戦争はそれを始める人たちによって「防衛手段」であると主張されているのである。それは現在アメリカ合州国政府によって成されている先制攻撃ですらそうである。日本人が朝鮮半島に入植したのも軍隊を展開させたのも、「ロシアや清国の脅威に対する本土防衛のため」という説明がある。すなわち、「防衛」などという言い訳は、誰によっても可能であるという理由で、すでに無効であり、それにまともに耳を貸す必要がないほどである。「攻撃してくるかもしれない」と一部で脅威が叫ばれている某国に関して、彼らの側からすれば日米や韓米の軍事条約を背景に外交を展開する日本や韓国に対する脅威を感じている訳で、「祖国防衛のための先制攻撃」という口実を持っている訳である。この際どちらに「正義」があったのか、と言うことは問うまい。だが、確実なのは朝鮮戦争が起きた当時、ソヴィエトのバックアップを得た金日成に率いられる朝鮮民主主義人民共和国の側にも、共産主義に対する防衛を声高に叫んでいた合州国にバックアップされた大韓民国の側にも、等しい「正義への感覚」があったわけである。互いが「防衛」を旗印を上げて血を流し合った訳である。

軍隊の長所によって「戦争(戦時下の世界)というものは悪いものではない」という戦争観は、さしずめ、「必要悪」を主張する言説の別名に他ならない。だが、必要悪を口にする者は、「悪」を「必要」によって免責できると考えている。悪に対する根本的な無理解、あるいは悲惨への想像力と感受性の欠如がある。そればかりか究極的には根本的な差別主義の発露に他ならないのである。

つまり、必要悪でもって「必要」を満たされる人々がいる一方で、「悪」の犠牲になって死ななければならない人が出るという不条理を前提として肯定しているからである。そこには明確に「生存できる人間」と、それに与れない人間のグループに人間を分つ差別構造を認めてしまう精神的な弱さがある。そこには、「必要悪」によって「必要」を満たされる側にいるだろう自分(あるいは身内*)への愛と、悪によって滅ぼされるかもしれない側にいる人間(他者)への明らかな無関心という根の深い差別意識なしにはあり得ない思想なのである。

まさに戦争とは究極的な人間の選別とそれを可能にする抜き難い差別意識なしには実現不可能な「政策」なのである。そしてその政策は、いつの時代でも、安全圏にいて自分(や自分の身内)が生き残る者達が、自分たちの安全を無条件的な前提として造り上げられるのである。

こうした差別され「消耗」される側に対する無関心は、「必要悪」を軽々しく口にする人間たちの間に目立って見出される特徴である。必要悪を認める自分は、他でもない「自分」の犠牲というあり得べき可能性に関して、どれだけ想像力を働かせることができているのであろうか? 仮に自分がその犠牲に身を投げ出すことが本当にできたとしても、それは他者の犠牲をも同時に強制する類の「自己犠牲」ではないのか。戦争というものはひとりではできないのである。

* 身内への無条件の愛は、自己愛とどれほどに違うのであろうか? 血縁の子供や愛する人間を優先的に生存させると言う本能的行為のどこにヒューマニズムの崇高性があるのであろうか?

どんなに勇ましい戦争における自己犠牲(壮烈な死)であっても、死に臨んで、どんな貧困も、どんな悲惨も、生きられれば「死よりはまし」と思うかもしれないではないか。いや、私は思うに違いない。

そんなことを考えさせてくれる良書として、筆者は『日本の軍隊』を評価するのである。


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