entee memo

2005-01-18

古いものは、いい

大きな岩のようでありたい、のか。われわれは、本当に。

高橋竹山の映像というのがNHKアーカイブで放送されていた(一昨日あたり)。彼の津軽三味線の演奏...ではなくて、彼の話しっぷりに心が奪われた。(たまたまテレビを付けたら放映していて放送はあらかた終わっていた。)

そこにあったのは、いまわれわれの周りで見かけるたぐいの人類ではなくて、「ひと」というものの原型というか、人はこうあり得る、いや、ひとはかつでこうであった、というある種の、「歴史的にかつて存在したことのあった」ある人間像が、時間を超えて突然茶の間に現れたかのようでさえあった。こういうのを見ると映像記録の力を実感するのである。言ってみれば、タイムカプセルにしまわれた中世時代の人間をよみがえらせることができるようにさえ、感じたのである。

字幕がなければ何を言っているのか分からないような、人情味あふれる津軽弁丸出しの彼の言葉自体が、いまや殆ど死に瀕している(かもしれない)ような、かつて存在した時代の証言者のようでもあり、また、いわゆる流れの速い「世間」のありようとは無関係に存在し得た、ある「岩のような存在」が突然再発見されたかのようにも見えた。

(たしかに)われわれは、いろいろなことに気づき始めた。無意識に我々の心に根付いている「差別」を感じ取る触覚を得て、「恵まれぬひと」たちの声を聞き分ける聴力を持った(いや、持ったように思った)。そして、いわゆる人生の、こころの、細かな襞を読み取れるような、痛覚さえを得た(ように思った)のだ。

去年より今年、昨日より今日、という風にヒトは進化してきたように思っている。少なくとも、移り行くすべて、特にファッション(それは服装だけでなくものの考え方や特定の思想への傾斜も含めて)、そして流行の言葉を思い出すと、「なんて格好悪いものを自分たちはカッコいいと思い込んでいたものか」、とあきれ気味に思い返すことがある。しかし、ファッションはファッションというだけのことはあり、それははやり廃る。「洗練」という時代の進行によって、微に入り細に入るあらゆる五感による「感受性」の先鋭化が確かにわれわれ現代人には起きている。

たしかにそういう傾向はあるかもしれない。だが、いったいそうした感覚の一見した「伸長」によって失われたものはなかったのか。われわれは時代の変化や感覚の先鋭化と関係なく、変わらぬ何かを持っているのか。われわれには目が見えているが、竹山に「見えている」ものがわれわれには見えていないのではないか。そして岩のように動じない生きた人の存在感を獲得していないのではないか。

竹山の映像と音声は、まさにいかなる時間によっても風化することのない「原石」として、われわれの現前に提示する。それは、竹山本人ですら磨き上げるのに難しいような、岩のごとくに途方もなく大きな原石としてそこにあった。おそらく磨こうとすればするほどに、別のところからどんどん埃が積もり、沈着した土ぼこりの上からどんどん苔がむしていく、というようなスケールの原石なのである。そこには、表面的なカタチの良さとか、日常的に公平である(いわばリベラルであろうとする)ために、より大きな悪を見逃すというような現代人の小手先の平等感覚を一切無価値にしてしまうような善悪を超えた「存在」として立ちはだかる原石なのである。

われわれは、ようやく手に入れたかに見えたある職種なり特殊技能の中で、あるいは専門とした「思想」行為の中で、より細かな「仕上げ」をしようと懸命であるかに見える。人生の大半を費やし、その入念な「仕上げ」への入り口に立っている。そして、心も。

しかし、そこには揺るがない原石があるのか?

竹山は、盲目という与えられた身体的特性によって、彼が生きた時代から当然得られたであろう多くを得られなかったはずである。しかし、それによって何か重要なことを彼が得損なったという風に彼が感じているとは到底思えないほど、どっしりと落ち着いて見えた(聞こえた)。付いていけないことで得られなかっただけ、失うものも彼にはなかったのだ。むしろ、そのどっしりした揺るぎない自己を磨き上げることに終生打ち込むことができた。そして、その本人が、自己の研磨に完成がないことを、あるがままに受け入れているように見えた。

意図してかせずにか、そうしたある種の古い人間存在の「あり方」(実存)が映像と音声で僅かに捉えられた。そしてそのごく一部を私はかいま見た。

映画『ソラリス』のなかで、タルコフスキー(原作者?)は、主人公の父親に「古いものはいい」と言わせる。そう。古いものはいい。だが、われわれは古い人間のあり方に、「いい」と言わしめるような「人間存在」を身近に持っているか? 日常的に、「古いよさ」というものに十分圧倒されているのであろうか? 私たちはおそらく孤立している。古いものからの孤立である。古い知恵や、古い道具や、古い人情からの孤立である。

そして、苔むすような岩のような原石から背を向け、新しい光り輝く、未来へと「転落」することを選んでいるのである。


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